神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2016年02月

2016年2月28日

「魂とは、たった一つであろうと、すでにその光は“宇宙大”にして、神が発する息吹と何ら変わらず、宇宙にあって、万物を組成する欠かせぬ要素なり。」

「その確たる(一つの)魂とは、大いなる“光”。それは他と比べるべくもなく、神が、この地球が、そのたった一つの魂が在ることで、しかるべく息吹を回転させるのだ。」

「魂をじっくりと観てみるがよい。魂は自ずと輝き、その魂の在るがゆえに、その息吹に似通うまた別の光、縁深き同胞の魂が、周りに漂い、嬉々として光を放ち、さらなる縁を呼ぶではないか。

魂とは、ただ一個の魂が在ることで、それにちなむ(縁ある)魂が、他ではない、“その”魂にこそ共鳴し、無上の安堵を得られるのだ。」

「そうして、現実世界において肉体を(まと)魂を内にたずさえた人間というものが、数々現象を経て、それによ現象さらなる学びを得るものなのである。

「たった一個の魂は、もうすでに立派に輝く。そこには何らの頼りも要さず(必要とせず)、すくと“立つ”と表せば(表現すれば)良いだろうか。いずれの魂もすでに神の如く立派に輝き、美しさをたずさえ、他の追随をも許さぬほど。」

「しかるに、そなたよ。魂とは、その一方で、互いに“引き合う”という、原理をもつ。引き合った魂は、各々独自に培ったエネルギーを、見事なまでに“交流”させる。

そして、引き寄せ、合わさった力がより高いものを生み出すということを、魂というものは、自らのもっとも根本なる動きのなかに備えている。」

「だからこそ、この世に在る魂は何一つ(誰一人)として、けして欠けてはならぬ。肉体の生命途切れるその瞬間(とき)まで、そなたは、この世に在り続けねばならぬのだ。


「たとえ老い、あるいは病みて、その身は寿命を迎えるばかりに床に伏すといえども、その者が今、この地上に在ることが、目に見えぬ存在でさえも、その魂と“命”のやり取りをするのである。

命とは、その魂がこれまでに培った“すべて”。その者が成した事、学び、そして心に描いた想い。そしてまた、その命とは、遠く遥か以前の人類の記憶、先人たちが築きし歴史をも引き継ぎ、その床に伏す魂は、自らにしっかりとたずさえている。」

「天が示す寿命の終わり(=昇天)がいつの瞬間(とき)か、ついにやって来たならばそなたは、果たして自らの心何を想うか。

「赤子として生を受けた瞬間より、そなたの人生はまた一つ“回転”を始めた。この地上ならではの環境、そして生まれ育つ場の状況により、そなたは喜びも悲しみも、あらゆるものを享受し、学び多き日々を過ごしてきたはずである。

人生を進むごとに、思いもせぬ出来事、人との出会い、そして、己の力で成せること(また、成せぬこと)を、身をもって体験したのだ。」

「そなたの人生の回転が、また別の(魂の)回転を呼び、あたかも“歯車”が回るごとくに、この世は確実に展開する。」

「しかるに、そなたのこの世での人生は、いつかは終わる。天が定め、それすらもまた、そなたに繋がる、あるいは以後続く他の魂にもっとも望ましき時という、天の“英断”なのである。」

「そなたの、天に(こいねが)地上のこの場環境・家族に降りたいという宣言、この世何があろうと生き通すという覚悟この者ならばという、希望の光て、そなたに縁在る霊たちの(まばゆ)ほど祝福―――。

魂が一つこの世に降りる、いずれも欠けてはならぬ。いや、すべての想いが揃う暁に、そなたは神の御胸に抱かれ、精一杯この世に降ろされるのだ。」

「そなたが今この地上に在ることは、この世の“奇跡”。それがまた、宇宙全土の計り知れぬ“可能性”という、大いなる“回転”を生み出す。なぜならば、そなたはすでにわれら神と同様、その内にたずさえる光は、宇宙をも凌ぐのだから。」




皆様、2013年5月18日に公開した記事を再度UPさせていただきます。

***
「もはや時間の猶予はなく、ここ(日本)に納められた(降ろされた)すべての魂たちは、今後の日本、そして世界の行方を左右する、いわば最終的な“舵取り”として、この地上に今あることを自覚しなさい。」

「この国が神の国であるからこそ、世界の国々はこの国に“注目”を集める。それは様々な意味合いを含み、為政者から一般の庶民に至るまで、日本がもつ特有の強み、そうだ、精神的な強さ、清らかさをまさに“神の国の民”ならではのものとして認識し、いわば脅威に感じている。

