2012年12月28日

【アラハバキ ※】
※荒覇吐(あらはばき)とも。日本の民間信仰の一柱で、古来日本の東部または東北地方で長らく崇められてきた。東北以外の地域では、客人神(門客神)として数多くの神社で祀られている。

「その昔、人々はわれと寄り添い、われに心からの信頼を寄せた。それは、同時に“自然”への礼賛であり、そこには移ろいゆく季節が、彼らにとって生きる基盤となり、この自然の変容とともにまた、変わらないもの(=不変的なもの)への愛着をもち、その身をたくましく、そしてしなやかに成長させたのだ。」

「われは本来、東北独自の神ではない。しかるに、この(日本の)国土の狭き領土にあって、古代様々なる民族同士の軋轢があり、また当時の統治者の恣意的な政策をもとに、元あるわれら(始原神)への信仰も変わり、時にはその信仰さえ抹消することを余儀なくされた。そのなかで東北地方というのは、われをひたすらに信仰することで、自らのアイデンティティーを保ち、そして、縁あるものたち(家族、血縁関係にある人々など)との計り知れない“絆”を持ち続けてきたのだ。」

「人々よ。そなたたちがたとえ何処にいようとも、われのそなたたちへの想いは一切変わることがない。それは、この宇宙のすべてがすなわち“われ”であり、そなたたちは、この広大な宇宙の一筋の“光”。この光があるからこそ、宇宙は美しいのであり、ひいては、この地球が(宇宙のなかで)数多の神が降臨する、ひときわ輝く星としてその美を讃えているのだ。」

「そなたたちのわれら(始原神)への認識が、時代とともに如何に変化しようとも、それはほんの表面上の違いに過ぎない。そなたたちの魂の本質は、われらと何ら変わらず、それは神というものの一端を担っているからである。そして、その身体もまた、基本的な性質を保ち続けるのだ。」

「時代は変わりゆく。しかしながら、この進化目ざましい昨今のなかで、そなたたちもまた、原始の民のように、変わらないもの(=不変的なもの)についても、しかと認識してもらいたい。変化のなかに不変があるからこそ、そこには“真理(=本質)”があり、そしてその真理があるからこそ、変化がより生かされるのである。」

「人々よ。そなたたちが生きるとは、いつの時代もその本質は変わらず、天上にて約束した(あるいは決めた)ことを、様々なる魂が在るこの地上にて、その相互関係をとおして、己の使命を果たさん(果たす)こと。祈りとは、そなたたちが思うよりはるかに意味合いが深く、(相手への)祈りで(単に)その相手が救われるのではない。その祈りという行為自体が、自らの魂を浄化する(=清める)ことであり、その祈りの場から、すべてが波打つかのごとく清まり、そなたに連なる(縁ある)魂もまた清らかなるものに変容を遂げるのだ。」

「自身を取り巻くすべてがあるからこそ、そなたたちは“祈れる”。これは、魂をもつ者としての“特権”であり、祈りとはすなわち、われら神であり、そして宇宙そのものなのである。」

「祈りのなかに神があり、神を以ってすべてを平らかに治める。この真理を、人々よ、古来よりそれに気づき、真にわれら神々とともに過ごしてきた古来の民のように、いつでもそなたの身に寄り添わせ、心安らかに生きてほしい。それがわれの願いである。」

以上。

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