2016年5月22日

「(目前の)何かを見て、ふと笑顔がこぼれる。それは、凝り固まったそなたの心内、囚われた思考に、目前の光景(事象)が期せずして、そなたの思考を一瞬にして変える、新鮮な要素を授ける。すると、そなたは、心をまたたく間に“軽く”させ、知らず知らず、心の均衡を整えている。」

「日常、何かを思い浮かべ、それが、過去の嬉しき出来事、出逢った人を思い浮かべ、あるいは、未来(将来)における楽しみや希望がごく自然とそなたの思考に連なったのなら、そなたは、その心にじんわりとした温かさ、生きる勇気が沸いてくるであろう。そなたの顔には笑顔(笑み)が咲くのだ。」

「そなたよ。この世に生きるは辛きことか?苦しみ多き、この世知辛(せちがら)い世の中か?物質的・金銭的に苦しむ者、あるいは、そういった辛苦なき日常それでもなお一抹の不安、生きにくさを感じている。この地上、われら(神)から見るに、ひたすらに苦しみ、もがく者、そして実体の無い不安、予測、観念にてわが身を苦しめる者が如何に多いことか。」

「人間は苦しむために生まれてきたのではない。神は、人間を苦しめるためにこの地上に生まれさせたのではない。この地上にあらゆる人間を生まれたらしめる神の願いとは、すなわち“笑み”の姿であり、一人の人間のなかに、いつも笑顔を、そして、縁ある人々との対話、交流、数多くの人々が関わるその輪のなかにも、数々の笑み(笑顔)があることのみ。」

「そなたたち(人間)に与えられた笑顔。これこそ、かよわき人間というものが、太古より長らく生きながらえ、そして今も生き繋ぎ、多大なる国、社会、家族を創り得る、神が与えた不可欠なる要素。これに勝る“調和”の真髄、人間として生きる秘訣は無かろう。」

「そなたがわが身を省みるとき、そなたの顔に“笑み”はあるか?そなたの心が真に何ものにも縛られず、自由に軽やかに生きる最大のきっかけは、そなたの顔にほころぶ、その笑顔なのだ。」

「悩み、苦しみ、心が窮屈なとき、笑顔になるが良かろう。動作から心への作用、エネルギーの転換―――。しかるに、それでも笑顔になれぬほどに心が沈み悲しみに苛まれるとき、自らの気持ちをないがしろにしてまで、笑顔に(無理と)変える必要も無かろう。」

「そのときは、いや、そのときこそ、神を思い出してほしい。われらの心は、いつもそなたに“笑み”を向け、今もそなたを想い、愛してやまぬ。そなたこそ、わが愛しき者よ。われらがそなたに笑みを向けるその意味は言葉には到底尽くせず、だからこそ、神はこうしてそなたが在る(存在する)宇宙を存続させる。そして、この地上に現わされる自然もまた、形は様々にして、しかるに温かな、真に誠実なる微笑みをたたえているではないか。」

「それが、地球。そなたの生きる場所―――。神の笑みのなか、宇宙のなかに、そなたは今まさに、笑みをたたえ、それでもあきらめず、前へと進む。」

「神の笑みのなか、温かな光のなかに、そなたが、われらと同じく“笑顔”をたたえ、日々を穏やかに生きられこと。それが、神々の本望、われらに“最高の笑顔”を与える。」