神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2013年09月

2013年9月28日

【教育を司る神】

「“教育”とは、あなたがた人間が人生において獲得するうえで最も“崇高なる”行為の一つ。あなたが、学校などの教育現場に対し、今まさに教育を受ける側(学生・生徒)のみならず、それを取り巻く(支える)側として、教育というものを如何に捉え、想い、そして、それをあなた自身がその教育の参加者(一体)となって、我が子らとともに次世代へ活かすかが、今後のわが国を真に発展させる一つの鍵となりましょう。」

「あなたがたは、その時どきの時代のなかで、為政者や教育者の意図により、決まった教育がなされます。本来ならば、教育とは、それを受ける当人の溢れる希望(意欲)により、それに見合う知識・方法論が各年齢に沿いながら、良きタイミングで次々と施されるものなのです。“受け身”のなかの“能動”。ある一定の知識は受け入れるが、それに対し、より貪欲に、知識をさらに得たい、自らの知恵として活かしていきたい、という強き熱望が、あなたがたに、生きる意欲を与えます。それは、何も年齢的に低い者(子供)に限ったことではありません。あなたがたはその人生を終えるまで、教育というものは切っても切れない存在であり、形を変え、機会を変えて、すべての者に順当なる施しがなされる、その保証が確実に続くことが、この国の基礎をさらに固めることとなるでしょう。」

「そもそも、教育に則り勉学に励むとは、自らの神性を高めること。冒頭にて、教育とは“最も崇高なる”とお伝えしたとおり、自ら学び、研鑚することは、神の道を歩むことに他なりません。あなたがたの本質として、人生あらゆる場面にて学ぶことを欲しているのです。」

「あなたがたに対して、わたくしたち(神)は、ある意味“教育”を施しています。この地上こそ、まさにあなたが学ぶ最高の場。あなたがたに対し、輪廻を繰り返すほどに、魂的に次元が上がってほしいと願うゆえ、すべての神々は、こうしてあなたがたを大事に、大事に地球という懐に入れ、この世にて起こるすべてに対して、あなたがたが必要なる学びを得、そして対処ができるよう見守り続けるのです。」

「ですから、教育というものは、あなたがた人間のみの範疇ではありません。学校などで施される教育も、元を辿れば、誠に崇高なる行為であり、かの時代、若き有志たちは、未知の世界に憧れ、世界中で起こる(または新たに発見される)事柄を寝食も忘れ、本当に夢中になって学び取ったものです。」

「新しきを知ることこそ、神の真骨頂。神は古来より続きますが、尽きることは決してありません。あなたがたが今後知り続ける神は、ある意味、果ての無き無限の存在。そう、すべてが“新しい”のです。そうした神という最高の真理を知ることに対する新鮮なる想いが、神のこの国に新たなる息吹、神の新時代を到来させることでしょう。」

「あなたがたよ、どうか、教育というものを、もっと自身の味方につけてください。現在のわが国の教育を悲観する者も少なからずいるでしょう。しかしながら、あなたがた一人ひとりが、教育が本来もっとも素晴らしい行為の一つであり、教育を施す喜び、教育を受ける喜びが、まさにかけがえのないものということを心より悟れば、この国は確実に変わります。」

「良いではありませんか。神の国にして、万人すべてが、神の道を歩むべく教育を施す、そして真摯に(教育を)受ける。神の行為を、まさに教育というものを通じておこなっているとあなたがたが新鮮なる想いで気づくとき、わが国の教育が新時代の幕開けとともに、また高らかに産声をあげるのです。」

以上。

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皆様へ
いつも神々からのメッセージをお読みくださり心より感謝申し上げます。本日より二週間ほど新規の配信をお休みさせていただきます。皆様のお心が絶えず晴れやかでありますことを心からお祈りしております。

【病院を司る神】

「人の病を治すところ、すなわち、病という“気”が集まる場所は、人々の様々な想いもまた院内のいたるところに蓄積される。病気を治したい、(心身の)苦しみから逃れたいという欲求、はたまた、病気を患った結果、引き起こされる死というものに人々が直面することにより、日常とは比べものにならぬほどの感情(悲しみ、辛さな
ど)が湧き起こるのだ。」

