神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2016年08月

2016年8月14日

(毎年、終戦記念日の時期は、日本全土に目に見えない存在たちの特有の層が顕著となり、戦争によって亡くなった方々のお心を強く感じ取ります。今回は、戦争によってこの世での役目を終えられ、天上に戻られた御霊のなかで、高次元の段階にある方からの、皆様へのメッセージをお伝えいたします。)

* * *

「この(終戦の)時期になりますと、普段よりも実に多くの霊魂たちがざわめき出します。ある者(ある霊魂)は、この世とあの世との境(境界)をすでに判別することすら難しく、しかしながら、そういった霊魂もまた、この時期特有の気(エネルギー)の流れに、何か突き動かされるように、この世(とあの世)の境を激しく彷徨(さまよ)っているのです。」

「戦後幾年を経ても、霊魂たちの叫びは続きます。たとえ、ある一つの霊魂が浄化(浄霊)されようとも、単純に解決されるものではなく、その霊魂のまた縁ある霊魂は少数にとどまりません。まさしく、“数珠”のごとくに連なっているがゆえに、本当の意味で、霊魂の完全なる浄化(浄霊)というのは難しいのです。」

「戦争とは、そのさなかの禍(わざわい)がことごとく後の世に尾を引きます。戦争中の皆の挙動が、ある時は生死を分け、またある時は、その家族(一族)の明暗を左右します。そして、戦争という、“死”に直結した一大事が国を支配するとき、国の明暗をも分け、後々に及んでもなお、国の体制、国民生活のあらゆる事柄において、たとえ戦争が“かつて(過去)”のものとは言えども、決して消し去ることのできない、国全体の大きな“分かれ道”(分岐点)となるのです。」

「戦争を経験しない人々が、もはやこの国の大半を占めるようになりました。実際に経験しなくとも、戦争という強烈な“刻印”を国民すべてが背負っていることには何ら変わらず、それであるならば、この夏の(終戦)の期というものは、現に生きている人間、また、すでに肉体は途絶えた霊魂たちにとって、いったいどのようなものと位置づけられるべきなのでありましょう。」

「わたくしたちは言いたい。あの時代、国の総てが混乱に満ち、生きる術を無くし、たとえ生きていても本当に生きているのかもわからないほどに、極限の暗たんたる状況のなかで、無念にも敗戦を迎え、この国はまさしく“無一文”から再び歩みを始めました。

その何もない状況のなかで、しかしながら、いずれの国民も、戦争の禍根を背負うこととなり、それは、まぎれもなく、戦争によって命を途絶えた御霊たちの苦しみであったり悲しみであったり、そういった言葉では到底尽くすことのできない感情というものを、戦後に生きた人々、そして、現に生きるあながたは受け継ぐこととなったのです。」

「そして、戦争から幾年も経るごとに、そういったかつての戦争を経験した人々の感情というものが、次第に平和への希望や、また、後世に生きる人々への、幸せに生きてもらいたい、という願いに変容していることも事実です。」

「悲しみ、苦しみというものはけして簡単には取り去ることは出来ませんが、しかしながら、そういった悲しみ、苦しみをともなう経験を命懸けで経験したことにより、人間のあるべき姿、社会全体の向上、ひいては諍(いさか)いの無い世の中を望む気持ちというものが芽生え、しっかりと根付いていくのです。」

「戦争を経験した人々が、命を懸けて獲得した、この、平和への願いや、後世の人々への希望というものを、あななたがたはすべて受け継いだ。戦争とは無念の渦、勝者もあれば敗者もある、実に凄惨極まりない人間特有の醜い争いですが、しかしながら、国を必死に守ろうとしたかつての人々は、そういった(戦争という)極限の状況から、人間にとって本当に大切なものは、というものを、食べる物も着る物も、そして住む所もすべて無くし、そぎ落とされた先に、ようやく、後世への希望というものを遂には見出したのです。」

