今日は、「誇り」ということについて考えてみたいと思います。
先日、ある本を読んだところ、次のような文章がありました。
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが恐らく、人民の本当の幸福の姿というものであろう。私は時として、○○を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と黄金の時代を、いずれの他の国におけるよりも、より多く○○において見いだす。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の○○の顕著な姿であるように思われる。」
さて、この文章の○○の部分に入る国名、どこか分かりますか?
そうです。我が国・日本です。
この文章が記載されている「日本滞在記」(坂田誠一氏訳、岩波文庫)の著者は、アメリカの駐日総領事としてわが国が列強諸国から迎え入れた初めての外交官、タウンゼント・ハリスです。
彼は敬虔なキリシタンで、野蛮国の日本をキリスト教によって文明国へ引き上げ、人々を幸福にしたいという宗教的使命感から日本領事の職を熱望したといいます。しかし、はからずもその野蛮国だと思い込んでいた日本に「地上の楽園」を目の当たりにしてしまい、キリスト教的価値観を大きく揺さぶられ、彼の本国から与えられた任務であった、日本にとって大変不平等な日米修好通常条約(1858年締結)を押し付けることにためらいを感じたのだそうです。
この文章を読んでまず湧いた感情は「誇り」と「喜び」でした。この日本という地に生まれたことそのものへの誇り、そして喜び・・・
しかしその直ぐ後に生まれた感情がありました。それは「申し訳なさ」というか「情けなさ」というか・・・。先達が2600年以上の歳月を掛けて作り上げて下さった「地上の楽園」を、わずか65年で誇りなき国にしてしまった、その「不甲斐なさ」というか・・・
一方で、200年以上続く企業は3,000社以上という事実、まだまだ捨てたものではありません。
また私個人の中にも、そのDNAは確かに継承されているように思います。この文章に「誇り」と「喜び」を感じたその心が、まだ私の中に生きている・・・
私はこの文章を通じて、
「我々経営に携わる者は、企業経営を通じて「地上の楽園」の本質を追求していく責任がある。そして当社は、それを全面的にサポートしていく会社であり続けたい。」
そう強く心に刻みました。
今一度「質素と黄金の時代」を取り戻していきましょう、再び誇りが持てる国を作るために、私たちの力で、私たちができることを精一杯実践し続けていきましょう。
