皆様

いつもありがとうございます。

先日のブログで書かせていただきました、群馬県甘楽郡下仁田町の、小高い山の斜面にそびえる榛名神社での神の御言葉に続き、その神社から徒歩数分のところにあります、天台宗 観福寺(かんぷくじ)にて御仏様よりいただきました御言葉をお伝えいたします。

天台宗の大本山は、「比叡山延暦寺」です(以前の記事:東塔 )。阿弥陀堂をはじめとして、わたくしの霊視の道をいつも支えてくださる大いなるお寺です。全国には、沢山の天台宗のお寺がありますので、ふと立ち寄らせていただいたお寺が実は天台宗、ということも度々ございます。

全国的に有名な寺院もしかり、わたくしとしましては、人気(ひとけ)のほとんどない、静かで簡素なお寺も好きで、よく伺います。場合にもよりますが、総じて寺院は、小綺麗に手入れされていて、
普段、喧噪(けんそう)のさなかに生活しておりますと、心が一気に洗われるようです。

時折、お寺のご住職ともお話をさせていただく機会があり、皆様お忙しいのに、とても親切にお話してくださいます。その地の歴史など教えてくださるなど、本当に学びになりますし、こうして長らくお寺を守り、仏道を歩まれるお姿に大いに励まされます。

先頃お参りしましたこの観福寺も人気なく、本当に静かなひとときを過ごさせていただきました。本堂前のほか、隣に併設された墓地にも、少々手を合わさせていただき、わたく自身の命が在ることに感謝の念を深めた次第です。

皆様のお心が、この
観福寺の御仏様の愛の御言葉で、少しでも軽くなっていただけましたら幸いに存じます。

暑さ厳しき折、どうぞ皆様お身体ご自愛くださいませ。

Rinokia

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「真に、心の“自由”なる者、それは、目前の物事に心揺らされることなく(気が散漫になることなく)立ち向かえる(打ち込める)者なり。

けして卑屈な意味ではなく、人は皆、いずれも、広がる宇宙のなかのほんの僅かな、小さき存在。その小さき存在が、自らの場(※ここでは立ち位置や役割、という意味です。)を知り、目前にこそ、先ずは“生きる意味”を見いだすこと、そこに、天の配した“妙”(=不思議なほど優れていること)がある。

人は、
いわば、目に見えぬこと、実感がもてぬことに、ある種の恐怖や違和感、さらには、自らの心の定まりを欠く(=不安定になることがある。

しかし、それは人の力の劣性(劣っていること)ではなく、むしろ、人は、自らと、そして自らの間近(周囲)にて、存分に“生きる”(※力を発揮する、という意味です。)ことが叶い、さらには、その所業(動き・成したこと)がすべて、目には見えぬ力(エネルギー)となって、必ずや力の及ぼされる(影響する)、その永らく続きゆく、深淵なる仕組がある。

ゆえに、皆よ。苦しむことなかれ、自らの力の及ばぬ、自由ならぬ(本意にはいかぬ)を、悲しむことなかれ。

真の、
生きる達人”たるは、真実ささやかな、その僅かなる物事にこそ、上もなく下もなく、ただ心穏やかに(素直に)、魂(心・気持ち)を込める、その潔さをもつ者である。

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(少々間を置きました。)

“一隅を照らす”---あなた様(=Rinokia)も時に目にされる、わが(天台宗の)宗派の、この教訓は、もっとも簡素にして、もっとも事実を得た(的を得た)、人の在り方、生き様を示しております。

目前の、真実(本当に)たとえわずかばかりであっても、自ら、一隅を照らす者となる。

この真意こそは、人間という魂が持ちうる苦しみ―――自ら思い描く物事(理想や願望)と現実の狭間(はざま)に在るを瓦解し(解脱させ)、
慎ましく、あるがままに、そして自らの(置かれた)場において、誠心生きることを示す教えでありましょう。

もっとも尊きは、巨大でもなく、数多(あまた)でもなくーーーただ、その一人の、真心の一行(ひとつの行い)いであり、この世を照らす“燈火”(ともしび)となるのです。」

以上。

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