2017年5月26日

 全国の神社や仏閣、またかつての戦地などを巡るーーー現在もなお、年に数度おこなう、わたくしの巡礼の旅は、毎回本当に“命懸け”であり、また、一人の人間として、そういった目に見えない存在たちに対し、敬意を払い、心からの誠意を尽くすものでもございます。どんな魂も、真実とても美しく、そして神に愛されていることを、この場にて皆様へお伝えできれば幸いに存じます。そして、この世とは、それほど、目に見えない息吹が幾重にも渦巻く、すなわち、霊的なエネルギーの作用がとても強いものでもあるのです。

 わたくしが当初授けられた能力のとおり、神、御仏(みほとけ)の御前にて霊的に対話をさせていただく―――、もしかすると、ただそのことに終始する道を選んだならば、そうした、我が身の霊体まで深く用いるような危険は冒すことはなかったのかもしれません。

 ですが、これが、まさしく“宿命”と申しましょうか、はたまた、わたくしの性質とも申せるのかもしれませんが、わたくしは、様々な天上界の御援けをいただきながら、神や仏のみならず、“人間”という御霊たちと、深く魂でのやり取りをおこなう道を選びました。しかし、その道はけして簡単なものではなく、そこへ到達するためには、【その⑬】でお伝えしましたように、御仏による御指導が不可欠となったのです。いわば、“修行的”な要素です。

 御仏たちと接すれば接するほど、わたくし自身が乗り越えるべき、霊的な“課題”というものが、御仏よりその都度与えられました。これまでに見たことも聞いたこともないような、霊魂への対処法(祈り方や浄霊など)であったり、わたくしという、肉体をもつ人間ならではの、その発するエネルギーを、霊魂へと作用させる場合の、“転換”方法などを習得するよう、御仏たちは厳かにおっしゃられるのです。

 目前に繰り広げられる幾多の霊魂の様相(動き)を
瞬時に捉え、“本能的に”祈る、それを、自らの魂を取られる(憑依される)ことなく、細心かつ大胆におこない、そしてその結果をまた霊的につぶさに視て取り、再び試行するーーー。まさか、こういった仏道における“修行”を、自身がなぞらえることになろうとは夢にも思っておりませんでしたが、この地道なおこないを一つひとつ積み重ねていく、これによって、これまで数々の先人たちが辿られた、奥深く厳しき仏道というものを体感することができましたし、また同時に、密教的な意味合いの強い仏事において、歴史上の方々が感得された“秘術”というものもまた、新参者ながら、会得することができました。

 御仏たちもまた、その存在は本当に多様です。神とはまた別の、そして、この宇宙にあって、しかるべく大事な部分を司る御仏たちは、揺るがなき、特有の“強さ”をたずさえていらっしゃいます。仏道の修行(祈り)にあっては、愛あるからこその、実に厳しい御指導をされる御仏もあれば、「わたくしの前へいらした際は(あなたのエネルギーは用いず)、せめて身体をお休めなさい。」として、わたくしの祈りを優しく静止され、眩(まばゆ)いほどの光や、また、仏道の絵図などでよく見受けられる、天女様などがお召しの羽衣から、たおやかに風になびく細く美しい紐を、幾本もわたくしのもとへと吹きなびかせてくださる、そういった、慈悲深い御姿を示される御仏もあられます。

 わたくしに課された、仏道における霊的な“修行”は、御仏たちより下される課題も、御霊を目前とした(祈りの)本番も、そしてその回答でさえも、当然のことながら、“霊視”でおこないます。元々は、神的な息吹に慣れていたわたくしでしたので、この修行は、当初は疲労感が殊更に強く、祈りと祈りの間の休養では、ほとんど気絶したように眠り、その間は、霊体として天へといったん引き戻され、急速に波動を調整していただくといった具合でございました。
 
 “何を以って、真にやり遂げたと言うのかーーー”、正直、霊視でおこなう霊魂たちとのやり取りは、現象界における視覚的に分かりやすい状態ではございませんし、また、霊魂たちが背負う様々な“想い”や、複雑に絡んだ“因縁”は、突き詰めるごとに次々と溢れだす、それこそ、“果てしなき問答”を繰り広げるがごとくです。

 わたくし自身、天より与えられた機会、その貴重な時間において、ただひたすら目前のことを懸命におこなう、そのなかで、“もう大丈夫ーーー”と思えるところまできて、やっと霊魂とのやり取りに終わりを告げるーーーそれしかありません。“本当に自分のような者が、こうやって霊魂の奥深くまで関わることははたして良いのだろうかーーー”、人間の業(ごう)や、幾年を経てもなお尽きぬ怨念、また、人の感覚では到底理解し得ない霊魂たちの“本性”というものに、祈り、光を降ろし続けるわたくしは、そう、自問自答を繰り返しました。

 それでも天は、わたくしという存在に、神と人とを繋げる“架け橋”となるよう、一縷(いちる)の望みを託されたのではないでしょうか。

 終わりなき“霊視”の道を歩むーーー。目前の御霊がたとえどのような様相であろうとも、その内なる神へ通ずる光を信じ、ただひたすら祈り、天からの光を降ろすーーー。このわたくしが辿る霊視の道とは、あまりにも“愚直”と申せるのかもしれません。今生限りの、大切な自らの人生、そして日々の人間としての生活がありながら、「霊界」といつも隣り合わせで、霊魂たちと、深く、そして真っ向から関わり合うーーー。

 わたくしがなぜこの道を、いかなることがあっても心折れず、そして日々を、益々明るく歩み続けるのか、次回は、その理由(わけ)をお話しいたします。

その⑯へ続きます。】