亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2014年04月

今日は「自信」について考えてみたいと思います。

 

「俺が、俺が」という人がいます。
それは「自分が正しい」「自分の方があってる」という感情、
今まで自分が経験してきたこと、生い立ちから学んだことなどに対する
「自信」の表れかもしれませんね。
自分自身に自信を持っていなければ、とても「俺が、俺が」などとは言えませんから・・・

 

でも、それが本当の「自信」であったなら、
逆にその“が”は出てこないように思います。
この“が”は、相対的なものであり、
相手がいてはじめて成立する“が”だからです。
それも今の自分に対する自信。

 

究極の自信の持ち主は、相手がいてはじめて成立する自信などではなく、
また今の自分に対する自信でもなく、
もっと本質的な自信、成長する可能性を秘めた自分への自信、
将来まで見据えた自信を持っている。
だから他者他物からの学びを否定せず、素直に受け止め、
これもまた自分のものにしてしまうのであろうと思うのです。

 

要するに、この“が”は、
今までの自分を否定されることに対する反抗、
これまでの人生や生い立ちの不足するところをずばりと指摘されてしまうことへの
恐怖心のようなものの表れではないかと・・・。

 

究極の自信があれば、この“が”は出てこない。
逆に相手の言葉を、思いを、知恵の一切を受け入れ、
自分のものにしていくことができるのだと思います。

 

だからこの“が”が出てきたとき、
その原因を自らの中に求めなければなりません。
「何故今“が”がでたのだろうか?」と。
そこに自己の成長を阻害する要因があるものです。

 

その自分自身への問い掛けが素直にできる方が、
本質的な自信を持たれた方なのだと思います。

今日は売上について考えてみたいと思います。

 

先日、ある講演会の後、創業間もない若手社長から、次のような質問を受けました。

 

「講演の中で、企業は“社会の公器”との話がありました。
頭では何となく分かるのですが、正直スッキリしない感じです。」

 

講演の中で私は、


「企業は社会の公器として、
企業を取り巻く社会に対して貢献をしていかなければなりません。
具体的には、
お客様にはご満足を、
国や地方公共団体には納税を、
地域には雇用を、
株主には配当を、
取引先には滞りのない支払を、
社員には働き甲斐を、
地球・環境には美化を、
債権者には利払いをすることです。」


といったお話をしていました。

 

いろいろなやり取りの後、あることに気付いた私は、次のように表現を変えてみました。

 

「企業は、
お客様にご満足いただくための不断の努力をし、
その対価としての報酬をいただきます。これが売上です。
その売上が増えれば増えるほど雇用を生み、
社員の所得を増やし、
取引先を潤わせ、
株主により多くの配当を支払うことができるようになります。
結果として、国や自治体の税収を増やし、
以って社会全体に貢献することができるようになるのです。
そしてこの一連の貢献のありようが「企業は社会の公器」と言われる所以です。」

 

その瞬間、「良く分かりました!」と嬉々としてお帰りなったその社長の後姿を見て私は、
これまでの説明に欠けている何ものかに気が付きました。

 

前者の説明も決して間違いではありません。
でもそれは継続企業のある一瞬を説明したものであり、静態的なもの。
だから、創業者からすると違和感がある。

 

後者の説明は、まさに起業時から時間的経過を追っての説明であり、
動態的。だからこそ創業者にはしっくり来るのだと思います。

 

私自身が改めて気付かせていただいたのは、「売上」の大切さ。
「なんだかんだいっても、売上がなかったら、始まらないんだなぁ~」ということ。
当り前過ぎて、ついつい目の前の些事に心囚われてしまいがちですが、
突き詰めて考えてみれば、売上がなかったら始まらない。

 

大変厳しい時代です。
しかしそれ以上に「売れない時代」を乗り越えてきた方がいます。
それはあなたの会社の創業者。
お金もない、信用もない、どうすれば売れるかも分からない、
そんな「売れない経験」を創業者が跳ね除けくれたお陰で、
売上以外の悩みを持てるほどの今がある。

 

創業後、1年で40%、3年後60%、5年後85%、10年後には95%が淘汰されるといわれます。
しかし、創業間もない企業で、潰れる理由がそれほどある訳ではない。
結局のところ、食っていけるだけの売上がなかったことに尽きる。

 

会社を立ち上げ、
創業の苦難を乗り越え、
継ぐことができるものを残してくれた創業者に思いを馳せ、
会社を残せるだけの売上を創る。
それが今、一番大切なことなのだと、改めて思います。

 

 

今回は「卒業」について考えてみたいと思います。

「卒業」というものは本来、人様に決められるゴール。
年次も、基準も、可不可も、何一つ自分で決めることができません。
逆に嫌だと言っても、強制的にさせられてしまう。

 また、通常は十代ないしは二十代でその機会はなくなります。
最終学歴と言われる学校を卒業してしまえば、
人様からゴールが決められる機会は「定年」までないのです。
オーナー経営者に至っては、その「定年」さえない・・・

 よって「最後の卒業」の後は、自らゴールを決め、
そのゴールを自ら守ることしかできません。
このところが実に難しい・・・

約束事の中で最も難しいのは、実は自分との約束。
「人との約束は守らなければならない」
これは当たり前に思えるのですが、
自分との約束となると、
いろんな「できない理由」をつけては、ついつい破ってしまう。

 しかし人間的成長を続けている人を眺めてみると、
自分との約束をきちんと守っている人であるように思います。
自ら夢を掲げ、その夢に期限を定めて目標とし、
その夢の「卒業(達成)年次」をきちんと守る。

 「いつまでにこの仕事をやりきる」
「それまでにどのレベルまでになる」などど
自らに約束した卒業式でのあるべき姿を実現するための
精一杯の努力と時間を惜しまない。
そういう人であるように思うのです。

そしてそのような卒業式の数が多ければ多いほど、
その人は器のでかい人ということが出来るのだと思います。

 それほど大袈裟なことではないにしろ、
まずは自分との小さな約束事一つひとつをきちんと守っていきたいものです。

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