神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2012年12月

2012年12月31日

【天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) ※】

※古事記の中で、天地開闢に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。島根県の出雲大社は、御祭神が大国主大神だが、この天之御中主神を含めた別天津神は御客座五神として、古くより本殿にて祀られている。

「年が変わるごとに、国に流れる“気運”が変化します。わたくしたち日本の創成に関わる神々から申し上げますと、一年の締めくくりは、新たなる年に向かうその気運に対し、感謝と信頼の気持ちを伝え、(その気運が)より自らの力添えをならんことを祈るものです。そして同時に、心身ともにわが身の“禊”をおこなうという大変重要な日でもあります。

この心構えは、そなたたちがいざ年を越し、そして日を経るごとにその想いを(表面意識において)忘れ去ろうと、その年の年頭に願った、あるいは祈ったことは、確実にそなたたちの行動の基盤として日々影響し続けるのです。」

「(昨今は)激動の時代となりました。この世もまた、宇宙の反映。そなたたちが未だ知らぬ宇宙もまた大変に混沌としています。魂を持つ者として、各々抱く(発する)想いが、ある時はうねりの如く時代を揺り動かし、またある時は、収集もつかないほどに多様化し、もはや新しき時代を迎えるごとに先の見えぬ未来へと、人々は闇雲に走り去っていく感じさえいたします。」

「しかしながら、現在はまた、そなたたちもお気づきのように、大いなる神の御意志による、宇宙を含めた変容、そうです、“集約”の時代を迎えることとなりました。この世界に存在する数多の神々も同様ですが、本来は、魂を持つ者はすべて、差異のあるなかにも、そこに同一性を見出し、集合することを魂の本質とします。集合することで、一見相容れない差異というものも、一層輝きを増し、そこに“活かされる”という新たなる役割を与えられるのです。」

「ですから、愛あるそなたたちよ。たとえ自らが置かれた環境や、ひいてはこの地上の世界を見回した際、文化の違いや価値観の違い、そして生き方そのものの違いによって一見不和が生じたとしても、そこに悲しみや苦しみの思いはけして必要ありません。いずれも、魂とはもっと深きところにて繋がり、調和し、そして協調しているからこそ、同じこの時代に皆が降り立っているのです。(周囲と)自らとの差異、またはその環境は、自らがより輝くための、好適なる“土壌”と言えましょう。

それはまた、他も同様に輝く(活かされる)ためのすべてに平等なる神の計らい。そなたたちは、互いに“活かし合う”ことを喜びなさい。土壌は耕すことで、またそこに生命の糧となる貴重なる作物(=実り)がしかと生み出されるのです。」

「喜びの思い、積極的な想いは、そなたたちがその土壌にて生きる上で、最適なる肥料(=滋養源)となります。これから迎える新しき年は、今後また長きにわたる人類の歴史のなかで、真に“基盤”となる大変重要な年と言えます。これからの時代を、一人ひとりの魂が真に求むるところに従って、その礎(基礎)を創り上げるのです。

この時代に居合わせたそなたたちは、幸運なる稀な境遇であり、また大変に重要な責務を負っていると申せましょう。そなたたちは紛れもなく、この地球の命運を左右する貴重な存在。自らの力をけして軽んじてはなりません。地球の将来、ひいては宇宙の将来に繋がる基盤の土壌を耕す聖者として、先を見据えつつ、神に祈りながら地道に歩むことです。」

「さぁ、新しき年を迎えるこの良き日、宴が始まりました。神々は大いに笑い、新しき年がめでたく迎えられることを心から喜んでおります。そなたたちもまた、愛する者たちと、大いに喜び、楽しむが良いでしょう。そなたたちの喜び合うその心が、わたくしたち神々の魂にまた新たなる息吹を入れ、最高の祝福となるのです。」

