亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2024年07月

本日は、“思い”について考えてみたいと思います。

 

以前、祖父の法要の際、お坊さんからいただいた

お話を少しご紹介させていただきたいと思います。

 

60歳を少し超えたその方は、10歳の時、お寺に

奉公に出されたとのこと。

 

3人兄弟の二人目。今では死語といえる「口減らし」

だったのだと思います。

 

お母さんに手を引かれ、お寺の門前で言われた

「頑張りなさい」との言葉が今でも耳から離れず、

帰られるその後姿が忘れられないと言われます。

 

小学校に行っている内はまだ気はまぎれるものの、

当時のお寺さんは子供の遊び場。

 

放課後、同級生が遊んでいるのを横目で見ながら、

掃除や勤行などに励まなければならない。

 

また夜の一人寝はとても寂しく、「何で自分だけが」

と「母を恨んだ時もあった」のだとか。

 

それでも親というものは恋しいもので、年に一、二度

あるかないかの帰省で「お帰り」と温かく迎えられる

ことが、何よりの喜びだったのだそうです。

 

そんなお母様が昨年亡くなられました。

 

晩年は末期がんで、終末ケア施設に入られていた

お母様を、片道5時間かけて月1回お見舞いに

行かれていたとのこと。

 

帰り際、「気を付けて帰りなさいよ」と声をかけて

くれるお母様に、いくつになっても失われない

親の愛を感じられたのだとか。

 

数か月してお亡くなりになり、冷たくなった頬に

手を当てられながら、奉公に出されたとき、

もちろん自分は悲しかったけれども、出したくない

のに出さなければならないお母様の悲しみは

それ以上だったのだろうと感じられたそうです。

 

ときに人は、「言っていること」「やっていること」

と「思っていること」は違うものです。

 

「思ってもいないことを言わなければいけない」

ことは誰しも経験があることだと思います。

 

一方で、人の言動に左右され、相手の本心に

気付くこと、受け容れられないこともある。

 

そして、

 

「あのとき、わかっていたら、受け容れていたら」

 

と後悔することもしばしばです。

 

私自身、相手の言動に惑わされてはいないか、

その本質を見抜けているかを慮る力を

より一層つけていきたい、そして、相手の思いに

寄り添うことができる人間になりたいと思います。

本日は、“利他”について考えてみたいと思います。

 

私の好きな光景のひとつに、緊急車両が通過する際、

走行する車が左右に寄って道を開けていくシーンがあります。

 

しかし先日、少し悲しい気分になりました。

 

救急車が赤信号を通過しようとしていたのですが、

進行方向の車線の車は少しずつ左右に分かれていき、

スムーズに交差点に進入することができました。

 

しかし、横切る青信号側の4~5台が、
何食わぬ顔をして通り過ぎていきました。

 

よほど急いでいたのか、
また車内が大音量でサイレンが聴こえなかったのか、、、

 

いずれにしろ、その間、救急車は足止めされてしまいました。

 

その時間は、わずか何秒の世界です。

 

しかし、交差点のたびにこのような状況になれば、

助かるはずの命が奪われてしまう可能性は否定できません。

 

私は彼らに問いたい。

 

「その救急車に乗っているのが自分の親族だったらどうするのか?」

「今その消防車が向かっている先が自宅だったらどうするのか?」

 

と・・・

 

彼らが横目で緊急車両の存在に気付き、

申し訳なさを感じてくれていればまだよいのですが、

「自分さえよければよい」「今さえよければよい」

といった考えで意図して行っているのであれば、

とても悲しいことです。

 

翻って、日頃の仕事の中でも、支援や協力を求められる

ことがあります。しかし、自分には自分の仕事があります。

 

手伝えばそれだけ労力が増え、帰る時間が遅くなります。

そんなとき、あなたはどんな意思決定をしますか?

 

好ましい風土をもつ組織の特徴の一つとして、

 

「組織構成員が、相互に協力の意思と意欲をもっている」

 

ことが挙げられます。

 

もちろん、気持ちだけではだめで、

具体的な実践を伴っていることが必要です。

 

実際に、素晴らしい組織風土の会社では、

自然に、そして頻繁にそのような光景を目にすることができます。

はたから見ていても、とても気持ちのよいものです。

 

「もし私の子供だったら」

「もし私の親兄弟だったら」

「もし私の大切な人だったら」

 

何事に対しても、そのような気持ちで対応していくことが

必要ではないかと思います。

本日は、“資産”について考えてみたいと思います。

 

ときに、家や会社、または通い馴れた場所の近くで、

「こんな場所があったんだ」と、新たな発見と感動を

いただくことがあります。

 

「お客様が来ても連れて行くところがない」と言われる

東海地方ですが、決してそんなことはなく、ただ単に、

あまりに近すぎて、目に入っていないだけなんだろうと

思います。

 

翻って社内を眺めてみたとき、同じようなことになっては

いないでしょうか。

 

「自社の経営資源の価値をきちんと認識し、

十分に生かし切っているといえるだろうか?」

 

そんな疑問を感じる会社に多く出遭います。

 

一方で、そのような疑問を感じることができた結果、

いくつかの“埋蔵品”の発掘ができることがあります。

 

結構、眠らせてしまっている資源があるものなのです。

そしてその機会損失は、意外に大きかったりします。

 

そして、これらの取り組みは一時的に行うものではなく、

継続的に行っていくことに価値があります。

 

その時々の状況や抱える課題などによって、

気付くところが違うからです。

 

よって常に

 

「眠らせてしまっている資産はないか?」

 

との疑問を持ちながら仕事をすることが大切です。

 

みなさんもぜひ、そのような視点をもって、

日々を過ごしていただければと思います。

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