私は仕事柄、人様の前でお話しをさせていただく
機会が多くあります。そのときに常に心掛けている
ことがあります。それは
難しい話を易しく、易しい話を面白く、面白い話を深く
です。
この言葉は、今から20年ほど前、かの永六輔さん
から教えていただいたものです。もちろん、直接
お聴きしたわけではありません。NHKのトーク番組
に出られていた永さんが、顔が見えない、言葉で
しか伝えることしかできないラジオのパーソナリティー
として心掛けていることはあるかと問われての回答
でした。
当時の私は、そのような姿勢に欠けていたように
思います。もちろん「いい話をしたい」という思いは
ありました。ただそれまでは、少々独りよがりであった
ように思います。
よくよく考えてみれば、わざわざ話を聴きに来られる
ということは、何らかの悩みを抱え、どうしたらその
問題を解決できるかを真剣に考え、明確な答えを
出したいと強く念願されてのことだと思います。その
想いに応えようとするならば、やはりわかりやすく、
聴きやすく、心に届くお話をするように心掛けなけれ
ばいけない。そのところへの思いが足りなかったよう
に思うのです。
永さんのお話をお聴きして以来私は、常に「難しい話
を易しく、易しい話を面白く、面白い話を深く」を、講演
のみならず、一人ひとりとの会話の中でも意識するよう
にしています。
もうひとつ、話をするときに心掛けていることがあります。
それは「話は“派”無し」という捉え方です。“派”とは、
「本から分かれること」「分かれ出たもの」「枝分かれした
集団」という意味ですから、「考え方が異なっている状態」
と考えてよいでしょう。
よって“派”無しをするとは、「考え方の違いが無くなるまで
話をする」ということになります。
出会ったということは何らかの縁があるということです。
“派”を別の捉え方をすると「本は一緒」です。よって、
「元々根っこで繋がっているからこそ出会っているの
だから、分かり合えない訳がない」のです。
そのような姿勢で“派”無しをする。とても大切なことだ
と思います。