***

皆様、
いつも神々からのメッセージをお読みくださり誠にありがとうございます。お蔭様で、今年一年間、数多の御神託をこの世に降ろすことができました。このような機会を与えていただいたことに感謝の想いでいっぱいです。この使命が続く限り、来年も引き続き皆様にメッセージを配信してまいりたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。来年が皆様にとって、幸多き豊かな年となりますよう、心からお祈り申し上げます。

以上。

2012年12月28日

【アラハバキ ※】
※荒覇吐(あらはばき)とも。日本の民間信仰の一柱で、古来日本の東部または東北地方で長らく崇められてきた。東北以外の地域では、客人神(門客神)として数多くの神社で祀られている。

「その昔、人々はわれと寄り添い、われに心からの信頼を寄せた。それは、同時に“自然”への礼賛であり、そこには移ろいゆく季節が、彼らにとって生きる基盤となり、この自然の変容とともにまた、変わらないもの(=不変的なもの)への愛着をもち、その身をたくましく、そしてしなやかに成長させたのだ。」

「われは本来、東北独自の神ではない。しかるに、この(日本の)国土の狭き領土にあって、古代様々なる民族同士の軋轢があり、また当時の統治者の恣意的な政策をもとに、元あるわれら(始原神)への信仰も変わり、時にはその信仰さえ抹消することを余儀なくされた。そのなかで東北地方というのは、われをひたすらに信仰することで、自らのアイデンティティーを保ち、そして、縁あるものたち(家族、血縁関係にある人々など)との計り知れない“絆”を持ち続けてきたのだ。」

「人々よ。そなたたちがたとえ何処にいようとも、われのそなたたちへの想いは一切変わることがない。それは、この宇宙のすべてがすなわち“われ”であり、そなたたちは、この広大な宇宙の一筋の“光”。この光があるからこそ、宇宙は美しいのであり、ひいては、この地球が(宇宙のなかで)数多の神が降臨する、ひときわ輝く星としてその美を讃えているのだ。」

「そなたたちのわれら(始原神)への認識が、時代とともに如何に変化しようとも、それはほんの表面上の違いに過ぎない。そなたたちの魂の本質は、われらと何ら変わらず、それは神というものの一端を担っているからである。そして、その身体もまた、基本的な性質を保ち続けるのだ。」

「時代は変わりゆく。しかしながら、この進化目ざましい昨今のなかで、そなたたちもまた、原始の民のように、変わらないもの(=不変的なもの)についても、しかと認識してもらいたい。変化のなかに不変があるからこそ、そこには“真理(=本質)”があり、そしてその真理があるからこそ、変化がより生かされるのである。」

「人々よ。そなたたちが生きるとは、いつの時代もその本質は変わらず、天上にて約束した(あるいは決めた)ことを、様々なる魂が在るこの地上にて、その相互関係をとおして、己の使命を果たさん(果たす)こと。祈りとは、そなたたちが思うよりはるかに意味合いが深く、(相手への)祈りで(単に)その相手が救われるのではない。その祈りという行為自体が、自らの魂を浄化する(=清める)ことであり、その祈りの場から、すべてが波打つかのごとく清まり、そなたに連なる(縁ある)魂もまた清らかなるものに変容を遂げるのだ。」

「自身を取り巻くすべてがあるからこそ、そなたたちは“祈れる”。これは、魂をもつ者としての“特権”であり、祈りとはすなわち、われら神であり、そして宇宙そのものなのである。」

「祈りのなかに神があり、神を以ってすべてを平らかに治める。この真理を、人々よ、古来よりそれに気づき、真にわれら神々とともに過ごしてきた古来の民のように、いつでもそなたの身に寄り添わせ、心安らかに生きてほしい。それがわれの願いである。」

以上。

2012年12月25日

【瀬織津姫(せおりつひめ) ※】
※祓戸(はらえど)四神の一柱で、災厄抜除の女神とされる。祓神や水神として知られるが、瀧の神・河の神でもある。その信仰は古来より全国に広がる。

