この度の、熊本・大分を中心とした大地震に遭われた方々、そして今なお断続的に揺れる最中にある方々へ、心からお見舞いを申し上げます。この先、少しでも大難が小難になり、被災された方々の生活が一日も早く戻られることを心よりお祈りいたします。
今も頻繁に発生する、これまでの予想をはるかに超える規模の地震にみまわれた、熊本・大分を中心とした九州各地の動向を見守る方々に、日本に宿る神に意識を合わせながら、僭越ではございますが、お伝えさせていただきます。
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今回現わされた大地震の意味は、「人間が日常生きるのとは、また別の次元で、大地も着実に生きている」ということです。大地はこれまで何事もなかったかのように、しかしながら水面下では、確実に地震なるものへと突き進み、そしていざ現象としてこの世に現わされた際には、すでにわたくしたち人間には到底及ばないほどの力となりました。
今回の度重なる地震を、一体この世の誰が予想したでしょうか? ごく普通の日常を、なんの支障もなく過ごし一日を終える、そのさなかに、突如として、大地は大きく揺れ動きました。そして、その揺れは、次また次と、いつ終わるかも分からない様相を呈し、また、一説では、他の断層に影響するとも言われています。
わたくしたちが普段、呼吸をし、自然、物質に限らず、地上のあらゆる恩恵を受け、そして恙なく 日常を過ごす、こうした人間の生活に見えるものは一体何だったのか、わたくしたちが把握できるこの地上の物事は、本当にごく限られた側面だったのではないかと、もはや抗うことの叶わぬ大地震の前に、被災地もまた、こうして、今なお安全に過ごせるわたくしたちも、途方に暮れてしまうのです。
冒頭に申し上げた、「人間が日常生きるのとは、また別の次元で、大地も着実に生きている」―――、こういった、わたくしたちの日常において、目に見える光景、耳にする情報、そして、わたくしたちが巡らせ得る思考というものは、実は本当に極少で、この世の仕組みを網羅するには、あまりにも限られているのだと言うことができるでしょう。
その小さきわたくしたちが、今この国が直面する、大地の深淵な仕組み、圧倒的な破壊力をもった地震という脅威に対し、果たして何をすることができるのか、それは、まさに、今なお続く地震に、明日への希望を見出せぬほどに打ちひしがれた、当地の被災者の方々のみの問題ではありません。
神が創ったこの大地は、神の計らいによって緻密に配されております。人間のもつ技術が如何に進化を遂げようとも、人間の暮らしが、より一層の安全を得ようとも、その基盤、大地の様相には、ひとところにその虚栄は崩されることでしょう。
しかしながら、わたくしたちは、“想う”ことができます。それは、絵空事を思い描くという意味ではなく、実際に今なお続く地震に怯える方々、被災し、住まいもろとも崩された方々、そして愛する家族を亡くされた方々が、今まさに、わたくしたちと大地で繋がり、互いに生きている、それを、わたくしたちが授かった“想う”という観念になぞらえれば、おのずと、わたくしたちの心は、今置かれた自らの生活(状況)と、そして、被災地の方々の様相の双方に想いを馳せ、自分の観念がこれまでよりも確実に広がってゆくでしょう。
それこそ、わたくしたちが、この日本という国で、小さくも互いが在ってこそ生きる民であり、それがたとえ、どれほど(距離として)離れていようとも、また見ず知らぬ者同士であっても、お互いが、自らの知るに及ばぬ次元で、日常を、そしてまさに今もなお、お互いが繋がり、生きている証なのです。
この、「互いに繋がり合い、生きる力」を、今こそ、強く信じてください。今わたくしたちが、被災した地の方々に想いを寄せ、日々自らが置かれた場(環境)で生きることは、必ずや、被災地に在る方々にも通ずることなのです。たとえ被災地とはかけ離れていようとも、皆、同じ瞬間を、繋がったこの日本の大地で過ごすのです。
その想いで一人ひとりが生きるとき、それは、これまでの自らの生き方とこれから成すべき過ごし方、そして、この国に生きることの様々な要素(側面)に及ぶまで、これまでにないレベルで多岐に感じ、また深く考えることができるでしょう。繋がった大地と、そして、その大地を通して繋がっている人々に対し想いを馳せるとき、自ずとわが身を省みることになるのです。
