亀の会

俳句結社「藍生」のメンバーによる月1回の句会の報告です。

第七十七回亀の会(8月・9月)

 「一句選」   藤井正幸

天上の青かぎりなし原爆忌   青 (八月)
秋の草人の幅ほど刈られたり   青 (九月)
 曽野綾子に『天上の青』という小説がある。主人公は、殺人犯・大久保清である。何人もの女性を殺めて、旅立った。殺戮、それは人間の熱情なのであろうか。地球がマグマを抱えているような。もし、秋草を人の幅ほど刈る心を持っていたらそのような出来事は起らないであろう。けれど人は・・・・・。深い闇を抱いているのもまた人間である。 

家ごとに墓のある村柿若葉   研 (七月)
 全国、いろいろと旅していると村落ごとに必ずお墓がある。しかし、今までに日本列島で死んだ人数分の墓があるのだろうか。「墓の社会学」もお面白い。もっと遡れば、人への分子生物学的トライもおもしろい。自然の営みに対して、科学の眼は、どんどん進んでいる。人は複雑化している。複雑化は、人に謙虚さを与えると私は思う。

ふるさとの祭や友の客の座に   修 (八月)
風に手が動くロボット案山子かな   修 (九月)
 祭と案山子。ことしも私の産土の秋祭が終った。毎年、鳶職と同様の働きをしてくれるBさんは、病気療養中。しかし、若者たちが約八年かけて学習し、その役を背負ってくれた。神酒所(お旅所)を作り、御輿・山車等の飾付け、そして祭全般の下働き。すべて陰の役割である。Bさんから送られて来た稲穂は、御輿の鳳凰に咥えさせた。それはどこの町会より見事であった。新米への感謝と東北への鎮魂。ことしは祭の原点に帰ったようなよい祭であった。

百合の香ののちに風の香小雨の香   一 (八月)
草わたる大かまきりの草の色   一 (九月)
 大かまきりもやがて枯色になるであろう。私の母の一周忌も済んだ。家の前の彼岸花は昨年と同じように一週間遅れに咲き出し始めた。米どころ新潟に住む広川さんの周りも、一気に秋が深まるだろう。ことしは、いろいろな出来事があった。一難去ってまた一難である。しかし、人はどんなことが起ろうとも生きてゆく。歩いてゆけば何かと出会う。そんな年だったと思う。

広島の八月六日その夜明   緑 (八月)
満月を入れて静かや小鳥籠   緑 (九月)
 天災・人災は、人の思惑をはずしてやってくる。これを神の配慮だというのだろうか。しかし、その配慮は悲し過ぎる。受け入れられない日々が続く。が、やがて刻とともに静かにそれを受け入れる。その時、人ははるか遠方(かなた)にひかりをみているはずだ。ひとつ沈んだ深い傷を残して。

ひととせの長し短し秋草忌   正幸

 以上

第七十六回亀の会(7月3日)

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○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)
○12時半〜14時半
○投句 4名

 「一句選」   藤井正幸

誕生日来る夏痩せのなつかしき   雅
 夏、多忙な皮フ科のお医者さん。近頃は、どんなに多忙であっても痩せないと嘆く。しかし確実なのは、歳を重ねていることだ。重ねていることの意味を知ったならこの世は尊い。

弱冷房姿態さまざま受診待つ   修
 今年は、梅雨明けも早かった。それにも増して高温と節電。生きているとさまざまなことに出くわす。必然的に変化を求められる。変化は対外的なことが多い。人は、止もうえず受容しなくてはならないだろう。

またしても蜘蛛の子の棲みわれも棲む   一
 家蜘蛛は殺すなと人から聞いた。蛇も同様だろう。むかし、家の中で大きな青大将を見た。あれから二回程、家を建て変えた。青大将はどこに消えたのだろうか。そんなことを考えていたら、今の家屋は蛇の変身かと思った。

炎天や行のごときに警備員   緑
 人はどんなに暑かろうと寒かろうと働かねばならない。基本的に働くことは尊いのである。また人は、喜びのなかでも働くし、哀しみのなかでも働くのである。

捩れ花ねじれて母の恋しけれ   正幸

 以上

第七十五回亀の会(6月5日)

