(筆者が神に問いました。「近年、『無縁墓』 『荒れ墓』が話題となるように、先祖代々のお墓を守ること、また、お墓参りをすることさえ、様々な事情から困難な社会になっていると感じます。そもそも、この世を生きるわたくしたちが、祖先を祀る、あるいは故人(先人)を敬うということについて、その意味を御教えください。」)
「あなたがたは、今、現世にいながらにして、後の世(後世)について願うことは、平和であったり、また家族の幸せであったり、無論、(その想いは)かけがえのないものですが、どちらかと言えば捉えどころのない、漠然としたものであるかと思います。自らが生きながら、“後に展開する世”を考えるとき、それは、現実の世界に身をおく状態から見た、何か“別の次元”のような感覚であったりするものです。」
「勿論、それは、誤った感覚ではありません。“肉体をもつ”ということは、何より、この現象界においてこそ、自らの意識であったり、また、感情を根差していなくてはなりません。あなたがたが、肉体という器に則(のっと)り、この世を生きることは、何を差し置いても、それだけの“価値がある”ものだからです。」
「一方、すでにこの世を去った存在、言うなれば、あなたがたの祖先や先人たちの、後世のあなたがたに対する想いとは、果たしてどのようなものでしょう?人というのは、(人間という)生命体として生きる間に学ぶことは数限りなくありますが、肉体を離れ、霊魂となった際にもまた、地上で自らが歩んだ人生を思い返し、後に残した人々(家族)を想い、本当に言葉には尽くせぬほどに、“気付かされる”ものなのです。」
「人間という魂も、また自然という生命も、長い年月をかけ盛衰を繰り返し、しかしながら、“良き方向”へと向かうことを、魂の根源としています。一見、望ましからぬ道を辿っているとしても、また、改善(回復)の見通しが見えないものであっても、必ずや、何らかの“良き方向”へと、一歩一歩進んでいる。それは、後(後年)から当時を振り返り、経験や紆余曲折を経て、ようやく“実感”として得られることでもあるのです。」
「この“良き方向へ”という意味合いは、実に重大です。すなわち、肉体を離れたあなたがたの祖先そして先人たちもまた、(自らの)寿命というものが人生において終わりを告げはするものの、この“良き方向へ”という魂本来の“意志”は、肉体があろうとなかろうと、けして潰(つい)えることはありません。つまりは、“魂”が永遠であるならば、“良き方向へ”と向かう意志も、それこそ、“永遠”なのです。」
「祖先の想いとは、身近な範囲であれば、子孫の幸せや繁栄です。自らの血を受け継いだ存在が、また一人、この世に生まれ出でることは、祖先にとっては、まさに“心浮き立つ”ほどの大きな喜びです。そして、心から願うことは、ただ一つ、そういった大切な子孫たちが、家族皆で仲良く暮らすこと、そして喜びもまた悲しみも分かち合い、自分たち(祖先)の生きた時代より、少しでも良き時代を創り、大いに生きてもらうことです。」
「今より少しでも良い世に、今より少しでも良い人生に―――、あなたがたの祖先、そして、先人たちは、その望みを胸に、どの時代においても命を懸け生きてきました。そして、寿命を迎え、肉体を離れた今なお、霊魂として、その想いを持ち続けながら、今度は、今まさに肉体をもって懸命にこの世を生きるあなたがたへ、絶えなき願いを託しているのです。」
「あなたがたの祖先(そして先人たち)の想いとは、これが<真実>です。後悔や恨みの念で、後世の人々を責め立てることはけしてありません。むしろ、肉体をもち、人間として生きた、その経験があるからこそ、人生における痛みや苦しみ、人間の良きも悪しきも経験し、今この世を生きるあなたがたの、生きるという“現状”を理解しているのです。それこそ、あなたがたが惑い、人生に生きにくさを感じているその姿に、“どうか光(希望)を見出してほしい”という切実に願う気持ちのほうが勝っているでしょう。」
「あなたがたは、こうして、長い人類の歴史を経て獲得した“現代”に生きるなかで、今こそ、真に、先祖たちの想いを丁寧に汲んでいかなくてはなりません。それは、“このように(先祖を)供養しなくてはならない”、“これをしなくては先祖が浮かばれない”ということではありません。あなたがたは、すでに、沢山の“良き想い”を頂いて、今を生きることができる。先にもお伝えした、たとえ、今、人生が思うように運ばないと感じられても、それは、“良き方向へと向かう”、その過程において、大事な学びを得るための経験であり、何より、あなたという一人の存在には、それこそ数え切れないほどの先祖や先人たちの、あなたの幸せを想う心が込められているのです。」
「あなたがたは、これらの魂の想いを受け止め、先祖のためではなく、“自らのために”、良き方向へと向かう努力を惜しんではなりません。他人と比べるのではなく、あなたのなかで、日々自らが考え、様々な出逢いや気づきを得て生きることが、何より“幸せ”と感じること、そして、人に対しても、物に対しても、“感謝”の念が日常ごく自然と沸くことが、すなわち、先祖たちがもっとも喜ぶことであり、そういった縁深き存在の真の“安泰”となることでしょう。ですから、かけがえのないあなたという存在が、この地上で幸せに生きること、それ以上の先祖が望むことはけしてないのです。」
「先祖という、あなたに繋がる御霊に対し、何かできることはと願うのなら、まずは、自らの生活を“良き方向”へと向かわせることです。そして、『“お蔭様で”、毎日を幸せに生きています。』と、大切な先祖へ心静かに祈ることです。先祖とは、真実、あなたの“蔭”となって、あなたをいつも見守ってくださる、欠かせぬ存在なのですから。先祖と、そして数多くの先人たちの願いとともに、あなたが今、この世でこそ“より良き”人生を辿る、それが、何よりの<先祖供養>です。」