神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2016年04月

2016年4月29日

「日本がなぜ、これまで絶えることなく、天皇家というものを存続させたか、それは、この国に在るすべての民が、いつも“神”や“自然”といった存在と、身も心も近く在らん(在る)がため、国の肝心な部分、国民の中心に“天皇”を頂点とした天皇家というものを配したのです。」

「天皇をはじめとする皇室の皆々は、ただ単に皇族という括りでご自身の生き方を捉えているのではありません。生まれながらにして、自らは“国民の生活の延長線上”に在り、“日本国全体”としての自らの在るべき姿、成すべき行為というものを絶えず考え、皇族としての立ち位置を模索し続けるのです。

それはすでに、“私(わたくし)”を捨て去り、“公(おおやけ)”に生きる姿を意味し、清く生きること、ひいては、国民の平和を祈り続けることが、天皇家という血筋に縁を頂き、そしてこの世に生まれ出たその瞬間から、一生をかけ、各々皇族としての使命をまっとうしてゆくのです。」

「“祈る”とは、今や、皇室のまさに核心とも言える大切な役割。国民の想いを受け、その国民一人ひとりの人生の重み、大切な日々が、どうか幸せのみのものとなるよう、今を生きる人々、そして、過去この国に命を捧げた尊い先人たちの安らかなる眠りをも祈り続ける。

そしてまた、これより先に続くこの国の未来、人々の暮らしというものが、天の恵み、地の恵み、あらゆる自然の恩恵にあずかり、日ごと進みゆく文明に沿いつつ、人々の幸福と、何よりその心がいつも穏やかであり、縁ある人々と和し、恒久の平和の道を歩んでほしい、その一念にこそ支えられ、今や、この皇室は開かれたものとなっております。」

「ここで敢えてあなたがたにお伝えします。国民の誰一人として、自らの人生を疎(うと)むことはならぬのです。国民の幸せが、すなわち天皇をはじめとする皇室の人々の真の幸せに繋がるものであるならば、国民は、絶えず幸せを祈られる皇室の皆々の想いに応えるよう、この国の国民として、“幸せ”に生きることをけして諦めてはいけない―――。」

「日本が、古来より数多の神々により守られてきたからこそ、この国の民は、一人ひとりが、それらの神の御意思、そして先人の皆々方の後世あなたがたへの想いや希望を知り、あなたがたは、今後益々、天皇、皇室というものをより身近に感じ、自らが置かれた立場で、人々と愛を深め、縁を紡いで生きていただきたい。

神によって守られた国は、同時に、神によってこの地上を任されたあなたがた一人ひとりが、より良い国を創るよう、各々の人生をより実りあるものとするよう努めてゆかねばならぬのです。」

「あなたという存在が、この日本という国に在る、それはまさに天皇の喜びであり、あなたの幸せと、国全体の繁栄の祈りへと通じます。天皇は、昼夜問わず祈りによって神と繋がり、祈りによって、国民を守り、国全体をも、世界でも稀なる存在にならしめるのです。

天皇が在るからこの国が稀なのではなく、あなたという存在こそが、天皇を支え、あなたがた一人ひとりへの幸せを祈るその息吹によって、稀な国として栄え続けるのです。」

「今上天皇、そして本日(昭和天皇の御誕生日)になぞらえ、昭和天皇はもとより、これまで日本に在られた歴代の天皇は、国民一人ひとりを愛し、あなたが今日もなお、この日本に生きてくださった、ただそれこそが、天皇として何ものにも代えがたい無上の喜びとなり、国民の中心=天皇として自覚をもって、日々祈り続けておられるのです。

あなたの人生が、あなた自身、ご家族、縁ある人々の喜びへと繋がり、そして天皇家の使命が今後、真にまっとうされることを、わたくしも祈り続けます。」




2016年4月24日



「わたくしたち(木)が、大地に根差すのはなぜか。それは、大地というものが、わたくしたちにとって真実“欠かせぬもの”ゆえです。いかなる環境であっても己の生命(いのち)よう、そして、度重風雨によう、わたくしたちは蒔かれた(植えられた)地の要素大地均衡