世界中が注目するこの国にある魂たちは、自らが如何に尊く、そして使命を持った魂であるかをもっと自覚せねばならず、諸外国のこうした様々な思惑やそなたたちに発する想いに対し、それに反発することなく、むしろ“包み込む心”をいつ何時も持たねばならぬのだ。」

「恐れることはない。心を乱すことはない。世界あっての日本。そしてこの日本あっての世界であり、この構図は、まさに宇宙を治める大いなる神の御意思であり、その構図が崩されるとき、世界の終焉をも意味し、この世の終わりとなるであろう。」

「しかるに、そなたたちよ。こうしたすべての国、世界中すべての人々が、まさに見事なる配列のもとにこの地球上において生を受け、そしてその人生をもって、この地球に新たなる魂の軌跡を残す。

これは、神の御意思のもとに、そなたたちすべての魂に与えられた(許された)、神の(地球という“記録場”への)代筆であり、この地球上にそなたたちが如何に自らの人生を描くか、これこそ、そなたたちのもっとも重要な地球での役割であり、それ以外のものは、(究極的には)無かろう。」

「良いか。そなたたちよ。自らの目が(狭い意味でも、広範囲な意味でも。)外に向けられるとき、それはより一層、己を省みなければならないことを意味する。」

「自身が最高の“修行場”であり、己をもっとよく見る(知る)のだ。」

「この世に魂を産み落とすことは、神々の至上の喜び。如何なる魂もその貴重さ、重要さは僅かも変わらず、神々の愛という光をもって、一つひとつの魂がこの地上に神の計画のもとに降ろされている。」

「神の愛、そうだ、魂を包み込む愛という光で、地上のそなたたちが、この地上において他の魂を包み込むとき、それは地上が神の世、究極の光の世となること意味し、すべての魂の段階が一挙に上がるであろう。」

「時ゆくほどに見えてくるのは、人間のはかなさ、愚かさではない。良いか。時ゆくほどに見えてくるのは、人間が如何にすべての生命をもって生きる、まさにすべての生命が他のために愛を発し、“調和”したがゆえの賜物ということであり、そなたたちがまさに、神の愛の表現なのだ。」

「長き歴史を経て、究極的存在とも言えるそなたたちよ。そなたたちのあるところに真の光あれ。そなたたちの歩むところにすべての生命が奏でる愛の重奏、光の協和あれ。」

以上。


 

2016年2月14日

「"人間食することを怠れば、その者の人生は滅びる"―――。」
 
「ここで"食"に関する最たることを申し上げました。そなたたちへのわたくしからの言葉は、もはやその一言に尽きます。」
 
「一体誰が、これほどまでに、食に対して軽んじる思考を、この国の民に施したのでしょう?今ほど、食というものに対して、歪んだ感覚、慢心、あるいは食そのものに対して、生活のなかで重きを置かないことがあり得たでしょうか?」
 
「食とは、"天下の回りもの"―――。天とは"命"です。たった一粒の米さえも、命の"賜物"。食は幾つもの命の連鎖を経てこそ、ようやく地上に現された命の形態(=食物)。数えきれぬほどの命が互いに繋がり、関わり合い、またそれが新たなる命を紡ぎだしてゆく。その命の連鎖に連なるそなたたちもまた、食という命を介して、命を繋ぐのです。

神の大切なるそなたは、この世に在るすべての命にとりても、すなわち大切なる無二の存在。だからこそ、そなたたちはこれらの多くの命をその身にたずさえ、気力をいただき、今を、そして明日を生きていくのです。」
 
「それなのに、その日その日、たった一度きりしかないその時間(とき)を、そなたたちは魂の結びつき、命の繋がりさえ感じずに、無感覚のままに過ごすのですか?」
 
「そなたがこの世を生き、命をある限りに輝かせ、後世さらなる命を繋げていくがため、食というものは、そなたに命の繋がりそのものを与えるのです。」
 
「はっきりと申しましょう。ただ無感覚、無感動、やみくもに、今やそなたたちは、この世にただ"居座る"だけの存在なのです。」

「そなたが自身の日常を省みて、思い当たることは尽きぬでしょう?何のためにそなたは生きるか、そなたたちは、今こうした食という命の連鎖一つとっても、もはや確たる真実さえ導き出せないでいる。」

