2015510


「人類の過去、あらゆることが起こりました。わたくにとり、わが子同然のそなたたちの祖先は、その日生き抜くために手を尽くし、一歩、また一歩と、生命を息づかせながらこの世を創り上げました。そして、そなたたちは、この地上に興される様々な自然物の恩恵を受け、畏敬(の念)を感じつつ、一方では自然の産物を利用し、時に要する(必要とする)以上に取り入れ、また創り成された物を悉(ことごと)く自らの所有との感覚に依り、人間ならではの住まい、環境を形成していったのです。

人間が
この広大なる地球にて暮らす、余りある自然の恩恵にあって、果たして人間同士の軋(あつれき)、衝突は必要であろうか―――。 わたくしは、愛してやまぬわが子らがこの地上で和する心を捨て去り、私利に走る、混迷に荒むその姿に、もはやたとえる術(すべ)をも分からぬほどわが心を傷めております。そして今再びこの地上に起こされる現象、あるいは生命あるものの真実の姿を、一つひとつつぶさに見ては、ひたと抱くのです。」

「“母は如何なることがあろうとも、強きものでなくてはならない―――”それはわたくしたち神とて同じこと。母は如何なる出来事が目の前に起こされようとも、けして心を揺るがさず、心の“芯”を高らかに天(神)へ向け、確固たる姿であらねばならぬのです。それが周りの人々、家族、社会、ひいてはこの国をも支えます。」


「しかるに、“母の立場”それは、何も女性のみにあてはまることではありません。
人それぞれが必ずや今在る状況のなか、人を援け、人の蔭となりて、地道に徹するべき場が有ります。そうやって、人は互いを思いやり、支え、生命ある者として補っていく。だからこそ、人の世は、如何なる時代を経ようとも、突如朽ち果てることなく円滑に巡り、少しずつ少しずつ発展してゆくのです。」


「今、そなたは自ら生きるその場(状況)に戸惑い、焦燥はいくらでも出てくるで
しょう。はたしてこれから何を“糧”に生きゆくべきか。そなたにとりての幸せとは、を幾度も幾度も自問するのです。しかるにそなたよ。そなたは天に生かされている、地に支えられている、そしてわたくしたち神に愛され、なにより、心の底から神に“信じられている” ―――。そう、そなたは、神々の“信ずる”に値する者であり、宇宙にあってけして消し得ぬ、真実の光なのです。」


「このメッセージを、わたくしは一刻も早くそなたたちに伝えたかった。未曾有の変
容期に入る今後は、目に見る様相も、そしてエネルギー(霊的環境)もまた、大きく、激しく変化してゆきます。あらゆるものが変わりゆくそのさなかにあって、確固たるは、そなたの信ずる心なのです。

大切なるそなたこそ、まずは、人間に流れる生
命の力を信じ、なにより自らを大いに信じきらねばならない。信ずるという揺るぎなき心、すなわち“母の心”を天へ向け、そしてまわりを望みし(眺めし)とき、そなたの目前に広がる世界は瞬く間に一変するでありましょう。」


「変容の時代。人類の変わりゆく様―――。それでも神はそなたたちを信じ、愛する
ことをけして止めない。なぜなら、これが、神の本望であり、神の在る意義。信じ、愛する息吹こそまさしく、わたくしたち神なのですから。」


以上。