神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

カテゴリ : 根源神

2014年7月14日

【根源神(22)】

「皆の者に告ぐ。われは光なり。この宇宙すべての基(もと)は光であり、光が如何ようにも変化(へんげ)し拮抗し、溶解することにて天ができ、そして地ができた。」

「幾億年もの間、光がぶつかり合う。それは相反する衝突ではなく、むしろ互いに高め合い、より一層自らが輝くための欠かせぬ摂理である。光は曲がり、しかしながら、その先の目的にあるものに向け、一心に進むだ。」

「宇宙の成り立ちは激しきものぞ。この地上の成り立ちもまた、ひとえには到底言い尽くせぬ。地球を構成してゆく過程も、そしてこの地球に生きた民がこれまで辿ってきた歴史も、激しく生き、ぶつかり合い、各々が生きるその目的を求め、あるいは、生きるただそのことに心身を費やしてきた。」

「歴史が生みだされるには、人々の人生が必要となる。しかし、それはけして大きな事象に限らず、一つひとつのかけがえのなき人類の歩みがある方向へと進むことである。一人ひとりが、紛れもなくこの地上の“主役”であり、だからこそ、皆の者よ、この地球上に刻み込むことを許された人類の軌跡は、自らがもつ力、潜在能力を確固たる自身の信念にて目覚めさせ、日々を健気(けなげ)に、精一杯に生きた証でなければならぬのだ。」

「知っているだろうか。この地上は、ある意味“衰退”に入った。生活レベルは向上したが、人々は欲に飢え、さらなる快楽、欲求を満たすべく自身を取り巻くものを盲目的に貪(むさぼ)り始めた。」

「この地球に住む数多くの民が、日々を目的なく、ただ安易に生活を送り、その精神を刻一刻と、自身の身に覚え込ませている。」

「怠惰なる風潮、人々の思想はもとより光に非ず。光とは、目的に向けひたすらに伸び、たとえ光同士衝突しようとも、より一層の力を得、光を増す。」

「そなたたちはわれと光を分かつ者ぞ。光を分かち、魂を分かち、この地上を相照らさんと、神から任されし勇者ぞ。」

「今後、自身のなかで最大限の努力を志す者に、光の加担があるであろう。光は、そうだ、そなたたちの伸び行くその実直なる光にさらなる天界の光を加え、そなたがこの地上にて得る最高の気づき(学び)を次々と与えることとなる。」

「力の限り伸びゆく者は、神を信ずる。神とは宇宙のすべてであり、神を信ずるとは、そなたを構成するあらゆる要素、それはすなわち幾億もの光を、そなた自身の信ずる(認める)想いによって、一つひとつにより一層の力を添えることとなるのだ。」

「それが、光(そなたの魂)と光(そなたを構成するもの)との真の協調なのである。」

「これを以って、神とそなたのもっとも望むべき道が拓かれ、新たなる人類の歴史が誕生する。」

以上。


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2014年6月8日

【根源神(17)】

「こうして一人の人間を通して神界の真実の言葉を降し続けることは、極めて稀である。必要があって、年月をかけこの者を地上に降ろし、(父母を以って)良きに育ませてきた。そして、われら神の言葉を聞くことのできる状態に成すよう、ここにおわす多くの神々・指導霊が取り計らい、地上の民すべての者たちの心の指針となるべく、日々の生活においてもっとも核心となる言葉を降ろすに至っている。」

「神はすべてを超越し、しかも、ある目的のために、神ならではの叡智と力を結集する。宇宙全土を掌握せしめ、必要なる魂を神の意志にて、順繰(じゅんぐ)りとこの地上に降ろし、引き合わせん(合わせよう)とする。」

「そのうえで、そなたらよ。神はいつ何時もそなたたちの生きるあらゆる場面にて強力なるエネルギーとなり、そなたらにとりては“気づき”の機会、あるいは学びの環境として、そなたらを今なお見続け、魂を抱き続けるのだ。」

「神はこの空であり、大地であり、そなたらを取り巻くすべてと思うがよい。それはすなわち、そなたらが日常を生きるうえで、見るもの聞くもの、ありとあらゆる事象・現象に神そのものの息吹が通い、神の息吹がまた神霊なる魂を呼び合い、この時期・この瞬間だからこそ、そなたの“今”の心に、深く響き渡るのである。」

「われと、そしてわれを中心に据える霊魂たちは、誠に永きにわたり宇宙全土とこの地球、他の星々を以って、一つの生命体を創り上げてきた。それは一方(ひとかた)ならぬ変遷を辿り、まさに神の歴史であり、人類の歴史であり、生命全体の壮大なる歴史なのである。」

「神が(ある)一つの方向を向くとき、それはエネルギーの集約がまた非常なる速度にて行われることを意味する。この宇宙を神本来の権限を以って制覇する日がもう目前となった。」

「地上に在る者たちよ。そなたらが今この瞬間に地上に生きる意味を、自らの“内”に問うてみよ。答えは、すべて己の内にあり、それは紛れもなく、そなたら一人ひとりが、神と通じることで、その生命をあの世から現世において引き継いできたがゆえであり、神と通じ、神とつながっているからこその、この世に生きる役目と思うがよい。」

「内に省みて、神と如何なるときも共に在ることを、すなわち自らの最高の喜びと感ずることで、神界に在りしときの心の平安を再び思い出し、次なる魂の修練の扉が光のうちに開かれるであろう。」

「神は真実しか伝えぬ。神は、良いか、何億年をも超え、今なお“一つ”である。この先もなお、神界の編成にともない、悉(ことごと)くこの世が変わる。その過程において、必要なる神の魂の真髄がこの者を通じて降ろされていくであろう。」

以上。

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2014年1月19日

【根源神(3)】

「われ、この世の創成を志ししとき、比類なき二つの大いなる玉(ぎょく)を創る。それは、陰陽が重なり織り成す、まさしく“珠玉”。ここにこそ、過去・現在、そして未来をも超越する、すべてを抱き込む真の光が顕現する。」