「神々のなかで、わたくしはせめて、これだけは、そなたたちに伝えねばならない。たとえ、神は愛そのものという、皆の感覚から外れてもやはり、わたくしは伝えねばならぬのです。」

「食(食物)が潤沢か否か、その多さ(少なさ)ばかりが、今やそなたたちが考え及ぶことなのでしょう。しかしながら、この地球上で、食の足りる国は、ほんの一握り。他の大勢は、その日食べるものも欠いている。」

「食が足りれば、無感動に、ただ口に運び、食欠くならば、やみくもに右往左往。食ひとつでさえ、巡り巡って、必要ありてこそ、そなたのもとにやってくることを、そなたは到底気づかぬではありませんか。」

「その食物一つひとつがかけがえのない"命"であり、そなたはそれらの命を繋いで、この世を生きる。命は重なり互いを生かし、ゆえに益々輝かせるものという想い、決意が、殊更にこの国の民に乏しいと、もはや申し上げざるを得ないのです。」

「食への心の在り方が、そなたたちの人生をいずれも決定づけることとなる。それがすなわち、食すること、食への感謝の心を怠るならば、その者の人生は、命繋ぎゆく息吹をすべて放棄し、ただ(この世に)居座るのみの、人生に通じていくものは一片も残されない、ということなのです。」

「食することによって、そなたは多くの(食物の)命と対話する。その食物を作り成す者たちとも、魂の次元で交流するのです。」

「けして目に見える存在だけではない、あらゆる命との繋がり合いは、そなたの魂の気づきを促し、この世を生きることへのさらなる意義を、そなたの前途に授けることでしょう。」

「食という命も、後世への希望を胸に力強く生きた先人たちも、そして、何より神が、そなたに、命の紡ぎ合いを通して学び、喜びのなかで生き続けてほしいと願っております。それが、わたくしたち神の、愛の示し方。だからこそ、そなたは一瞬一瞬を、多くの天=命を感じて益々輝き続けねばならぬのです。」



 

皆様、2014年5月11日に公開した記事を再度UPさせていただきます。

* * *
「わたくしには今も絶えることなく、あなたがたの命の鼓動が聞こえる。この地球にて育まれし幾億もの尊き魂は、限りなく無垢で、時にははしゃいでいます。健やかに眠る赤子のように静かに優しくその様相をたたえ、この命ある者たちが、どうか誰一つその御心を穢すことの無きよう、互いに愛のうちに各々がただ一つの人生をじっく
りと心安らかに過ごすことを、諸天の神々・指導霊に祈っております。」

「あなたがたにとって“栄えある”人生とは、一体どのようなものでしょうか?人間誰しもが暮らしとして楽な日々を送りたい。願わくば、経済的にも環境的にも恵まれ、欲しいと思うものは直ちに手に入り、そして明日に何ら不安もない。そういった、日々呼吸をし、食物を摂り、ただ自らの欲求の赴くままに、人は生きようとします。そのなかで、時には人生の困難に直面し、自らのこの世に在る意義を問うてゆく
のです。」

「人はもがき、それでも前を向いて生きるとき、そこに僅かばかりの光明〔希望〕を見出します。これを追い求めて人生は矢の如くに過ぎ、その人にとっての希望は、い
つしか越えなくてはならない壁となることもあるのです。」

「わたくしは言いたい。あなたがたの魂をこうして我が手にすくい抱くとき、どれも温かで美しく、何一つ汚れてはいない。この神々しき魂を、その無垢なままでこの世に一つひとつ丁寧に降ろし、光の網、そう、愛の網をこの地上にわたくしはしっかり
と繋ぎ合わせたいのです。」

「天使ガブリエルは、この地上について悲しげに言います。“なぜ地上の民はこれほ
ど互いを貶め、傷づけ合うのか?”と。」

「この地球は、<神の楽園>となるはずでした。天界の神の世そのままに、あなたがた魂を降ろし、神の政(まつりごと)、そして晴れやかなる神の宴を顕現する。しかしながら、人が人を傷つけ合い、縛り合う、ひいては深き縁で生まれ変わり、再び出会
いしその仲でさえも、双方悲しき結末を迎えてしまうのです。」