79af3b2d.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名

 「一句選」   藤井正幸

被災地の大観音や虎が雨   雅
 この出句の際に簡略な手紙が添えられていた。私は、この手紙を読んで直ぐに 「青葉して瓦礫の奥の観世音」 という句を思い浮かべた。人は悲しみの中からいつの日か薄日が差して来ると以前書いた。その薄日は、他人から与えられる日ではなく己れ自ら、内側から放なたれる薄日である。他の人は、それをそっと見守る必要がある。

つばめ来る大長みかん倉解かれ   青
 みかんの島、大崎下島。大長みかんは全国的に有名である。みかんの花が咲く頃、島はみかんの臭いでみたされる。人は、それぞれの土地で何かを生産して来た。日々の営みとして。そしてそこに夏鳥の渡りがやって来る。〃ああ、つばめが来るころか〃と人は、ふと呟く。どんな災害が起ろうとも自然の営みは、永々と続く。やがて人は災害の記憶が薄れてゆく。自然の流れである。それを風化という。

なみなみと利根川の水田を植うる   修
 利根川は、別名坂東太郎である。その太郎を人は、営々と治めてきた。長い歴史である。治水をを中途成功したとき、文化も発展してきた。日本の大きな都市は、皆、河川の歴史でもある。
 「利根川のひかりあふるる田植かな」

草取女その母のごとかぶりもの   一
 街を歩いていると、ふと母に似ている人と出会う。そんな経験を皆さんもお持ちだろう。母は、この世にいない。しかし私たちの胸の中には母が存在している。存在しているとは私とともに生きているということである。あるいは、母を別の方と置き変えてもいい。
 「かぶりもの母のごとくに草を取る」

きのふより背丈が伸びぬ麻の花   緑
 子どもにしばらく会わないと、何時こんなに背が伸びたのだろうかと思うときがある。背が伸びるということは、裏に私たちが歳を重ねたという事実が隠されている。しかし、その事実は意識にのぼらない。きっと子どもに未来を重ねているからだろう。それでいいと私は思う。未来は子どもたち。日々、壊わされてゆくのは私たちの肉体。なんと自然な形。

昼の灯を点けてひとり居父涼し   正幸

 以上

第七十四回亀の会(5月1日)

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○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 4名

 「一句選」   藤井正幸

燕来る農船の繋がれしまま   青
 農船とは何んだろう。農業だけを営む人たちの特別な船だろうか。作者は、広島の大崎下島に在住。全国的に有名なみかんの島である。聞くところによると島で魚を捕る人は、少ないそうである。その島に毎年、燕がやって来る。きっと東北のある港にも燕はやってくるだろう。どんな哀しいことがあったにせよ。

山を背に部落五十戸梨の花   修
 東北に大津波が襲った。明治、昭和につぐ三度の目の平成の津波である。ある人は、想定外の津波だといった。津波に想定内があるのだろうか。刻がたてば歴史に平成の津波と明記され、やがて元の場所に人は帰って来るのだろう。〃歴史は繰り返す〃 人は肝に命じるべきである。

見守りの八十八夜星の数   一
 今年も八十八夜が来た。茶摘みも始まった。その葉にも放射能がついていた。人間が作った原子力。しかし、その原子力は人の手には負えないものになってしまった。永遠のエネルギーは、永遠の汚染に変ってしまうのだろうか。私たちは、いまその歴史の中にいる。

逝く春の独身寮へ子は帰る   緑
 子は、一人立ちしてゆく。親離れは人生の成功でもある。そして、子離れもできたら、大成功である。あとは、残された時間、たっぷりと豊かに日々を送ることができたら、こんな幸いはない。

まづい屋のおでん大きし花の冷   正幸

 以上

第七十三回亀の会(4月3日)

16335fae.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名

 「一句選」   藤井正幸

熊穴を出てみちのくに余震なほ   雅
 この大地震で熊もさぞかしびっくりしただろう。もう少し冬眠したかったのであろう。あたりを探しても食べ物がない。人たちは、右往左往している。ふと海を見る。何と穏やかな海だろう。まるで何も無かったように。海は何も語りはしなかった。

