亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2013年10月

本日は、約束について考えてみたいと思います。

 

安易に約束を反故にされる方がいます。

 「急に仕事が入って・・・」「仕事上のトラブルが発生して・・・」「体調を崩して・・・」

理由はさまざまでしょうが、大体そういう人はいつもそう。そして人に迷惑をかけていながら気付かない。「だって○○だったから仕方ないじゃん」そして信用を失っていく・・・

 

逆の立場だったらどうでしょう?

もしその人と会えるその日を心待ちにしていたとしたら・・・

もしその約束を実現するために、大変な苦労をしていたとしたら・・・(幹事の経験がある方ならわかりますよね?)

もし他からもオファーを受けていたのに、「先約優先」と他の依頼を断っていたとしたら・・・

もしその約束が果たせなかったことによって誰かからの信頼を失ってしまうとしたら・・・(予約の取り辛いレストランやゴルフ場など、無理を言って手に入れてもらったチケットなど)

 

相手の気持ちを、立場を、状況を慮る心があれば、安易に約束を反故にできるはずはありません。

 

百歩譲って、どうしても都合のつかないこともあります。そのときでも、本当に申し訳ないと思う気持ちがあるか?「それだったら仕方がないね」と心から思ってもらえるだけの誠意を示したか?心待ちにしていた心を、負ってきた苦労を、他の依頼を断った心苦しさを、失った信頼を、補って余りある対応ができているのか?断るにしても、その心があるや、なしや・・・

 

もう一つの真理・・・それは・・・

 

約束を守れない人は、急に仕事が入る、トラブルが多発する、病気になる・・・。人に予定を振り回されている人、トラブルが多く発生する人、体調の優れない人、胸に手を当てて考えてみてください。ちゃんと約束を守れていますか?安易に、自分の都合で約束を破っていませんか?人に迷惑をかけていませんか?

 

商いの基本は信用です。信用の源は約束を守ること、うそをつかないことです。これが守れないようでは、千年どころか、明日も危ない・・・

本日は「借りる」ということについて考えてみたいと思います。



よくよく考えれば、この世に自分が作り出したもの、産み出したものなどほんのわずか。いや、わずかということさえおこがましい。ほぼ全てが天与のもの、ないしは他の人の勤労・支援によるものをいただき、使わせてもらって成り立っています。これを貰いっ放しにしてしまったらバチが当たります。



よくよく見渡せば、私の周りには「恵みである」と感じること、「ありがたい」と思うこと、「お世話になりました」と思わず頭を垂れることが溢れています。いや、そうでないものが何もない・・・



このことに気付けば、

 「何かお返しをしなければいけない」

 「世のため、人のためになることをしたい」

 「誰かのために役に立つことをさせてもらいたい」

といった感情が自然に生まれてくるものだと思います。



その心こそ「お借りしています」の謙譲の心であり、「お返ししたい」の報恩の感情を呼び起こす元であるように思うのです。



振り返れば、かつてこの国には「お返しする」ことが当たり前に行われていたように思います。人に対しても、モノに対しても、国に対しても、自然に対しても・・・



しかしいつしかその当たり前が失われ、自分・自分・自分・・・になってしまっているように思います。遂には、本来恩返しの際に使うべき「倍返し」が、仕返しの意味に使われるようにもなってしまった。とても悲しいことです。



とはいっても、過去と他人を変えることはできません。もう既に過ぎてしまった時間に、そして他人に文句を言っていても始まりません。私たちにできることは、自分と未来を変えること。



今一度、元々私たちが持っていた「この世に借りものでないものは何もない」という真髄を思い起こし、「お返しさせていただく」のこころを大切にして、報恩感謝の日々を過ごしていきたいものです。



それが商いの原点であり、千年経営の礎となるものだと思います。


 


 


 


 


 


 


 


 


 

以前総務の責任者として、入社3年を経過した社員に面談を実施していました。先日、後継者の方とお話しする中で、ある社員との面談を思い出しました。

 

「この3年間を振り返ってどうだった?」私にそう尋ねられた彼は、「100点満点中20点」とした上で、次のように答えました。

 

「入社当初思い描いていた4年目は、もっと仕事ができる人間になっているはずでした。周りからは仕事が集まり、自分で仕事を創り出して挑戦することもできている。名南でなくても自分ひとりでやっていけるくらいの実力がついている、そう思っていました。でも・・・」

 

「理想と現実は全然違っていた」という彼の自己分析はこうでした、

 

「一番問題なのは、“素直さ”がないこと。注意を受けたとき、その場では「はい」というものの、心の中では「でも」・・・。何につけても「これが本当に意味あることかな?」と思ってしまう。僕には何事もやる前に判断する悪い癖がある。やったとしても、疑問を抱きながら取り繕うようにやるので、結局は行動革新に繋がらず、いつまで経っても考えも行動も変わらない、それが今の私だと思います。」

 

極めて的確な分析。「やっとわかってくれたか」と心の中でつぶやきながら、「じゃあ、これからどうすれば良いと思う?」と優しく問いました。すると彼は、自信を持って元気良く、「やった上で判断するようにします!」と・・・

 

「馬鹿モン!」私は思わず雷を落としてしまいました。

 

「20点のお前に何が判断できる。50点、80点、100点の先輩が、お前のことを真剣に考えて、「こうしたらどうだ、ああしたらどうだ」とアドバイスしてくれる、その真贋を20点のお前がどう判断するというんだ?2合目で右往左往しているお前を、頂上から的確なアドバイスをしてくれているんだ。素直にすぐやる。やって、やって、やり切る。判断するのではない。先輩がいう成果が出るまでやり切れ。」

 

私は反発・反抗することで自分らしさを感じる時期はあって良いと思います。その反発心、反抗心が強ければ強いほど、その跳ね返り、即ち素直な心も大きくなる。反発や反抗からは何も生まれない、それどころか、事態はどんどん悪化し、自他共に悲しい結末しか生まれないことに心から気付いたとき、本当に純粋な素直な気持ちが生まれるように思うのです。

 

一方で、自己の成長は素直な心と正比例。もちろん間違っていると感じたり、おかしいと思ったときには、それこそ素直に質問すれば良い。質問してもわからなければやってみる。それが最高の成長の条件。

 

最悪なのは、反発するつもりもないのに何もしないこと。「気付いたら直ぐやる。間髪入れずに喜んでやる。そこに言い訳は無用。」とお話しした私に、「私のことですね?」と苦笑いをされたその後継者の方は、しかし、すっきりした顔つきで帰って行かれました。

 

後継者の方が必ずといってよいほど通る道であるように思います。

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