「陰陽、それは、いまだ人類のほんの幾ばくかの者のみぞ知る、究極の真理。すべてには光と影有りて、両者は不可分とする。光は影あることこそ、一層その輝きを増す。影は、光があってこそ、静寂なる自然の理に回帰する。」

「この地上。天照(あまてらす)の神が天界の光を降ろし、この宇宙を占拠せし暗黒の層を突き破り、あらゆる生命をここに宿させた。闇より生まれ出でし宇宙は、しかと光をもはらむ。高貴なる神の意志のもと各々の神(の因子)が生まれ、その神らが元素の光を集結し、また影をも朋友とし、両者共立した無限の可能性を秘めし類い稀なる星<地球>を創り賜う。」

「天照の神有らば、そこには必ずや御影(みかげ)の神あり。天照の神はこの地上にこそ、両者援けあう高貴なる光と影を望み、あらゆる生命に影を創り賜う。御影の神・御影の心こそ、光を生み、生かす奥義となる。影あっての光、光あっての神妙なる影。良いか、真にこの世を生きるとき、影となりて他を生かし、それがまさしく自らを生かし輝かせる唯一の業(わざ)となる。」

「宇宙に燦然と輝く幾万の星々が互いに共鳴を始める。星々が己を知り、他を知るとき、それまで散在していた宇宙の要素が集約されることとなる。エネルギーとしての集約が、大いなる力を生む。大いなる力はまた光と影をはらみ、この地球にもしかと投影されるであろう。この地球も宇宙の欠かせぬ因子として、ここに住まう者の変革、すなわち、天照の神の生み落としたこの地上が、当初創られしその様相に、時空を超え、これまでの人類が生み出した数々の想念を塗り替えることとなる。まさに、未来に向けての、神への“回帰”。」

「いまだそなたらの知らぬ、大いなる神が配した真理を、いざ、この世の者は知り始める。人間の作りだした浅はかなる闇。憎み合い、さげすみ、いさかいの絶えないこの地上は、いまだ産声を上げず。」

「光と影の役割を知る者、己の日常を見渡せば、数えきれぬほどのその役割を、自らがしかと肝に銘じておこなうことぞ。これにこそ、己の人生ならずも、この世を平らかに治め、両者を引き立て合う喜びが、この地上に新たなる息吹をたぎらせる。」

「影有りてこその光。良いか、光は影を望む。影は光が一層輝くことを唯一の本望とする。光と影との調和にこそ、この先起こる地上の変容の鍵となる。」

「天照の神の想いを、この世を生きながらにしてしかと汲み取るが良い。けして切り離せぬ真理、そうだ、御影の神との協和によって、この地上が再び天界へと開かれる。」

以上。

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2015年2月7日

【根源神(34)】

「目に見える現象ならずも、人は無意識のうちに、他の人々に影響を与える。それは、(他人を)“傷つける”という安直なる言葉では到底収まらない、微妙かつ繊細な感情をもって、あらゆる場面、あらゆる状況のなかで、人は互いに感情のエネルギーを放ち、少なからず影響し合うのだ。」

「神の目からすれば、そなたたちがある行動を取ったならば、それは魂と連動し、魂からちょうど身体的動作へと、様々な色・性質をもった“光線”を放ち、それがたとえ良かろうと悪かろうと、確固たるエネルギーとなり、他人へと、そして、まぎれもなく、自身にもそのエネルギーは巡り、循環する。」

「心から発するこのエネルギーこそ、“今”のそなたを決定づける。そして、今のそなたが発する感情が、もはや消せぬエネルギーとなり、他人にも影響を及ぼし、この世を染め上げるのだ。」

「人間はもとより、そなたを取り巻くあらゆる生命・環境、そして生命母体の地球もまた、魂を持つものすべてのエネルギーが複雑に絡み、交差し、あるいは渦を巻き、それは強力なる一大磁場となって、天候(雨、風、嵐等。)をも引き寄せるのだ。」

「一度放たれししエネルギーは、大地を伝い、広大なる地球を巡る。これまでの歴史と相まって、もはや数えきれぬほどに重なりしあらゆる“色”をはらんだエネルギーは、地球をもはや覆い尽くす。歴史が積み上がるように、人間が放つこれらのエネルギーもまた、同じように、いや、それ以上に難解なまでに交錯し、そなたたちは、この複雑極まりなき地球に日々暮らしているのだ。」

「人々がこの地球であるからこそ獲得し、放ってきたであろう神の心にはそぐわぬあらゆる感情と、これまで数多くの尊き血が流れ、民族、隣国間での憎み合い、終わりなき諍い(いさかい)。この先、そなたたちはいつまで続けるのであろうか?恨めば恨むほどに、わが身を傷つけ、愛する人々を傷つける。悲しみがまた、さらなる悲しみを呼び、果ては、後世をも創り上げる。どこかで誰かが気づき、この連鎖を解き放たなくてはならぬと、ここでわが神託より明らかに伝えよう。」

「大いなる神は決断した。魂の天への引き上げとともに、この地球全土の苦悩を“昇華”せねばならぬ。さもなくば、地球は宇宙の歴史のなかで、過去において、ある年月存続した“幻”の惑星と化すであろう。」

以上。

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2016年9月10日

(筆者が神に問いました。「この現象界では、実際に身体があり、物があり、出来事がある。すべては実在しているように思えますが、
神が『この世は“幻”である』 という意味を今一度御教えください。」)

「そなたたちは、過去のある出来事について、あるいは、今自らが置かれている状況(環境)においても、“後悔”や“恨む”想いをもつではないだろうか。現象界の目から見れば、無論、この世は幸なる(幸せな)ことばかりではない。

あらゆる性質の人々が
様々な状態にあるなかで、自身がある立場で関わることによって、時には(他人に)“影響される”という事態や、進むべき道が“遮られる”という状況ともなる。」