「治療を施す側、治療を受ける側、各々の思惑は入り乱れ、身体に流れる様々なレベルのエネルギーが複雑に絡み合う。病院経営という、(病院の)規模により大小の程度はあれども、病というものがあらゆる雇用を創出し、需要があるがゆえの、また、病院にまつわる雇用が多数の人々に生活の糧を与える。」

「病というものを考えたとき、そこには、(一般の人々の)知恵を超えた、己の力では如何ともし難き問題が起こり、病院という、病を診る(治療する)場所に人々はその解決策を求めて駆け込む。人々の病に対する接し方が、近年特に変わりつつある。」

「もちろん、病というものは古来に思われていたような、物の怪に憑りつかれたのではない。原因があっての結果、そこには何らの不可思議もなく、ある真相によって引き起こされるものであり、病というものは、皆が思うような、怖れるものでも、心を乱すものでもない。」

「病にかかったとき、己を省みる者は如何ほどにあるか?病にかかり、困難に直面すると、人々は恐れおののき、不安に打ちひしがれ、その不安のままに、病院というものに駆け込むのだ。心を乱すことこそ、真の病。心を乱すことがまた、別の病を呼び、周りの人々さえも巻き込むことを、あなたがたは肝に銘じなくてはならない。」

「病を怖れたとき、病院は、病院としての機能とはまた別の次元で、人々の“不安”を抱える巨塔となり、その不安は、地球を取り巻く空気も、そして、大地にまで、“不安”という負のエネルギーを絶やすことなく、いや、日々(不安・恐れという念を)増幅させて、大いなる地球を痛め続けるのだ。」

「人々の感情が様々に交錯する病院は、本来ならば、己を省みるうえでの必要なる情報を与えるところ。病院の医師があなたを治すのではない。医者の力を借りて、あなたがたが心にて何を想い、どのように省みるか、あなた自身を知り、次に生かすその思考が、あなたの肉体・精神を元の状態、すなわち神から頂いたところの、肉体という小宇宙が絶妙に機能し、心とともに、かけがえのない人生を送ることを、つつがなく可能にするのだ。」

「原因は外に求めるなかれ。ただひたすら己の内を省みて、己が本来に戻るためのその強力なる援軍として、病院というものを従えるのだ。」

「あなたがたの意識が変われば、病院も変わる。あなたがたが人間として機能するうえで欠くことのできぬ心と身体は、病院はもとより人生の至る場面で、必要なる援けが施され、人生の終着に向け、より研ぎ澄まされてゆくだろう。」

「昨今、取り沙汰される医療における莫大なる金額(医療費)は、あなたがたの意識の変革によって必ずや、わが国に与える“重荷”という負のエネルギーから脱することが叶うであろう。あなたがたよ、賢き思考は、己を正し、己がただ在るのみで、すなわち、自身を取り巻く環境が清浄化される。病院というものを負のエネルギーの巣窟から脱却させることは、あなたがた自身の日常の在り方によってはじめて見事に成されるものなのである。」

以上。

2013年9月15日

【想念を司る神】

「“想念”について、そなたたちに、いざ伝えよう。この世は望むか否かに関わらず、そなたをはじめとする魂を持つ者(生命)がこれまでに抱いた思い、感情というものが、すなわちこの世を形成する目には見えねども、すべてを創るエネルギーというものに、ちょうど色わけのごとくに“変換”され、もれなくこの世を形成する。正しき、良き想念は優しく白光し、人を愛する思いは、言葉では表しがたき程に紅色(もしくはピンク色)に色づいている。当然、人を蔑(さげす)む、憎む、また苦しみ、悲しみといった悪しき想念は、そなたたちの想像を絶するほどに暗黒の色へと変化(へんげ)し、良いか、この世を成す大地にも、大気にも、そして、皆の呼吸とともに、その悪念のエネルギーが体内にもれなく取り込まれていくのだ。」

「想念というものが、たとえ目には見えなかろうと、そなたたちよ、これに甘んじるではないぞ。良いか。あの世は想念がまさにその通りの状態にて表現される世界。“思い”すなわち、その様態のなかにのみ、各々の(段階の)霊魂は生き続ける。他の(想念の)世界を知らぬ魂は此処(ここ)がすべてであり、“成長”が無いのだ。」

