(受験シーズンの到来です。受験生の皆様が、大事なこの時期を迎える上での心構えを、大宰府天満宮(福岡県太宰府市)に意識を合わせお伝えさせていただきます。受験生の皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。)

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「物事を“極める”―――。それは、けして勉学のみに限らない。人生の時間は、儚(はかな)くも短く、日々の喧騒にわが身を浮き流すなかで、しかしながら、ある瞬間(とき)、ある場において、人は何に心打たれ、そして何を胸に秘め、自らを奮い立たせるか―――。」

「ここに、人生の“玉(ぎょく)”あり。それは、人が人たるがゆえに、天より与えられし、欠かせぬ<原動>―――。すなわち、『 この上なく生きる 』という、“熱情(熱意)”であり、身体において、生命の続くがごとく、その者の心内にある、何かへ向け、弛(たゆ)まず歩みを進めようとする力こそ、実に深淵であり、精妙であり、到底計り得るものではない。」

「“成し遂げたい”という思い。それは、他(他人)より強いる(強制される)ものではなく、また大なるも小なる(比べること)もない。ただ、その者のみが知る、いや、その者の、心の奥底から沸き起こる“生きる
力、それが、“極める”力なり―――。」 

「“極める”とは、神という<光>へと向かう、誠に真摯な歩みである。知力、体力、その全てを費やし神へ近づく、その<道程>こそが、各々の人には必ずや(人生のなかで)配されている。大切なるわが身の人生を諸共に懸けてこそ、“機(運気)”をも手中(味方)にするのである。

勉学に励むも良し、技能の研鑽(けんさん)もまた、賢き道であろう。何かを成し遂げる、その真っ只中にある者は、たとえ当人は惑い、困難のなかに在ろうとも、けして輝きを絶えるものではなく、その懸命なる姿に、神という超絶たる存在は、穏やかにその者の魂を救い抱き、微笑むのだ。」

「今在る自らのその身で、今出し得る至高(最高)の“力”を出す―――。それが、“極み”であり、人間のもっとも輝く姿となってこの世に刻まれるであろう。そして、その者にとって、以後、人生の欠かせぬ“玉(ぎょく)”、自らを芯より支える“御柱(みはしら)”となるのである。」

「そなたたちよ、誰一人として自らの力を限ってはならぬ。“望み”は高く持ち、それは“志(こころざし)”となり、人生を徒労(無駄)にせぬ心構えとなり、一度の人生にあらゆる“彩(いろどり)”を添えるものとなる。そなたたち一人ひとりの“可能性”とは、神のごとく、自然のごとく、まさに“限りなき”ものなのである―――。」

「移ろいゆく人生にあって、確かなる“原動”こそ、そなたがこの世を生きるうえで、真にたずさえるべきもの。それが、自ら志した道を成し遂げようと試みる強き想い、“極める”心意気なのである。」

以上

追伸:
本日(1/14)二回目の記事となります(一回目はこちらから)。
この機会をお与えくださいました大宰府天満宮に宿る神に、心から感謝いたします。