「神の創りし、この命あるものが生死を繰り返すという絶対的な仕組みは、これから先も変わることはないでしょう。互いに関係し、支え合って、一つの地球生命体を存続させてゆく。それであるなら、その仕組みを踏まえたこの世の現実は、あなたがたの心次第、気づき次第で如何ようにも本来の姿、そう、魂の次元からみた光の世に塗
り替えることが叶うはずなのです。」

「この世界を率いる強き魂、指導者はこれから必ずや必要となるでしょう。しかしながら、それは万人を統制すべく力で封じ込めるという意味ではけしてありません。誰しもが心に願う平和な理想郷へと、皆の価値観・思考が徐々に変化し、一定の方向を向く、その進むべき先にかくある大いなる指導者は先陣をきって天界の神々を迎え、
この世の終世と再生を高らかに宣言するのです。」

「それが地球の民全体としての、まさに“栄えある”人生なのです。この意味が分かるときが必ずや来ます。今後わたくしがメッセージとしてこの世に降臨する時、一つの啓示があなたがたに降ろされることとなるでしょう。」

以上。



2016年2月1日


「肉体にての“消滅”―――。すなわち、肉体に()りし魂が、地上役目再び天へと帰る。人は肉体を介して生まれては死に、は、この世を去りてまた何処(いずこ)かに生まれ落つるのだ

「“(いのち)”という(くく)りは、この世において如何(いか)なる広がりを見せたるか。草木にも命宿り、われらが鎮まるこの山々でさえ、命無きは何ひとつ無し。

命の協奏は、“生死”両極を
(はら)み、大いなる力を呼び覚ます。この世に見るを、を、そして水絶やさぬ海をもまた、長き年月創り成す。」

「肉体一つさえ、命の塊。そなたの身に収まる細胞たるや、沸き出でるがごとくに大いなる力をたたえ、巡りゆきてはやがて消滅し、新たなる細胞へと生まれ変わる。命の繋ぎ合いが、そなたの内(身体)にも(つつが)なく施され、そなたは今なおこの世を生きる。」

「“命”の生き死に。命とは、人間のもつ感覚の、“肉体”にかかる範疇なるか? いや、“目に見えぬもの”の生き死にを、そなたは、もはやそなたの心で感じ取り、そなたの人生に生かす時代(とき)がきた。

「想い、言葉、所作―――。そなたら人間が紡ぎ出す力の流れ―波動は、目には見えずとも、それらは“命”と同様、生きることも、また死ぬることもある。」

「生かす思い(言葉、所作)は、生命のもつ力に感応し、さらなる“生”を生み出だすであろう。少しまた少しと、内なる息吹が満たされ、その者の最も叶う瞬間(とき)、場場面にて、ついには煌々たる()の目をみることとなる。

しかるに、死する思いとは天の光仰ぐことを遮る封印。その波動を受けしに、返り咲くことかなわぬ
印籠(いんろう)こととなる。」

「そなたは、“生かす”魂か。それとも、“死せる”魂なるか―――。」

「神は、万物を生かし続けねばならぬ。“神生きる―神在り”、これこそが、そなたら魂の生きる意義。それがたとえ、目には“死せる”ものであろうと、その先には、“生きる”命が繋がりて、巡り巡りの果て、生命たちは息づき、ここに神々(こうごう)しき息吹途切流れ込むのだ。」

「端的なる思考は、端的なる人生を呼び入れるであろう。そなたは日常、表層の現れ(現象)のみに心を奪われ、落ち着かぬままにあれこれと動きまわる。そして、事あるごとに、幸せ不幸せという(端的なる)括りで、(人生を)天秤にかけるその愚かしさよ。

そなたは、その幸・不幸が心を埋め尽くし、殊更に短き(些細な)ことのみを日々思いあぐねるではないか。そなたはなぜ、今なお
暗雲(あんうん)の世を、光の拠り所なく、一人彷徨(さまよ)うのだ?」

「魂は滅さず、永遠なり。永遠に生きる魂ならば、そなたは、この世での命ある限り、何もかも“生かす”行いで生きねばならぬ。

そなたの身の内(=肉体)にとめどなく成される細胞の“生き死に”―再生―はそなたを支える。そして、生命の息吹たたえるその肉体を、いかなるときもそなた自らが己の魂にたずさえるのだ。

そなたの見るも、聞くも、そして五感にて味わうも、それが“命必ずや在るもの”として真に向き合い、そなたの心にて一つひとつ“生かす”ことこそ、そなたの地上に生きる、意義。」


 

このページのトップヘ