“神の御言葉を聴く”――― これは何も、霊能を司る者でなくとも、この世のすべての方ができております。ですが正しくは、わたくしたちが総じてできるのは、“神の想いを受け取ること”です。

わたくしが折に触れて、“神は御言葉をおっしゃるのではない”という趣旨を書かせていただいておりますとおり、神は光、つまりエネルギーですので、元より個体ではなく、さらには“言葉”より以前に、この世のすべてを成している存在でもあります。

地球も、神のエネルギーそのものであり、わたくしたちは日々、神と呼ばれるその大いなる“懐”にいながら、今世、地上での学びを経験しているのです。

ですので、皆様がふと何らかのインスピレーションが沸いてくるのも、神よりの“こうですよ”という御導きを得られていることですし、物事に感動する心や素直に嬉しいと思える心も、神の御心をしっかり受け取っていると申せましょう。

神の想いを言葉に表す、あるいは文章にするやり方は、実は大きく分けて二通りございます。

一つは、“憑依型”です。憑代(よりしろ)という、神霊を対象物に依り憑かせることで超常的な物事を成す、おそらくは
古代からの手法です。

もう一つは、わたくしのような、完全に自身の意識のある状態での、神の意識に合わせていく“接続型”(=コネクト型)であると思います。

もしかしたら、一般的には、“神の御言葉を聴く”とは、常人とは異なり、人間が自らの身体を用いて、神と呼ばれるエネルギー体をわが身に入れることによってこそできることと思われているかもしれません。

ですので、その延長線上で、神の言葉を述べることは、その神なるエネルギー体が主となる、いわば“憑依”的な状態をもって、(
憑依された)当人が神の依り代(よりしろ)として世に伝える、というイメージが強いのではないでしょうか。

実際には、イタコと呼ばれる、主に東北地方で口寄せをおこなう巫女様もあられますし、ユタのようなシャーマン的神憑り(かみがかり)の存在も、沖縄を中心に、古来より脈々と受け継がれてまいりました。

それ以外では、『日月神示(ひつきしんじ)』をお書きになった岡本天明氏は、“国常立尊(くにのとこたちのみこと)”と呼ばれる高級神霊によって、雷が打ったかのごとくに
次々とその神示を記す、いわば“自動書記”のような形式で、第二次世界大戦が終盤に差し掛かるさなか(昭和19年)から、度々の神懸かりによって書き上げたと言われております。

これらは圧倒的なスピード感や
ダイレクトの良さ、まさに“臨場感”が人々の心に迫ります。そして何より、可能な限り人間側の状況を差し挟まない、ある意味の“強制性”がございます。

(次回に続きます。)

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