2017年6月25日

 人間として生まれ、肉体をもちながら霊的な物事に深く関わるーーーそれは、現実世界に在りながら、また別の世界を視続けることでもございます。たとえどのような性質を持ち合わせていたとしても、人として生まれた以上は、社会的な意味での善悪の判断や、悲喜の感情、そして家族をはじめ、実際に関わり合う人々を思いやる言動などは、この世を生きるうえではとても大切なものです。

 しかしながら、これが霊の世界となりますと、また別の“基準”と申しましょうか、人間の眼、そして感覚からは乖離(かいり)した状態、いわば、人間の心理としては、理解の超える(理解するのが困難な)ものであり、ある意味、“非情”な情景と映るかもしれません。
しかしそれはあくまでも、人間という、肉体と五感をもつ側からの判断(基準)であり、目に見えない世界で展開する物事は、良い意味でも、またそうでない意味でも、それが「霊魂の世界だから」としか言いようがないのです。

 霊視鑑定士として日々生きておりますと、本当にこの世は、見えない世界との“表裏一体”の世界だと感じます。鑑定を通じ、どの方にお出逢いしても心底思いますのは、皆様、本当に懸命に生きていらっしゃる、ということです。将来へ不安を感じる方、過去の出来事(トラウマ)に苦しむ方、そして家族に対する思い等々、皆様、わたくしから拝見しますと、本当に愛おしいほどに、それこそ“一生懸命”なのです。霊視鑑定として、同じ時間を共有するという、
わたくしにとりましても本当に“奇跡的な”出逢いにあたり、こうして勇気を出してお越しくださった方々が、今後の人生をより明るく、希望をもって歩んでいただくために、目に見えない世界の力を借りながら、「大丈夫ですよ」と、ほんの少し後押しさせていただいているというのが、正直な表現ではないでしょうか。

 その“一言”が人の心を救うーーー、どんな方でも、自分が人生の困難や岐路に立つとき、人からかけられた言葉が心を打ち、本当に救われた、という経験があられると思います。わたくしも今世、“言葉”という、人間ならではの生きる術(すべ)を通し、現実世界と霊界との狭間にあって、その大切さであったり、またその影響力であったりを、鑑定を重ねるごとに一層の“重み”として感じております。

 “言葉”ーーー、言い換えれば、“言霊”という、目に見えないエネルギーをたずさえたものであり、たとえ同じような環境に育ったとしても、やはり各々の感じ方、そしてその言葉を如何に用いるかで大きく変わってまいります。

 数年前のことになりますが、神と対話をするようになり、その後、仏道にも適う霊力を、まさに“手さぐり”で得ていかなければならなかった時期に、全国で巡った神社の、摂社などで幾度もお参りさせていただく神がありました。その神が、わたくしが修行のさなか、迷いながら、それでも心折れず祈り続けていたある日、わたくしにおっしゃいました。

「今後はわたくしが、あなたの地上における“衣食住”、すなわち、生活全般について、加護を計らうよう、天が御定めになりました。」ーーーわたくしは、この言葉を伺い、大変驚きました。なぜなら、その神は、全国に30,000社あるとも言われる、古来より人々の崇敬の篤い神であったからです。

 この御言葉を頂戴してから、少しでも時間があるときには、この神が祀られている神社(または摂社)へ、
なお一層お参りにいくようになりました。そこでは、霊性を高めるためにというよりは、むしろ、巡礼のさなかに自分なりに気づいたことや、他の神々との対話の様子、また、神社仏閣における御霊たちの様相についてなどを、感じたままに、素直な気持ちでお伝えしました。するとその神は、静かにわたくしの思いの丈をお聴きになり、折に触れ、神の側からのこの世に対する御判断や、また宇宙の真理などを御話しくださったのです。