哀しみのまして詠むべし桜かな   青
 哀しみがあるから喜びもあるのだろう。Xは、何もかも用意してくれる。ただ私たちは謙虚にそれを受け止めなくてはならないだろう。時がかかっても。
 
春疾風灯油ガソリン求む列   修
 東北大震災は、言葉に表すことができない。天災とは、まさにこのことである。人はいくだびの天災を越えて生き伸びてきた。その経験をもってしても人の知識をやすやすと越える。古老の語る津波を現代文明は拒否してきた。今、東北は、がんばるより激しく泣き尽くしたほうが良い。泣き尽くした後に必ず光明が来る。それが自然の摂理だと思う。東日本の人たちは、いま謙虚さを学んだ。

うすらひは里の小さな池に生れ   一
 越後平野に春は訪れた。遠き山並はまだ雪を抱いている。その雪が眩しい。雪国のおだやかな春。〃一日を十分に生きろ〃という言葉が胸に去来する。

花冷えや死後の始末の値段表   緑
 生きてゆくということは、何とお金のかかることだろう。働いて働いて苦労して死んでゆく。しかしその中にも楽しかったこと、うれしかったこともあったに違いない。値段表は、それらの一切を含めていると解釈したい。

春の地震ひさびさに訪ふ古本屋   正幸

 以上

第七十二回亀の会(3月6日)

30bce5a1.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 4名

 「一句選」   藤井正幸

鳥交ル女人禁制沖ノ島   青
 この稿を書いているのは、東北大震災の四日後である。一千年に一度という未曽有の大地震とそれにともなう津波。人知を越えた天災である。人間の予測・予想をはるかに上回る結果にただ茫然とするしかない。
 しかし日本列島の成り立ちからみると、何度も大きな地殻変動をおこしたのであろう。島というのは、その上に成り立っているのである。文字をもたなかった古代人は、それを口承で伝えている。それが『古事記』の上巻である。国生みは、まさにその例だと言える。
 人は、その島に独自の文化を育て上げてきた。その文化は、植物と同じでその土地でしか育たない。

夕空の筑波嶺越えて鳥雲に   修
 筑波山は、関東平野に岐立する山である。古代からさまざまな形で歌に詠み継がれてきた。時が過ぎり去りても筑波嶺は筑波嶺であろう。「鳥雲に」は、言葉の宝石。筑波嶺と鳥雲、もうすこし整理されては如何がか。

うらうらの南面の崖初蝶と   一
 今年始めて蝶をみた。ゆらゆらと飛ぶ初蝶。まだ覚束かない。ふるさとで見る初蝶は、今まで見てきた初蝶とは違うのであろう。

剪定のすみし果樹園声通る   緑
 剪定は、果樹園にとって大切な作業である。人とは、営々としてその作業を行なってきた。そして新たな品種の改良。さまざまな問題があるとしても田園は見事な風物である。

百千鳥来てやはらかき土を踏む   正幸

 以上

第七十一回亀の会(2月13日)

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○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名

 「一句選」   藤井正幸

白壁に賢治のことば涅槃西風   雅
 世の中には、賢治ファンが多い。独特な文体、独自な発想、賢治の文学に魅かれた者にとっては、何とも言えないものがあるのであろう。盛岡に行くたびに北上川の川筋にある光原社に寄る。白壁に賢治の詩文。美味しいコーヒーを飲んで帰る。北に岩手山が聳え立つ。

生姜湯に黒糖すこしデュラス読む   青
 風邪気みの夜、生姜湯に黒糖をすこし混ぜて飲む。やがて生姜湯も冷め読書に没頭する。頁をたぐる音だけが部屋に残る。何かの本で読んだのだが「紫煙をくゆらすこと、頁をたぐる音」このことは、古代ローマ人も気が付くことが出来なかったと書いてあった。

女の子生まれてくると春を待つ   修
 最近は、胎児の性別を聞かない親もいるという。ただ母子ともに健康でいて欲しいと願う気持ちは、古今東西共通の思いであろう。「春を待つ」を「春の星」にしたらどうであろうか。季語は、言葉の宝と黒田主宰もおっしゃっている。

