2012年6月2日

※天地開闢の際に宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)の次に現れたとされる、別天津神(ことあまつかみ)の最後の一神。

「宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)様が、あらゆるものを“生み出す”神なら、わたくしはそれぞれを永年しかるべく“存続”させる役割を司ります。あるものがこの世に姿を変えて誕生し、それがある一定の状態(生命)をまっとうする、その一連の過程においては、数えきれないほど周囲からのエネルギー的な影響がある。そして(この世に)誕生した生命それ自体、それを維持するには強い力(エネルギー)を必要とします。つまり、すべてのものは、いったん生命を宿してから、それがそのもの自体の寿命をまっとうするまでは、ある意味、生死を繰り返しているのです。

先に宇摩志阿斯訶備比古遅神様より、そなたたちの体内の細胞が“再生と破壊を繰り返し、それによって生命を保っている”というお話がありまたね?これが良い例でしょう。そなたたちは現に生き続けている。しかしそれを維持するうえでは、実は細胞レベルでの“生死”が密接に関係するのです。ゆえに生死というものはあらゆる存在にとって、そなたたちが考えるよりももっと身近な出来事であり、魂が存続するうえでは不可欠です。それが本当の意味での“存続”ということなのです。」

「そなたたちがこの世に生きるというのは、実は決して簡単なことではありません。そなたたちが一つの生命体として存続し続けるには、これが成し得るべく、本当に幾多の生命がその命を賭してそなたを生かしている。命を捧げているのです。しかし、それはまったく悲しみではなく、むしろ神の世界における“喜び”であると言えましょう。そなたたちは、こうした、自身を生かす生命に報いる生き方をしなくてはならない。いつ何時も、そう一瞬一瞬を大切に生きてゆきなさい。」

「わたくしは、本当に万物の、あらゆる生命の生死を見守っております。そなたたちの肉体的な生死のみにとどまりません。この世を満たすすべてのエネルギーには、その数だけ生と、そして死があるのです。死があるからこそ、生きることがより一層の喜びとなる。しかしながら、死はすべて神の世界の“記憶”として残され、朽ちることのない、永遠なる生命を得るのです。」

「そなたたちは、決して目に見えるもののみを信心してはなりません。真理は必ず、ものの“奥底”に隠されています。しかし、真理というのは実は本当にシンプルで、いずれもわたくしたち神の世界に通ずるものです。そう、万物はすべて神から創られておりますから、物事の各々中心となるのは、やはり“神”なのです。」

(「真理を見出すにはどうすれば良いでしょうか?」と尋ねる。)

「(にっこりと笑って)その答えはごく簡単です。そなたたちは、これまでの人生、様々な現象を通して、自らが創り出した数々の衣を纏っています。偏見の衣、抑圧の衣、卑下する衣・・・。もはやそなたたちの先人の女性が身に着けていた、“十二単(じゅうにひとえ)”のレベルではありません。より多くの“重たい”衣を着込んでしまっている。そなたたちの魂の中心もまた万物と同様で“神”なのです。神はそのような重々しい衣はまったく好みません。そなたたちもまた同様、(これらの衣は)まったく必要ありません。重たい衣の感覚で物事を見ようとするから、真理を“見出す”という表現になるのです。」

「そなたたちは、自身に宿る神とすべて、本当に心身含めすべて同一になれば良い。そなたたちが“神の真理そのもの”になることです。」

「まずは、自身が何か否定的な想いになったときには、この否定的な想いを、衣を剥がすように脱ぎ捨ててしまいなさい。“今のこの感情は要らない”と。そういったマイナスの想いに自ら決別するのです。現象の世界においては、本当にあらゆる事象がそなたたちの感情を左右しています。一つひとつ丁寧にこの作業をおこなうことで、いつしか喜びの感情が以前よりもっと強く感じられるようになる。真理とは、喜びそのものです。そしてこれこそがそなたたちが真に纏うべき単衣(ひとえ)であり、いずれの神も身に纏う誠に軽やかで麗しい、高貴な衣なのです。」

<感想>
宇摩志阿斯訶備比古遅神様と同様に、言葉の表現に長け、私たちに必要なメッセージを様々なたとえを織り交ぜながら語ってくださいました。性別のない独神とのことですが、感情の細やかな、どちらかというと女性的な神様です。優しい雰囲気とともに人間味に溢れる豊かな表情が大変魅力的でした。

以上。

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