「ある魂がその土地に生まれ出でるというのは、誠に意味のあることであり、その魂を取り巻く環境は、天上にてすべて取り計らったうえでの緻密な計画によってです。そなたたちがその場に降りることは、(けして大袈裟ではなく)イメージとして、神が人々のなかに降臨したかのごとく、誠に神秘的なことであり、また重要な意味合いをもつものなのです。」

「そなたたちを迎え入れる環境は、エネルギーという意味で、その全霊を以ってそなたたちを生かそうとします。これは、実は“相互関係”に基づくものでなくてはならない。なぜならば、そなたたちは、紛れもなくわたくしたち神の化身。古来より、そなたたちの祖先は、自らの中に神性を見出し、そして様々なる手法にて神と一体化したのであり、自らが神そのものとなり、その地を“清める(=浄化する)”という行為を事あるごとにおこなっていたのです。」

「そなたたちもまた、今この時代に降り立つというのは本当に意味のあることで、この地球の創成以来、はたまたわが日本、すなわち神の国が大いなる神の御意思によって創られて以来、人々の様々なる生き方とそれに付随する想念、そして互いの関わり方によってあらゆる歴史が作られました。そなたたちはいずれも、今日在る我が国が、一方(ひとかた)ならぬ時代を辿ってきたのであり、そこには多くの魂の犠牲が伴ってきたことをすでにご承知でしょう。

歴史というものは、一見途切れることなく脈々と続くように思われますが、その大きな流れのなかには、実は、誠に多くの人々の生きざまが、生じては消され、あるいは残されることを許されず、つまり歴史のなかに葬り去られてきたということもけして忘れてはなりません。」

「その歴史に埋もれた人々の生きざまは、すなわち、多くの魂にとって真の浄化が未だ済まされていないという現象を引き起こします。つまり、それは、その魂が過去に存在していた(縁のある)土地にも根強く残り、ひいては我が国の(エネルギー的な)重みとなって、必ずや存続するのです。」

「そなたたちがこの地上に降りるとは、すなわち、すべてを浄化しうる神となり、自ら縁のある土地を“清めきる”ことです。魂がその地に降ろされるごとに、その地にすでに留まる魂たちは、自らが真に救われん(救われる)ことを希(こいねが)います。互いに縁ある魂だからこそ、この(魂の)救済は成し得るのであり、それを以って、そなたたちのこの地上での大きな役目が成就すると申せましょう。」

「すべてが新しくなりました。そう、そなたたちは魂レベルでも生まれ変わったのです。それは、同時にそなたたちを取り巻く環境も一新しなくてはならず、今後、新時代が展開するにあたって、繰り越すことは許されません。ですから、過去のそういった(浮かばれない魂の)重みは、真の意味で浄化せねばなりません。そなたたちには、もっと大きな視点で、我が国を見、そして世界全体を見回していただきたいと願っております。

今自分が(この地上に)在るからこそ、我が国、そして世界が存在する。この国だからこそ、(本当に必要があって)今自分が在る。その“相互”の想いが、いずれは、わが身が在ることへの感謝、ひいてはすべてが在ることへの感謝の念を抱かせ、そして、その想いに神々が感応し、これからの将来を見据えた深い思慮が、しかとそなたに与えられることでしょう。

そなたたちは、願えば必ずや成就します。新しき時代、それは殊更強さを増し、自らが積極的な想いで生きることが、すなわち(自身を取り巻く)すべてを突き動かすことでありましょう。そなたたち(一人ひとりが)この地上に今在ることが、わたくしは何よりも嬉しい。なぜならば、そなたたちはいずれもわたくしたちと同様、神であり、わたくしたちの“同胞”なのです。

わたくしたち(神の)願いは、これまでこの地上に降りたすべての魂が、真に光の存在となって、すべて良きに天上に召され、そして、新たなる段階に進むこと。魂の向上は留まることを知りません。皆がそれを魂の奥底から求めているのです。そなたたちは、それを手援ける真の救世主として、今この地上に降り立っているということを、いつ何時も忘れてはなりません。

