2017年6月18日

 大変ありがたいことに、今こうして霊視鑑定士として、日々多くの方と鑑定を通じてお逢いさせていただきます。全国を巡り、皆様とお逢いする喜びは、何よりもわたくしの、この霊視の道を続けていくうえでの大きな原動力となっております。

 これまでも様々な方と対話させていただき、皆様から、わたくしの霊視などの能力に対し、身に余るほどのお褒めの言葉を頂戴いたします。大変光栄なことと心から感謝しつつ、やはり、こういった力については、人の根幹、すなわち<魂>について深く関わることであり、その方の人生をも左右し得るものでもございますので、霊視を司る者として、この力は、ひとえに“神からお預かりしている”のであり、人間本位の思惑などではけして軽々しく用いてはならいことを、常に肝に銘じております。

 霊視を、如何に人々の幸福へ役立てるかーーー。霊視をはじめとする、数々の霊力の威力、そして影響力を真に会得することを抜きにして、それを正常な感覚と賢明な判断をもって、この世に生かせることは叶いません。

 そういった意味で、前回の【その⑮】にてお伝えいたしました、仏道における霊的修行は、霊界の様相(仕組み)、そして人間として持ち得る“霊力”というものの性質を、多角的に把握することにつながりました。

 御仏たちから、折に触れ降ろされる、霊的な“課題”をこなすこと、それは、一歩間違えば、わたくし自身の魂をわが肉体とは分離させ、別の霊魂にそれに取って替わられる危険性をも孕(はら)みます。

 しかしながら、御仏たちは、必要な言葉のみを、厳かに、そして極めて端的に、わが修行についての課題を下します。現実の世界と霊界との狭間(はざま)で、わたくしは幾度も苦悶いたしました。自ら得たその霊力の分だけ霊魂たちと関わることが叶うーーー、逆に申せば、それが、自分の“今”の実力です。御仏はけして、何が足りないなどと言明はされません。しかし、次々と御言葉を降ろされる御仏の様相に、満足の色はありません。「あぁ、まだ完全には成し得ていないということなのだーーー」再び、自分の霊視の状態に、より一層の集中を傾けます。

 仏道の分野で、今現在もなお、主として
わたくしを御守護くださる御仏は、今なお厳かな様相で、わたくしを見守り続けてくださいます。その御仏と、エネルギー的に“対(つい)”となる、また別の御仏は、わたくしと、その御仏とのやり取りをご覧になり、霊的な修行を敢行しているさなか、傍らにて静かに涙を流されました。「このお方(御仏)のあなたに対する御姿勢を拝見しますと、仏界において、人ひとりに求めるものがこれほどまでに厳しきものであるのかと胸を痛めます。しかしながら、この忿怒(ふんぬ)の形相のその御心内は、あなたへの信頼と、誠の愛こそゆえとご理解いただければと、切に願います。」とおっしゃられたのです。

 厳しくも、また優しくも、御仏は
皆、わたくしをいつもご照覧くださるのだーーー、これまでわたくし自身も、この世に生を受けてから、様々なご縁をいただき、その度にかけがえのない学びの機会を得ながら、こうして“今の自分”がいるのです。この世に起こることに関係のないことと、無碍(むげ)に切り捨てられるものは何一つないーーーゆえに、わたくしは、天上の神々そして御仏の求める限り、天より与えられたこの修行を勤めあげ、一つでもこの世へ恩返しするという形で、自らの人生を使っていかねばーーーそう自分を鼓舞してまいりました。

その⑰へ続きます。】