神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

2017年08月

2017年8月15日

皆様

 終戦記念日を迎えました。戦後72年を経て、今わたくしたちが、先人たちから何を受け継いでいくべきなのか、神からの御言葉をお伝えいたします。

                          
Rinokia


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「わたくしたち(神)が願うこと、それはすなわち、この世の総体的な
魂の(次元の)向上”です。かつて、あなたがたの祖先(先祖)たちは、厳しき“戦争”という時代を経て、自らこれに終止符を打ちました。無論、戦争はいつの時代も、ある環境下、人間というものの習性(価値観)により、絶えることなく繰り返されてきたものでもあります。

 それらの諍(いさか)いを繰り返し、悲しみ、苦しみ、そしてときに一筋の希望を見出し、なお人々はその先の未来へ向け、けして歩みを止めようとはいたしません。

 その(歩みを止めぬ)性質こそ、人間が神の光より別れし、その最たる証(あかし)でもあり、いかなる時代、いかなる状況にあってなお、人間とは、弛まぬ努力と、互いの結束(団結)により、次なる時代を切り拓くものなのです。

 今、この国においても、解決を探る道にあって途方もなきほどに、懸案とされる事柄を
数限りなく
抱えております。何かを見て悲嘆し、何かを耳にするたびに暗澹(あんたん)たる気持ちに苛(さいな)まれる、そういった状況にあることも、わたくしたちは重々承知をいたしております。

 ここで、あなたがたに一つ、お伝えしたいと思います。

 地球始まって以来、これまで数知れず、多くの御霊がこの地上に降ろされました。その御霊はまた順を追って各自(輪廻)転生を果たし、今この地上に生きるあなたがたもまた、古来、とある時代に生き、そして再び、人間として生きることを選んだ、実に果敢なる魂です。

 富裕の民、貧困の民、立場(環境)は違えども、これらは一つの人生における“設定”であり、いずれの民も、霊魂として、ついには同じ光に立ち戻ります。

 これまで誰一人として、生まれてから安楽のままに生き、何の困難もなく天に召された、そういった存在は、やはりありません。人間はそういった(安楽のみの人生の)設定は、自ら望まないのです。むしろ、過去世、一人の人物としてその時代の状況を全身で感じ、多くの縁をいただきながら人生を辿り、そしてついに天へと還るーーーその人生から学んだこと、そして次なる(人生の)課題は誰しも尽きることなく、“次こそは”として、神に新たな世への転生を希(こいねが)うのです。

 今、あなたがたの比較的近い存在、いわば、“ご先祖様”と呼ばれる御霊、そして、この国の先人たちもまた、たとえ困難極まる状況にあってもなお、ひたむきに生き続けてきたことでしょう。自らに負うその苦難の運命に、心を散らすというより、むしろ、命を絶えるその終(つい)の瞬間、未来を思い描き、そして何より、これより続く、子孫たち、後世に生きる人々への心からの幸せを、強く強く想い、安らかに昇天するのです。

 あなたがたは、今、その先人たち、そして縁深き先祖の願いの延長線上に、まさに人生を敷いています。先人たちが再びこの世に転生を遂げる、それは、今度は、あなたがたが天へ召された後の世において、です。すなわち、あなたがたが生前、そして命を絶えるその瞬間に想い描く、後世への願いの先に、晴れて(先人たちの転生が)成されゆくものなのです。

 少しでもより良き人生を送ろうとするのであれば、物事から安易に逃げてはなりません。今ある環境に目をそらし、暗に済ませようとする、それは、先人たちと、あなたがたのかけがえのなき先祖たちが、命を懸け、次世代につないだこの世の道程を、あなたは自ら離脱することに他なりません。

 今、あなたがたがおこなうことは、必ずや何らかの“結果(事象)”として、この世に表されます。あなたがたの人生一つひとつの重み、それはわたくしたち(神)にとって、また、人類にとっても他に替えるべくもなく、まさに、“次世代への布石”となって、この世に残されてゆくことでしょう。

 あなたがたが、かつての先人たち、そして先祖のお蔭をもって、この世を生きる、それであるならば、あなたがたは、次世代(=先人たちの転生の世)に、あなたがたならではの、生きる希望であったり、皆が本来の意味で、慕い、励まし、互いが敬意をもって、大切にこの世を生き合うことが叶うよう、あなた自身がもつ、沢山の良い部分、そうです、あなたに内在する性質や、ご先祖から引き継いだ、生きるに欠かせぬ物事などを、なお、この世においてまっとうしていかなくてならぬのです。

 “生きること”、これに勝る、魂の向上の手立てはありません。そして、あなたが現にこの世を生き、あなたが日々を幸せと感じること、それは、数多くの御霊たちの最たる願いなのです。先人たちの願った、“平和な御世(みよ)”というものを、あなたがたは、自分なりの感覚に従い感じ取り、希望を胸に、次なる世への良き“布石”を打ち進めていただければと切に願っております。」

以上。







2017年8月3日

 実際に神社に赴くことなく神々と対話するーーー。これまでは、神社や仏閣など、ある種の清廉とした聖域に身を置くことで、自分の精神を、神々と対話するべく“ON”に切り替えていたものを、今度は、そういった場に関係なくおこなう、これはわたくしにとって新たな挑戦でもございました。できるか否かは正直わかりませんでしたが、自分の霊力を信じ、まずはおこなってみることにしたのです。