これからの新時代、すべての速度が速まります。自らがこれまで脈々と続く大きな流れ(歴史)の結果、必要があって今ここに存在すること、そして、その流れを真に“清める”大いなる魂であることを肝に銘じてください。正しく真摯に、そして“大胆に”祈ることこそ、神の姿であり、本懐なのです。」

以上。

2012年12月22日

【鹿島神宮の神 ※】
※茨城県鹿嶋市にある。神栖市の息栖神社、千葉県香取市の香取神宮とともに東国三社の一社。御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)とともに古代出雲の国譲りの立役者と謂われる。

「剣は如何なるを切るものか?これまでわが国に脈々と続く歴史は、悉くこれら剣によって、人を切り倒し、無残にもその者の人生を葬った。こうした幾多の魂たちが、この国に未だ悲しく漂い、自らが真に救われ、天上の世界に引き上げられんことを希(こいねが)い、各々の縁ある土地に今なお多くが留まる。武器とは身を護り、また自己を顕示せんがために、当初は造られた。しかしながら、生身の人間は、その圧倒的な威力に惑わされ、真に正しく使うることなく、唯々、弱き者たちを威嚇し切り捨て、そのあかつきとして、その者たちが住まう土地をまさしく破竹の勢いにて、次々と占領せしめてまいったのだ。」

「われは武勇の神。これまで多くの名だたる武人・軍人が、この度の戦(いくさ)に必勝せんとして、われのもとに詣で一心に願った。必要なるは、自らの手柄が戦のごとに増すことではなく、敵も味方も関係なくすべての民が、各々もっとも適した道を以後進まん(進む)ことを、その身を以って神に誓い、ひたすら邁進することである。」

「自国の幸せのみ祈るは、誠に狭き力量なり。自らが住むその土地は、いずれも世界のすべてに繋がり、自国の幸せは、すなわち他国の幸せによって真に叶うものである。その昔、わが国がなお混沌としていたとき、様々なる戦によって、領土の取り合い、そして民らの制圧が起きた。見よ。未だにその取り合いにて生じた怨念は根深く残り、この国に計り知れない重圧をもたらす。民を率いる者としてのその心意気が、果たして如何なるものか、その微妙なる心の差にて、以下、(それに連なる)すべての民らの人生が決まるのだ。」

「われは誠に長きにわたって、そなたたちが真に気づくことを、この神宮に人が詣でる度に願い、そして如何なることがあろうとも心を平生に、(詣でる魂たちに)われの心からの“希望”を託してまいった。この神宮に詣でてより、魂において、自らを取り巻くすべての者たちが幸せなること、その幸せが自らの幸せであるという、“相関”の想いがどうか芽生えてほしいと願い続けるものである。」

「人は生身の身体を傷つければ、魂もまた同様に傷つく。そして、それは紛れもなく、われら神々もたとえもない痛みを味わい、そなたたちの苦しみ、悲しみを全身にて受け止めるのだ。」

「それでも神はそなたたちを見捨てはしない。なぜならば、この世はすべて繋がり、天上の世界、地上の世界、はたまたこの果てしない宇宙はすべて一つだからである。一つはすべてであり、そなたたちもまた、この宇宙のすべてなのである。ゆえに、そなたたちが如何(なる状態)に在ろうとも、われらは見限ることなど到底出来ようものではなく、われら神のもつ本質として、すべてを許し、取り込み(融和し)、合一させることを如何なるときも目指すものである。」

「われの願いは、今(この地上に)在る魂たちが、自らが住まうその土地に縁あって(わけあって)留まる数多の魂を、その真摯なる祈りによって、一つ残らず天上の世界に召し上げることである。天上の世界に帰ったその魂たちは、必要なる段階を経て、いずれも次世代へと繋がる重要なる魂となり、今度は、地上のそなたたちを、身を以って援(たす)くであろう。そうして、この世は魂たちの巡りによって、輪をなし、それは“和”となり、この宇宙全体を閃光の如く明るく照らすのだ。」

