神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2016年12月

2012年12月22日

【鹿島神宮の神 ※】
※茨城県鹿嶋市にある。神栖市の息栖神社、千葉県香取市の香取神宮とともに東国三社の一社。御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)とともに古代出雲の国譲りの立役者と謂われる。

「剣は如何なるを切るものか?これまでわが国に脈々と続く歴史は、悉くこれら剣によって、人を切り倒し、無残にもその者の人生を葬った。こうした幾多の魂たちが、この国に未だ悲しく漂い、自らが真に救われ、天上の世界に引き上げられんことを希(こいねが)い、各々の縁ある土地に今なお多くが留まる。武器とは身を護り、また自己を顕示せんがために、当初は造られた。しかしながら、生身の人間は、その圧倒的な威力に惑わされ、真に正しく使うることなく、唯々、弱き者たちを威嚇し切り捨て、そのあかつきとして、その者たちが住まう土地をまさしく破竹の勢いにて、次々と占領せしめてまいったのだ。」

「われは武勇の神。これまで多くの名だたる武人・軍人が、この度の戦(いくさ)に必勝せんとして、われのもとに詣で一心に願った。必要なるは、自らの手柄が戦のごとに増すことではなく、敵も味方も関係なくすべての民が、各々もっとも適した道を以後進まん(進む)ことを、その身を以って神に誓い、ひたすら邁進することである。」

「自国の幸せのみ祈るは、誠に狭き力量なり。自らが住むその土地は、いずれも世界のすべてに繋がり、自国の幸せは、すなわち他国の幸せによって真に叶うものである。その昔、わが国がなお混沌としていたとき、様々なる戦によって、領土の取り合い、そして民らの制圧が起きた。見よ。未だにその取り合いにて生じた怨念は根深く残り、この国に計り知れない重圧をもたらす。民を率いる者としてのその心意気が、果たして如何なるものか、その微妙なる心の差にて、以下、(それに連なる)すべての民らの人生が決まるのだ。」

「われは誠に長きにわたって、そなたたちが真に気づくことを、この神宮に人が詣でる度に願い、そして如何なることがあろうとも心を平生に、(詣でる魂たちに)われの心からの“希望”を託してまいった。この神宮に詣でてより、魂において、自らを取り巻くすべての者たちが幸せなること、その幸せが自らの幸せであるという、“相関”の想いがどうか芽生えてほしいと願い続けるものである。」

「人は生身の身体を傷つければ、魂もまた同様に傷つく。そして、それは紛れもなく、われら神々もたとえもない痛みを味わい、そなたたちの苦しみ、悲しみを全身にて受け止めるのだ。」

「それでも神はそなたたちを見捨てはしない。なぜならば、この世はすべて繋がり、天上の世界、地上の世界、はたまたこの果てしない宇宙はすべて一つだからである。一つはすべてであり、そなたたちもまた、この宇宙のすべてなのである。ゆえに、そなたたちが如何(なる状態)に在ろうとも、われらは見限ることなど到底出来ようものではなく、われら神のもつ本質として、すべてを許し、取り込み(融和し)、合一させることを如何なるときも目指すものである。」

「われの願いは、今(この地上に)在る魂たちが、自らが住まうその土地に縁あって(わけあって)留まる数多の魂を、その真摯なる祈りによって、一つ残らず天上の世界に召し上げることである。天上の世界に帰ったその魂たちは、必要なる段階を経て、いずれも次世代へと繋がる重要なる魂となり、今度は、地上のそなたたちを、身を以って援(たす)くであろう。そうして、この世は魂たちの巡りによって、輪をなし、それは“和”となり、この宇宙全体を閃光の如く明るく照らすのだ。」

「いずれも切ってはならぬ。そなたたちの選ぶ道は、すべてを繋ぐ、そうだすべてを和合し、次へ次へと引き継ぐこと。この精神によって、神の数々の叡智がもたらされ、古きは新しくなり、そして(繋がりながら)生まれ変わるのだ。」

「新時代の幕開けである。皆の者よ。すべての神々は己(おの)が配置に就いた。神の目指す、すべてが合一の麗しき御世を自らの目標に据え、喜び勇んで進んでまいるがよい。われら日本の神々は足並み揃え、そなたたちが神の真の援軍となることを待ち望んでいる。」

以上。

 

 
 

