亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2013年11月

今回は、「命令」について考えてみたいと思います。

 

かの「変わった(ことをする)会社」の代名詞、未来工業 株式会社では「命令禁止」、なんと上司は部下に命令してはいけないのです。もししてしまったら降格の対象になるのだとか。

 

「日本には265万の法人企業があるが、その97%が課税所得4,000万円以下。情けない会社が多過ぎる。そんな経営者は会社なんかやるな」と仰る同社の山田相談役。曰く、「全体の97%を占める、4,000万円の利益も上げられないような駄目な会社がやっていることはやらない」のだそうです。

 

命令をしない、これはとても勇気のいることです。上司としては、自分で意思決定して、「つべこべ言わずに」やらせた方が楽。でもそれでは人は育たない・・・

 

皆さんは幕末の長州藩主・毛利敬親(たかちか)候をご存じでしょうか。「そうせい」候と言われる彼は、家臣が持ってくる伺いには全て「そうせい(そうしろ)」。だから「そうせい」候。

 

作家・童門冬二氏によれば、当初、このリーダーシップには大いに問題があったとのこと。それはAさんの案と対立するBさんの案、いずれにも「そうせい(OK)」が出てしまうからです。当然、両者の間に争いが起き、収拾がつかなくなります。

 

しかし、そんな争いをしているうちに、「殿は決断力に乏しい」「全てに責任逃れをしている」といった失望や批判が、いつしか「殿は一切の責任を自分が負うから、思い通り仕事をせよ、といっているのではないか?」という思いに至る。そうなると家臣たちは「そんな殿に苦労を掛けてはいけない」という“部下としての良識ある責務感”が湧いてきて、 「殿に具申に行く前に、立案者同士で案をすり合わせよう」という機運が生まれ、殿のところへいくときには、案は必ず一本化されていくようになったのだと言います。

 

禁門の変や長州征伐など、何度も存亡の危機に襲われた長州藩が、そのたびに上から下まで“一藩結束”の気概が高まっていったのは、「そうせい」候のなせた業、なのだとか・・・

 

「命令禁止」の真意は、こんなところにあるのかもしれません。

 

皆さんは、部下が持ち込む提案に、全て「そうせい」ということができますか?私はこのお話をお聴きしてから、意識して「いいよ」というように心がけています。内容によっては、「いいよ」と言ってしまってから後悔し、結果が出るまでハラハラ・ドキドキすることも多いのですが・・・(苦笑)

 

皆さんも一度トライされては如何でしょうか。「いいよ」と言えなかったとき、何故言えなかったのか、その原因を自責で考えると、命令一辺倒だったときには見えていなかった自分と自社の問題の本質が見えてくるかもしれません。


それが強い会社つくりに一助になるように思います。 

 

前回の「伝える」に引き続き、今回は「伝わる」について考えてみたいと思います。

 

このところ私の周りは結婚ラッシュで、この2か月で3件の結婚式に参列させていただきました。結婚式に出るたびその幸せのお裾分けをしていただき、暖かい気持ちになって帰らせていただいています。

 

その中でも一番心洗われるのは、新婦のメッセージ。話し出したその瞬間からの涙声に、ついつい涙腺が緩んでしまいます。そして、自分がしてきたことに対する包み隠しない心からの反省とお詫びの気持ち、嘘偽りのない感謝の言葉の数々に心洗われるものです。

 

本来は私が直接耳にした話をご紹介したいところですが、プライバシーの問題もありますので、今回は切り抜いておいた日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」で、結婚式の司会を数多くされている立川談四楼さんが書かれていたエピソードをご紹介したいと思います。新婦の話ではありませんが、ここでご紹介する意味はご理解いただけると思います。

 

「宴もたけなわとなり、一人の青年をスピーチにと紹介した。新郎と同じ施設に育った彼は、友人代表として登場したのだ。拍手は一段と大きかった。満面の笑顔でマイクの前に立ったのだが、彼はなぜか沈黙した。言うべきことを忘れたか、上っているのかと思ったが、そうではなかった。「お、お、おめ・・・」、彼はそう言うと、絶句したのだ。そして嗚咽だけが会場に響いた。彼は万感胸に迫り、おめでとうと言おうとして果たせなかったのだ。

 

立ち往生する彼をフォローすべくマイクを持ったが、新郎の行動の方が早かった。新郎は壇を降りると彼に握手を求めたのだ。やがて握手は強い抱擁となり、ただただ二人はお互いの背中をたたき合っていた。

 

当の二人はもちろん、会場の誰もが泣いていた。そして青年は割れるような拍手の中、自席に引き揚げた。負けたと思った。私はそれまで、よどみなく喋ることがプロだと思っていた。だからわずかに生じる間(ま)すら恐れ、それを冗舌で埋めてきた。しかるに一人の同世代の青年の前に敗れ去ったのだ。彼は一言も喋らずして、そこにいる全員を感動させたのだ。私が話芸というものを深く考えた最初だったかもしれない。」

 

「話が上手いから感動し、下手だと感動しない」のではないようです。話の上手い、下手ではなく、「伝えたいと思うその気持ち」が大切だということ。

 

その心が、熱くて、純粋で、まっすぐで、素直で、想いに溢れたものであるのならば、伝わらないことなどない。

 

それだけの「伝えたい」心根が千年経営の礎をつくっていくように思います。

今日は「伝える」ということについて考えてみたいと思います。

 

「伝える」ことは、本当に難しいものです。「わかってくれただろう」「伝わっただろう」と思っていたのに、なかなか行動を起こしてくれず、「ちゃんときいていたのか!」と苛々した経験は、みなさんもお持ちのことと思います。

 

しかし「きちんと伝える」のは伝える側の責任。伝えたいこと、やってもらいたいことがあるのは伝える側で、きく側が欲していることではないからです。

 

それでは、伝える側の責任を果たすために、こちらの期待通り、意図する通りに実践してもらうためには、いったい何が必要なのでしょうか。それは伝える側のコミュニケーション能力です。

 

伝える側のコミュニケーション能力には、4段階あります。

 

伝達レベル:相手が聞いていようが聞いていまいが、とりあえず「言った」というレベル。

理解レベル:自分が言っていることをわかってもらうことができるレベル。但し納得までには至らず、「そうはいっても」とか「私はそうは思わない」で終わってしまう。

納得レベル:自分の言っていることに、「その通り」だと納得・共感してもらうことができるレベル。但し、この段階ではまだ行動を起こしてもらうまでには至らない。

感動レベル:自分の伝えたいことに心から理解・納得し、喜んで行動を起こしてもらうことができるレベル。伝える側の最高のコミュニケーション能力レベル。

 

そしてこの「感じて動いてもらえる」という最高レベルに達するためには、

 

  伝えたいことが正しいことであることがわかってもらえているか?

  具体的行動レベルまで落とし込みができているか?

  そのことに「私にもできる!」と思ってもらえているか?

  それを「やりたい!」と思ってもらうことができているか?

 

といった検証を、常にしていかなければなりません。

 

「伝わらないのは何故なんだろう?」「どうしたら感動してくれるのだろう?」と日々自問自答し、トライし、修正し、繰り返しチャレンジしていく・・・そこにコミュニケーション能力向上の、唯一の道があります。

 

当代で伝わらないことが、次代に伝わっていくはずがない・・・

 

「伝わらない」のは、次代に「伝える」ための最良の試練と認識し、喜んで、楽しんで、どんどん工夫していきましょう。

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