薪棚のざつくりへりぬ日脚のぶ   一
 いかにも雪国の作者らしい。今年は、薪もずいぶん使ったのだろう。日脚のぶの季語の斡旋がいい。ゆっくりと老いを深め、季語を深めてゆかれることを。

ゼミ室に籠る息子の蒲団干す   緑
 何かのゼミナールに入っているのだろう。楽しい学生生活か、それとも。作者は、その若者の蒲団を干している。息子といっても青年。彼特有の体臭もあろう。やがてたっぷりと日を含んだ蒲団は収まわれる。

人の傘黒し牡丹雪ふりつもる   正幸

 以上

第七十回亀の会(1月9日)

224f306b.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)
○12時半〜14時半

○投句 5名



 「一句選」   藤井正幸

一時半東禅寺集合初詣   雅
 私の持っている『山口青邨全句集』は背鰭が破れ金文字が無くなってしまった。東禅寺は、青邨先生が眠むる場所でもある。今の時期は、すっぽり雪に埋もれているのであろう。青邨・杏子という師系に連なっていることにありがたさを感じる。

寒の鯉やゝ濁りある安けさに   青
 物事を捌くとき、人はどたばたとやる人と静かにやる人がいる。私の母は、静かにやる方のタイプだった。そこに安けさがあった。寒の鯉は動かない。

歓声と拍手の堤初日の出   修
 堤から初日の出を拝したのだろう。我が家は、一昨年から東に高いマンションが建てられ日が入らなくなってしまった。しかし、何十年も朝日が入って来てくれたことに感謝すべきだろう。とくに都会では。

鳥獣われの足跡雪の原   一
 鳥も獣も人間も雪の野原の足跡としてとらえれば変らない。自然界に生きとし生けるもの。かって日本にも自然があった。しかし貧しかった。文明とともに自然も失った。

年の湯のよく働きし五体かな   緑
 ことしもよく働いてきた。小さな働きではあったが、働くということは人様のお役に立つことである。若い時に感じなかった五体も、湯に入るとしみじみと思うことがある。からだは年々衰えるが思い出は雪のように降り積もる。うれしさにつれ悲しさにつれ。

ははの死をちちは認めぬ七日粥   正幸

 以上

第六十九回亀の会(12月12日)

269a879c.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)
○12時半〜14時半

○投句 6名


 「一句選」   藤井正幸

母さんと声に出しゐる漱石忌   雅
 母さんと呼びかけたのであろう。初雪が降り出しましたよ、白鳥が飛んで来ました、日常の何気ない出来事のなかに思わず呟やいてしまう事がある。忌日には動かし難いものがある。「ゐる」は「たる」の方がよいのでは。

同行二人しぐれつつひかりつつ   青
 同行二人とは何か。人と人か、それとも人とxか。しかし生まれる時も一人、死ぬ時も一人。この寂しさをどうすればよいのだろう。時雨も光もだだ降り注ぐのみ。

前夜から革手袋を用意して   研
 革手袋の質感。臭い。人間と革の歴史は古い。つまり革の歴史を紐とけば自ら人間の歴史となるだろう。青邨先生に革手袋の名句がある。

社務所の灯ともれば寂し七五三   修
 消し忘れたのであろうか、昼でも灯っている社務所の明り。それとも訳あって夕暮れちかくお宮に訪れた親子かも知れない。ともあれ吾が子の成長を願って〃神〃の前に出向いたことは尊い。祈りは人間にしかできない行為なのだ。

鷹わたる太き骨組みさらしつつ   一
 太き骨組とは何んだろう。家の柱と梁か。地方に行くと今でも骨組のしっかりした家屋と出会う。その骨組は人間を越えた何者かの気配を漂よわせている。そこでは、人はだだの脇役でしかあり得ない。鷹わたるの季語がいい。

笹後鳴く後ろに誰もをりはせぬ   緑
 うしろに誰かいる気配。しかし振り向くと誰もいない。よく経験することでもある。でもきっと誰かがいたのであろう。神でも仏でもいや自然界の何者でもいい。笹子が何者かを連れてきたのであろう。     


晩秋のひかりよ母よありがとう   正幸

 今年もよろしくお願いします。

 以上

第六十八回亀の会(11月14日)