2016年12月18日

古事記の中で、天地てんち開闢かいびゃくの際、高天原に最初に出現した神。造化三神の一神。

「今ほど、そなたたちの身体に宿る霊性が、いわば、悉(ことごと)く“混沌”としている状況はありません。」

「この混沌たる魂にあって、はたして、“再生”(新生)に続く道を、わが身を内省し(省み)、未来(将来)を見据え、勇気をもって歩(一歩)を進める者は、一体誰でありましょうか?」

「魂(霊魂)とは、まさしく、“集合
するエネルギー。類するものたちは、磁力の向くがごとくに吸い寄せられ、かき集められ、その(磁力の)程度を増していきます。そして、霊魂の真たる本質、物事の実相は、次第に霧の中へと追いやられる―――。霊魂、そして、事象(物事)もでさえ、今その本質を見極め、簡素化し、一つの物事に対し、真に対する(対応する)者は一体この世に如何ほどありましょう?」

「魂(霊魂)とは、“集合”と同時に、“離散
するエネルギー。けして、非なる意でなく、まさに、“発散”とも言い換えられるでしょう。その集合と発散(離散)の均衡を取るべく、この宇宙は廻り、生命は営まれ、生死は繰り返されるのです。」

「重い。実に重いのです―――。そなたたちの、その身に携えるものが、身に取り込むことを一心腐乱におこなうその一方で、そなたは、その心(気持ち)や行為、そして、この世を生きるにあたり、人生総出(そうしゅつ)として、しかるべく“和する”ため、“協する”ために、そなたに与えられし限りなきこれらの力(能力)を、自らに温存することなく、ひた隠すことなく、今ここにこそ“顕現”しているでしょうか?―――。」

「一つ、そなたは得ます。それは、物であり、人の心(心遣い)であり、“そなた”という肉体がこの世に在ることで、人も、そして物も、無尽(無尽蔵)にあなたを取り巻くのです。そして、ここに生じたエネルギーは、たとえ見えないものとは言えども、そなたの魂にその一瞬一瞬が刻み込まれていきます。」

「一つ得るごとに、そなたは、一つ、そなたの内に“有る”
ものを出せるでしょうか?そなたをもって、いいえ、そなただからこその行動を、果敢に取る心意気を携えているでしょうか?」

「そなたたちは、今こそ、行動に移さねばなりません。それは、心を伴い、気力を伴います。そして、良き機会(タイミング)に、良き波動をもって物事を進めていくための、鋭い感覚、賢明なる思考こそを、諸共に伴うのです。」

「地球は、わが身(天之御中主神)に呼応し、その息づかいを激しく増すことでしょう。内包し、取り込み、ただやみくもに物(物事)を得ていく、その単調なる営みは終わりを告げるのです。」

「そなたこそが、この世に新たな“動き”をもたらすのです。けして、大事(おおごと)でなく、しかるに、身丈(身の丈)の生活に則り、そのなかにこそ、堅実なる動きを、少し、また少しと着実に現わしていきなさい。」

「新たなる息吹は、この地球にすでに降ろされています。この時代にあって、果敢に“動く者”こそ、その新たなる息吹がこの世を席巻するための、まさに“立て役者”となるのです。」

「これまで数限りなき輪廻を繰り返し、そなたよ、あらゆる時代、あらゆる環境のもとに生き、得たものは実に大きく、もはや言葉では尽くし難きことでしょう。まさに、明くる年(2017年)、これより、地球は震動を強め、世の流れ、“風向き”が変わるのです。さぁ、今こそ、そなたの生き方こそを、“動”へと変えなさい。」 

***

皆様、

 今年も一年、誠にありがとうございました。年末は和歌山・大阪・名古屋での鑑定をおこないますため、次回の新規メッセージは年明けを予定しております。

 皆様の励ましをいただきながら、2016年も、神々からの御言葉をお伝えすることができました。
 また、鑑定を通じ、全国の皆様にもお会いできましたことは、わたくしにとって何よりも嬉しく、皆様の真摯に生きようとするお心に感動し、そのお幸せを願うばかりです。

 2017年もまた、皆様に神の御心をお伝えできれば幸いに存じます。
皆様の日々が実り多きものとなりますよう、心からお祈り申
し上げます。 

                          
Rinokia
                   





2016年12月10日

(筆者が神に問いました。「2016年も残り一ヶ月を切りました。2017年という新たな年を迎えるにあたり、(今年の)残りの日々、わたくしたちがしておくべきことを御教えください。」)

「西暦2000年という、人類にとって新たな歴史が幕を開け、以来、一年一年が、以前では考えられないことが、間をおくことなく、世界各国で起きています。人間の予想をはるかに超える事象が、人レベルでも、また地球レベルでも起こる、これはまた、霊的なレベルでも様々な変容が巻き起こされているということを、しっかりと考えねばなりません。」