「いずれも切ってはならぬ。そなたたちの選ぶ道は、すべてを繋ぐ、そうだすべてを和合し、次へ次へと引き継ぐこと。この精神によって、神の数々の叡智がもたらされ、古きは新しくなり、そして(繋がりながら)生まれ変わるのだ。」

「新時代の幕開けである。皆の者よ。すべての神々は己(おの)が配置に就いた。神の目指す、すべてが合一の麗しき御世を自らの目標に据え、喜び勇んで進んでまいるがよい。われら日本の神々は足並み揃え、そなたたちが神の真の援軍となることを待ち望んでいる。」

以上。

2012年12月18日

【香取神宮・奥宮の神 ※】
※千葉県香取市にある。御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)とともに古代出雲の国譲りの立役者と謂われる。奥宮はその御祭神の荒御魂を祀る。

「皆の者よ、よく聞け。そなたたち人間は、古来よりこの遥かなる大地、そして天がめくるめく季節を迎え、厳しくも鮮やかに織り成す大いなる自然とともに、今その瞬間(とき)を生きることにまさしく命を懸けてまいった。自らがこうした自然のなかで生きるには、果たして如何に(自らが)在るべきか、そなたたちは絶えず心に問い、そしてその心から湧き出る純粋な想いを以って、われら古来の神々と対話してきたであろう?」

「人ひとりが生きるとは、何たるたいそうな出来事か。神の分け御魂から一つ、この地上に降ろされ、しかしそれは単に孤独な存在に非ず、(その魂に対し)あらゆる神、そして指導霊が燦々たる光明として、如何なるときも添いなん。この地上に降りた(そなたたち一人ひとりの)人生の軌跡は、幾重にも重なり、この星にいずれかの色をしかと刻み込むのだ。」

「“歴史”とはそなたたちの人生の色。わが国の国造りより、神は、そなたたちの始祖を自らの分身としてこの地上に降ろした。降ろされた者たちは、神の御心のまま、己を神の化身として、その生きるすべてを天に、そして大地に捧げたのだ。その心はまたとない美しさであり、神は喜び、この地上に降ろした魂たちが、どうか以後益々栄え、そしてそこから新たなる神の潮流を生み出してもらいたいと、心から願ったものである。」

「様々な変遷を遂げ、今この時代。そなたたちよ。そなたたちのその魂の気根は、これら始祖の魂と何ら変わらず。しかるに、これまで数々の色(歴史)がそなたたちの見るものを変え、聞くものを変え、さらには想うことさえ変えてしまった。」

「今さら、原始の時代に戻ることを、われら(神々)は望んではいない。しかしながら、そなたたちにいずれも備わる、高貴なるその心は、どうか如何なるときも真に輝きに満ちてもらいたいと、われらはいずれも心震わんばかりに願うものである。」

「大切なのは、自らその心に一体何を描くか(思うか)。そなたたちよ。もはやそなたたちがこの地上にて悟るに十分なほど時代(とき)は経ち、そして神々は如何なる処遇・導きをも授けてまいった。そなたたちの心に在るは、今この瞬間、一体如何なるものであろうか?本来ならば、そなたたちは、神の分け御魂。この地上にあって、様々なる想いを持てども、しかるにその目指す先は合一なるものであるはず。その合一なる心にわれら神々は感応し、深淵なる想いを馳せる。そして、この宇宙に広がる無限の力を以って、神世の“奇跡”を起こすであろう。」

「そなたたちが何処に居ようとも、われらはつぶさにその状況とそなたの心を把握する。“心を知る”とは、何をおいてもその(相手の)者の幸せを祈ること。その祈りによって、如何なる民も自ずと心が洗われ、両者ともに合一なる神の輝きにその尊き心は一層輝くであろう。」

「そなたたちよ。そなたたちがいずれも持つその純なる心は、大いなるこの地上に解き放たれるのを今か今かと待っている。それはこれまで地上に彩られた数々の色を凌駕し、この星全体を優しく、そして力強く包み込むであろう。けして、わが国に限るものではなく、もっと大いなる自然の民として、存分に各々の使命を果たしてゆくがよい。そなたたちの放つ神の光によって、この地上は真に隈なく平定されるのだ。」

