亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2016年03月

本日は、「話」について考えてみたいと思います。

私は仕事柄、人様の前でお話しをさせていただく
機会が多くあります。そのときに常に心掛けている
ことがあります。それは

難しい話を易しく、易しい話を面白く、面白い話を深く

です。

この言葉は、今から20年ほど前、かの永六輔さん
から教えていただいたものです。もちろん、直接
お聴きしたわけではありません。NHKのトーク番組
に出られていた永さんが、顔が見えない、言葉で
しか伝えることしかできないラジオのパーソナリティー
として心掛けていることはあるかと問われての回答
でした。

当時の私は、そのような姿勢に欠けていたように
思います。もちろん「いい話をしたい」という思いは
ありました。ただそれまでは、少々独りよがりであった
ように思います。

よくよく考えてみれば、わざわざ話を聴きに来られる
ということは、何らかの悩みを抱え、どうしたらその
問題を解決できるかを真剣に考え、明確な答えを
出したいと強く念願されてのことだと思います。その
想いに応えようとするならば、やはりわかりやすく、
聴きやすく、心に届くお話をするように心掛けなけれ
ばいけない。そのところへの思いが足りなかったよう
に思うのです。

永さんのお話をお聴きして以来私は、常に「難しい話
を易しく、易しい話を面白く、面白い話を深く」を、講演
のみならず、一人ひとりとの会話の中でも意識するよう
にしています。

もうひとつ、話をするときに心掛けていることがあります。
それは「話は“派”無し」という捉え方です。“派”とは、
「本から分かれること」「分かれ出たもの」「枝分かれした
集団」という意味ですから、「考え方が異なっている状態」
と考えてよいでしょう。

よって“派”無しをするとは、「考え方の違いが無くなるまで
話をする」ということになります。

出会ったということは何らかの縁があるということです。
“派”を別の捉え方をすると「本は一緒」です。よって、
「元々根っこで繋がっているからこそ出会っているの
だから、分かり合えない訳がない」のです。

そのような姿勢で“派”無しをする。とても大切なことだ
と思います。

本日は、「信念」について考えてみたいと思います。

私は次のように考えています。


「信念とは、今この時の最高の自分の姿であり、これを守る時、
 まさに私そのものであり、これを守らなければ、私という存在
 ではなくなるもの。」

よって信念には、変わらずに持ち続けられるものと、変遷して
いくものがあると思います。変遷というより、成長によって昇華・
発展していくもの、といった方がよいでしょう。


その意味において「これが信念」と貫き通しながらも、「今私が
信念と思っているものは、普遍に正しいものだろうか」と自問
自答する姿勢が必要です。しかしその問いに対する答えはまた、
今の信念を貫き通した先にしかありません。


結局信念とは、今の自分を精一杯生きる誓約であり、成長して
いくための道標であると同時に、乗り越えるべき壁といえそう
です。


一方で、「信念と言えるものがありません」とおっしゃるかたが
いらっしゃいますが、これは間違った姿勢だと思います。また
その多くは、「信念がない」のではなく、そもそも明確にしようと
していない、または明確にすることを避けているだけのようです。


信念が明確になっていなければ、何の拠り所もなく、自問自答
すべき相手もなく、乗り越えるべき壁もない。


信念とは今の自分そのものなのですから、今の自分が正しいと
信じ、それを信念として生きていこうと念ずることができるもの
なら何でもよいのです。何でもいいから「とりあえずこれを信念
として貫こう」というものをまず持つことが大切だと思います。


それが立派なものかどうかはどうでもいい。立派でないと感じる
のであれば、それはただ、今の自分が立派でないだけなのです
から、どうしようもありません。


何か一つ、「これが正しいかな?」「こんな生き方、してみたい!」
と思えるものにとりあえず「信念」と名前を付けてみる。


そしてその信念と名付けたものに誇りを感じられるくらい実践する。
「あの信念があったから今の自分がある」と後から感慨深く振り
返ることができるくらい淡々とやり通してみる。そんな姿勢が大切
なのだと思います。

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