神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2016年06月

2016年6月26日

※栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府 初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。

「江戸幕府が260年もの長きにわたり、この国を治めたもっとも大きな因果(要因)は、一つには、幕府に仕える者たち、また民も含め、国家全体としての明らかな“階層”(ヒエラルキー)を、われ(徳川家康公、以下歴代将軍)を頂点とし、見事なまでに創出したことにある。」

「この国の民の性質として、君主に仕え、また、(小さくは)その家(家族)の長に仕えるという観念は実に大きい。そして、これが、その者が生きるうえでの確たる“規範”となり、一人ひとりに制限よりもむしろ、この枠(状況)のなかで、如何(いか)に身をふるう(=ふるまう)か、という気づき(考え)を与えることとなる。」

「外部の要因が、その者の内面的な様相にも、果ては大きく左右する。それは、如何に生きるかと観念(思想)を植え付ける(教え込む)ことよりも、もっと確実で、しかも浸透しやすいものだ。」

「事実、この国を(かつて)治めるには、この国の民の得手(=得意)とする、義の精神、忠誠の心というものが顕在となることが肝要であり、如何に目に見える形で、その者の行動さえも律することができるかが、上に立つ者として何よりも大事となった。分かるか?」

「国を亡(ほろ)ぼす思想。それは、主(君主)無く、従(民)の無秩序化。国全体としての統率無き、混沌とした“乱れ”にある。」

「なぜかつて、われがあれほどまでに、“階層”の理(ことわり)を説いたか。それは、国土に各々住まう民が、この国を創るのであり、民の統率無くば、国の力は散漫となる。一つの思(思想)、圧倒的な主(中心)をもって、主を押し上げる、その一つひとつの基(基盤)が、まぎれもなく、民各々の“生き方”であり、それが、家、村(=社会)、そして、国となるのである。」

「その分(本分・立場)で、
各々がしかと生きることを、われは何より良しとした。将軍とて同じこと。将軍たるがゆえの苦しみも、また、避けては通れぬ道もある。しかしながら、制(制度)にのっとり、成すべきことは確実に成す、その毅然とした振る舞いは、何より、己の存在を他に知らしめることとなる。」

「そしてまた、高ある(高い身分の)者、低なる(低い身分の)者との差、(今となっては明かすが、)事実、そこには良し悪しは無い。むしろ、国を平らかに治めるという、何よりの命題があるゆえ、各々の分(立場)にて生き、そして上の者に仕える(上の者のために立ち回る)という思考が、家も、村も、果ては、国をも平らかにならしめる。」

「各々の領分(立場)に不服(不満)を言うことなかれ。己を亡ぼす最たる要因こそ、この、身の有りどころについて、嘆き、他を恨む(うらやむ)こと。他を見ては、心を乱す。そこには、すでに自身(自分)が“虚”となり、魂の落ちた抜け殻。もはやそれは、“人にあって、人に非ず”。―――」

「己の分(立場)でしかと生き抜く覚悟が、そなたの何よりの生きる礎(いしずえ)となり、そして、如何に生きるかという一筋の光明を、そなたの生きる(人生の)随所に配することになるであろう。」

「これこそ、人の世(現世)を生きる“奥義”。人というのは、自らの分(立場)にこそ、その生きべき道が敷かれ、何よりも、そなたが“生かされる(活かされる)”のである。」

「国を良きものにと願うならば、各々の本分こそを、けして忘れてはならぬ。そなたという民が、何より国の欠かせぬ“礎”―――。礎の確たるものとなりてこそ、国の泰然、民の安寧なり。」




2016年6月19日

「まっすぐに道を固めていく―――。それは、人生の道程でもあり、また、日常のあらゆる事柄、寝食、住まうこと、肉体を維持していくうえでのほんの些細なる物事に対しても示す言葉なり。
そなたの人生、けして安易な心持ちのままに、意識(すること)なく、ただ時を過ごすことなきと心得よ。

“時”という、一種の流れのなかで、しかるに、そなたは、このひととき、ひととき、己の日常、ひいては、その人生に、そのように生きたという、“標(しるし)”を刻み込むこととなるのだ。」