 あらゆる段階にある霊的な存在と“意識”を通わせるーーー、それは、簡単なようでやはり簡単なことではありません。全国にあられる神仏はもとより、今は肉体を離れし霊魂たちもまた、どれ一つとして同じ波動ではないのです。無論、エネルギーの発し方であったり、気の流れ、そういったものに共通項が見られる場合もございますが、こればかりは、場数を踏む、という以外にそれらの違いを感じ分ける術(すべ)はないと申せましょう。自らが対面する霊魂に真摯に向き合い、そのエネルギーの様相を丁寧に辿っていく、その結果、“こういった由縁のある霊なのだろう”と感覚的に判断がつくのです。

 神もまた、一柱ごとに、その特徴的な息吹を回転していらっしゃいます。たとえ、同じ名を冠した神でさえも、細かく申し上げれば、その神がどの地に祀られているのかで異なりますし、また、一柱の神であっても、その御神威は多岐にのぼることもあり、その場合、こちらが神のどの息吹に焦点を当てるかで、これもまた、(たとえ同じ神であっても)各々の様相を感じ分けられるものなのです。

 目の前の風景が歪むほどーー。そうです、本当に、わたくの目の前が歪んで視えるほどに、しばし自らの意識を集中させました。当時のわたくしには、何の指南もありませんでしたから、これまで神社で神々と対話した、あの圧倒的な静寂の空間を自分なりに再現しようと試みたのです。

 すると、再び、“声”が、徐々に聞こえはじめました。ただし、その声とは、実のところ、ただ一つではなく、いくつかの雰囲気の異なる声が、“同時に”聞こえたのです。

 【その⑩】でお伝えしましたが、ちょうど、わたくし自らが、わが意識を、神ならではの波動、いわば神特有の“チャンネル”に合わせられた瞬間でした。それが当時にあっては、ラジオを手動で切り替えたときに起こるような、いくつかの周波を同時に受信したような、そういったイメージで聞こえてきたのです。

 そこで、わたくしはさらに集中の度合いを高めました。それらの同時に聞こえてくる複数の神の御言葉が、徐々に大小の音量にわかれ、ようやく、一柱の神の御言葉がもっとも鮮明に聞こえるようになったのです。

 淀みなく粛々と、そして、このままいくらでも聞き続けたいと思うほどに、神からの降ろされる御言葉には、なんとも言えない、厳かで、しかも温かなエネルギーが満たされています。“あぁ、ここでも神とつながれたーー”、このひとときを素直に嬉しく想い、また、神が天界の御言葉をわたくしに降ろしてくださる、その重みをひしひしと感じました。


 神から御言葉を降ろしていただくにあたり、実際に赴いた先の神社よりも、ある程度落ち着いた時間を確保できるようになったため、わたくしは、ここでも、そうして得た神の御言葉を記録してみることにしました。当初は、この“神とつながる感覚”を、完全に自分のものとするため、機会を見つけては、神の御言葉を降ろしていただいておりました。

 このように、わたくしが天からいただいた、高次の存在と対話する、という力は、やはり、何よりも“守護霊様”の御取り計らいがあったものと思いますし、今となっては、このときを堺にして、自分の人生がまた一つ大きく進んだとも感じております。

 書き溜めた神々からの御言葉が、あるとき、人の目に留まることになりました。その方は、神から直接降ろされる真実の言葉に大変感動してくださり、「これを“ブログ”にして、人々へ発信してみてはどうか」と提案してくださったのです。

 大変ありがたいことと思いつつ、すぐさま、いつもわたくしを御加護くださる神へ、その是非を問うてみました。
  
 すると、「以前にもお伝えしたはずです。あなたがこの世のあらゆる霊魂に祈る、それは、たとえその存在が現況どのような状態であれ、“もっとも尊きもの”として、あなたは接し、祈り続けねばなりませんと。それを今度は、あなたが神から降ろされる言葉を伝えていく、これは形を変え、人々に対し、それらの御霊を“尊き”光として、なお祈りを続けていくのと何ら変わりありません。神は、あなたがたを、何もかも“この上なく尊く”、そして、なお“愛しき者たち”
として、一刻たりとも途絶えることなく思い続けているのです。あなたは、これから(ブログにのせて)神のこの真実の“愛”を伝えてゆきなさい。」ーーーそう神は静かに、そして力強くおっしゃったのです。

 この大切な一言を、明確に降ろしていただいた、その瞬間から、わたくしのこのブログに神の御言葉を降ろし続けるという道は開かれました。

 ブログという、現代に特有の、より多くの方々がお読みいただけるその手法を用いて、皆様のかけがえのない人生にあって、少しでも神の愛を希望の<光>として感じ、心安らかに人生を歩んでいただく、その一助となれましたら、わたくしにとってこれ以上の幸せはございません。

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 皆様、

 駆け足での記事になりましたが、なぜ、わたくしが、こうしてブログ『神々からのメッセージ』を書くようになったか、その経緯をお伝えいたしました。最後までお読みいただきまして、心から感謝申し上げます。

 これまでの記事や、わたくしが霊視の道に至った経緯、その他、何か思い当たることなどがございましたら、どうぞ遠慮なくコメント欄へお寄せいただけますと幸いです。可能な限り、誠実にお答えしてまいりたいと存じます。

 なお、8月5日(土)~12日(土)にかけ、仙台/札幌/青森へまいりますため、2週間程、新規の配信をお休みさせていただきます。次回、皆様へ神の御言葉をお伝えできますことを、わたくしも心待ちにしております。

 皆様のお心が、晴れやかに澄み渡りますよう祈念申し上げます。

                          Rinokia






 

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