皆様

いつもありがとうございます。

先頃、長野県下高井郡 
渋温泉にある、横湯山 温泉寺(おんせんじ)へ参拝いたしました。
ここは、かつての戦国時代、甲斐(今の山梨県)の守護大名であった武田信玄公が、この地域から湧き出る温泉を愛したのだそうで、温泉寺の開基でもあられます。

お堂の屋根瓦には、武田家の家紋(=菱紋)もみられ、長野(信州)にありながら、山梨(甲斐)の要素がみられる、不思議な空間です。

今回は、こちらのお寺の意識体からのメッセージをお伝えいたします。

Rinokia

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「身体には、人々がいまだ見出せぬ(発見せぬ)ほどの、逞しく、また絶妙な機能が備わっております。その人間が、自身の肉体を以って一つの人生を辿っていくことを世の定めとすると、人はいずれにせよ、己の肉体が、いつの日かその寿命の尽きるまで、健やかなることを願い、つつがなく(無事に)生きていくべきものでありましょう。

一つの肉体は、日ごと、生み出されるもの、そしてまたその役目を終えていくもの、双方を繰り返し、真の意味で“休まる”ことはありません。

年齢を上げるごとに肉体への負荷はかかり、また、長らくの人生においては、その肉体の器量(範囲)を超え、なお自らを奮い立たせ、物事に当たらなければならぬこともあるでしょう(※ここでのメッセージの意図は、かつての戦において不眠不休の勢いでその役目を遂げることをおっしゃっています)。

だからこそ、人は、折に触れ、自身の肉体の“治癒(回復)”について、時機(=回復の機会)を大切に見定め、自身の身体と向き合っていくべきなのです。

この肉体の“治癒”にあたり、人間には何が必要かーーー

それは、何もかも、自然、あるいは大地から育まれた恵みの摂取にあり、ときにじっくりと時間(手間)をかけ、肉体の“回復力”、あるいは不具合に抗する力(=免疫力)を目指していくことが肝要です。

人間とは、自然によって生かされ、それは生まれてより(寿命を遂げるまでの)一生をかけ、その恩恵を受け生きていくべきもので、あなたがたはなお、その自然の“力強き息吹”を感じ、機(機会)を重ね、僅かながらでも、わが身(肉体)の力へと含んでいく(取り込んでいく)、この心がけを大切にしていただきたい。

あなたがたのかけがえのない一生において、その身は“一つ”なりて、ここに自然の力、人類の智慧、それらを兼ね合わせていくことこそ、人間の辿りゆく本質とも言えましょう。

長らく大地が培った、力(火(火山)と水)は、今なお、あなたがたの生きることを支えゆくのです。」

以上。

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