「“あの時こうすれば(あるいは、こうしなければ)”という悔いる思いは、遠い過去の出来事であっても、人間として、容易には拭い去れるものではない。」

「無論、現在(今)というものは、過去からの続きであり、そなたの今は、過去のすべての積み重ねが、認識あろうと(なかろうと)、形作っていることは間違いない。」

「言い換えれば、それだけ、行為や言葉によって、これからのそなた、そしてそなたを取り巻く環境(状況)は如何ほどにも変えられることを示唆するのだ。」

「(過去を)悔やむより、今を見据えよ。今に悲嘆するならば、その状況が変わり得ないと諦めるより、今を精一杯生き抜いてみよ。」

「“人は、何度でもやり直せる”―――。たった一つの失敗が、すなわちそなたの人生を止めることにはならない。」

「そなたが決意し、思い立ったとき、勇気を奮い起こしたとき、幾度でもそこから歩み始めることができる。それが、この世の仕組み、すなわち、確たる(確実な)ものは一切ない、ということなのである。」

「“この世が幻である”、それは、虚無感を植え付けるものでもなく、そなたたちの明日を目指し生きる意味を削ぐものでもない。“この世が実在しない幻なら、今だけやり過ごせばよい”という考えは、誠に愚考である。」

「一つ(一度)の人生においてもなお、人間に、幾度でも“生き直す”(やり直す)機会を与える、それ以上の、神の愛はあるであろうか?」

「ほんの僅かな希望でも、ほんの一握りの勇気でも、この世は、そなたがそれらをたずさえ生きるのにまだ余りあるほど、多くの恵みを備えている。そして、そなたが前進することによって得られる“学び”は数え切れない。」

「この世において、“確たる(確実な)”ものが無いのであれば、そなたのその魂(心)こそを、何ものにも左右されぬ、確然たるものとせよ。すなわち、この世が、そなたがあらゆる試みで生きる、そのもっとも最良な場であるなかで、そなたはありとあらゆる“幻”の現象を通じて、わが身を信じ、諦めず、悲観せず、幾度でも前へと歩みを進めていくのである。」

「人生に躓(つまづ)いたのなら、幾度でも起き上がれば良い。“幻”の現世において、そなたの歩みを遮るものは何もない。それが、神の愛であり、神は、生きることに命を懸ける(=懸命)そなたにこそ、手を差し伸べる。たった一度の人生を、“生き尽くす”ための、この世なのだから。」

以上

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2016年9月3日

(この世において“幸せな生き方”とは、と筆者が神に問いました。)

「自らこの世を生きていくうえでの“逃げ道”というものを、現代の人々は、大小あらゆる事象において、それを見い出すことに腐心し、果ては右往左往の人生を辿る。」

「“逃げ道”―――。それは、単(端的)には、“言い訳”という表現にても置き換えられる。そなたたちは、こうして、現代にみる生活の向上・安定の上に立ち(生き)ながらも、かえって、それが、自らが要する(必要)以上の“甘え”となって、何か事あるごとに頭を抱え、立ち行く(進みゆく)ことを拒む、そしてついには、自らの人格さえも抑え込むという行動に走らせてしまうのである。」

「そなたたちには、“潔(いさぎよ)さ”が足らぬ。潔さとは、まずもって、自身の心に嘘をつかず、人に対しても諂(へつら)うこともない。ただ、自身に備わるものをあるがままに認め、自ら成すことに関し、それ以上も以下もない、ただそのままの様相を、自らに、また、他(の人)に対しても、嘘の無き誠(の心)に従い、淡々と示していくのである。」

「幸せから遠のく生き方は、誰のせいでもない。そなた自身の心の捉え方次第、そなたの“選択”の結果なのである。“あの人がこうしたから”、あるいは、“あの人がこうしてくれなかったから”という、責任の転嫁はすなわち、自ら現世における学びの機会を逃し、見るべきもの、注力すべき事柄を悉(ことごと)く不鮮明にする。」

「“誰かがやらねばならぬ”というものは、この世のすべての者が負っている。言い換えれば、“誰もがやらねばならぬ”が、この世の中、埋め尽くされている(満たされている)ということ。それは、各々の環境・立場によって、内容は異なれども、必ずや、すべての者は、一つひとつが繋がり(由縁)をもって、天に“やるべきこと”を任されているのである。

ある国に自ら生きるということは、その国を良きものとするために、(その国に生きる)一人ひとりが、各々の立場にて、自ら考え、地道に、そして堂々と成すべきことに心を懸けていくのである。」

「やりたいことをやらず、言いたいことも言わない。そしてやるべきことも行動に移さない、その遅々として立ち行かない(進まない)今の自分を誰かのせいにする。それは、この世に生きながら、真には(真の意味では)この世を生きていないということ。

“生きる甲斐”、すなわち“生き甲斐”は、自らが見い出す(見つける)ものであり、自らがこの世に在ることを、自分なりに示していくこと、すなわち、目前の事象に対し不満の心を持つことなく、素直に、つぶさに対処していくことで、逃げ道に走らない、ということである。自らの人生に対して逃げず、言い訳をしない、その潔さのある日々にこそ、人は自ら“生きる甲斐”を見出すことができる。」

「責任のなすり合い、何かの原因を、人(他人)に求めるのは、もはや十分ではないか。この国(日本)が総じて不安定な状況に傾いていく、不安な道程を突き進むと感じる、それは、為政者のせいでもなく、ましてや、そなたたちの日々の生活に充足を感じられぬは、そなたを取り巻く人々のせいでもけしてない。」

「与えられた立場で、自らの役割こそを真正面から受け入れる。逃げず、惑わず、出来ることを淡々と処(対処)していく。それが、“潔さ”であり、日本は、先人たちの“潔さ”によって、生き抜く叡智を得、自然との共存を図ってきた。」

「受け入れるべきものは素直に受け入れ、けして、うやむやにはしない。そして、やるべきことは、そなただからこその、大事な“お役目”と心得よ。役目が果たせる(または果たそうと努めること)ことはすなわち、神が示す、この地上に在る者としての、そなたたち本来の“幸せな生き方”―――。

歩むべき道は、逃げ道にはけして見出すことは叶わぬ。日常こそ、そなたの身も心も、すべてを懸ける尊き場―――。逃げも隠れもせず、意(意思)を固めて、丁寧に処(対処)していくこと。それが、そなたこその“潔さ”なのである。」