1568803f.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名



 「一句選」   藤井正幸

深々とちぎりて淋し冬銀河   青
 人間を除いて動物は、深々とちぎりはしない。そして淋しさを感じるのは人間だけだろう。あたたかい人、冷たい人。冷たい人は、他人に迷惑をかけないだろう。そんなことを思う歳になった。

板チョコのきれいに割れて十三夜   研
 私もチョコは、板チョコしか食べてない。こだわりでもある。斜めに割れた時は不愉快になる。なんでだろう。十三夜の季語が何故かいい。

爪たてて栗の殻むくふたりの夜   修
 秋の寂かな夜。それも二人きり。話も途絶えがちになる。長い夫婦時代こんな夜もあっていいだろう。

その風のうなりてむしる樹の紅葉   一
 日本海の風は、太平洋の風と違うだろう。風と雨、風と雪と時は休むことはない。

父のこときのふのやうに冬桜   緑
 亡き人は、いつみ胸の内に持っている。そして不思議なことに亡き人とともに自分も成長しているのだ。この過程は、辛いがが辛いときこそ、そして試練こそ人を人たらしめる。

冬紅葉六十一は短きか   正幸

 来年もよい年を、ご健吟を!

 以上

第六十七回亀の会(10月3日)

2480a144.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名


 「一句選」   藤井正幸


灯明の匂ひに目覚め秋の雨   青
 誰れかが朝早く灯明をともしたのだろう。蠟の臭いのかすかに残る部屋。時折、死者に呼びかける〃私はまだ生きているんだ〃と。

椋大群ビルの裏から現るる   研
 都会では、ほとんどお目にかかれない光景である。しかしビルの背後にある田園、山並みがしかと見えてくる。一瞬の出会い。

巡礼のまだまだつづく一位の実   修
 ご自身も巡礼を重ねているのだろう。いやご自身が直接行かれなくなっても巡礼の道は続く。人に老病死がある限り巡礼は絶えない。

天高し百の眼に開く句碑   一
 どなたかの句碑開きであったのだろう。百の眼に見つめられて。天高くあった日、稲刈りはすんだであろうか。やがて人々は、家路に着く。「天高し百の眼に句碑開く」

弁当の梅干し二つ休暇果つ   緑
 忙しかった休暇、またはゆったりとした休暇。休暇が終りもとの職場に戻る。お弁当のなかには、いつもの通り梅干し二つ。日常にもどる。

 母・納骨
小春日の骨あたたかしありがたし   正幸

 以上

第六十六回亀の会(9月12日)

8479c1a0.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名


 「一句選」   藤井正幸


われの眼におほかた秋の空ばかり   青
 人は死を迎えるとき、ただ一点を見つめている。その先に何があるのだろうか。健常者には判らない何かを見つめているのだろう。

鰡釣って地元の人となりにけり   研
 岸壁に釣りをする人。たしかに地元の人である。一日の仕事がすみ、海に糸を垂らす。海の色も夏の頃より変っているのでであろう。人はそうして齢をを重ねてゆく。

サーファーの海となりけり今日の秋   修
 毎年、初秋になると鎌倉の長谷から海を眺めている時期があった。夏の去った海岸。海には、小さなヨットとサーファー。日暮れになる前に江ノ電乗った。だだ海を見るだけの一日。

草の実をどっさりつけてバスに乗る   一
 草の実がいい。どっさりがいい。あたり一面の稲穂。人の暮らしとは、このようなものではないか。

吹きわたる風の真中の案山子かな   緑
 もうずいぶん案山子を見ていないような気がする。少年時代には常に生活の中にあった。吹きわたる風にも臭いがあったように思う。遠い記憶の一コマ。

病室で母と見てゐる秋の虹   正幸

 以上

「亀の会」9月の予定

 6月と8月は投句者2名のため休会にしました。
 9月は、第2週の日曜日、12日になります。

第六十五回亀の会(7月4日)

d7023889.JPG○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名


 「一句選」   藤井正幸


星すゞし今もむかしも火を囲み   青
 火は、神聖なものである。そして火を育てることにより人類は進化してきた。火は、人が育ててきたが星は育てていない。仰ぐものだ。仰ぐということは、人の計らいを越えている。古来、人は星を畏敬を持って眺めてきた。