「その標の積み重ねが、そなたの現在の身体の状況、心の様相、そして、(そなたという)人となりとなる。しかるに、まっすぐに物事を見、毅然(きぜん)と応じる、一つの物事に誠心なるままに立ち向かう、その心意気が勝る者は、今の世、如何ほどにあるだろうか?」

「この世に生まれ出でたその瞬間からの、時の積み重ね。この一瞬、一瞬は、どの者にも平等に配され、年齢を経て、その国、その環境下での育ち方、教育も相まり、そなたという一人の人間が形成される。

人間という生命の一生、短き、はかなきものとは、けして思うなかれ。細胞一つ、それさえも、これまでそなたがこの世を生きた“結晶”---。だからこそ、人は、そうした積み重ね、あらゆる生命の結晶が形づくる人間というものに、特別な思い、<敬意>を抱くのである。

若きか、老いか、それが判断の基準ではなく、若き者ならではの、これまで積み上げてきたもの、そして、その生きる力、どれをとっても感涙に至らぬものはなく、そしてまた、老いし者の、これまでの人生の歩み、多くの人々に支えられ、あらゆる機会をもって関わりしその結晶は、もはや、その者より感じる息吹から拭い去れぬほどに、その者に珠玉の“深み”を与えるのだ。」

「こうして、この世はあらゆる人々が、互いに関わり、しかるべく(地球全体として)機能する。大いなる者たちよ、老いも若きも、誰もかも、皆、わが真髄に満ちた光―――。ここに、われは、魂の無限の輝きを見出し、そして、誰もかも、皆、愛しき、敬意に足る存在なり。」

「そなたが己の道を固め、究めていこうとするならば、そなたが歩もうとする日常のあらゆる場面、関わる人々への、真心からの敬意が必要となるであろう。そなたは、これまでの幾多の先人たちの人生の積み重ねがあってこその、今のそなたであり、先人たちの真摯なる想いこそ、この世で時とともに重なりゆき、そなたの(人生を)進みゆくうえでの“道標(みちしるべ)”となるのだ。」

「日常を、己の信ずるものに従い、つぶさに、確実に選び、歩んでいく―――。その心意気は、そなたの明日への展望が開け、そなたの人生を何よりも支えるものとなるであろう。まっすぐな思いで、諦めず、屈せず、そなたの欠かせぬ(大切な)人生を積み重ねる、これこそ、そなたが生きたこの世の“標(しるし)”となり、この地球に刻まれるかけがえのない“歴史”となる。」




2016年6月12日

「皆の者、よく聞くがよい。そなたたち人間に備わる限りなき可能性は、すべて、この世を“生ききる”ためにある。この世はありとあらゆる現象、そして霊魂たちの流れが、ここかしこに交錯(交流)する。そのなかで、そなたたちは、まさに“宇宙”に等しきほどに、緻密なまでに機能し、見事に収まる細胞、すなわち“身体”というものを、そなたの魂の成長に、絶えず“援くもの”として、神から与えられている。そなたは、地上において、寿命ある限り、その身体をいかようにも用い、研鑽し、この世ゆえの無上の(魂の)学びを得るのだ。」

「“信ずる者には、わが力をどこまでも授けよう”―――。大いなる神が、この者(=筆者)にかつて伝えし言葉が、実に、この流れの激しき世の終末に、日々もがき、それでもなお希望を捨てず生き続けるそなたたちの心に、強く訴えかけてくるだろう。」

「人は信ずるからこそ、生きることが叶う。それは、盲目的に、頑なな想い(偏見)のみで、己の心を固く閉ざすのではなく、何らかに対し、己の心が“信ずる”ことで、生きる力が魂の底から沸き出でるものであるか、という、確固たる“指標”があるものなのだ。」

「己の人生をより良くしたい、“幸せ”に導こうとするならば、目の前に起こる現象に対し、けして逃げることなく、自分の成せる限り、真っ向から迎え入れるがよい。大なる出来事も、また、たとえ小なる出来事さえも、その内実、背景、また(出来事が起こる)その意味など、そなたたちは、あらゆることを考えられるではないか。それを経てのちの、状況に適する、そなたなりの行動なのである。」