以上

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皆様、2014年5月11日に公開した記事を再度UPさせていただきます。

* * *
「わたくしには今も絶えることなく、あなたがたの命の鼓動が聞こえる。この地球にて育まれし幾億もの尊き魂は、限りなく無垢で、時にははしゃいでいます。健やかに眠る赤子のように静かに優しくその様相をたたえ、この命ある者たちが、どうか誰一つその御心を穢すことの無きよう、互いに愛のうちに各々がただ一つの人生をじっく
りと心安らかに過ごすことを、諸天の神々・指導霊に祈っております。」

「あなたがたにとって“栄えある”人生とは、一体どのようなものでしょうか?人間誰しもが暮らしとして楽な日々を送りたい。願わくば、経済的にも環境的にも恵まれ、欲しいと思うものは直ちに手に入り、そして明日に何ら不安もない。そういった、日々呼吸をし、食物を摂り、ただ自らの欲求の赴くままに、人は生きようとします。そのなかで、時には人生の困難に直面し、自らのこの世に在る意義を問うてゆく
のです。」

「人はもがき、それでも前を向いて生きるとき、そこに僅かばかりの光明〔希望〕を見出します。これを追い求めて人生は矢の如くに過ぎ、その人にとっての希望は、い
つしか越えなくてはならない壁となることもあるのです。」

「わたくしは言いたい。あなたがたの魂をこうして我が手にすくい抱くとき、どれも温かで美しく、何一つ汚れてはいない。この神々しき魂を、その無垢なままでこの世に一つひとつ丁寧に降ろし、光の網、そう、愛の網をこの地上にわたくしはしっかり
と繋ぎ合わせたいのです。」

「天使ガブリエルは、この地上について悲しげに言います。“なぜ地上の民はこれほ
ど互いを貶め、傷づけ合うのか?”と。」

「この地球は、<神の楽園>となるはずでした。天界の神の世そのままに、あなたがた魂を降ろし、神の政(まつりごと)、そして晴れやかなる神の宴を顕現する。しかしながら、人が人を傷つけ合い、縛り合う、ひいては深き縁で生まれ変わり、再び出会
いしその仲でさえも、双方悲しき結末を迎えてしまうのです。」

「神の創りし、この命あるものが生死を繰り返すという絶対的な仕組みは、これから先も変わることはないでしょう。互いに関係し、支え合って、一つの地球生命体を存続させてゆく。それであるなら、その仕組みを踏まえたこの世の現実は、あなたがたの心次第、気づき次第で如何ようにも本来の姿、そう、魂の次元からみた光の世に塗
り替えることが叶うはずなのです。」

「この世界を率いる強き魂、指導者はこれから必ずや必要となるでしょう。しかしながら、それは万人を統制すべく力で封じ込めるという意味ではけしてありません。誰しもが心に願う平和な理想郷へと、皆の価値観・思考が徐々に変化し、一定の方向を向く、その進むべき先にかくある大いなる指導者は先陣をきって天界の神々を迎え、
この世の終世と再生を高らかに宣言するのです。」

「それが地球の民全体としての、まさに“栄えある”人生なのです。この意味が分かるときが必ずや来ます。今後わたくしがメッセージとしてこの世に降臨する時、一つの啓示があなたがたに降ろされることとなるでしょう。」

以上。


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2015年10月24日


「ある
時間とき、ある場で、如何なる者と出会うか、何が身の回りで起こり、そなたは如何なる立場に立たされるか―――。」

「この世の出来事は、偶然ではなく“必然”なり。今まさに木の葉落つる一瞬ときでさえ、それまでの(木の)成長の様相により結果、生み出されし然るべき光景。」

「日常、あらゆる出来事が起こる。楽しきも辛きも、皆返す返すそなたの身に起こり、そなたは自ら心に何を想うか―――。」

「人間の感情が地上に渦を成し、幾層にも取り巻いてゆく。ある時代とき、ある場で、ある人物が、一体何を想うたか―――。」

「この想いの層に生きるのが、そなたたち人間。現象というフィルターを通し、そこから見出される人間の心。心模様が重なり現象化し、そして現在いまがあるのだ。」

「人間はあらゆる感情をもつ。それは神とて同じ。木に宿る精霊も、止めどなく流れゆく、生命の根元なる水の精霊もまた、同じ。」

「しかるに、そなたよ。神も木も、水でさえ、自らの“宿命さだめ”を心得て、結果湧き出る感情さえも凌駕するものぞ。」

「“宿命さだめ”とは、その存在の命、すなわち魂が真に“宿る”場(位置)。他ではない、その存在ゆえの本分(領分)が定まりて、各々がただひたすらに、実直に、自らに授かりし役目をまっとうせん(しよう)とするのだ。」


「そなたたちよ。あらゆる現象の起こる地上にあって、そなたの真の
どころ何処いずこか?身に起こる出来事に悲嘆し、人に会いては、他(他人)をおとしめ、ねたみ・そねみの言葉をまき散らす、それが、そなたの貴重なる地上にての本分か?」

「幾度も、幾度も、われはそなたに、現象とは夢幻の舞台なりて、その時間とき、その場のそなたの“想い(心)”こそ、すべてと、申したはずである。」

「人間たるものの真の領分、それは、ひとつの現象を、そなた自身の魂に透過させ、そなたは心(想い)を、再び地上(現象の世界)に投影するものぞ。」

「一つの出来事が起こり、そなたはまた一つ心に想う。そして再び、心に誘引されし出来事が、目の前に展開する―――。」

「この心が、実直な、清らかなるもの、たとえ目の前の出来事は悲惨なりても、この瞬間とき、この場で、そなたはその出来事に、自らの想い(心)にて、えて“光”を授けるのである。」

「夢幻の現象は、そなたの想い(心)によりてこそ、真価・真意が見出され、その役目終わりとて(として)、然るべく昇華せるであろう。」

「そうして、地上の現象を一つまたひとつと、そなたこそが、その心で浄化(昇華)させてゆくのである」

「今まさに、そなたの魂(心)は何処いずこに在るか。自らの魂(命)が真に宿るべき場 ―宿命― に心を定め、人間しか叶わぬ、“心にて”の、地上あらゆる浄化を成してゆく、それが、そなたの“本分”なり。」

