皆様

いつもありがとうございます。

大阪 住吉大社に引き続き、奈良桜井市にあります、大神(おおみわ)神社にお伺いいたしました。住吉大社と大神神社への年末参拝は、わたくしが長らく続けている大事な毎年の恒例行事です。

大神神社には本殿はなく、ご神体として三輪山を拝む様式です。少々目線より高く配された立派な拝殿は、背後の三輪山を拝むにはちょうど良い高さになっているのかもしれません。

緑に囲まれた境内は空気が澄んでいて、神聖な空間に浸りつつ、参拝の方々は、みな思い思いにじっくりと神と心を合わせていらっしゃる姿が印象的です。

折しも七五三の時期と重なり、可愛らしい着物姿のお子さん方は、この荘厳なお社(やしろ)に色鮮やかな花を添えてくれました。

2020年を迎える際にあたり、わたくしたちが心に据えておくべきことを、大神明神は威厳をもって諭してくださっております。

皆様の前途に、いつも希望の道筋がもたらされますように。

Rinokia

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「日一日と、
刻々と時は過ぎる。

悠久の時(時間)は風のごとく、一時(いっとき)たりとも形を留めることなく流転(変化)を重ねゆくもの。

自然は移ろい、そして人も年(年齢)を重ねる。

誰一人、そして何一つ、逸脱することの無きこの世の真理は、宇宙の流れと、それに付随する(人間の)生体の仕組に則り、刻々と、同じ歩幅(=ペース)にて変化を遂げるのである。

そのなかにあって、人に備わる“意思”とは、その定まりし(=一定の)流れに、ある種(しゅ)の意味付けと、さらには、その速度でさえ変わらせゆくほどに、強き息吹すら内在するものである。

意思とは、己のもつ信念に基づき、その信念とは、自らが歩みゆく人生の“礎”として人生のあらゆる場(場面)を支える基盤となる。

そして信念とは、つまるところ、人生をより良く、そして高潔に生きるための、安易には破られぬ(曲げられぬ)背骨でもあり、人は自らの信念を胸に、大小様々な類(たぐ)いの物事を、ほかでもない、己が己の言動にておこなうことで、この世(現象界)は成り立っている。

混沌たる御世(=現代)、是非(良い悪い)の区別すら見出すことの難き(難しい)最中(さなか)、
信念をもつこと(あるいは表明すること)すら、少なからぬ“迷い”を生じずにはいられぬであろう。

一つ、古(いにしえ)の民(※ここでは、“先人たち”という意味です。)と、今の世の民の、生きることの大きな“違い”を教えよう。

古(古代・昔)は、無論、目に映るもの(=物質)は簡素にて、人類の利器もまた、(今とは)比べるまでもない。

古の民は、厳しき場(環境・境遇)にあって、いまだ見えぬ先(将来)に、それでもより良き明日を胸に、ひたすらに命を長らえてきたのだ。

この一手(一つの行い)にも“意味を持たせ”、そして次につながりゆく、大切な思いを込める。

あらゆる行動、あらゆる言葉に、自らの“意思”―――こうでありたい、という切なる願い(=目標)を心に据え、それを叶えん(叶える)がため、己の行いに意味(=目的意識)を据(す)えたのである。

今の世の民において、どれほど、己の振る舞い(行い)の一つひとつに、確たる意(しっかりとした目的)をもち、日々心を遂げる(真心を込める)者があるだろうか。

無為に、無暗(むやみ)に、そして虚無なる、彷徨(さまよ)える民たちよーーー

己の成す物事(行動)に、最大の関心を置き(注力し)、生きる意義(目的)を見出せよ。

そして、地道に、確実に物事を成す。

一時(いっとき)たりとも無駄にはせぬ、という切実な想いより紡がれるかけがえのなき日々には、自身を取り巻く数多(あまた)の事象、そして、この国を創る(彩る)自然にさえ、人は深い意味(存在する意義)を感じることとなる。

必要ありての現象。そして、必然たる“出逢い”―――

だからこそ、必然たる数々の意義深きこの世の現象に、人間という生命も、まさに己の生きる意義(目的意識)を重ね合わせ、この国(日本)の民として、そして、人類として唯々(ただただ)歩み進めねばならぬ。

今こそ、強く、そして果敢に、意思(目的)のままに歩み出(い)だせよ。

この世のうねり(混乱)に、立ち向かう勇者が、目覚める時代(とき)が来た。」

以上。

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