「あなたがたは、今なお敗戦ということから生じる、この国の不具合に対し、言葉には出さなくても何らかの形で感じ、煩わしさを覚えているかもしれません。しかし、あなたがたは、それ以上に、かつて生きた先人たちの、生きることへの強い想いというものを、一人ひとりが
何より得ているのです。」

「だからこそ、この世を本当の意味で強く生きていただきたい。“強さ”のなかには、人に対する優しさもあります。どのような状況であっても冷静に判断し、単に流されることのない、確固たる意志というのもあるでしょう。健全に、実直に、一日一日を大切に過ごしていく。そして、一人ひとりが、己の人生を切り拓くという意思とともに、そこには数々の関わり合い、協調(協力)、そして、お互いがあるからこその、“生かし合い”というものがあるのです。」

「幾年にも及んだ戦争によって命を途絶えた魂は、もはや数えることもできません。逆に申せば、その数え切れない霊魂たちの想いは、まぎれもなく、後世のあなたがたに届いている、ということなのです。この国において、戦争という時代によって多くの命を失ったのであれば、あなたがたは、今生きているこの世において、人の命も、そして現(現実)の生活においても、本当にすべてを“生かす”ための、自らの生き方を選択していかなくてはならない。」

「この世を大いに生きていただきたい―――。それが、わたくしたちの、あなたがたへの願いです。わたくしたちの分まで、いいえ、わたくしたちのもっと先(前)の祖先の分まで、あなたがたは、こうしてすべてを受け継ぎ、この世を生きるに十分な素質をもって、日々健やかに、そして笑顔に包まれ、命を繋いでいただけたらと、わたくしたちは切に願っております。」

* * *

皆様、

いつも『神々からのメッセージ』をお読みくださり、誠にありがとうございます。
今年もまた、終戦記念日にあわせて、この国に生きるわたくしたちに必要なメッセージを受け取り、皆様へお伝えすることができました。いつも皆様からの多くの励ましをいただきまして、心より感謝申し上げます。

さて、来週より、東北各地、および新潟へ鑑定にまいりますため、三週間ほど、新規メッセージの配信をお休みさせていただきます。誠に恐れ入りますが、次回の配信までしばらくお待ちいただけますと幸いに存じます。

皆様のお心がいつも穏やかで、日々沢山の幸せを見い出されますように。

Rinokia




2016年8月7日

(筆者が神に尋ねました。「“人を敬う”ということの意味を教えていただけますか?」)

「あながたは人間であり、地球という場に生きております。本来、人間という生命体が、自然のなかにあって(自然と対峙したとき)、ごく基本的・潜在的な身体の能力をもって(環境適応の進化を遂げながら)、究極的には“一人”でさえも生きていく能力を備えているのです。」

「しかしながら、人間という“種(しゅ)”は、子孫を(後世に)残すという基本的な欲求から、長き年月を経て、現在のような(人数の)規模へと拡大していきました。その種の生存および繁栄におけるなぞらえかたは、他の動植物とは大きく異なることが、人間というものの大きな特徴でありましょう。すなわち、そこには、近親者、隣人、または、社会における多様な人々との交流(接点)にちなみ、人間同士が様々に関わり合う際のあらゆる“感情”というものが、人間の種(しゅ)の保存、進化、繁栄において、いつの時代も人間の行動の大きな割合を占めてまいりました。」

「人間同士が存在するからこそ、感情というものが(人間の言動の)大きな要素として、あなたがたを左右します。(相手に対して)快・不快、善・悪、高・低、是・非など、あなたがたの身体のあらゆる器官で感じる繊細な感覚は、あなたに接する(または、あなたの目に映る)人々を通すことによって、逐一受け取るのです。」

「人間は、感情によって生きる存在です。無論、それは良い意味でも、そうでない意味でもありますが、大事なのは、感情によって、あなたの生きる“程度”を、本来成し得るものよりも高めるのではなく、むしろ低めたり、また貶めたり、抑制たりしてしまってはならない、ということです。」