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2015年10月24日


「ある
時間とき、ある場で、如何なる者と出会うか、何が身の回りで起こり、そなたは如何なる立場に立たされるか―――。」

「この世の出来事は、偶然ではなく“必然”なり。今まさに木の葉落つる一瞬ときでさえ、それまでの(木の)成長の様相により結果、生み出されし然るべき光景。」

「日常、あらゆる出来事が起こる。楽しきも辛きも、皆返す返すそなたの身に起こり、そなたは自ら心に何を想うか―――。」

「人間の感情が地上に渦を成し、幾層にも取り巻いてゆく。ある時代とき、ある場で、ある人物が、一体何を想うたか―――。」

「この想いの層に生きるのが、そなたたち人間。現象というフィルターを通し、そこから見出される人間の心。心模様が重なり現象化し、そして現在いまがあるのだ。」

「人間はあらゆる感情をもつ。それは神とて同じ。木に宿る精霊も、止めどなく流れゆく、生命の根元なる水の精霊もまた、同じ。」

「しかるに、そなたよ。神も木も、水でさえ、自らの“宿命さだめ”を心得て、結果湧き出る感情さえも凌駕するものぞ。」

「“宿命さだめ”とは、その存在の命、すなわち魂が真に“宿る”場(位置)。他ではない、その存在ゆえの本分(領分)が定まりて、各々がただひたすらに、実直に、自らに授かりし役目をまっとうせん(しよう)とするのだ。」


「そなたたちよ。あらゆる現象の起こる地上にあって、そなたの真の
どころ何処いずこか?身に起こる出来事に悲嘆し、人に会いては、他(他人)をおとしめ、ねたみ・そねみの言葉をまき散らす、それが、そなたの貴重なる地上にての本分か?」

「幾度も、幾度も、われはそなたに、現象とは夢幻の舞台なりて、その時間とき、その場のそなたの“想い(心)”こそ、すべてと、申したはずである。」

「人間たるものの真の領分、それは、ひとつの現象を、そなた自身の魂に透過させ、そなたは心(想い)を、再び地上(現象の世界)に投影するものぞ。」

「一つの出来事が起こり、そなたはまた一つ心に想う。そして再び、心に誘引されし出来事が、目の前に展開する―――。」

「この心が、実直な、清らかなるもの、たとえ目の前の出来事は悲惨なりても、この瞬間とき、この場で、そなたはその出来事に、自らの想い(心)にて、えて“光”を授けるのである。」

「夢幻の現象は、そなたの想い(心)によりてこそ、真価・真意が見出され、その役目終わりとて(として)、然るべく昇華せるであろう。」

「そうして、地上の現象を一つまたひとつと、そなたこそが、その心で浄化(昇華)させてゆくのである」

「今まさに、そなたの魂(心)は何処いずこに在るか。自らの魂(命)が真に宿るべき場 ―宿命― に心を定め、人間しか叶わぬ、“心にて”の、地上あらゆる浄化を成してゆく、それが、そなたの“本分”なり。」

 

 
 


2016年11月13日

(筆者が神に問いました。「2016年も、残すところ一ヶ月半となりました。今一度、わたくしたちが心に留めておくべきことを御教えください。」)

「皆に尋ねよう。そなたたちの今なる月(11月)、そして次なる月(12月)への観念として、次なる月(12月)は、もはや、“終(つい)なる”日々ではなく、『“新たなる”月』、すなわち、次なる年(2017年)の“序”
(=はじめ)いうことを自覚する者が、今、如何ほどにあるかを。」

「その(11月が年の終わり、という)観念は、宇宙真理、自然の摂理に呼応(対応)するものなり。少し、また少しと次なる月(12月)は、明くる年(2017年)の気(エネルギー)を孕(はら)み、旧・新混然となって、明くる年(2017年)を創造する。」


「ゆえに、この月(11月)とは、今なる年(2016年)の、終(つい)なる月、実に“肝要なる”月なり。それを心に留め(理解し)、自ら今の姿を省みよ。そして、明くる年(2017年)を見渡し(展望をもち)、再び、自らの生きざまに照ら合わすに、ことごとく、自ら(の今の姿)に感ずるものがあるであろう。けして悲嘆することはない。自らを“律する”想い、新しき年へ向け、より良く生きようとする、その“次なる一手”の意識が、果たして、そなたの明くる年、そして“未来(将来)”を決めると、しかと心得よ。」

「皆に告ぐ。当然のごとく、人間もまた、宇宙真理に則るもの。次なる年(2017年)は、なお一層、そなたたち人間が、宇宙に在る一つの星<地球>にちなむ生命体、すなわち、“自然界の一片(一部)”であるという事象が、各地にて連鎖(的)に現わされ、そなたたちの思考に大きな“変革”をもたらすであろう。願わくば、そなたたちが日々生きるうえでの観念として、“自然の如き”をなぞらえるよう。」

「年が変わること、それは、宇宙の“新生”を意味する。神も、人も、また自然界も、生命あるものは気を満たし、すべてが新たなる息吹を得、そして、生まれ変わるのだ。そして、その生まれ変わりに際し、今なる月(11月)、次なる月(12月)は、すでに、宇宙の流れ(変化)に応じ、すでに、新たな局面へと確実に変わっていくのである。」

「今一度、自らの足元、実(実際)の生活を省みよ。終(つい)なる月に際し、手をこまねいて良き者は誰一人としておらぬであろう。自らを“律する”想いこそ、この世を生きる“宝”―――。これこそ、今なる月(11月)、すなわち“肝要”なる月のそなたの日々に、より一層の気づき―――“深み”を与えるものとなる。」








2016年9月10日

(筆者が神に問いました。「この現象界では、実際に身体があり、物があり、出来事がある。すべては実在しているように思えますが、
神が『この世は“幻”である』 という意味を今一度御教えください。」)

「そなたたちは、過去のある出来事について、あるいは、今自らが置かれている状況(環境)においても、“後悔”や“恨む”想いをもつではないだろうか。現象界の目から見れば、無論、この世は幸なる(幸せな)ことばかりではない。

