2018年12月28日(木) Rinokia 7度目の住吉大社〈大阪市住吉区〉参拝

第一本宮の神(底筒男命)より:

「神々が今、もっとも懸念している人間界の傾向は、“無思考”である―――。良いか、思考する程度の“低下”ではない。すでに、“思考”すら及ばずに、日常において起こる現象について、何と多くの者たちが、その(現象の)都度、自ら真っ向より“考える”ことの無き、この惨憺(さんたん)たる様相か。

ーー"考える"ということは、すなわち"感じる"ということでもあるーー。

そして、この世において、人々の“無思考”を、さらに“加速”せる(する)ような、または、その“無思考”を巧みに悪用し、社会における不自然なる流れを作り出す者もいることも、そなたたちはしかと肝に銘じるべきである。」


(Rinokiaより: 住吉大社の第一本宮の神
(底筒男命)より、“無思考”という文字を頂いたときには、頭を打たれるほどの衝撃を受けました。神は、わたくしたちが普段何気なく生活している程度では、到底“考える”という範疇ではないのだと気づかされました。

人間には、“慣れ”というものがあり、日常生活においてはそれも大事な要素です。しかしながら、今回、もっとも神がおっしゃりたかったのは、現象界において、わたくしたちが気づき、学び取るべき数多くの出来事が起こっているにもかかわらず、それをわたくしたちが、自ら見過ごすような、安易な生き方をしていないだろうか、ということだと思います。

そして、貴重なこの世での人生に対し、諦めや虚無感に苛まれ、生きることに一筋の光すら見出せないとしたら、神がわたくしたちに授けてくださった、“考える機能(=脳)”と“気づきの機会”を放棄していることになると、わたくしは強く感じます。)

以上。

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