亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2021年11月

本日は、“共生”について考えてみたいと思います。

 

ここ数年、共存共栄の道を探る動きが活発になって

きているように思います。

 

たとえば運送業界においては、A社に預けた荷物が

B社のドライバーに中継されて届けられる、また、

片道10時間かかるルートを、それぞれの出発点に

所在する運送会社のトラックが、中間地点で互いに

運んできたトレーラーを切り離し、交換して自分の

本拠地の出発点に戻って相手の荷物をお届けする、

などという取り組みもされています。

 

さらには、宅配業者とバス会社が提携する、業種の

異なる会社が互いの荷物を混載して運ぶ、などと

いった事例も増えてきています。

 

このような、これまで競争相手であった、ないしは

まったく関係がなかった企業同士が手に手を取って

生き残りを賭ける“共生”の流れは、大きなうねりを

もって進みつつあります。

 

ただしこれの取り組みは、たとえば採用難といった

外部環境によって強制されたという側面が強かった

ように思います。

 

しかし、これからはもっと能動的に、積極的に取り

組んでいく価値のあることだと感じています。

 

特に、コロナ禍によって移動の制限やマーケットの

縮小が余儀なくされるなど、これまでとはまったく

違う環境が生まれている現状において、今まで以上に

お客様の期待に応え、さらによりよい製品・サービス

を提供していこうとするならば、1社単独で考えるの

ではなく、これまでの常識を覆して、互いに異なる

能力・ノウハウ・スキルを持った者同士が協力し合い、

磨き合っていくことの価値が高いと感じるのです。

 

時代は刻々と変化しています。

 

これまでライバルであった企業、またはほんの近くに

いながらもまったく関係がないと思われていた企業を

パートナーと捉えたとき何ができるか、どんな新たな

価値を提供できるか、みなさんもそんな視点で見直して

みる機会を設けてみてはいかがでしょうか?

本日は、“段取り”について考えてみたいと思います。

 

段取りの良し悪しは、何で決まるのでしょうか?

 

まずはダメなケースを通して、段取りのポイントを

検証してみましょう。

 

Aさんは、得意先であるB社に訪問した際、2週間

後に大口案件の提案をする約束を取り付けることが

できました。

 

これが決まれば、今年の目標は達成です。

 

Aさんは意気揚々と手帳に訪問日を書き込むとともに、

1週間前に準備の予定を入れました。

 

しかし準備する予定の日は業務が立て込み、できず終い。

 

その後も「明日やればいいか」と先延ばしを続け、結局、

訪問前日まで全く手を付けることができませんでした。

 

自分で決めた業務の納期、すなわち“自分納期”が守れな

かったのです。

 

さらに準備を始めてみると、B社社長との話がどのような

内容であったか、その詳細がなかなか思い出せません。

 

「ああ、報告書を残しておけばよかった」と大後悔。

 

結局、ありていの提案しかすることができず、受注に結び

付けることができませんでした。

 

ではどうすればよかったのでしょうか?

 

まずは業務発生時点で段取りをします。

 

今回のケースでは、B社訪問後すぐ、ということです。

 

その段階で、事前に

□聴いておくべきこと

□伝えておくべきこと

□依頼しておくべきこと

□やっておかなければならないこと

□調査・検討すべきこと

□根回し・交渉すべきこと

を棚卸し、それらをきちんと手帳に落とし込みます。

 

これを“ToDo”するといいます。

 

日々の業務では何が起こるかわかりませんから、

“ToDo”はできるだけ早いタイミングで実施し、

かつ、自分で設定した納期を必ず守るようにします。

 

もちろんできない日もあるでしょう。

 

そうであっても、必ずその時点でスケジューリング

し直すことが肝要です。

 

また業務を進める中で工夫した内容は、それ以降の

業務にも、また他の人にも参考になるように、定型

化・標準化できれば最高ですね。

 

まとめますと、次のようになります。

 

①業務発生時点で段取りする。

 ②早いタイミングでスケジューリングする。

 ③漏れなく“ToDo”に落とし込む。

 ④報告書を残す。

 ⑤工夫した内容は、定型化・標準化する。

 ⑥“自分納期”を守る。

 

リーダーは、何事にも他者の模範にならなければ

なりません。

 

“段取り力”の達人となって、仕事の進め方に対しても

範を示していただきたいと思います。

本日は、“縁”について考えてみたいと思います。

 

このところ、コミュニケーションの取り方について

お話しする機会が増えています。

 

コミュニケーションを取ろうとする際には、いくつ

かの前提があります。

 

まずは、各自の個性や育った環境、受けてきた教育、

生い立ちや経験など、まったく異なる者同士がわかり

合おうというのですから、それだけでとても難しい

ことであることは間違いありません。

 

その上、人には

 

「人の話を聴くよりも、自分の話がしたい」

 

という特性がありますから、なおさらです。

 

そもそもそのような状況の中でコミュニケーションを

取ろうとすること自体、並大抵のことではありません。

 

そうなると

 

「なんでそこまでしてコミュニケーションを取らなけ

ればならないのか?」

 

という疑問が生まれますね。

 

そこは、“縁”の自覚なくして語ることはできません。

 

人は、一人では生まれることができません。

 

両親がいてくれてはじめて生まれることができます。

 

その親にも親がいて、2代遡れば6人の、3代遡れば

14人の人がいてくれないと、私一人、生まれることが

できません。

 

33代遡ると、なんと80億人を超える人がいてくれない

と、私はこの世に存在しないのです。

 

33代といえば、およそ1000年くらいでしょうか。

 

一方、「世界人口白書2021」によれば、今の世界
人口は78億7500万人だそうですが、実際はもう
80億人を超えているのかもしれません。

 

世界に80億人の人がいる中で、わずか1000年間で

80億人の人がいないと生まれることができない“私”と

“あなた”が今、目の前にいる。

 

すごい奇跡ですよね!この奇跡を、人は“縁”と呼びます。

 

しかし目の前にいるのは、口うるさい上司であったり、

言うことをきかない部下であったり、厄介なお客様
だったりします。

 

 「できれば出会いたくなかった」

と思うこともあるでしょう。

 

それでも“縁”は“縁”。奇跡の出会い。

 

コミュニケーションを取るにあたっては、まずこの“縁”の

自覚が何より必要なのだと思います。

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