皆様

いつもありがとうございます。

先頃の博多での鑑定を終え、都内へ戻る途中に、大阪は、摂津国一之宮の「住吉大社」にお伺いしました。例年ならば、年の瀬のお参りと決めているのですが、今年は少し早めのお参りになりました。

盛り上がるようなカーブの強い反橋(そりばし)を過ぎますと、すぐに本宮のエリアに入ります。第一本宮から第四本宮、さらには、周辺に点在する多数の境内社を巡りますと、それなりに時間を要します。

地域柄でしょうか、やはり商売繁盛の境内社も多く、参拝者の熱心な信仰ぶりもうかがえます。さらには境内社に、有名な“五大力(ごだいりき)”のお石取りもあり、パワースポットとしても健在です。

わたくし自身、住吉大社は種々のお社(やしろ)をぐるりと巡れる、心楽しきひとときではありますが、実際のところ、第一本宮から始まる御祭神の神様からの御言葉は、いつも人智を超えるような壮大な御言葉が多く降ろされますから、わたくし自身、いつになく襟を正し、ついつい普段以上に畏まってしまいます。

ですから、この社にお伺いしますと、人間の世界(※いわば俗世)と神の世界の狭間(はざま)に迷い込んだごとく、不思議な感覚さえ覚えます。

古(いにしえ)より、航海の守護神として篤い崇敬を集める住吉大神からの御言葉をどうぞご一読くださいませ。

Rinoka

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「いつの時代にも人が“生きる”とは、いずれも
(=大小含め)難(苦難)ありて、それらを乗り越えん(乗り越える)がため、その場(状況)に、心もまた身もひたすらに費やすことでもある。

今(現代)も、そして古(いにしえ)も、程(※ここでは類(たぐ)い、という意味です。)は違えども、降りかかる苦難はひとかたでなく、そういった苦難を迎えゆく(苦難に打ち克つ)ことで、人は前進(進化)を得たと言っても過言ではないだろう。

“ 大難は小難に 小難は無難に ”という言葉があるが、無論、それは人間ならば誰しもが抱く想いでもあり、ときに、世の平和を願うことにつながる意識でもある。

しかし、神は想うーーー

苦難ありてこその、人はその場(状況)を脱し、自らより良き人生を歩むことを目指さん(目指そう)と志す。

その(良くなろうとする)気概こそ、“宝”なり。

なぜなら、苦難とは、あたかも必然に押し寄せる“波”のごとく、避け難く、真っ向より受け入れざるを得ぬこともある。

同じ押し寄せる苦難ならば、そなたよ、その苦難すら自らの、より高く飛び立つ(飛び上がる)、“跳躍の土台
とせよーーー

自らに立ちはだかる波(=苦難)が高ければ高いほど、人は一層の躍進を遂げることになる。

迎えよ苦難を。切り拓けよ、この世の大海原を。

めくるめく荒波は、人々の“生きる底力”を呼び覚まし、(数々の荒波を)乗り越えた先には、既存を超える新しき海原(=世界)が、美しき水面(みなも)映ずる(反射する)“光”とともに、そなたを大いに迎え入れるであろう。」

以上。

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