亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2014年01月

今日は「縦に繋げる」ということについて考えてみたいと思います。

 

この言葉は、以前、京都の老舗和菓子屋の方からお聴きしたものです。その方が仰っていたのは、次のような内容。

 

「もちろん、横に広げる(今のお客様を増やす)ことも大切ですが、それ以上に大切なのが縦に繋げるということ。ある方がたまたまうちのお菓子を買って下さって、とても喜んでいただけた。それからというもの、自宅で食べるときも、お土産に持って行かれるときも、いつもうちのお菓子を買って下さるようになる。子供たちは食べて喜び、お土産に差し上げた方が喜んで下さる姿を見てまた喜ぶ。そうして育ったお子様は、自分のお金でお菓子を買えるようになったとき、またうちの和菓子を求めて下さる。それがそのお子さん、お孫さんへとどんどん繋がっていく。これが縦に繋げるということです。」

 

よくよく考えてみれば、出生率が低下しているといっても、1.4倍弱あります。1世帯から1.4世帯が生まれてくる訳で、きちんと縦に繋げることができれば、10代後には何と20世帯にもなります。20倍です!とはいえ、1世代20年と考えれば、10代は200年。これはもう気の遠くなるお話です。

 

しかし、3代60年で考えても2倍にはなります。60年で売上倍増。少子化で人口減少が叫ばれる中、それでも倍増できる要因が、実は目の前のお客様にある。とても大切な視点だと思います。

 

これも以前お聴きしたお話ですが、葬儀会館「ティア」の冨安社長から「根幹はリピーターつくり」と伺いました。「えっ、お葬式でリピーター?」と、頭の中が「?」マークでいっぱいになりましたが、おじいちゃんの葬儀に参列したおばあちゃんが、「わしのときにも頼むでな」と言っていただける、それが子の代、孫の代まで繋がっていく、これこそが究極のリピーターなのだ、との解説に大納得でした。

 

「今のお客様を大事にすることによって、子々孫々に繋ぎ広げる」

 

千年続く経営にとって、最も大切な考え方の一つだと思います。

 

 

今回は、「リズム」について考えてみたいと思います。

 

私の忘れられない一言の中に

 「リズムを崩したものは即、餌になる」(水中写真家 中村征夫氏)

という言葉があります。背筋が凍るほど、自然界の摂理をズバッと表現しているように感じませんか?これはまさに企業も然りで、リズムを崩せば疫病神、貧乏神、死神の餌食になってしまいます。

 

企業におけるリズムを崩すとは、「大事なこと」を疎かにすることなのだと思います。

 

・多少の嘘でもつかないと、卑怯なことでもしないと、真っ正直なことばかりやっていては損をする。

・守れない約束だってある。俺だって忙しいし、突発的なことだってあるんだ。

・こんな時代に利益を出してるんだ。少しくらい贅沢(楽)したっていいだろう。

・俺だって一生懸命やってるんだ。悪いのは周りのせいだ。これ以上何をしろというんだ。

・将来的にはなくなる仕事かもしれないけど、今は食えてる。とりあえず今はこのままでいよう。

・今日は疲れた。どうせまた明日も同じ仕事をやるんだから、そのままにして帰ろう。

・「やろうかな?でも失敗したらどうしよう・・・でもやんなきゃいけないんだよなぁ~、でも大変だし・・・でも・・・」

 

名南に入って早25年、多くの落ちていく企業を垣間見てきました。結局、そのような会社に共通するところは、このようなトップの心の持ち方にあるように思います。

 

前述の例はほんの一部ですが、当てはまっていることはありませんか?当てはまっていたとすれば、当たり前な「大事なこと」ができていないということ。これこそが「リズムを崩した」状態。

 

「嘘をつかない」「裏切らない」「約束を破らない」「卑怯なことをしない」「驕らない」「手加減しない」「安易な道を選ばない」「後始末を疎かにしない」「即断・即決・即行・即止」などなど、真っ当なことを疎かにせず、貫き通す。

 

「リズムが崩れた」のではなく「リズムを崩した」・・・ここが大事なところです。

 

どうぞ疫病神、貧乏神、死神に憑りつかれぬようお祈り申し上げます。ゆめゆめリズムをお崩しになりませんように・・・

新年明けましておめでとうございます。今年もご笑読のほど宜しくお願い致します。

 

新年にあたり、今回は「縁」ということについて考えてみたいと思います。

 

縁は、生んでくださった親の縁、兄弟・親族の縁に始まって、友人・知人、先輩・後輩、先生、更には夫婦、子供に至るまで、「何故この人?」と思うことしばしば。しかし、「袖触れ合うも他生(多生)の縁」。「多少」ではなく「他生(多生)」。そう考えれば、この出会いは奇遇ではなく必然。出会って縁ができるのではなく、縁ある人と出会う、これが正しいのだろうと思います。

 

何か意味があるから出会う。その意味とは何か?それを考え、明確にし、実践し続けることができる人が、人としての成長に繋げていける人なのだろうと思うのです。

 

ではそれぞれの縁に出会って、我々は何を学ぶのでしょうか?私の目に映る“あなた”は、一体私に何を教えようとしてくれているのでしょうか?その答えを導き出すためには、「自分の心に聴く」ことが大切だと思います。

 

人は何かに触れると感情が生まれます。好き・嫌い、嬉しい・腹が立つ、楽しい・苦しい、暖かい・冷たい、新しい・古い、きれい・汚い、良い・悪い、美しい・醜い、上手い・下手、簡単・難しい、多い・少ない、早い・遅い、優れる・劣る、賢い・愚か、鋭い・鈍い、澄む・濁る、尊い・卑しい、強い・弱い、遠い・近い、愛おしい・憎い、得意・苦手、強い・弱い、喜び・悲しみ・・・

 

これらの感情が湧き起こったことそのものを、まずは取り逃さないこと、それが「心に聴く」ということ。そしてその感情が何故生まれたのか?その原因を「人は我師」という観点で探る。

 

「人は人、自分は自分と、別々のいきものだと考えるところに、人の世のいろいろの不幸がきざす。実は人はわが鏡である。自分の心を映す映像に過ぎぬ。(中略)親子、夫婦、交友、隣人、すべてがわが鏡であって、わが心のままに変わっていく。(中略)今日までは、相手の人を直そうとした。鏡に向かって、顔の墨をけすに、ガラスをふこうとしていたので、一こうにおちぬ。自分の顔をぬぐえばよい。人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自らが変わればよい。」(倫理研究所・万人幸福の栞より)

 

人は人を通じて自己革新し、成長していく。必要があって出会っている。だから「人は我師」「縁は必然」と心得、縁を大事にしていく姿勢こそが大切なのだと思います。

このページのトップヘ