 そしてあるとき、わたくしは、逆にこの神にお尋ねしました。「なぜ、あなた様のような全国でも有数の神が、わたくしという一人の人間について、(生活全般を司るというような)非常に勿体ないほどの御加護をくださるのでしょうか。」ーーーすると、その神は、「わたくしが、“全国に祀られる”神である、だからこそ、あなたのような(全国を、霊視をたずさえ祈りの巡礼を志す)方を、全霊をもってその役目にあたることができるよう、その他のあらゆる面で加護することを、天(大神)は御決断されたのでしょう。」と、実に静かに、まるで何か胸の想いを押し込めるようにお答えくださったのです。

 このときにわたくしは気づきました。「自らの意思で、この霊視の道を辿ること、これを人生の中心に据えるには、否応にも、自分はもっと深くこの道を知っていかねばならない。だけれども、これは真に険しき道であり、すでに天はすべて御承知のうえで、わたくしを、それでもなおこの世に遣わし、神の御心をこの世に体現されるのだ。天上の神々がわたくしに対して望まれる、その生き方を、自分の足で一歩一歩なぞらえるその道中に、自分はこれから、全国のどこに行こうとも、この神を“心の拠り所”とさせていただくのだろう」とーーー。

 本当に神の愛とは、人間が到底及び知るものではないのです。“霊視”の道に至る、自らの生い立ちや数々の奇遇なる出逢い、そして心を揺さぶる出来事が、こうして神が配した伏線によって見事に成されている、そのなかで自分はなんと神々に愛され、大切に見守られながら生きることができたのか、その真実が、はじめてわたくしのなかで“生きる力”として灯(とも)りました。そして、同時に、この神をはじめとする天上の神々、そして、御仏たちの、地上の人々への心からの願いがまさしく<光>となって、どの人にも絶えず降り注がれているのを感じ、深い感動と感謝の念が生まれたのです。

 日々を懸命に生きる皆様へ、神、御仏、そして、数限りなき御霊たちの想いを、“言葉”にのせてお伝えしたい、そして、この世に生まれ、生きる意味を見出し、神の愛を感じながら、毎日を丁寧に生きていただけるよう、わが人生を懸けお手伝いさせていただきたいーーーただその気持ちこそが、わたくしの神から授かった霊視を用いる際の、確かな“礎”となっております。そして、神が、わたくしという人間を通し、地上へメッセージを降ろす、その意義は、自らにとりましてもあまりに大きく、絶えず考える日々でもございます。

 まだまだ、この霊視の道に終わりはございません。霊界という、現象界とはまた別の次元の世界は、知れば知るほど、また深く関われば関わるほどに、その複雑に絡み合った由縁や、そこから発されるエネルギーに、わたくし自身、日ごと“新世界”を垣間見る心地さえいたします。そして、この人生を歩むことを決めたわたくしの日々は、学ぶこともなお限りなく、自らの今後の“伸びしろ”を楽しみにしている、そんな自分もございます。

 いつかはきっと、わたくしも天に召される日がまいるでしょう。地球での人生は、
おそらくは今世限りかと、察しはできておりますが、天へと還るその瞬間、地上にてのまたとない人生を、“生き切った”という、晴れ晴れとした気持ちになれればと、密かに願っております。

 そして、天上にて、神の御胸に抱かれたその暁(あかつき)には、「神様。地球は、やはりとても素晴らしい星でした」と、にこやかに神へ報告させていただきたいのです。これまでわたくしが頂いた多くの“お蔭様”を、神へのご恩返し、そして、美しき地球とそこに生きる人々への感謝として表すことが、わたくしの人生における“最終目標”ですーーー。


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「“霊視”の道に至った理由」シリーズを長らく続けさせていただきました。皆様から励ましの御言葉を頂戴しながら、Rinokiaの幼少より、現在の霊視鑑定至った人生の過程を、自らの想いを交えつつ、誠実に書き連ねることができました。文中、分かりづらい部分も多々あったかと存じますが、最後までお読みいただきまして心より感謝申し上げます。

 なお、今後はまた、このブログの在り方を検討しつつ、再び、神にちなんだ記事を公開させていただくことになるかと存じます。次回は、この神のブログを、2012年に始めたきっかけをお伝えする予定です。

                         
Rinokia