土のほんの一粒にも、力を見出し、その(土と土との)合間にこそ可能性があ、土とあたかも同体(一体になるがごとく、少しまた少しと、自らの根の先を伸ばしてゆくのです。」


「わたくしたちも、また、あなたがたも、生命在るものは皆、いずれも地に根付かなくてはならない。それは、“不自由”を意味するものではなく、むしろ、大いなる存在、神と呼ばれし光が、生命たるものの本来在るべき姿、魂としての望ましい成長を遂げるために、この大地(地球)をお授けくださった、そこに生命たちは、各々の性質をもって、いずれも関わりをもってゆく。

それは、この地上に満たされる気(空気)、水、そして大地を創り成す様々な要素(栄養素)が、見事なまでに調和し互いに機能し、ここにこそ、神の息吹がことごとく顕現し、それはまさに、生命たちの“依り代”ともいうべき欠かせぬ存在となるものなのです。」

「わたくしたちは、その他の自然物と同様に、“持って生まれたもの”すなわち、“変わらぬ(変えられぬ)もの”の性質を、自ら十分にわきまえています。そして、そのさなかにあって、わたくしたちは、静かにあれども、しかしながら、多くの光に支えられ、満ちあふれるほどの“意思”がある―――。

大地にこの身(根)を少しずつ伸ばし、
()、風、水、あらゆる気候の要素を(かんが)みて、そのなかで、たとえ困難と言われるほどの環境下生息地)であっても、わたくしたちは“天”へとひたすらに伸びようとする―――

それは、まぎれもなく、わたくしたちのとしての役割、使命が、の地上にもたらすものが、地球にとって、また、あなたがたをはじめ生命にとって欠かせぬもであり、それこそ、わたくしたちが古くよりこの地上に在る
所以(ゆえん)

そして、何よりも、わたくしたちのこの生命力こそ、すなわち“神の力”のであり、いずれ存在
(さえぎ)るものは無いのです。

「今後あなたがたは、自らの生命力を、より一層この地上に現さなくてはなりません。それは、あなたがたをこの地上に降ろした神の息吹であり、各々の立場で絶えず思念し、出来得ることから、一歩一歩着実に、あなたのその大いなる力を発揮するのです。あなたは、あなたの感覚に従い、生命の力を、魂の根元から導き出すよう、のびやかに生きる―――。

あなたがたはいずれも、本当に素晴らしい力を兼ね備えています。わたくしたちから見るに、たとえあなたがたは小さくとも、その身には、すでに大いなる“宇宙”をたずさえ、あなたがたが歩き、動き(行動し)、そして言葉を発するそのいずれの時にも、
(まばゆ)光をたずさえている―――

これこそ、神の力、息吹そのものであり、あながたがは、もっとを信じ、力の限り大いに日々を生きるべきなのです。あなたが強意思のもと指針真摯生きるとき、それは、わたくしたちを含めた生命たちの“希望”となるでしょう。

あなたがたは、様々な場所へ行き、あらゆる行動をおことができる。その自由に動ける特質を存分に発揮し、あなたならではの、まさに“縦横無尽”の生きざまを、この世に現わしていただきたい―――。」



「わたくしの根は、この大地に神への尊敬の念をもって、縦横無尽に、これからも伸びゆくでしょう。あなたがたは、わたくしたちが地球に放つエネルギー、また、地球そのものからの生命の息吹をも感じつつ、()大地ら、人生謳歌ていたいす。




2016年4月16日


 
この度の、熊本・大分を中心とした大地震に遭われた方々、そして今なお断続的に揺れる最中にある方々へ、心からお見舞いを申し上げます。この先、少しでも大難が小難になり、被災された方々の生活が一日も早く戻られることを心よりお祈りいたします。


