今回は、「命令」について考えてみたいと思います。
かの「変わった(ことをする)会社」の代名詞、未来工業 株式会社では「命令禁止」、なんと上司は部下に命令してはいけないのです。もししてしまったら降格の対象になるのだとか。
「日本には265万の法人企業があるが、その97%が課税所得4,000万円以下。情けない会社が多過ぎる。そんな経営者は会社なんかやるな」と仰る同社の山田相談役。曰く、「全体の97%を占める、4,000万円の利益も上げられないような駄目な会社がやっていることはやらない」のだそうです。
命令をしない、これはとても勇気のいることです。上司としては、自分で意思決定して、「つべこべ言わずに」やらせた方が楽。でもそれでは人は育たない・・・
皆さんは幕末の長州藩主・毛利敬親(たかちか)候をご存じでしょうか。「そうせい」候と言われる彼は、家臣が持ってくる伺いには全て「そうせい(そうしろ)」。だから「そうせい」候。
作家・童門冬二氏によれば、当初、このリーダーシップには大いに問題があったとのこと。それはAさんの案と対立するBさんの案、いずれにも「そうせい(OK)」が出てしまうからです。当然、両者の間に争いが起き、収拾がつかなくなります。
しかし、そんな争いをしているうちに、「殿は決断力に乏しい」「全てに責任逃れをしている」といった失望や批判が、いつしか「殿は一切の責任を自分が負うから、思い通り仕事をせよ、といっているのではないか?」という思いに至る。そうなると家臣たちは「そんな殿に苦労を掛けてはいけない」という“部下としての良識ある責務感”が湧いてきて、 「殿に具申に行く前に、立案者同士で案をすり合わせよう」という機運が生まれ、殿のところへいくときには、案は必ず一本化されていくようになったのだと言います。
禁門の変や長州征伐など、何度も存亡の危機に襲われた長州藩が、そのたびに上から下まで“一藩結束”の気概が高まっていったのは、「そうせい」候のなせた業、なのだとか・・・
「命令禁止」の真意は、こんなところにあるのかもしれません。
皆さんは、部下が持ち込む提案に、全て「そうせい」ということができますか?私はこのお話をお聴きしてから、意識して「いいよ」というように心がけています。内容によっては、「いいよ」と言ってしまってから後悔し、結果が出るまでハラハラ・ドキドキすることも多いのですが・・・(苦笑)
皆さんも一度トライされては如何でしょうか。「いいよ」と言えなかったとき、何故言えなかったのか、その原因を自責で考えると、命令一辺倒だったときには見えていなかった自分と自社の問題の本質が見えてくるかもしれません。
それが強い会社つくりに一助になるように思います。