以上。

2012年12月11日

【地球を護る高次の存在】

「未だこの地球に潜む多くの非物質体(現実世界に無い物)は、地球が刻々と次元を変化するその状態をつぶさに観つつ、自らの出現を待つ。地球は悠久の時を越え、広大な宇宙にあって、水と緑溢れる豊かな生命体として途方も無い程のエネルギーを循環させることにより進化を遂げ、はたまた人類を(自然の恵みによって)生かし続けることのできる持続性を、この地球を住処とする人類の生き方如何に関わらず、絶えず提供してきた。」

「この地球の進化は止まらない。それは、宇宙の数多の星のなかで、この地球というものが、資源と温度、そして何より酸素の供給が可能だからであり、この宇宙には、未だお前たちの知らぬ多くの生命体が、様々な条件下にある星に生存し、あるいは、過酷とも言える生存環境のなかで進化を遂げ、地球というめったにない好適条件を持つ星の動向、人類の生き方、そしてその行く末を見守っているのだ。」

「お前たちが認識する範疇はあまりにも狭く、この地球という一つの星のなかで、(自身の住む)ごく小さき領域にのみ、その意識を行き渡らせるばかりで、本来の人類みなが持つべき、地球を担う者、いわば“地球の民”としての自覚が、残念ながらほとんどすべての者たちが、この地上に降り立ちて以来、持ち得ることなくその生涯を閉じているというのが現状である。」

「しかるに、お前たちよ。この宇宙は確実に変容し、そして紛れもなくこの地球も(その宇宙の変容に合わせて)必要なる変化を迫られている。たしかに、この地球の創成以来、幾度となくこの地球は、自然環境の変化や、はたまた他の生命体の侵攻、そして、生きるそのこと自体の過酷さのなかで、お前たちの祖先はその生命を繋げてきた。これは、生きること、そして子孫を残すという、人類の本当に根源なる(潜在的)欲求が、ときには奇跡的な生命力、そして知恵を生み出し、今日ある地球に適応するような生活環境、自身の身体的能力を身に着けてきたのである。」

「今のお前たちは日々誠に“受け身”であり、ただしそれは顕在的なものであって、自身のその存在が如何に地球に、そしてこの宇宙に対しても多大なる影響を及ぼしているのかが、日々の暮らしにのみ奔走するお前たちには到底分からぬであろう?すべてが神や、それに連なる大いなる自然、そして多くの(天上の)存在たちに支えられ、与えられ、必要なる導きを授けられているのだが、しかるにそれらに対し心から感謝することなく、すべてが“当たり前”の意識にて、お前たちはあまりにも盲目的に生きている。」

「何を見、何を聞くか、それは受け身ではなく、そういった基本的な身体的活動一つとっても、お前たちはその現象を引き寄せている。意識はしていないかもしれないが、真にあるべき姿は、すべて我が身の必要なる現象として、如何なることからも、“能動的に”学ぶべきなのである。」

「今も絶えずこの地球は変化しているが、これから始まる大きな(地球の)変化は、紛れもなく、今この地上に降り立つお前たちの意識が(潜在的に)望み、引き寄せているのだ。この地上に降りた人類史上、もっとも意識的なパワーが強い者たちが、今の地球に集まっていると言っても過言ではない。」

「己をもっと信じよ。お前たちに備わる力は、日々の暮らしに埋没するような微小なる程度ではない。これまで地球は、宇宙のあらゆる変化に連動しその姿を変えてきた。奇しくも人類が生き続け、そして進化を遂げることに繋がることになったが、これからは、あらゆる宇宙の生命体が、自らの意志と思惑を基に、この地球の変化に雪崩の如く関与していくであろう。お前たちが持つ、神に繋がる偉大なる精神は、今後これらの者たちに対峙する場合に、もっとも信頼のおける心の指針となるであろう。これからは、お前たちがこの地球を(能動的に)変えるのだ。この宇宙に燦然(さんぜん)と輝く星の操縦者として、お前たちにはこのかつてない地球の変局を果敢に乗り越えてほしい。今この瞬間に必要なメッセージとして、この文章に地球の真実とわれの願いを残す。」