あらゆる性質の人々が
様々な状態にあるなかで、自身がある立場で関わることによって、時には(他人に)“影響される”という事態や、進むべき道が“遮られる”という状況ともなる。」

「“あの時こうすれば(あるいは、こうしなければ)”という悔いる思いは、遠い過去の出来事であっても、人間として、容易には拭い去れるものではない。」

「無論、現在(今)というものは、過去からの続きであり、そなたの今は、過去のすべての積み重ねが、認識あろうと(なかろうと)、形作っていることは間違いない。」

「言い換えれば、それだけ、行為や言葉によって、これからのそなた、そしてそなたを取り巻く環境(状況)は如何ほどにも変えられることを示唆するのだ。」

「(過去を)悔やむより、今を見据えよ。今に悲嘆するならば、その状況が変わり得ないと諦めるより、今を精一杯生き抜いてみよ。」

「“人は、何度でもやり直せる”―――。たった一つの失敗が、すなわちそなたの人生を止めることにはならない。」

「そなたが決意し、思い立ったとき、勇気を奮い起こしたとき、幾度でもそこから歩み始めることができる。それが、この世の仕組み、すなわち、確たる(確実な)ものは一切ない、ということなのである。」

「“この世が幻である”、それは、虚無感を植え付けるものでもなく、そなたたちの明日を目指し生きる意味を削ぐものでもない。“この世が実在しない幻なら、今だけやり過ごせばよい”という考えは、誠に愚考である。」

「一つ(一度)の人生においてもなお、人間に、幾度でも“生き直す”(やり直す)機会を与える、それ以上の、神の愛はあるであろうか?」

「ほんの僅かな希望でも、ほんの一握りの勇気でも、この世は、そなたがそれらをたずさえ生きるのにまだ余りあるほど、多くの恵みを備えている。そして、そなたが前進することによって得られる“学び”は数え切れない。」

「この世において、“確たる(確実な)”ものが無いのであれば、そなたのその魂(心)こそを、何ものにも左右されぬ、確然たるものとせよ。すなわち、この世が、そなたがあらゆる試みで生きる、そのもっとも最良な場であるなかで、そなたはありとあらゆる“幻”の現象を通じて、わが身を信じ、諦めず、悲観せず、幾度でも前へと歩みを進めていくのである。」

「人生に躓(つまづ)いたのなら、幾度でも起き上がれば良い。“幻”の現世において、そなたの歩みを遮るものは何もない。それが、神の愛であり、神は、生きることに命を懸ける(=懸命)そなたにこそ、手を差し伸べる。たった一度の人生を、“生き尽くす”ための、この世なのだから。」




2016年9月3日

(この世において“幸せな生き方”とは、と筆者が神に問いました。)

「自らこの世を生きていくうえでの“逃げ道”というものを、現代の人々は、大小あらゆる事象において、それを見い出すことに腐心し、果ては右往左往の人生を辿る。」

「“逃げ道”―――。それは、単(端的)には、“言い訳”という表現にても置き換えられる。そなたたちは、こうして、現代にみる生活の向上・安定の上に立ち(生き)ながらも、かえって、それが、自らが要する(必要)以上の“甘え”となって、何か事あるごとに頭を抱え、立ち行く(進みゆく)ことを拒む、そしてついには、自らの人格さえも抑え込むという行動に走らせてしまうのである。」

「そなたたちには、“潔(いさぎよ)さ”が足らぬ。潔さとは、まずもって、自身の心に嘘をつかず、人に対しても諂(へつら)うこともない。ただ、自身に備わるものをあるがままに認め、自ら成すことに関し、それ以上も以下もない、ただそのままの様相を、自らに、また、他(の人)に対しても、嘘の無き誠(の心)に従い、淡々と示していくのである。」

「幸せから遠のく生き方は、誰のせいでもない。そなた自身の心の捉え方次第、そなたの“選択”の結果なのである。“あの人がこうしたから”、あるいは、“あの人がこうしてくれなかったから”という、責任の転嫁はすなわち、自ら現世における学びの機会を逃し、見るべきもの、注力すべき事柄を悉(ことごと)く不鮮明にする。」

「“誰かがやらねばならぬ”というものは、この世のすべての者が負っている。言い換えれば、“誰もがやらねばならぬ”が、この世の中、埋め尽くされている(満たされている)ということ。それは、各々の環境・立場によって、内容は異なれども、必ずや、すべての者は、一つひとつが繋がり(由縁)をもって、天に“やるべきこと”を任されているのである。

ある国に自ら生きるということは、その国を良きものとするために、(その国に生きる)一人ひとりが、各々の立場にて、自ら考え、地道に、そして堂々と成すべきことに心を懸けていくのである。」

「やりたいことをやらず、言いたいことも言わない。そしてやるべきことも行動に移さない、その遅々として立ち行かない(進まない)今の自分を誰かのせいにする。それは、この世に生きながら、真には(真の意味では)この世を生きていないということ。

“生きる甲斐”、すなわち“生き甲斐”は、自らが見い出す(見つける)ものであり、自らがこの世に在ることを、自分なりに示していくこと、すなわち、目前の事象に対し不満の心を持つことなく、素直に、つぶさに対処していくことで、逃げ道に走らない、ということである。自らの人生に対して逃げず、言い訳をしない、その潔さのある日々にこそ、人は自ら“生きる甲斐”を見出すことができる。」

「責任のなすり合い、何かの原因を、人(他人)に求めるのは、もはや十分ではないか。この国(日本)が総じて不安定な状況に傾いていく、不安な道程を突き進むと感じる、それは、為政者のせいでもなく、ましてや、そなたたちの日々の生活に充足を感じられぬは、そなたを取り巻く人々のせいでもけしてない。」

「与えられた立場で、自らの役割こそを真正面から受け入れる。逃げず、惑わず、出来ることを淡々と処(対処)していく。それが、“潔さ”であり、日本は、先人たちの“潔さ”によって、生き抜く叡智を得、自然との共存を図ってきた。」

