2016年4月16日


 
この度の、熊本・大分を中心とした大地震に遭われた方々、そして今なお断続的に揺れる最中にある方々へ、心からお見舞いを申し上げます。この先、少しでも大難が小難になり、被災された方々の生活が一日も早く戻られることを心よりお祈りいたします。


 今も頻繁に発生する、これまでの予想をはるかに超える規模の地震にみまわれた、熊本・大分を中心とした九州各地の動向を見守る方々に、日本に宿る神に意識を合わせながら、僭越ではございますが、お伝えさせていただきます。


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 今回現わされた大地震の意味は、「人間が日常生きるのとは、また別の次元で、大地も着実に生きている」ということです。大地はこれまで何事もなかったかのように、しかしながら水面下では、確実に地震なるものへと突き進み、そしていざ現象としてこの世に現わされた際には、すでにわたくしたち人間には到底及ばないほどの力となりました。


 今回の度重なる地震を、一体この世の誰が予想したでしょうか? ごく普通の日常を、なんの支障もなく過ごし一日を終える、そのさなかに、突如として、大地は大きく揺れ動きました。そして、その揺れは、次また次と、いつ終わるかも分からない様相を呈し、また、一説では、他の断層に影響するとも言われています。

 わたくしたちが普段、呼吸をし、自然、物質に限らず、地上のあらゆる恩恵を受け、そして(つつが)なく 日常を過ごす、こうした人間の生活に見えるものは一体何だったのか、わたくしたちが把握できるこの地上の物事は、本当にごく限られた側面だったのではないかと、もはや(あらが)うことの叶わぬ大地震の前に、被災地もまた、こうして、今なお安全に過ごせるわたくしたちも、途方に暮れてしまうのです。


 冒頭に申し上げた、「人間が日常生きるのとは、また別の次元で、大地も着実に生きている」―――、こういった、わたくしたちの日常において、目に見える光景、耳にする情報、そして、わたくしたちが巡らせ()る思考というものは、実は本当に極少で、この世の仕組みを網羅するには、あまりにも限られているのだと言うことができるでしょう。


その小さきわたくしたちが、今この国が直面する、大地の深淵な仕組み、圧倒的な破壊力をもった地震という脅威に対し、果たして何をすることができるのか、それは、まさに、今なお続く地震に、明日への希望を見出せぬほどに打ちひしがれた、当地の被災者の方々のみの問題ではありません。


 神が創ったこの大地は、神の計らいによって緻密に配されております。人間のもつ技術が
如何(いか)に進化を遂げようとも、人間の暮らしが、より一層の安全を得ようとも、その基盤、大地の様相には、ひとところにその虚栄は崩されることでしょう。

 
 しかしながら、わたくしたちは、“想う”ことができます。それは、
絵空事(えそらごと)を思い描くという意味ではなく、実際に今なお続く地震に(おび)える方々、被災し、住まいもろとも崩された方々、そして愛する家族を亡くされた方々が、今まさに、わたくしたちと大地で繋がり、互いに生きている、それを、わたくしたちが授かった“想う”という観念になぞらえれば、おのずと、わたくしたちの心は、今置かれた自らの生活(状況)と、そして、被災地の方々の様相の双方に想いを馳せ、自分の観念がこれまでよりも確実に広がってゆくでしょう。


 それこそ、わたくしたちが、この日本という国で、小さくも互いが在ってこそ生きる民であり、それがたとえ、どれほど(距離として)離れていようとも、また見ず知らぬ者同士であっても、お互いが、自らの知るに及ばぬ次元で、日常を、そしてまさに今もなお、お互いが繋がり、生きている証なのです。

 
 この、「互いに繋がり合い、生きる力」を、今こそ、強く信じてください。今わたくしたちが、被災した地の方々に想いを寄せ、日々自らが置かれた場(環境)で生きることは、必ずや、被災地に在る方々にも通ずることなのです。たとえ被災地とはかけ離れていようとも、皆、同じ
瞬間(とき)を、繋がったこの日本の大地で過ごすのです。


 その想いで一人ひとりが生きるとき、それは、これまでの自らの生き方とこれから成すべき過ごし方、そして、この国に生きることの様々な要素(側面)に及ぶまで、これまでにないレベルで多岐に感じ、また深く考えることができるでしょう。繋がった大地と、そして、その大地を通して繋がっている人々に対し想いを馳せるとき、自ずとわが身を省みることになるのです。


 希望は捨ててはなりません。誰一人として、明日を生きる力を削いではならぬのです。家も何もかも失った方、崩壊した状況に呆然と立ち尽くす方々へ、わたくしたちが、今、真にできることは、地震に怯えることではなく、また再び揺れ動くことに恐れおののくのでもなく、何よりも、わたくしたちが明日への希望を捨てず、今自ら在る立場で、しっかりと歩んでいくほかはないからです。それが、ゆくゆくは、確実に、九州全域の現状の回復に繋がるものと、心にしっかりと据えていただきたいと思います。