 今も頻繁に発生する、これまでの予想をはるかに超える規模の地震にみまわれた、熊本・大分を中心とした九州各地の動向を見守る方々に、日本に宿る神に意識を合わせながら、僭越ではございますが、お伝えさせていただきます。


***

 今回現わされた大地震の意味は、「人間が日常生きるのとは、また別の次元で、大地も着実に生きている」ということです。大地はこれまで何事もなかったかのように、しかしながら水面下では、確実に地震なるものへと突き進み、そしていざ現象としてこの世に現わされた際には、すでにわたくしたち人間には到底及ばないほどの力となりました。


 今回の度重なる地震を、一体この世の誰が予想したでしょうか? ごく普通の日常を、なんの支障もなく過ごし一日を終える、そのさなかに、突如として、大地は大きく揺れ動きました。そして、その揺れは、次また次と、いつ終わるかも分からない様相を呈し、また、一説では、他の断層に影響するとも言われています。

 わたくしたちが普段、呼吸をし、自然、物質に限らず、地上のあらゆる恩恵を受け、そして(つつが)なく 日常を過ごす、こうした人間の生活に見えるものは一体何だったのか、わたくしたちが把握できるこの地上の物事は、本当にごく限られた側面だったのではないかと、もはや(あらが)うことの叶わぬ大地震の前に、被災地もまた、こうして、今なお安全に過ごせるわたくしたちも、途方に暮れてしまうのです。


 冒頭に申し上げた、「人間が日常生きるのとは、また別の次元で、大地も着実に生きている」―――、こういった、わたくしたちの日常において、目に見える光景、耳にする情報、そして、わたくしたちが巡らせ()る思考というものは、実は本当に極少で、この世の仕組みを網羅するには、あまりにも限られているのだと言うことができるでしょう。


その小さきわたくしたちが、今この国が直面する、大地の深淵な仕組み、圧倒的な破壊力をもった地震という脅威に対し、果たして何をすることができるのか、それは、まさに、今なお続く地震に、明日への希望を見出せぬほどに打ちひしがれた、当地の被災者の方々のみの問題ではありません。


 神が創ったこの大地は、神の計らいによって緻密に配されております。人間のもつ技術が
如何(いか)に進化を遂げようとも、人間の暮らしが、より一層の安全を得ようとも、その基盤、大地の様相には、ひとところにその虚栄は崩されることでしょう。

 
 しかしながら、わたくしたちは、“想う”ことができます。それは、
絵空事(えそらごと)を思い描くという意味ではなく、実際に今なお続く地震に(おび)える方々、被災し、住まいもろとも崩された方々、そして愛する家族を亡くされた方々が、今まさに、わたくしたちと大地で繋がり、互いに生きている、それを、わたくしたちが授かった“想う”という観念になぞらえれば、おのずと、わたくしたちの心は、今置かれた自らの生活(状況)と、そして、被災地の方々の様相の双方に想いを馳せ、自分の観念がこれまでよりも確実に広がってゆくでしょう。


 それこそ、わたくしたちが、この日本という国で、小さくも互いが在ってこそ生きる民であり、それがたとえ、どれほど(距離として)離れていようとも、また見ず知らぬ者同士であっても、お互いが、自らの知るに及ばぬ次元で、日常を、そしてまさに今もなお、お互いが繋がり、生きている証なのです。

 
 この、「互いに繋がり合い、生きる力」を、今こそ、強く信じてください。今わたくしたちが、被災した地の方々に想いを寄せ、日々自らが置かれた場(環境)で生きることは、必ずや、被災地に在る方々にも通ずることなのです。たとえ被災地とはかけ離れていようとも、皆、同じ
瞬間(とき)を、繋がったこの日本の大地で過ごすのです。