「受け入れるべきものは素直に受け入れ、けして、うやむやにはしない。そして、やるべきことは、そなただからこその、大事な“お役目”と心得よ。役目が果たせる(または果たそうと努めること)ことはすなわち、神が示す、この地上に在る者としての、そなたたち本来の“幸せな生き方”―――。

歩むべき道は、逃げ道にはけして見出すことは叶わぬ。日常こそ、そなたの身も心も、すべてを懸ける尊き場―――。逃げも隠れもせず、意(意思)を固めて、丁寧に処(対処)していくこと。それが、そなたこその“潔さ”なのである。」




2016年6月19日

「まっすぐに道を固めていく―――。それは、人生の道程でもあり、また、日常のあらゆる事柄、寝食、住まうこと、肉体を維持していくうえでのほんの些細なる物事に対しても示す言葉なり。
そなたの人生、けして安易な心持ちのままに、意識(すること)なく、ただ時を過ごすことなきと心得よ。

“時”という、一種の流れのなかで、しかるに、そなたは、このひととき、ひととき、己の日常、ひいては、その人生に、そのように生きたという、“標(しるし)”を刻み込むこととなるのだ。」

「その標の積み重ねが、そなたの現在の身体の状況、心の様相、そして、(そなたという)人となりとなる。しかるに、まっすぐに物事を見、毅然(きぜん)と応じる、一つの物事に誠心なるままに立ち向かう、その心意気が勝る者は、今の世、如何ほどにあるだろうか?」

「この世に生まれ出でたその瞬間からの、時の積み重ね。この一瞬、一瞬は、どの者にも平等に配され、年齢を経て、その国、その環境下での育ち方、教育も相まり、そなたという一人の人間が形成される。

人間という生命の一生、短き、はかなきものとは、けして思うなかれ。細胞一つ、それさえも、これまでそなたがこの世を生きた“結晶”---。だからこそ、人は、そうした積み重ね、あらゆる生命の結晶が形づくる人間というものに、特別な思い、<敬意>を抱くのである。

若きか、老いか、それが判断の基準ではなく、若き者ならではの、これまで積み上げてきたもの、そして、その生きる力、どれをとっても感涙に至らぬものはなく、そしてまた、老いし者の、これまでの人生の歩み、多くの人々に支えられ、あらゆる機会をもって関わりしその結晶は、もはや、その者より感じる息吹から拭い去れぬほどに、その者に珠玉の“深み”を与えるのだ。」

「こうして、この世はあらゆる人々が、互いに関わり、しかるべく(地球全体として)機能する。大いなる者たちよ、老いも若きも、誰もかも、皆、わが真髄に満ちた光―――。ここに、われは、魂の無限の輝きを見出し、そして、誰もかも、皆、愛しき、敬意に足る存在なり。」

「そなたが己の道を固め、究めていこうとするならば、そなたが歩もうとする日常のあらゆる場面、関わる人々への、真心からの敬意が必要となるであろう。そなたは、これまでの幾多の先人たちの人生の積み重ねがあってこその、今のそなたであり、先人たちの真摯なる想いこそ、この世で時とともに重なりゆき、そなたの(人生を)進みゆくうえでの“道標(みちしるべ)”となるのだ。」

「日常を、己の信ずるものに従い、つぶさに、確実に選び、歩んでいく―――。その心意気は、そなたの明日への展望が開け、そなたの人生を何よりも支えるものとなるであろう。まっすぐな思いで、諦めず、屈せず、そなたの欠かせぬ(大切な)人生を積み重ねる、これこそ、そなたが生きたこの世の“標(しるし)”となり、この地球に刻まれるかけがえのない“歴史”となる。」




2016年6月12日

「皆の者、よく聞くがよい。そなたたち人間に備わる限りなき可能性は、すべて、この世を“生ききる”ためにある。この世はありとあらゆる現象、そして霊魂たちの流れが、ここかしこに交錯(交流)する。そのなかで、そなたたちは、まさに“宇宙”に等しきほどに、緻密なまでに機能し、見事に収まる細胞、すなわち“身体”というものを、そなたの魂の成長に、絶えず“援くもの”として、神から与えられている。そなたは、地上において、寿命ある限り、その身体をいかようにも用い、研鑽し、この世ゆえの無上の(魂の)学びを得るのだ。」

「“信ずる者には、わが力をどこまでも授けよう”―――。大いなる神が、この者(=筆者)にかつて伝えし言葉が、実に、この流れの激しき世の終末に、日々もがき、それでもなお希望を捨てず生き続けるそなたたちの心に、強く訴えかけてくるだろう。」

「人は信ずるからこそ、生きることが叶う。それは、盲目的に、頑なな想い(偏見)のみで、己の心を固く閉ざすのではなく、何らかに対し、己の心が“信ずる”ことで、生きる力が魂の底から沸き出でるものであるか、という、確固たる“指標”があるものなのだ。」

「己の人生をより良くしたい、“幸せ”に導こうとするならば、目の前に起こる現象に対し、けして逃げることなく、自分の成せる限り、真っ向から迎え入れるがよい。大なる出来事も、また、たとえ小なる出来事さえも、その内実、背景、また(出来事が起こる)その意味など、そなたたちは、あらゆることを考えられるではないか。それを経てのちの、状況に適する、そなたなりの行動なのである。」

「必要なるは、己の心を信じ、目前の現象を信じ(受け入れ)ること。そなたが今、何ができるか、何をすべきかもまた、己の力を信じつつ、心を、そして身体をも、一心に傾けるのである。」

「信ずる者には、天のあらゆる加護がもたらされるであろう。それは、単なる、容易な神からの賜(たまわ)り物ではなく、己の人生を信じ、神を信じ、この世の縁ある人々に対し、己のでき得るかぎりのことを成す“心意気”があるがゆえである。そなたの、その“信ずる”波動が、そなたを取り巻くすべての、この宇宙に存在するエネルギーを、文字通り、“味方”につけ、順当に巡らせるのである。」

