亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2014年03月

本日は「イズム」について考えてみたいと思います。

 

当社では先月から20154月入社予定の新卒採用の選考をスタートさせました。その中で私は会社説明会の一部を担当し、コンサルタントの魅力や求める人材像、そして応募者へのメッセージを伝えるとともに、若手社員3名と一緒に、学生からの質問に答えるという役割を担いました。

 

参加してくれた学生さんはみんな真剣な面持ちで、その眼差しに心洗われる思いがしました。毎年、採用活動をするたびに「初心」の大切さを思い起こされます。

 

また今回の説明会では、甚だ手前味噌ですが、「うちは本当に創業者イズムが浸透しているなぁ」とつくづく感じました。質疑応答では、どんな質問が投掛けられるかわかりません。事前打ち合わせしようがなく、それこそ臨機応変に対応していかなければならない。しかし、どのような質問に対しても、また誰が答えても、創業者・佐藤澄男が口にしていた言葉が出てくる。創業者の顔も見たことがない若手社員たちが、です。

 

「自利利他」「プラス発想」「素直さ」「勉強好き」「プロ意識」などなど。私達にとっては余りにも当たり前過ぎて、思わず聞き逃しそうになったのですが、入社間もない社員が、当たり前のように答えているその姿を気付き、少しの驚きと、大きな喜びが湧き上がってきました。

 

よく「当社には理念がない」とぼやく後継者や経営幹部の方がいらっしゃいますが、大きな勘違いです。「理念がない」のではなく、「明文化されていない」だけ。“理念”はちゃんとあります。歴代・先代、そして現社長が口を酸っぱくして言っている言葉、くどいくらい繰り返し話されている内容、まさにそれらが理念そのものです。

 

そもそも日本は口伝の世界。弟子は師匠の一挙手一動足から全てを学ぶ。口にされることを一言一句、漏らさず身に修める。

 

今一度、過去を振り返り、また今後の先代や社長の言動に素直に耳を傾けてみてください。そこにはちゃんと“イズム”があります。

 

それが理解できたとき、あるべき方向へと好ましい革新が始まるのだと思います。

突然ですが、これ、何だかわかりますか?

 

「どんどんと人をすっ転ばしながら、ごますり役人のお茶壷行列がやってきたら、扉をぴしゃりと閉めて決して外に出ては駄目だよ。そいつらが通り抜けたら安心してどんどこ大騒ぎしても良いからね。まったくお役人って奴は、ねずみのように俺達が汗水流して作り上げた米を取り上げといて、いい気なもんさ。チュウチュウ鳴いてみなってんだ。いいかい、たとえお父さんやお母さんが呼んでも外へ出るんじゃないよ。おいおい、井戸の周りであわてて茶碗を割ったのは誰だい?」

 

途中から「何となくわかった」方も多いのでは?そうです。

「ずいずいずっころばし/ゴマみそずい/茶壺に追われてトッピンシャン/抜けたぁ~らドンドコショ/俵のネズミが米食ってチュウ/チュウチュウチュウ/おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも行きっこなあぁ~しぃ~よっ/井戸のまわりでお茶わん欠いたのだぁ~あれ」です。

 

江戸時代は家光が治世のこと、宇治で採れた新茶一年分を茶壷に納めて江戸の将軍様に献上するお茶壷行列があったそうな。それは大名行列より権威ある行列だったらしく、上にはへつらい下には大きな顔をするこの一行は、かなり横柄で嫌われていたとのこと。役人をねずみに喩えるところに、相当な憎悪を感じますね。

 

さて今日のお題は、もちろん童謡の解説ではありません。この茶壷道中に関わるある人物のご紹介を通じて、“腹心”について考えてみたいと思います。

 

「大久保彦左衛門」をご存知ですか。本名・大久保忠教(ただたか)、「天下のご意見番」といわれている人です。私よりも年上の方ですと、西郷輝彦扮する一心太助と一緒に悪の成敗をしていた森繁久弥が演じるおじいちゃん、といえばわかるでしょうか。また「三河物語」の作者としてご存知の方もいるかもしれませんね。

 

その彦左、茶壷道中が通っても堂々としていた。怒った役人が「控えおろぉ-、将軍様の大事なお茶つぼであるぞ!」と怒鳴った。それに対して、「お前らこそ控えおろぉ-、わしは将軍様の大事な家臣なるぞ!」と切り返す。痛快ですね!

 

この例話の如く、徳川家康から家光まで三代仕えた彦左のように、例え将軍様相手であっても意見する人物こそ本物の“腹心”だと思います。

 

さてさて、みなさんの周りにおられる方の中には、彦左のような方はいらっしゃいますか?耳の痛いこともズケズケと言ってくれる、駄目なものは駄目とぴしゃりと釘を刺してくれる、自らの愚かな行為を、身を挺して諌めてくれる、そういう“腹心”を・・・

 

衰退企業の共通項に、「都合の良くない話に耳を塞ぐ」「心地良いことをいう者を傍に置き、辛辣な(本質的な)意見を言う者を遠ざける」トップのありようがあります。

 

だから私達は、次のことを強く、深く、心しておかなければなりません。

 

・耳の痛いことを言ってくれるのが“腹心

・耳の痛いことをシャットアウトするのは“執事”ないしは“太鼓持ち”

 

ご主人様の心を痛めたくないと耳が痛い話をシャットアウトするのが“執事”。保身のため、または自分の覚えをめでたくするためならば“太鼓持ち”。はなから“太鼓持ち”を求める人はいませんが、実際は99%“太鼓持ち”だと思った方が無難でしょう

 

耳の痛さを我慢して、真の“腹心”を求めたいものです。

 

ちなみに、最大の“腹心”が先代であることを受け容れた後継者は強いものです。

本日は「運」について考えてみたいと思います。

 

これまで出会った方を思い起こしたとき、運の良い方とそうでない方は、確かにいらっしゃいます。そして傍からみて成功されている方ほど「運が良かっただけ」と仰います。逆にそうでない人ほど「俺は運が悪い」という。何が違うのでしょうか?

 

「運が良かった」という人は、90の努力はしたけれども10足りなかった。それでも上手くいった。だから「運が良い」。傍から見れば「凄くがんばっている!」

「運が悪かった」という人は、10しか努力してないのに、「10もやったのに」という。傍から見れば「もうちょっとがんばれば?」

 

そういう違いであるように思います。

 

またその「凄くがんばっている!」内容が大切です。もちろん、その中身は各社各様ですが、いくつかの共通点があります。その中の一つが

 

 「小さなことを大切にしていらっしゃる」

 

ということ。小さなことを疎かにせず、嫌々でなく、本当に喜んで、楽しんで、心から感謝してやっておられる。

 

例えば少額なお客さまを凄く大切にされています。この姿勢、老舗企業に共通するものでもあります。

 

誰しも大口のお客様とのお付き合いができれば嬉しい。でもそのお客様とのお付き合いがなくなってしまったら大きな傷を残すことになる。一方小額のお客様は、よほどのこと(お客様の信頼を裏切ったことによる社会的制裁など)がない限り、一度になくなることはない。だから安定的な経営ができる。

 

老舗企業はそのことを良く知っているから、もちろん大口のお客様も大切になさいますが、小額のお客様ももっと大事になさる。

 

また、小額のお客様の先に大口のお客様が控えていらっしゃることもある。身なりの余りよろしくない方が、実は大変な方だったり・・・

 

目先の欲得にくらまされて、その先にあるものを逃がす、その愚かさを知っているのが老舗ということもできると思います。

 

目の前のことを大事にする。小さなことを大事にする。千年企業に必要な要素だと思います。

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