 その想いで一人ひとりが生きるとき、それは、これまでの自らの生き方とこれから成すべき過ごし方、そして、この国に生きることの様々な要素(側面)に及ぶまで、これまでにないレベルで多岐に感じ、また深く考えることができるでしょう。繋がった大地と、そして、その大地を通して繋がっている人々に対し想いを馳せるとき、自ずとわが身を省みることになるのです。


 希望は捨ててはなりません。誰一人として、明日を生きる力を削いではならぬのです。家も何もかも失った方、崩壊した状況に呆然と立ち尽くす方々へ、わたくしたちが、今、真にできることは、地震に怯えることではなく、また再び揺れ動くことに恐れおののくのでもなく、何よりも、わたくしたちが明日への希望を捨てず、今自ら在る立場で、しっかりと歩んでいくほかはないからです。それが、ゆくゆくは、確実に、九州全域の現状の回復に繋がるものと、心にしっかりと据えていただきたいと思います。




2016年4月10日

「地上にいながらにして、神と一体の心を会得(えとく)する―――。それが、そなたの使命である。」

「この世とは、何たる“(まぼろし)なる様相か。物事生じ、あるいは瞬く間に沈静し、そして数珠の繋がるがごとく地上そこかしこに人々の様相(挙動)とあいまって、数々の現象がもたらされる。」

「人々は今、自らの魂の拠りどころを、いずこに求めるか―――。」

「目前の事象とは、なんと(はかな)きひと時の“舞台”。そなたの眼に見るもの、耳に聞くものは、すべては必要ありてなお、あたかも虚無のごとく永続もの。この地上ならではの、永遠ならぬものに、心は揺れ動き、また時に(おど)らされ、日々そなたのかけがえのなき人生を、ただやみくもなまでに右往左往と過ごす、その浅ましさよ。」

「そなたの先人たちは、この地上に一体何を思い描いたか―――。明日への命さえ確証なき、まさに“命繋ぎゆく”それこそが(先人たちの)日々のなかで、彼らこそは、この(はかな)移ろいゆく地上、生そして、死というものがより身近なものゆえの、その向かうところは、ただ一つ、“神”という存在が、いつも自らの間近に在ることを、心に思い描くことそ、唯一の身を支えるものということを、時に美しき、そして時に無上の厳しさを“自然”のなかに見出しだ。

て、物一つ、物事さえ神が宿りて、この身を支え、すなわち目に起こるものを神と見なし、その神の眼に背くことのなき言動が、もっとも自らが在るべき姿、地上に生きる者としての役目会得た。

(とど)まることな目前光景に、唯一確たるものとして、た、代を経てなお、後世の人々へも受け継ぐべき精神として、何もかも残し、受け継後世へ神”という存在である。

「神を忘れ、自然の息吹にさえ感情赴くままに背を向ける、そなたたちの心は、今如何(いか)なるか―――。夢幻(ゆめまぼろし)現象が、すなわちそなたに止めどなく現わされ、そなたの心は浮き立ち、ときに沈み、それを日ごと繰り返す。

それは、まさに根の無き草が、天へ伸びようともがきされども、風雨になぎ倒される、まさに、哀れなる様相。」

「世の事象(現象)は移ろいゆき、しかれども、そこに“神”を見出すこと。現実物(物質)と相まって、この地上は具現化され、そしてついには終わりゆく(はかな)ものゆえ神は宿り、そなたの魂と同じく、この世に“永遠”を与える―――。」


「神を忘れたこの国の、今後辿る
(みち)は如何草も木、この()、一粒の水でさえ神の息吹たずさえたこの世にあって、ここに生きるそなたこそ、神の眼をもって、神のを感じ、神”見出ならぬ。

「神は望む―――。身も心も離れしわが子らが、この世にあってなお、神の御胸に寄り添うことを。この世とは、念ずれば、すなわち“神”―――。自ら在るがままに心を向ければ、すなわち、そなたの拠りどころ、神の息吹がそこかしこにこの世に“在る”ことを、そなたは無上の喜びとともに会得するであろう。」