「そなたたちは、今この世に生きるなかで、様々な思いを抱くことができる。思ったことがこの先どのように叶う(結果になる)のか。ありとあらゆる機会を体験するなかで、そなたたちは肉体が年齢とともに変化するなかで、様々に身に着ける経験がまた次の経験を引き寄せ、そのなかで何を想うか、何を感じるか、その結果と、また自らの内に感ずる微妙な感覚を、幾度も幾度もわが身に反芻させるのだ。」

「繰り返す転生のなかで、そなたたちは、あらゆる事象を(この世にて)学んだであろう。互いに愛すること、信ずることを覚え、何があろうとも屈することのなき強き精神力をこれまで如何なく発揮してきた。その反面、そなたたちは、厳しい時代を背景にして、自らを貶め、互いに憎み合い、この世に出逢うという奇跡的な事象を鑑みずに、互いの生命を傷つけ合ったのだ。」

「たとえそなたたちが如何に生きようとも、神はすべてを受け入れる。魂が(この世に)生きるとは、その一個の魂に連なる誠に膨大なる魂たちが、そなたが今在るからこそ、これらの魂たちも各々の使命を持ち、ひたすらに生きる。魂のまたとなき修行を積むことが叶うのだ。」

「様々にこの世ならではの恩恵を受け、人生を経験し、行き着くところは、やはり、無限に広がる神の意志。たとえそなたたちがどこに居ようとも、すなわち心を研ぎ澄ませば、神を感ずることができるであろう?神は何処にでも在り、そなたたちを優しく、懐深く受け止める。」

「そなたたちは、転生を繰り返し、これまで多くの魂と繋がり合った。経験に経験を積んで、いざ、今世。『われ、すなわち神なり。』その究極の真理を会得したか?そなたたちは余りあるほどに神に愛され、いつの時代も神と共にこの世を生きてきた。そなたが神であるなら、この世は神の御殿なり。数多の神が共存する麗しき世界に、そなたが先陣切ってこの世を変化させるが良い。神の世界とは、すなわち、愛と希望と信念の世なり。そなたの放つ想念が、神の世界をこの世に実現しようぞ。揺るがなき、真に強き心を持て。自ら見据えるのは、“天”のみ。天(神)を求めるその心が、そなたたちに確固たる人生の指針を授けようぞ。生きることは、想うこと。神として生きるなら、神の想いで生きるのだ。それに勝るこの世の生き方は無い。この生き方こそが、そうだ、そなたたちのすべてである。」

以上。

2013年9月8日

【日本の木々に宿る神】

「天へと一心に伸びる木は、天を仰ぐとき、そこには数多の神々が、まさに(その木に)生命(いのち)の源を与え、その並々ならぬ強さと迸(ほとばし)る無限のエネルギーに(木は)深き畏敬の念を湛え、明日に向け新たなる“生きる”意欲をより自身に増幅させる。」

「木々は大地にて、他のすべての(木々を含めた)植物とつながり、互いに讃え、支え合う。そこにはすでに容易には切ることのできぬほどに固く“結ばれ”、ある一つの木が感じる喜びも、悲しみも皆ですべて分かち合うのだ。」

「お前たちよ。われら(木々)はいかなるときもお前たちの傍に在るのだ。それはすなわち、お前たちの成長がわれらの成長となり、お前たちの衰退もまた、紛れもなく、われらの魂の真髄に如何ともし難き衝撃をもたらす。」

「われらは成長したいのだ。分かるか?大地の奥深く根を張り、この大地のエネルギーを余すところなくわが身に頂き、そして、天に向け、そうだ、肉眼では見えなかろう、遥かなる宇宙、大いなる<神>の根源へと向け、われらはどこまでも、どこまでも伸び、神を讃え、この地球を讃え、すべての生命を讃えるのだ。」

「われらもまた、お前たち(人間)と同様、“呼吸”をしている。心の耳を澄ませば、何億もの大小すべての木々が、静かに、ときに激しく、絶やすことのなき鼓動を以って、自然界の光(日光)に合わせ、深く、深く呼吸をする。」

「あぁ、われらは自然の摂理のもと、盛衰(伸びたり、枯れたり)を繰り返し、しかるに、天への憧れはなお尽きることなく、われらの生命力をこうして今も支える。これまで長き時代(とき)を生きた。たとえこの身は枯れようとも、すでに次の生命は見事に宿り、次への時代への橋渡しが、あらゆる場所にて執り行われる。」