希望は捨ててはなりません。誰一人として、明日を生きる力を削いではならぬのです。家も何もかも失った方、崩壊した状況に呆然と立ち尽くす方々へ、わたくしたちが、今、真にできることは、地震に怯えることではなく、また再び揺れ動くことに恐れおののくのでもなく、何よりも、わたくしたちが明日への希望を捨てず、今自ら在る立場で、しっかりと歩んでいくほかはないからです。それが、ゆくゆくは、確実に、九州全域の現状の回復に繋がるものと、心にしっかりと据えていただきたいと思います。
コメント
コメント一覧 (9)
火の国の神様これ以上やめてください
と、メッセージを出したそうです。
地震や台風、竜巻など自然の起こす現象は筆者様のおっしゃるように地球の生命活動だと思います。
決して人間に試練を与える為に神が起こしたものではなく。
人間や動物、植物など神が慈しんでやまないものがこれ以上辛い目に合わないようにと数多の神々が奔走されていることでしょう。
私も静かに祈ることしかできません。
が、筆者様のメッセージにあるように祈りながら想いながら日々を大切に生きていくことが大事だと思っています。
コメントをお寄せいただき、心より感謝いたします。
いまだ続く地震の影響、そして、熊本・大分の被災された方々の避難の状況を知るにつけ、「なぜ?」という思いが沸き起こり、大変複雑な気持ちになります。そして、苦難にある方々へ、力及ばぬわたくしたちは、なんと無力なことか、その思いに苛まれるでしょう。
ハート様がおっしゃるように、地球に起こる自然現象は、地球の生命活動であり、そのなかで、わたくした人間もまた生かされ、長い年月、先祖よりこうして命を繋いできたのです。この大地を含めた自然と、生命あるものたちとの真の“共存”を、今回の現象をきっかけに、わたくしたちは今こそ考えていかねばなりません。
「あなたがたは、“祈り”というものの偉大な力をもっと信じるのです」―――。天上の神はそうおっしゃいます。わたくしたちが生きるこの地球の行く末に、わたくしたちの存在が、かけがえのない光となるよう、神から頂いたこの祈り、そして、想うことを今日も、明日も心静かにおこなっていきたいと存じます。
神と人間、人間と自然、そして神と自然もおそらく全く違う価値観で動いているのは、よっぽどの自己中心的な考えの持ち主でなければ理解できるはずです。その間に立つというお役目は辛い事のみで全く利害でない事は明らかです。ここでメッセージで頂くのは神様から人間への助言であります。ですが今回の地震は自然が原因です。ある意味神よりももっと対角で利害が正反対なのが自然だと思います。自然と人間の間に同じように立っているのが神なのかもしれませんね。神さまも今相当みなさんで立場役割の違いによって困っているだろうと思います。人間同様に。
このプログでも切実感を持ってメッセージを頂いていたはずです。日頃小さな地震の場所に関心を持っていた人間にとってもあり得ない状況が続いています。ならば人間はどうすべきか?です。
現地にいない人間は、何かに頼るのではなく、自分の頭で考え、目先の事だけでなくもっと先も考えて熊本をアシストしたいです。
現地は命や食事や住居など明日の事も必死でやっています。近くの方も食料を運んだりとしているようです。
阿蘇の火山が噴火したら?日本だけではないはずです。それぞれが自分の持ち場で役割を変えて動く事が大切なはず。
古代や江戸時代にも同じ体験をした人間がいます、また阪神やまだ復興できていない東日本の方々もいます。その地で知識をどんどん集めて援助出来たら現地の方へのもっとも良いアシストが出来ると思います。痛みが分かる方しか想像できない現実なはず。人の繋がりで自然への脅威をかわすしか人間出来ません。
その姿をみて神が連動してくれたらありがたいと思います。
個人的には地震と大雨も前後にくる事が多く気になっていましたが、熊本の地震の後の雨の予測や津波の警戒など大昔からすると報道も変わってきていると感じます。全て関わる人が信念を持っているからの行動凄いとも思います。批判は何をしてする方はいます、なのでそこに信念があれば見守る方、被災された方には伝わるはずです。
地震の後の雨は物凄かったですが風の強さで一ヶ所での雨量は鬼怒川の時とは違ったはずです。そうした偶然なののか神の仕業なのかはわかりませんが感謝したいと思いました。
お役目は大変です、あとは解釈です。
自然や地形は絶対です。原発もそこを考えて作っているなら安心ですが、人間の作った脅威で日本が終わる事は避けたいですよ、尊敬すべきリーダーの一声が欲しいです。世界が見ていますので。