夕焼けを見つめる人の中にゐて   研
 人の世に夕焼けがあってよかったと思う。夕焼け、薄暮そして闇。全国には、夕陽百選があるが、人それぞれに胸に残っている夕陽があるだろう。この一瞬の命の前に。

奥底の哀しみのいろ花柘榴   修
 花柘榴のあざやかさ。毎年どこかで花柘榴を見つづけている。きっと花柘榴も人間を見ているだろう。人の喜びも哀しみも。

遠雷にいつもとちがふ仏花買ふ   一
 遠雷やでよいでしょう。いつもとちがふ仏花買ふで、地方の墓所が立ち上がってくる。ふるさとは懐かしく、死者も懐かしい。

街中が平たくなりぬ梅雨の月   緑
 今年の梅雨は、各地で梅雨末期の豪雨にみまわれている。日本は、島国であるとともに山国である。由に川は急流となり、土地は土石流となりやすい。戦後、インフラが整備されたとはいうが、災害は人智を超える。そのような時、人は謙虚に自然と向い会う。梅雨の月が一段と眩しくなるときだ。


 以上

第六十四回亀の会(5月2日)

8479c1a0.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名


 「一句選」   藤井正幸


緑風や告白一つ置きて去る   青
 何の告白だろうか。人は、なかなか胸に秘めておくことが出来ない。告白された側は、とるに足りないことだと思ったかも知れない。人間関係は祖語が基本なのである。季語は、夏の浜でもよいのではないか。

もの拾ふ人あらはるる春の夜   研
 人は食えなくなれば拾うか、かっぱらうかしなくてはならない。極貧国では、当たり前のことである。春の夜、得体の知れない人物があらわれたとき、思わず自己投影をしている。

踏ん張るる力つきつゝ植田かな   修
 田の中の水の感触、土の感触。人の暮らしの営み。流れる雲、はだにふれる風。幾代もの世代が交代してゆく。

八十八夜住み暮らし四年目に   一
 「八十八夜ふるさとに帰へり来し」
 説明は、いらない。八十八夜とふるさとで充分。あたりの風景が立ちのぼる。

朧夜のゴビの砂漠へ一本道   縁
 砂漠は静寂である。例へ砂嵐がおころうと音自体は、静かである。しかし夜になると無数の星達がおしゃべりをする。宇宙の鼓動である。道は、何とつながっているのであろうか。「夏の星ゴビの砂漠へ通じけり」

 以上

第六十三回亀の会(4月4日)

d7023889.JPG○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名


 「一句選」   藤井正幸


映画館通りビルの谷間を白鳥帰る   雅
この一行を声にを出して読んで欲しい。詩になっているだろうか。調べは?
 「もりをかのビルの谷間や鳥帰る」
 即物のなかに詩を。詩のなかに即物を。

ことごとくひらきてあはし花の冷   青
 この一行には自意識がない。しかし、人間の澄んだ透明感がある。いつしかこの世から消え去るときの。

嬰のにぎる力ありけり桜咲く   修
 幼な子のにぎる力は、強い。そこに桜の花片が散る。万物は流転してゆく。
 「嬰のにぎる五指の力や初櫻」
 強引に、一句を仕立ててはいけない。

鳥雲やはやしおそしもなき歩み   一
 人は、結局自身の歩幅で歩くしかない。誰と比べておそいのか、早いのか。自分のペースで歩いた人のみ、その人の人生となる。
(注)一句に仕立てるときは、どちらか一方を強調したい。

姉が吹き弟が追ふしゃぼん玉   縁
 姉と弟の構図である。このパターンにいつまでも縛られてはいけない。野口雨情の〃シャボン玉〃を越える気概を持って欲しい。


 以上

 次回は5月2日(日)の開催です。

第六十二回亀の会(3月7日)

2480a144.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 6名


 「一句選」   藤井正幸


天空に引き鴨の鉤友の声   雅
 盛岡に住む作者。毎年、帰る鳥を見続けているのであろう。まさに〃季語の記憶〃。今年も引き鴨を見て、胸に去来するものは何であったのであろうか。