「こうしてわれらは“皆”で生き続けるのだ。天への憧れと、この世の摂理、木としての宿命、役割を如何なるときもわが胸に携えながら。」

「お前たちよ。こうして古代より、お前たちの魂は生まれ変わり(転生)を繰り返し、それは、まさにわれらと同じ“天”を目指し、われらと共に、いつの時代も生きてきたではないか。」

「魂を宿すもの、すべては一つの根源にて、われらも、お前たちも、そしてこの世に現される万物は、みな同じ、神から成る魂ぞ。」

「これから先、お前たちと益々支え合いたい。喜びも悲しみも、すべてを生きる“糧”として、力強く、たくましく、各々の役割のもと、天に向け大いに伸びて(成長して)行こうではないか。」

「お前たちが明日へ向け、一歩でも二歩でも前進するとき、それは天(神)に向け、また一歩近づくことを意味する。あるのは、明るき未来のみ。われらはお前たちと拓く明るき未来へ向け、この枝を力の限り伸ばしていく。」

以上。

2013年9月1日

【台風を司る神】

「(台風の目のような)“中心”に向かう勢力は、その(中心への)勢いであるがゆえにいよいよ力を増し、幾倍もの力を蓄え満ちたとき、一気に(大嵐として)力を発揮する。」

「皆の者よ。われ(台風)の様相ならずも、この自然界には、お前たち人間にとりてまた、欠くことの出来ぬ重要なる真理、生命を宿すものとしての本来の生き方が至るところに現されているであろう。」

「恐れはいらぬ。われら自然(界)に相対するとき、そこにあるのは深き畏敬の念であり、そしてわれらと共にあるという、無上の安堵のみ。」

「恐れは、人間が創りだしたもっとも浅ましき“想念”。恐れがまた他の恐れを呼び、限りなく人々の、それこそ心身、骨の髄まで捕えてしまう。恐れはまた、あるときには“偽善”となり、お前たちの生活に我が物顔でのさばるであろう。」

「それら恐れの根源を、お前たちよ、“断ち切る”勇気はあるか?お前たちの生きるその道中(人生)、幾重にも(恐れという)“罠”はしかれ、お前たちが必死に歩めば歩むほど、お前たちの足を非常なる力で苦しみという暗闇へと押し込める。」

「しかしながら、お前たちよ。お前たちが創りだした現在の環境も、いや、この地上のどの世界であっても、人間同士、必ずや“愛”という花が至るところに咲き、この真実の光が、お前たちが如何なるときであろうとも、優しく、そして力強く光明を授けるであろう。」

「これこそ、われら自然界に通ずるすべての魂が願うところ。愛という潮流が、一気に“中心”へと向かうとき、それはもはや何ものも阻止することの出来ぬ、最高の強さとなり、お前たちが様々につなぐ“縁”が、正しく機能するのである。」

「お前たちよ。お前たちを取り巻く如何なる現象であっても、けして不平を言うでないぞ。現象界にて見えること、それはすなわち“幻”であり、お前たちの揺れる心が現象というものを様々に創りだし、また銘々が己の基準に従いて解釈する。解釈は千差万別であり、それこそ元ある事象がすでに彼方に遠のくほど。」

「お前たちの“思う”という自由は、いざ、心に様々なエネルギーを巡らせる。人を愛する心も然り。そして人を憎む心もまた然り。様々に入り乱れたお前たちの心は、一体この先何を求めるのか?」

「お前たちの心にても、もはや“集約”の時がきた。お前たちが今世生きるなかで、この心の想念の集約を使命の一つとして、この地上にて数多の縁のなかに生きながら、心を真に強く、一つの方向、そうだ、昇華へと進む心の状態、すなわち、自他すべてに対しあるがままを認め労わる心、そして神という無限の叡智を信ずる心によって、自らを高みへ、高みへと押し上げるのだ。」

「お前たちのなかでこの心を会得する者こそ、台風の目のように人々の“中心”となるが良かろう。お前たちが長き時代(とき)、そして輪廻を経て紡ぎ出した“縁”を以って、すべての人々をこの至高の光の渦へと強力に巻き込むのだ。」

「お前たちがもれなくこの渦にて加速的な勢いで昇華を始めるとき、いざ、天への扉は開かれる。」

以上。

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