どうぞ、今後もお役目頑張らず、神さまのペースでお願いいたします。
依存はよくないですもんね。
私の文章が駄作であった場合は、掲載をされずとも構いませんので、宜しくお願い致します。
RInokiaさんと、神々様には敬意を払い、感謝を致します。
長い文章をお寄せいただき、誠にありがとうございます。
また、神の御言葉をお伝えするお役目を授かっております、わたくしの立場に対し、数々のねぎらいのお言葉を頂戴し、本当に感謝の言葉もございません。
今回の熊本・大分の大地震では、これまでに起きた東日本大震災や、阪神・淡路大震災などで、わたくしたちが得た教訓や、何より、わたくしたち日本人の今の行動心理、言動などが、こうして大災害にみまわれたことで、本当にあらゆる場面で顕著に現わされているのだと、つくづく感じます。
わたくしたちは、自然と共生し、あらゆる事象から学ばなくてはなりません。それが、たとえ尊い命が失われようとも、それでも、悲しみから這い上がり、お互いに励まし合い、明日へ向かって歩まなくてはなりません。
人間という生命が、この地上において“できること”、そして、また逆もしかり、わたくしたちは、こうした極限の状況を目前にし、自身を、そして人間というものを再度考えるきっかけとなるのでしょう。
わたくし自身、今回のメッセージで、熊本・大分の方々、それは、わたくしにとりましては、少なからず遠方にあたるのですが、そういった方々と、この日本という国土を介し、しっかりと繋がっているのだと改めて気づかされ、こうした深い縁で結ばれて今この国に在ることが本当に愛おしく、また、自ら今送る生活が自分一人のものではなく、常に皆様とともにあることに、心から感謝の念を覚えました。
神から愛されるこの国が、本当にわたくしたち一人ひとりの気づき、自然によって生かされていることへの真の”目覚め”を得る、そうして、これからの人生を感謝によって丁寧に歩んでいくならば、きっと、この国は、国民全体の段階がまた一つ上がり、それでこそ、りひと様のおっしゃるような、尊敬すべきリーダーの存在、大いなる声が現わされるのでしょう。
コメントを頂戴し、心より感謝申し上げます。
天にあらせられる大いなる息吹、それは、宇宙の究極、根源の神より発せられる光を介し、そこに独自の御役目を担われた、言い換えれば、根源より枝分かれした神々から御言葉は、本当に繊細な波動の差があるのみでございます。それを、わたくしといたしまして、今生、神からお役目を授かりまして、神の愛から紡ぎ出された、今地上の人々に本当に必要なメッセージとして、日本語を用いて表わさせていただいております。
それは正直申し上げれば、最高度の集中を必要とし、混在する神々の息吹から降ろされる怒涛のような、神特有のエネルギーを、選り分け、あるまとまった文章に起こすという段階を経ますので、本当に生半可な力では成し遂げられるものではございません。
神の真実の愛をお伝えする―――、微力ながら、わたくしが出来ますことは、人間の人智を超えた存在がわたくしたちを想い、尽きることのない愛の光を送ってくださるその息吹を、皆様にお届けするのみでございます。
柏餅様がご指摘くださいましたように、メッセージが難解なものとなり、誠に申し訳ございません。以上の点をご理解の上、今後も温かい目でご高覧いただけましたら幸いでございます。
柏餅様が、被災地の復興と、被災をされた方々の身の安全と生活の回復を願い、いつも想ってくださるのは、わたくしといたしましても本当に嬉しく、心より感謝申し上げます。
身に余る御言葉を頂戴し、大変光栄に存じます。
今回のような大地震で、わたくしたちは生活のあらゆる面と、自然の摂理、ひいては人間が成し得ることについて考えております。人と人との繋がりや、大切な人へのより一層の愛おしさ、そして、普段はなかなか気づかない家族という存在のありがたさも感じることでしょう。
しかしながら、これが何の苦境も無い、ごく平凡な日常のさなかあっても、わたくしたちは、本来この真実を常に心に据え、本当に喜びの中に在るよう、自らを(良い意味で)律していかなくてはならないのです。
今回の大震災で、わたくしたち一人ひとりが貴重な教訓を得、今後、より良い日々を、互いに励まし合い、助け合い、人との縁を本当に大切にしながら生きていくこと、これこそ、この国全体の尊い使命なのだと感じております。