「地上一人ひとりの心によって、そなたたち魂の拠りどころ、永遠に生きる神こそを見出し、神の息吹をこの地上に

(たた)えることこそ、この国の(まつりごと)”なり。」



 

2016年4月2日

 

「長く、地道な時を過ごし、じっくりとわが身を温め、生命の力を内に満たす。そして、いざ自らの(つぼみ)瞬間(とき)わたくしたちは、一体何を想うか―――。それは、わが身(幹)に幾多の天候、環境地上要素こそが、が、再び芽吹(まばゆ)春を迎えるがためという地上感謝、畏敬

わたくしたちが内に秘める、鮮やかな薄桃色(ピンク色)が、真実、この地上のすべての存在にとって、心の喜びり、わたくしたちの桜花開き、舞い散るの姿に、人々はあらゆる感情、感慨を寄せてくださる、これこそ、わたくしたちが幾百、幾千年の
時代(とき)を経てなお、変わらず、揺るがず、桜の木として、神よりこのし、最上の使命と心得


「じっくり温め、ゆっくりとわが身を整える。風雪、厳寒、いかなる環境下にあろうとも、わたくしたちは、桜として、けして変わりはしない。わたくしたちが迎えることのできる春とは、この国(日本)のすべての人々の希望であり、季節巡り、再び、生命の息吹の際立つ春というものが、こうして神により確然と配されているのならば、わたくしたちはその春の象徴として、蕾一つずつ、花びら一枚でさえ、春の息吹を豊かに
(たぎ)、花開くその日向けて、一心に様相日に日高めてゆくのです。」


「生命の力とは、本当に偉大なもの。たとえ一個の魂でさえ、この世を動かすほどの実に大きな影響をもつものなのです。わたくしたち桜の木が、こうしてこの国に数多存在し、一年、一年、変わらず、そして、まるで皆が連携するかのごとくに、各地順を追って、見事に花開いていくのは、生命とは決して
(つい)えず、続きくものゆえ

わたくしたちなりの役目が、この国におい必ずや在ることを、絶え自らに言い聞かせ、そして、この国に生まれ出でる人々にの愛を伝えたい自らの生命の力を信じるならば、それは、いつかは花開き、そしてその姿に、多くの人々感動し、希望見出

「生命というものは、この地上おける、目に見える、見えないに関わらず、多くの魂の繋がり、そしてお蔭をもって、なお存続する。わたくしたちにとってもそれは同じこと。この大地があるからこそ、そして、見渡す限りの大空、太陽、慈雨―――。何もかも、誰をかも、けして欠くことの無き、この地上の様相は、まさしく生命たちの“協演”―――。

そしてわたくしたちは、この場をもって申し上げたい。あなたがたがこの地上に在ってくださるからこそ、わたくしたちが再びここに、満身、力の限り咲くことを目指す―――。あなたがた一人ひとりの存在が、冬の環境厳しくあろうとも、けして朽ちることなく、春の息吹満ちる日を心に待ち望み、そして、いざ、わたくしたちはこの全身をもって春の喜び、魂への礼賛を表現するのです。」

「たとえ今は、苦しき道程であろうとも、けしてあきらめてはなりません。あなたが自らを信じ、ひたむきに、実直に、人生を歩むその姿は、いつか必ずや実を結び、あなたから満ち溢れる生命の力に、多くの人々の心が豊かに満たされることでしょう。」

「あなたがたがこの地上に在る限り、わたくしたち、たとえ最後の一本になろうとも、わたくしたちはけして生命を絶やすことはありません。あなたがたが、これまでの多くの先人たちの魂の想いを紡ぎ、この地上に在る、ただそれだけで、わたくしたちにとっては感動そのものであり、この地上へあらゆる魂を引き合わせてくださった神へ、そして、あなたがたへの感謝の念が生まれゆくのみなのです。」

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