今日は「自信」について考えてみたいと思います。
「俺が、俺が」という人がいます。
それは「自分が正しい」「自分の方があってる」という感情、
今まで自分が経験してきたこと、生い立ちから学んだことなどに対する
「自信」の表れかもしれませんね。
自分自身に自信を持っていなければ、とても「俺が、俺が」などとは言えませんから・・・
でも、それが本当の「自信」であったなら、
逆にその“が”は出てこないように思います。
この“が”は、相対的なものであり、
相手がいてはじめて成立する“が”だからです。
それも今の自分に対する自信。
究極の自信の持ち主は、相手がいてはじめて成立する自信などではなく、
また今の自分に対する自信でもなく、
もっと本質的な自信、成長する可能性を秘めた自分への自信、
将来まで見据えた自信を持っている。
だから他者他物からの学びを否定せず、素直に受け止め、
これもまた自分のものにしてしまうのであろうと思うのです。
要するに、この“が”は、
今までの自分を否定されることに対する反抗、
これまでの人生や生い立ちの不足するところをずばりと指摘されてしまうことへの
恐怖心のようなものの表れではないかと・・・。
究極の自信があれば、この“が”は出てこない。
逆に相手の言葉を、思いを、知恵の一切を受け入れ、
自分のものにしていくことができるのだと思います。
だからこの“が”が出てきたとき、
その原因を自らの中に求めなければなりません。
「何故今“が”がでたのだろうか?」と。
そこに自己の成長を阻害する要因があるものです。
その自分自身への問い掛けが素直にできる方が、
本質的な自信を持たれた方なのだと思います。
