皆様

いつもありがとうございます。

朝晩のひんやりとした空気が、秋を感じさせます。来月10月にはさらに秋も深まり、もうまもなく冬がやってまいります。

わたくし自身、霊視鑑定士として、様々な年代と、複雑な環境下にある方々をさせていただいておりますが、相談内容はまさに“十人十色”で、たとえ似たケースであっても、内実抱えている問題は千差万別です。ご相談を受けるごとに、自ら学ばせていただくことも多く、この世の不思議や、また、神の配した生命の妙を感じております。

神の世界、いわゆる“天上界
には、天上界のしきたりがあります。一連の“流れ”と申しましょうか、すべてはエネルギーで構成されますので、それぞれのエネルギーは、互いに交わり、また相反しつつ、独自の姿(様相)を成します。

無論、わたくしたちが生きるこの世にも、目には見えないレベルでの仕組みから、また社会的な意味においても一定の流れがあり、そのなかで、人間という存在もまた、生命(肉体)をたずさえた存在ならではの構造を有し、さらには、地域的(国的)特徴も相まって、各々の程度(立ち位置)が定められてまいります。

これらは、人類の
長き歴史によって、少しまた少しと紡がれた、どれも欠かせぬ、そして究極は必然にてもたらされたものではありますが、人間という存在は、ある意味、どのようにでも“変わる”可能性を秘めた、いまだ未知の領域に属する生命体なのかもしれません。

わたくしたちが日々この世を生きておりますと、実に多くの“判断”を迫られることになります。目前の物事が良いことなのかそうでないのか、そして自分自身でさえ、好ましい存在であるのか(望ましい人物なのか)等、人は、何かしらの判断基準に従い、物事の優劣、そして良し悪しまでも決めてまいります。

そういった判断は、やはり大きな部分として、各々方の幼い頃の環境や育たれ方などに根差しているものであることを、鑑定をさせていただきますと、とくに感じます。

どれだけ年月が経っても、実際には、幼い頃の経験や、自身が思ったこと、こうでなければ(あるいは、こうしてはならない)なども、まだまだ純粋な心根で見たり聞いたりの経験が、のちの人生、つまりは“生き方”の随所に反映していると、皆様のご相談をお伺いする度に、わたくし自身強く感じるのです。

霊視鑑定をさせていただく、どの方も、人生をより良く生きるために、本当に真剣です。たとえ不器用であっても、しかしながらその健気さや真面目さは、そのお姿を目の当たりにする度に、“人間とは、かくも生きるものなのだ”と心に強く訴えかけられます。

わたくしは、性質上、天と地、いわば、“神”の世界と“人間”の世界のちょうど中間を行き来するような立場でおりますが、冒頭でもお伝えした、“天には天の”、そして、“地には地”のしきたり、もっと言えば“規範”があり、その“差”を縮めることが、わたくしなりの命(=使命)であると考えております。

それは、わたくしたち人間ならではの肉体を依拠とした生命が、五感をともない魂の向上を図っていく、そのなかでは、欲あり感情あり、非常に“軟体”かつ、揺れ動く要素をたずさえているなかでは、人間こそ“指針”を求めるのだと思います。

“指針”あるいは、“良し悪し(物事の是非)”は、無論、長らく祖先や先人たちが培ってきたその流れで、一つの形として成されていくものでもあり、さらには、わたくしたち各々の魂の、転生を含めた数々の生き様ーーー人間模様によって、今世、実は、今まさに生きている“自分”が幾つもの要素を含みつつ、(今世の)“自分”として成り立っている、その地点からの、求める物事(指針)であったり、是非や好きか嫌いなどの判断になるのでしょう。

人間の世界ならではの“指針”も、もちろん大事です。それと同時に、神の側からの、一つの指針、そして道理も、本当に欠かせないことですし、私たち人間は、そういった目に見えない物事に、特別の感情や想いを抱き、人生が大きく影響され得るものでもあります。しかしながら、わたくしが霊視鑑定士として生きておりますと、いくら神の世界が大事だからとはいえ、人間の世に
あまりにもそぐわないことは、やはり、それを至上としてはならない(単純に当てはめてはならない)と常々感じます。

“この世を懸命に生きる人々の、より良き歩み(=人生)のために、常に愛の言葉を伝える存在でありなさい”―――霊視鑑定士の仕事を始めるにあたり、神は、わたくしにそう命ぜられました。

鑑定をお受けくださる皆様は、もう十分なほど、よりよく生きようとすることに対し、人生を通じて熱心で、幼い頃より絶え間ない苦難を乗り越えていらっしゃた方々です。

その方々に対し、わたくしが何をお伝えするのか、いいえ、何をせめてお伝えできるのか、それは、「神様はこのように考えていらっしゃるのですよ。」と、神という、目には見えないけれども大いなる存在が、わたくしたちをどのように想ってくださっているのか、そして、人間を生かしめている神の側からの“真実”について、お伝えすることなのです。

少なくとも、わたくしたち人間側の考えが“間違って”いて、それを正すのではありません。人間には人間の流儀があり、また、物事の道理や規範があり、それに則り社会は形成されているのです。

“見方”の違い、あるいは、“捉え方”の違いと言い換えても良いかもしれません。

迷い、苦しみ、もがきながら、それでも
懸命に生きようとされる存在であるならば、誰しも否定されるべきではありません。

むしろ、“あなたのその考えも、きっと正しい。でも、神様はこう考えてもいるのです。”と、新たな視点(捉え方)を示していく、それが霊視なのだと思います。


人間とは“真実”を知りたい生き物でもあり、そういったことに関し、飽くなきまでに“追求する”力を持ち合わせております。ただし、“真実”とは、ときに残酷でもあり、そういった真実であるならば知らないほうが良いこともあります。

霊視を司る者は、人間の目では見えぬもの、耳では聴こえぬものを、それこそ感覚を研ぎ澄ませ、対象の物事にどんなエネルギーが流れ、そこからどんな縁が導かれているのかを緻密に見い出していく役目を担います。“真実”とは、非常に奥深く、繊細であり、だからこそ少なからず、わたくしたち人間には“影響”(衝撃)を及ぼすものでもあるのでしょう。

人間のもつ叡智の、さらに奥深くの、神こそがもつ“真実”を、人々が日々をより生きやすくするためにお伝えするのが、わたくしの使命です。

自身にまつわる“本当のところ”を知ることによって、“あぁ、そうなんだ”と気づき、安堵し、前向きに次の一歩を歩みだしていただけるような言葉を、わたくしは、生涯、霊視鑑定士として、縁をいただいた方々に発していきたい。

人間が見る世界と、神の見る世界は異なります。宇宙という壮大な空間のなかで、数ある生命の一つの、本当に砂粒のような生命は、少なくとも、神と同じ視点にはなれないでしょう。

しかしながら、神の愛の行き着くところの、その“結実”として、わたくしたち生命があるのならば、わたくしたちは、神の持つ視野の片鱗でももつことができれば、この世をまた別の心持ちで捉えることができるでしょう。

すべて、“
この世を懸命に生きる人々の、より良き歩み(=人生)のために”。わたくしたちは、神の真実を、わが血肉として生かし、この地球に、人類の歩みを創り続けるのです。

神の真実とは、この地球に生きるわたくしたちの遥か彼方に見える“星”として常に明るく輝き、わたくしたちに希望の道を指し示すのです。

Rinokia

以上。

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