「現象界とは、魂の“るつぼ”―――。それは、単に、肉体をもつあなたがた人間が、子孫を残しながら、生命ある者として“生死”を繰り返すという事象のみではありません。人間という生命が、“一人”生きれば、それだけ、そこに連なる(繋がる)霊魂たちは、霊界で生き直し、結果様々な変容、あるいは前進を遂げていくのです。」

「世界的に人々の心を揺り動かすほどの出来事も、あるいは、一人の何気ない日常に起こった出来事も、皆、各々に“因果”があり、それがまた、目には見えない多くの霊魂たちとの関係をもって、然るべきときに、しかるべき形(現象)となって、この世に現わされています。」

「ここ数年、とくに2016年は、地球のエネルギー、そして、人間のもつ性質のうちの、いわば“動”の性質が、より顕著な形でこの世に現わされました。様々な内実はあれども明らかとなったその現象に、
、多くの人々が、驚愕や脳裏に焼き付くような印象を覚えるようなことも多々ありました。そうして、人間が抱える心の奥底の欲や感情があぶり出され、そして、これまでの自分たちが生きた時代では考えられなかったことがいとも簡単に引き起こされるのを目の当たりにし、皆それぞれに、自らの生活や将来についてを考えるきっかけともなったのでしょう。」

「人間として、時間というものは、ある意味“平等に”与えられているものではありますが、あなたがた各々が、それをどのように使っているか、これは時を経るごとに(人によって)両極に分かれ、実は、それほど、現代のあなたがたは、かつてなきほどに“時間”の流れの程度(スピード)が速まっていると言うことができます。」

「たとえば、この国で今注目されている人、あるいは、世界的に名をとどろかす人は、人間関係も、また金銭的にも大きく展開し、さらに皆が驚くことを成し遂げることになります。あなたがたの感覚(観念)を軽々と超えることを成す(あるいは言葉に表現する)、この国で言えば、そうした、もはや“神レベル”での成し方(様相)が、今年を象徴的に表わす言葉にもなり、殊更、人々の注目を集めました。」

「しかしながら、一方で、あなたがたの心内では、人と自分とを見比べる“差別観”や、あるいは、自らと他人とを比べたときの“劣等感”、あるいは“焦燥感”というものを強く持っていくことになります。」 

「再度申し上げますが、この世の現象はすべて、突発的なことも、また、ゆっくりとした進捗(しんちょく)も、皆、“因果”というものがその裏に配されています。今仮に、世界である出来事が注目されていようとも、事実、そこに至るには、多くの積み重ねや、感情や思考の流れ、そして、それに連なる隠れた数々の“行動”があったからである、それが、ある“沸点”に達した際に、ついにはこの世の驚くべき出来事となって、人々の目前に表わされたということを、よくよくあなたがたは踏まえておかなくてはなりません。」 

「人を見てうらやんだり、また、自ら劣等感に苛まれる、それは、ただ単に、あなたがたが、自ら“行動”することを止め、感情本位に生きていることに他なりません。」

「先ほどもお伝えしたとおり、2016年は、地球全体が“動”のエネルギーが顕著となり、ある意味、地球は揺り動かされています。すなわち、そこに生きるあなたがたの霊性も、大いに“揺り動かされている”ということ、言い換えれば、今これからが、まさに“自ら行動し”、“実現する”絶好の機会なのです。」

「人と比べ、一歩も二歩も自分は歩み遅れている―――、そう考え焦る必要はありません。いずれの人も、皆、この“揺り動く”地球の息吹に則り、自分ならではの生きる速さで、しかるべく人生は展開していきます。そのなかで、あなたがたに必要なのは、今の自分を振り返り、出来ること(出来そうなこと)を“果敢に”試みていく、そうして、(感情本位ではなく)“思考本位”として、
自分の人生を“方向付け”し、そして、しかるべき時のための、大事な“種蒔き”をしていくのです。」

「今自らがおこなう“選択”と“行動”が、地球の振動に共鳴し、すなわち、必ずや“波及”していく、そして、いつか、自分にとってもっとも適った形となって、かけがえのない大事な“出来事”となることを、あなたたちには是非注視していただきたいのです。新しき2017年という年を、自らが一日たりとも無駄にせず、大いに生き、満ち足りた人生を送りたい、そういう心持ちがあるのであれば、今、まさに、地球の“動く”潮流にのって、自らもまた行動に移していくこと、それを遠慮する理由は一体どこにあるのでしょうか?」