幸福を何もて計るふきのたう   青
 幸福は、比較ではない。小さなことに喜び、自分自身が喜べることに喜べばいい。そんな簡単なことを学校教育では教えてくれない。

闘鶏の震へ続ける月下かな   研
 緊張のあまり闘鶏は、震へ続けるのか。終生、戦う鳥として生まれてきたからには、闘う以外ない。その哀しい運命を月が包む。

白鳥の帰らんとするこゑをあぐ   修
 生きとし生くるものは、声を上げる。今年も鳥が帰って行くと作者は、しみじみ思う。

提げてゆく油彩の道具風光る   一
 今生では何に出会うのであろうか。人だけではない。動物や植物、そしてそれを包む自然界。豊かな人生とは、この出会いと比例するような気がする。

こころざしたはむ日のありつくしんぼ   縁
 人は、つねに頑張っていられない。さぼることも時には、必要。自分らしく〃楽〃な方法で徹底して生きる。それが自分。

 以上

 □次回は4月4日(日)です。                      

第六十一回亀の会(2月7日)

8479c1a0.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 6名


 「一句選」   藤井正幸


春立つ日珈琲を淹れ気合入れ   雅
 ある春の朝、珈琲のにおい。さあ今日一日がんばるかと思う。外の雪に日射しが乱反射している。

天眼鏡しみじみ冴ゆる日なりけり   青
 天眼鏡を使って手相でも見たのであろうか。春浅しき日の柔らかい日射し。この手に刻み込められた線。

枯枝の遺骨を拾ふやうにかな   研
 今日も枯枝を拾った。明日も拾うだろう。人の日々の営み。遠いむかしから人はそうしてきた。

寒鮒も釣人も息ひそめゐる   修
 静かな、寂かな世界。墨絵にも一脈つうじる。東洋のもつ一宇宙なのだろう。

日脚のぶ雀ら胸毛ひるがえし   一
 胸毛に春の日射しが宿っている。こんな穏やかな日があっていい。

寒夕焼一度たりとも村を出づ   縁
 小さい頃の夕焼。老年の夕焼け。町は、変っても日々巡る落日は、変らない。そんな中である日突然、人は死を迎える。

                        以上です。

第六十回亀の会(1月10日)

224f306b.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 6名


 「一句選」   藤井正幸


金星のまたたく一夜初灯   雅
 みちのくの冬の星はきれいだ。どこか星に見つめられているような気がする。

臘梅のせつせつ止まぬ夜なりけり   青
 植物の生きる力強さ。人は、植物より強いのか、弱いのか。

柚子浮かべ単身赴任三年目   研
 ひとりの柚子湯じゃ寂しい。いっそ、銭湯でも行くか。帰りに一杯。

お歳暮の箱重たかり加賀の酒   修
 加賀よりの大吟醸酒年詰まる
 年末は、ものが行交う。よって何か気ぜわしい。そのような年を積み上げてゆく。

河口今冬の雨を加はへつつ   一
 冬の雨河口近くに移り住み
 冬の雨が降っている。その川はけっして小さくない。人間の小さな営み。

八十の母より給ふお年玉   縁
 母はありがたい。


                        以上です。

第五十九回亀の会(12月13日)

08f3ccf9.jpg○会場「すっぽん処ふじい」
 (葛飾区亀有)

○12時半〜14時半

○投句 5名

 「一句選」   藤井正幸


ここだけは掃き清められ青邨忌   雅
 お墓のまわり掃かれある青邨忌
 みちのくは、また静かな冬に入ったのでしょう。寡黙な人の多い土地は、更に静かさを増す。

落葉焚人間の距離測りかね   青
 人は、理解し難きもの。それが原点。そこを埋めるものは?

五十歳過ぎて惹かるる花八ッ手   修
 ある年齢を過ぎて、急に好きになる花がある。齢を重ねて良いこともある。

冬籠ぶ厚き本にチャレンジす   一
 ぶ厚き本。聖書だろうか。全集だろうか。若かりし頃、読み損なった本。そんな本が時々ある。

火をつけてみたき聖夜のあけぼの杉   縁
 聖夜。あのお方がお産まれになった日。実に静かで厳かな日であったであろう。遠藤周作は〃愛だけに生きた人〃と述べている。

                        以上です。
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