「人間は感情によって生きる存在ではありますが、(本来ならば)感情によって左右される存在であってはなりません。すなわち、理性であり、良心であり、あなたがたは、また己がもつ感情とは別の角度から自分というものを客観視して(冷静に見て)、自らの行動を良きに操作(コントロール)していかねばならないのです。」

「冒頭にもお伝えしましたが、人間とは、一人で生きるのではなく、実に多くの人間と関わって生きる存在です。このことは、究極、一人で生きるよりも、(他の人間という)対象があることで、様々に気づく(知る、学ぶ)要素があるということです。言い換えれば、この世を生きていくには、他の人と自分との関係性の“均衡”を図っていく必要があるとも申せましょう。」

「人間には、感情があります。そう、実に様々な感情―――。しかし、それのみに依(よ)って生きていくことは、あなたがたが今置かれている地球という環境のなかでは、非常に危うき可能性を秘めることとなる。」

「感情と自らの行動のバランスを整える、これは、あなたの“行動”をもって、その(整える)方向へと仕向けるということであり、すなわち、これこそ、まわりの人々へ“敬う”(敬意を払う)という行動です。」

「そして、敬う(対象の)人というのは、目上の人ということに限りません。あなたは、まわりの如何なる立場の人に対しても、この“敬う”という気持ちを持つことが必要なのです。すなわち、相手に対して丁寧に接することであり、丁寧な言葉であり態度であり、そして、その敬う(丁寧に接する)心が形成されることが何よりも大切なのです。」

「そうやって、人間は、(人を敬うことから端を発して)、この世を“丁寧に”生きることを覚えていく。すなわち、丁寧さは、他人に対する態度(言動)にも表れ、同時に、自らをも丁寧に扱っていくことになる。ゆえに、人を敬う、ということは、他人はもちろんのこと、実は、自らこそを“敬う”行為そのものなのです。」

「あなた(筆者)は先程、『人を敬う』には、という言い方の質問をされましたね? “人を”ということに限定されていましたので、わたくしは、これまでは、人という観点で話をさせていただきました。しかしながら、“敬う”ということは、何も人に限ったことではありません。わたくしが本当にお伝えしたいのは、“敬う”ということを、この世の“すべて”に対しておこなっていただいきたい、ということです。」

「豊かなこの国の自然に対しても然り、ひいては、あなたの身の回りの人以外の存在についても、あなたは“敬う”という気持ちで生きていますか?それが、生きる秘訣です。生きるとは、人間同士との関わり合いのみでは成り立ちません。この世のすべての要素が本当に見事なまでに関係し、体現され、また深く絡み合っているからこそ、あなたはこの世に生きることが叶うのです。」

「すべての物事に対して、“敬う”気持ちを持つならば、あなたの人生観が変わります。敬う、すなわち、相手(対象)を認める、とも言い換えられるでしょう。あなたが、この世に対し、出来得る限りの“敬う”心を持っていれば、あなたが、この世にいることを敬われる、すなわち“認められる”ことになる。この世のすべてが“味方”につくのです。これは、人生の気運(運勢)というものを大きく変えることとなる。すなわち“上昇運”です。あなたにとっては、“すべてを楽しめる”世の中となるのです。そういった意味で、あなたの行動こそが、まずは“鍵”となります。」

「人に敬意を払う(敬う)とは、けして、相手のため(だけ)ではありません。人間がこの世を生きる、まさに“秘訣”が、日常過ごす、あらゆる場面において“敬う”ということであり、それが出来たならば、今後あなたの人生を大いに躍進させることとなるでしょう。」

「この日本には、人間という生命が本来生きるうえでの、本当に“核”(核心)となる秘訣が沢山あります。わたくしたち神は、それを、あらゆる機会を用いて、あなたがた(この日本に降ろされた方々)にこの秘訣を授けることを肝に銘じております。ですから、今後、またどのような事柄について(神に対して)お尋ねいただくことも厭(いと)いません。」




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