「この世の物質的なエネルギーは巨大です。それとともに、“精神的”あるいは“霊的”なエネルギーもまた、今後益々大きな位置を占めていきます。そういった意味で、今後は日を追うごとに、あなたがたも、そういった目に見えないものに大きく影響を受けていくことになる。この国で言う、“神的な”事象は、けして特定の人によって起こされることではなく、“誰しも”が、それこそ“平等に”起こすことのできる(あるいは、起こされる)、人生の“布石”となるでしょう。」

「今の自分を振り返り、何か一つでも出来ること、試みる(挑戦する)こと、前進できることがあるのなら、勇気をもって、実際に行動していくべきです。あなたのその“動”のエネルギーこそが、あなたの未来を、そして運勢を大きく開かせることとなるのです。」 




 

 

2016年12月1日

(筆者が神に問いました。「人は、出逢いとともに、様々な形で“別れ”というものがあります。その別れの一つである、何らかの理由でこの世を去られた方への“供養”について御教えください。」)

「“生きる”と“死する”の分岐点、この世を生きる者同士の一方がある日この世を離れる、それは、地上に身を置くそなたら人間にとって、少なからず大事となる出来事であろう。」

「それは、現実に、それまで自らと同じく呼吸をし、身動きしていた者が、突如(または、ついには)その生命活動を停止し、これまで(会話などで)様々に意思を通じて(疎通して)いたことが不可能となる、その後において共にこの世を生きていくことが叶わぬことは、そなたらにとって、何よりも寂しきこと。」

「しかるに、現世をそなたが生きる、それは、魂という観点からすれば、ほんの“一片(いっぺん)”の事柄に過ぎぬ。魂の成長する過程で、ある“一時期”が、“この世”という現象の世界(舞台)にて現わされる、それが、究極的な表現である。」

「魂にとって、“一過点”であるこの世。しかしながら、なぜ、これほどまでに、人はこの世を生きることと、この世を離れることの“境”を重視し、その双方に対し、終わりのなき答えを求めるのであろうか。」

「それは、現象界というほんの一時期、しかしながら、あらゆる事象が混交するなかで、
様々な人との出逢いや交流(関わり合い)を通じ、人間ならではの温かみや喜び、あるいは辛苦を味わいながら、そなたが自らを“知る”ためであり、現象界に身を置きつつ、生命の不思議、魂というものの繋がり(仕組み)、そして、神の叡智を感じ取っていくことにある。」

「魂とは“不滅”であり、たとえ、肉体的にどのような様相となろうとも、その本質は、神と通ずるものである。“死別”という、そなたら人間にとっての誠に大なる出来事は、それでも滅せられることのなき(不滅の)魂というものに対して、どのような意味を成すものであろうか?」

「現象界で生じる物事は、様々な考え方はあれ、これもまた、実に“大事なる”出来事である。そして、その根底に流れる、不滅の魂たちの、“肉体をまとった”うえでの一つの現象(舞台)ということもまた、けして見逃すべきではない。」

「“供養”とは、当然のことながら、今現にこの世を生きる者より発せられる(故人への)“祈り”である。それは、今在る自分が、長く連綿と続く先祖や、または数限りなき魂たちの生き死にによって生かされているものであること、それを、“祈り”という形で、亡き人へ想いを寄せる(馳せる)ことで、現世生きるそなたからの(亡き人への)想いの“橋渡し”とすることができる。そうして、今現に生きる者も、また肉体を離れ光となった魂も、両者繋がり合いて、この<宇宙>を形成するのである。」

「亡き者への一番の“供養”とは、現世を生きるそなたらが、日々を如何に生きるか、この一言に尽きる。言い換えれば、そなたが自らを真の意味で、“大事なる者”として受け止め、日常において一歩一歩丁寧に歩むことであり、そのなかで、一つでも喜びや新たなる発見、そしてこの世に対し感謝の念が沸く、そういった、生きることに対し、自身の感覚により“充足”を感じ得るものであるかということこそが、魂たちが
もっとも心を寄せるものである。」

「そして、現世を生きるそなたの想いほど、この宇宙に在る数多の魂たちへ届くものはない。そなたがこの世を“生きること”、神や天に召されし数え切れぬほどの魂たちの、それ以上の望みはあるだろうか?」

「亡き人への“供養”を通し、今の自分こそを見つめてもらいたい。魂の繋がりによってこの世に降ろされたそなたは、この世においても、先立って天へと召されし魂たちと心を通わせながら、自らを知り、この世という奇跡を感じ、そして、より一層強く生きていくのである。」






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