2012年8月2日

【活杙神(いくぐいのかみ)※】

※『古事記』のなかで、神世七世(かみのよななよ)のうち、角杙神(つぬぐいのかみ)とともに男女一対となって現れたとされる神(第4代)。

「われら神々の最も望まんとするところは如何なるものでありましょうや。それは、この世に在るすべての生命が、大地に根付き、すべからく己の欲するままに生きんとするその熱なる想いが、しかと(この世において)果たされんこと。生きることは、万物に授けられし奇跡の宝珠なり。生きるには、それこそ数多の光(魂)が参集し、その生命たちの“生きる”という思いに賛同し、すべてを捧げ、それを叶えんとする。これぞ真(まこと)の“捧ぐ”、そうだ、本に(本当に)尊き、われら神と一厘も変わらぬ所業なるぞ。」

「各々方よ。そなたたちは、己の欲する“生きる”という行為、どれほど、覚えて(自覚して)おるのか?己を取り巻くものに謝する(感謝する)ことなく、唯々、日々を安穏と暮すとは如何なる心からか。生きることは誠にたやすからず。歩む道(人生)において苦難あり、という意味には非ざり。生きるとは、数多の存在の御力添えにて成し得る、正に各々の魂が“合わさる”ことでようやく叶うものなるぞ。それら(の存在たち)が“真心”にて加担せしことで、そなたたちの“生きる”が終(つい)に叶うのだ。これぞ、この世に配されし、誠に精妙なる仕組なり。」

「各々方よ。われ見るに、そなたたちの心意気、時代(とき)を追うごとに“希薄”となる。これは誠に由々しき事なるぞ。魂の欲するところ(心意気)が薄れるならば、それはそなたに感応する幾多の光(魂)たちが、寄り付くこともままならず、(そなたたちは)誠におぼろげなる、薄弱とした様相となる。光たちは待ち侘びる。そなたたちがいずれも、真に“生きる”ことに目覚め、勇み歩まんことを。これが、そなたを取り巻くすべての光たちの、真に“喜ばん(喜ぶ)”とするところ。

喜びはさらなる喜びを生み、誠に豊潤なる栄えある御世を創り出す。これぞ、われら神々が、この国を産み落としてよりの、いつの世も変わらぬ願いなり。そなたたちが如何に生きるか、われらが周到に図り成すことは許されぬ。そこにはそなたたちがいずれも“意志”をもち、己の足でしかと歩まねばならぬのだ。いつの世もわれらは、そなたたちが歩みを始めた赤子の如く、それこそ懇ろに守り見ておるのが、そなたたちには分かるであろうか。」

「そなたたちよ。この世は至上の妙義にたつ、すべからく整いし光世なるぞ。そこには卑なることは幾ばくも非ざり。ただわれら神を称えし光(魂)たちがそこ彼処に満つ世なり。この真義に気づくか否か、そなたたちの力量が試されん。正しく見よ。正しく聞け。そしてそうだ、その黄金に輝く魂にて、己の最なる心意気を以って、正しく想い、願うのだ。」

<感想>

この神様は、大変慈愛に満ちた女神様で、こちらが発する波動を包み込むようにして、本当に分かりやすくメッセージを降ろしてくださいました。大変物静かなオーラをお持ちですが、この女神様を取り巻く光の粒子たちは嬉々としていて、この女神様が動かれるのに合わせて、たちどころに変化します。ただそこにいるだけで、周りにいるものが安堵し幸せを感じる、これこそ女性の原点かもしれません。この女神様を身近に感じ、本当に心安らかなひとときを過ごすことができました。

以上。