人間という、肉体をもつ存在が“死”という段階に至るーーー これは、当人にとっても、また当人を取り巻く(関係がある)人々にとっても、実に大きな“変化”を迎える出来事です。

前回の記事で、人は死ぬと“肉体の無い人間”になる、という表現をあえて書かせていただいたのですが、それほど人という“魂”は、生前の地上での記憶をしっかりと保持しているゆえ、たとえ肉体から離れても、すぐさま霊界の感覚、いわば霊界に属しているエネルギー体とはなりにくいのです。ちょうど、人間界と霊界の“狭間(はざま:中間)”に在るような状態に、まずはじっくりと進むと言ったほうが適切かと存じます。

“(肉体をもった)人間ではないけれど、でもあの世(=霊界)に(完全に)いるわけでもない” ―――

そのような不思議な立ち位置が存在するというのは、わたくし自身とくに最初から知っていたわけではなく、実にひょんなタイミングで、亡くなって間もない方(霊魂)から直接教えていただきました。葬儀に参列していたときです。

その方は、わたくしにとって血縁的に近しい存在だったため、わたくしの幼いころからの呼び方で、葬儀の進行中にふと声をかけられました。

驚いたことに、生前、その方特有の話し方そのままに、ごく自然に「ねぇねぇ、〇〇ちゃん」と話しかけられたのです。あまりに普通に話しかけられたので、怖い気持ちはまったく起きず、むしろその方の流暢な話し方に感心したほどです。

その方は、確かにわたくしのすぐ間近にいて、穏やかに、ゆったりと話し続ける様子は、
本人の生身の姿こそありませんが、まるで生前の情景がフラッシュバックしたかのようでした。

わたくしを相手に、思うままに表現できることを喜んでくださったのか、生前に起きた過去の出来事を回顧したり、家族に対する切実な想いを吐露したり、また参列する方々に対して感謝の気持ちを述べながら比較的自由にあたりを見回していました。

そもそも死因は長らくの病気によってでしたので、それについて尋ねてみると、「そうなのよ。それがねぇ・・・」と、自らの病気についての“気づき”や、今や(病気の体から抜けて)随分楽になった、ということを淡々と表現されました。

その会話で印象的だったのが、一般的に言うとことの、死後は“三途の川を渡る
や、“お迎えがくる”という言い方にあるような“あの世”という場には、(死後)数日ほどの霊魂は、まだ至って(到達して)いない、ということです。

「“あちらの世界”ではねーーー」と、肉体を離れたその時点でも、“あちら”=あの世を、自分のいる位置とは別な場として、その方は表現しましたし、さらには、

「あちらの世界では、私はこういう場所(※その方に決められた霊界)に行くようなんだけれども、今みんな(※この方に縁のある指導霊や霊魂などです。)が色々と話し合っているみたいで、その間、私はもう少し(あの世に行くのを)待ちなさい、って言われているの。

せっかくだから、(この世の)見納めに、私がまだ生きていたときの思い出の場所や好きな人たちのところに行こうかと思って。あぁ、あのときは本当に楽しかったわねぇ。」

と、いささかそわそわと、わたくしに伝えたいことを次々と伝えてくださいました。

さらには、あぁ、そうそう、と思い出したかのように、わたくし自身が、“あの世”でどういう存在として見られているか、ということも、“どうやら、あなた、こうみたいよ”と、暗に、霊界での役割を教えてくださったのです。

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これが、わたくしがはじめて意識して、亡くなってまもない霊と対話した最初の出来事です。

その後、わたくしは公私を通じ、肉体を離れた霊魂たちの、実に多様な(あの世への)辿り方を知ることになりました。次回はそれらについて書かせていただきます。 

へ続きます。)


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