拝殿向かって左にもまた幾つかの末社が並びます。ちょうど(拝殿を挟んで)若宮社稲荷社等とは対称の位置に祀られている末社の一つが「子安社」です。

御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)の御生母、“髙志沼河姫命(こしのぬなかわひめのみこと)”です。

子安社の御本社は、新潟糸魚川の「奴奈川神社」とのことです。
古来より、“縁結び・安産・子育ての守護神”として親しまれている神です。

何か御言葉を、と子安社の神にお伺いしたところ、“子ども”を基点とした出来事について、多くの方々へ向けてのメッセージを頂戴いたしました。

どうぞご一読いただけますと幸いに存じます。

Rinokia

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「誰しも、自らの嘘偽りなき姿を表す場(場面)があることでしょう。

それはもしかしたら、当人にとりて欠かせぬ(=大切な)人との関わり(やり取り)かもしれません。

または、心洗われるがごとくの澄やかな場、あるいは心和む空間にてかもしれません。

いずれの者とても、常に威勢を張る(または体裁を繕(つくろ)う)ばかりとはいかないものです。

それでもなお、自らの
真の(=真実の)姿とは、なにぶん見えぬ(=判らぬ)もの。

この世における、無垢なる存在、それは“子ども”とも申せるでしょう。

近しく(親しく)接するも、一方、遠くより(遠巻きから)子ども達の様子を垣間見るも、いずれにせよ、(子どもという)純粋なる“光”に相まみえる(あるいは接する)ことは、その時こそ人は、
何より
自らの性分(性格・本性)が浮き彫りにされるのです。

常より(=普段)険しき面(おもて=表情)を見せる者が、無邪気の子の姿に、ふと(表情を)和ませるさま(様子)を見るにつけ、傍らの者さえ(=その様子を垣間見た人も)心和ませることでありましょう。そうして人は、人の内(=心内)にある、純粋なる光(=魂)を見い出すのです。

そしてなお、“戒め”の意(=意味)としても、子に接する機会を捉えることが肝要です。

それは、(今はまだ)弱き立場でもあり、様々な支え(※家族のみならず地域の人々を含めます。)を幾重に得てこそ、今後この世(社会)を導くべく幼き子どもらに、あなたは、一体どのような“目(眼差し)”を向けられるでしょうか?

“子は国の宝なり”ーーー

今この時ばかりの幸福を求めてはなりません。

巡り巡る、子々孫々と栄えることこそ、人類の絶えぬ歩み(=人類の歴史)においては、なお(=より一層)肝心ではないでしょうか?

自らの、この世への“見どころ”(=視点・価値観)を知るうえでも、日常の営みにおける、(子どもという存在を基点とした)“原点回帰”は欠かせぬとお思いなさいませ。」


以上。

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