「必要なるは、己の心を信じ、目前の現象を信じ(受け入れ)ること。そなたが今、何ができるか、何をすべきかもまた、己の力を信じつつ、心を、そして身体をも、一心に傾けるのである。」

「信ずる者には、天のあらゆる加護がもたらされるであろう。それは、単なる、容易な神からの賜(たまわ)り物ではなく、己の人生を信じ、神を信じ、この世の縁ある人々に対し、己のでき得るかぎりのことを成す“心意気”があるがゆえである。そなたの、その“信ずる”波動が、そなたを取り巻くすべての、この宇宙に存在するエネルギーを、文字通り、“味方”につけ、順当に巡らせるのである。」

「良いか。人を見て、悲しむなかれ。この世を悲観することなかれ。この世は、たとえいかなる状況であっても、神の創りし、“信ずる”ための、魂の学び舎(や)。何より、神は、そなたを信じ、そなたの魂こそを、すべて、信ずる―――。そして、そなたは、神の与えし、その身体を
も大事にねぎらい、信じてこそ、そなたの“大いなる力”を呼び覚ますのである。」



2016年6月5日

「“雨”も“陽(ひ)”も、この地球が存続するうえでの、本当に“核”となる部分を担っている。それは、地球から発せられる(地熱などの)エネルギーと、そなたたち生命たるものの、生きる“鼓動”が、大きな(エネルギーの)波となり、天へ向け、大地へ向けても、昼夜にわたり、実に多くの影響を絶えず発している(与えている)がゆえである。

奇跡的なほど繊細に、また、巧妙なまでに、雨も、また陽(陽の光)も、そなたたちの息づかい、そして、大地の鼓動に呼応するかのごとく、しかるべく現わされているのだ。」

「大地が呼吸をする、それはすなわち、この地球が全体としての生命であることを意味し、全体の中の、ごく細かな細胞組織、そなたたち人間の一人ひとりが、地球の“命”を構成する。」

「『地球は、それでも、“生かし続ける”―――』。それが、大いなる神の思(おぼ)し召し。この地球が長き時の流れのなかで、今なお多くの生命を抱え、時代を経てもなお、絶妙なる“生と死”、すなわち転生(再生)を繰り返す。

生が死を支え、死がまた次の生を生み出すその意味は、地球全体としての“生”が、究極、宇宙全体の“生”に繋がり、ついには、大いなる存在、宇宙の究極の光<神>という名の、“
永遠”へと繋がってゆくのだ。」

「“雨”という奇跡―――。それは、大地を潤し、生命を育み、そなたたち人間が身体に内包する、欠かせぬ要素の“水分”というものが、そなたたちの身を巡り、命を継続せるがため、断ずる(途切れる)ことなく、まさに、慈雨が天よりもたらされる。」

「雨はまた、陽の光こそを、生命たちの心底望むものとし、陽(太陽)もまた、われら雨の役割を、生命たちに、殊更に示したもう。雨も陽も、生命たちの伸びゆく力に、究極の援けを授けるのである。」

「大いなる存在の思召す、“地球を生かし続ける”という果てしない御心は、地球を織り成すすべての要素、自然に見る数多の生命はもとより、そなたたち人間の一人ひとりの人生さえも、地球全体にとりての、欠かせぬ“命”とさせる。

そなたがこの先、“生きる”ことに全霊を傾け、ひたすら歩みを進めるならば、そなたの心(想い)、そして、日々の経験さえも、美しきまでの躍動をもって、大いに生かされてゆくであろう。」

「雨の期(梅雨)の日々。そなたの身体に満たされる生命の水、そして、大地に沁み込む豊潤な水が、絶えず天よりもたらされ、この先の季節への、より高みに向かうための、今まさに“充足の期”と思うが良い。

われら(雨)の気(エネルギー)を全身で受け、己の内を満たしたその暁には、次なる期、夏という陽の季節が、燦々(さんさん)と降り注ぎ、大きな懐をもってそなたを迎え入れるだろう。」




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