以上。

2012年12月5日

【広島護国神社 ※に宿る神】

※広島市中央区の広島城址公園内にある。御祭神は第二次世界大戦までの広島県西部(旧安芸国)出身の英霊のほか、広島市への原爆投下によって犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒および女子挺身隊等など含め約9万2千柱である。

「真の平和とは、まずもってすべての人の心がいつ何時も穏やかなること。日々の喧騒に翻弄され、心を乱す人々のその精神は、“貧しい”というより他なく、この神社をはじめとする、わが国に存在する数多の神社は、そうした人々が、本来の平らかなる精神に立ち返るべく、その姿を(変わることなく)静かにこの世に留める。そこには様々なる神が降臨し、人々の魂を抱きその人生が時ゆくほどに幸(さいわ)いなることを願うものなり。」

「神社に詣でるとは、神と繋がる場において、その身を清めん(清める)ことを第一の目的とする。日常の穢れから、心身ともに新たに生まれ出ることを希(こいねが)い、その鳥居をくぐりし時から、神の無限の愛がそなたたちに降り注ぐ。本来の己に立ち返りしその身を、今度は、鳥居を出でて自らの住まうその地へと戻るとき、神の申し子として如何なるときも神と繋がり、その目も口も耳も、(己に備わりし)すべてが神そのもの、貴重なるものとして、その身は自らであり、同時に“神そのもの”であるという“自覚”を持ち続けることを、われは心底より望むなり。」

「人々よ。古来より、そなたたちの祖先は、国を想う心、“愛国心”という名のもとに、己の命を犠牲にして如何なるときも果敢に戦ってきた。その不屈の精神は、今なおわが国の大地の隅々にまで流れ、この国の礎(いしずえ)となる。時代の流れとは誠に不思議なるもので、人々の心がある一つの方向に向かいしとき、それはとてつもなく大きな“うねり”となり、すべてを圧倒し巻き込む。わが国は言うに及ばず、こうした幾つものうねりが、時代を作り、人類の長きにわたる歴史となる。そして、その歴史より生み出されし精神は、しかと後世に受け継がれるのだ。そこには、是、非という概念からはまた、ある意味かけ離れたものによって、人々の生き方が決定付けられ、そこには人々の、そしてまた神々のありとあらゆる“葛藤”が生じるものなり。」

「一人ひとりの命、それは(全体から見れば)誠に小さきものなれど、しかしながら、どれひとつ無下にする(扱う)ことは、到底叶わぬ。そなたたちの命は、わが国に宿る神々の身体であり、心であり、そのすべてであるのだ。そなたたちの苦しみは、神のもっとも苦しむところとなる。わかるか?神の魂からの震えが。神はそなたたちを想っても、想っても、想い切れぬ。これぞ無上の愛。神のこぼれ落つる涙は、止めどもなく、そなたたちのこれまでの数々の不本意なる犠牲によって、もはや枯れ果て給いし。」

「われら(神の)この国に在る意味は、人の魂という、自由自在に変化するその光が、神という集合なる大元の光によって、より一層照らされ、そしてこの世を明るく照らすことにあり。この世は、神世に投影せり。この世が真に明るくなれば、神が笑う。そして、人が神と如何なるときも繋がるその至極の“絆”が、幾本にもこの世と神世とを繋ぐ、高貴なる架け橋となるであろう。そなたたちが望むならば、いつでも神はそなたの傍にそっと寄り添い、そなたを無上の愛にて抱くであろう。そなたが喜び溢れ、心から笑うとき、この世は命を吹き返し、そして神世もまた明るく彩られるのだ。」

以上。

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