本日は、“指摘”について考えてみたいと思います。

 

人には“我”というものがあります。この“我”は、

自己の成長や革新を阻害します。ときには、

人間関係も悪化させることさえあります。

 

一方で、この“我”を取り除くことは実に難しいもの

です。

 

神社の御神体である「かがみ」の意味するところは、
それにわが身を映し、真ん中の“が”を取れたときに、
「かみ」になれる、との言い伝えもありますが、
自らこれを取り除くことは、至難の業と言っても
過言ではないでしょう。

 

そこで必要となるのが、人からの指摘やアドバイス

です。

 

仮にその時点では理解できなくとも、いつか

 

「そういえば、あの時そう言われたことがある」

 

と振り返ることができるものです。

 

人からの指摘やアドバイスというものは、それほど

的確なものだということでしょう。

 

「ガミガミ」言ってくれる人は、濁点、すなわち、

心の濁りを取り去って耳を傾ければ、神々さま。

「ブツブツ」言ってくれる人は、仏さま。

 

そういうものだと思います。

 

一方で、指摘する側には、それ相応の覚悟が必要です。

 

「言うべきは言う」
「疎まれようが、嫌われようが、言うべきは言う」

 

指摘をするときには、そのような姿勢が必要なのだと
思います。