「良いか。人を見て、悲しむなかれ。この世を悲観することなかれ。この世は、たとえいかなる状況であっても、神の創りし、“信ずる”ための、魂の学び舎(や)。何より、神は、そなたを信じ、そなたの魂こそを、すべて、信ずる―――。そして、そなたは、神の与えし、その身体を
も大事にねぎらい、信じてこそ、そなたの“大いなる力”を呼び覚ますのである。」



2016年5月29日

「時間は、刻一刻と過ぎている。ある者は“生(せい)”をよりなぞらえ、たとえ目前に何が起ころうとも気(気力)を煌々(こうこう)と燃やし、一歩、一歩、段(階段)を上がるがごとく、ただひたすらに進みゆく。」

「かたや、ある者は“死”へとひた走る。それは、わが身が、究極、ついには死に向かうことを、目に見える現象の何らかの要因のゆえに、自らその判断を下すのであり、虚無的、あるいは崩壊的に人生を捉え、やみくもなまでに、生命(いのち)を費やそうとする。」

「しかるに、たとえ“生(せい)”に燃えるといえども、その真実たるや、“死”というものを絶えず内包し、身(身体)の細胞は、死する(消滅する)ことで再び生まれ、身体を維持し、機能させる。

そしてまた、すべて“生”によって構成される人生というものはなく、死、つまり、終焉ということは、目前の現象、人間の関わり(人間関係)、これまで学びしこと等の、ある種の終焉(区切り)こそが、まぎれもなく、そなたの人生に“生きる”ことを援けるのだ。」

「“死”へと向かう者もまた、同じ。たとえ、この世において、何をも成せず、ただ、虚無的なまでに日々を過ごそうとも、そなたが今ここに在ることが、すなわち“生”(せい)なる証―――。そなたが在ることが、他(他人)の生き方にも影響を及ぼし、それは、現在も、そして、過去(の先人たち)も、未来(の人々)でさえ、そなたの“生”がまさしく反映されるのだ。」

「“生”あるからこその“死”。そして、“死”あるからこその、“生”というものが一層の輝きを含み、人間は、この
(生死の)織りなす仕組みにより、己の人生を、世の中を、そして“神”をも感じ、想いを馳せることができる。」

「今一度申す。誰一人、この世に欠けてはならぬ。誰一人、この世が必要とせぬ者はなく、神がそなたのこの世に在るを、何よりも望んだのだ。」

「そなたという一人の人間が、自らの人生を創り、その人生におけるあらゆる“生と死”が、ついには、地球の生死へと連なり、その絶えず繰り広げられる地球(生命)の生死が、膨大なエネルギーを創出し、宇宙の様相となる。」

「時は刻一刻と過ぎ、そして、生は死とともに、交じり、互いを支えつつ、神の望しそなたのこの世の生、人生を美しきまでに精妙に創り成す。死があるからこそ、生はなお一層輝き、そなたは、その究極の“生在る”存在として、その(寿命における)死でさえも、他のあらゆる生命の“生”に、またとなき輝きを添えるのだ。」




2016年5月22日

「(目前の)何かを見て、ふと笑顔がこぼれる。それは、凝り固まったそなたの心内、囚われた思考に、目前の光景(事象)が期せずして、そなたの思考を一瞬にして変える、新鮮な要素を授ける。すると、そなたは、心をまたたく間に“軽く”させ、知らず知らず、心の均衡を整えている。」

「日常、何かを思い浮かべ、それが、過去の嬉しき出来事、出逢った人を思い浮かべ、あるいは、未来(将来)における楽しみや希望がごく自然とそなたの思考に連なったのなら、そなたは、その心にじんわりとした温かさ、生きる勇気が沸いてくるであろう。そなたの顔には笑顔(笑み)が咲くのだ。」

「そなたよ。この世に生きるは辛きことか?苦しみ多き、この世知辛(せちがら)い世の中か?物質的・金銭的に苦しむ者、あるいは、そういった辛苦なき日常それでもなお一抹の不安、生きにくさを感じている。この地上、われら(神)から見るに、ひたすらに苦しみ、もがく者、そして実体の無い不安、予測、観念にてわが身を苦しめる者が如何に多いことか。」

「人間は苦しむために生まれてきたのではない。神は、人間を苦しめるためにこの地上に生まれさせたのではない。この地上にあらゆる人間を生まれたらしめる神の願いとは、すなわち“笑み”の姿であり、一人の人間のなかに、いつも笑顔を、そして、縁ある人々との対話、交流、数多くの人々が関わるその輪のなかにも、数々の笑み(笑顔)があることのみ。」

「そなたたち(人間)に与えられた笑顔。これこそ、かよわき人間というものが、太古より長らく生きながらえ、そして今も生き繋ぎ、多大なる国、社会、家族を創り得る、神が与えた不可欠なる要素。これに勝る“調和”の真髄、人間として生きる秘訣は無かろう。」

「そなたがわが身を省みるとき、そなたの顔に“笑み”はあるか?そなたの心が真に何ものにも縛られず、自由に軽やかに生きる最大のきっかけは、そなたの顔にほころぶ、その笑顔なのだ。」

「悩み、苦しみ、心が窮屈なとき、笑顔になるが良かろう。動作から心への作用、エネルギーの転換―――。しかるに、それでも笑顔になれぬほどに心が沈み悲しみに苛まれるとき、自らの気持ちをないがしろにしてまで、笑顔に(無理と)変える必要も無かろう。」

「そのときは、いや、そのときこそ、神を思い出してほしい。われらの心は、いつもそなたに“笑み”を向け、今もそなたを想い、愛してやまぬ。そなたこそ、わが愛しき者よ。われらがそなたに笑みを向けるその意味は言葉には到底尽くせず、だからこそ、神はこうしてそなたが在る(存在する)宇宙を存続させる。そして、この地上に現わされる自然もまた、形は様々にして、しかるに温かな、真に誠実なる微笑みをたたえているではないか。」

「それが、地球。そなたの生きる場所―――。神の笑みのなか、宇宙のなかに、そなたは今まさに、笑みをたたえ、それでもあきらめず、前へと進む。」

「神の笑みのなか、温かな光のなかに、そなたが、われらと同じく“笑顔”をたたえ、日々を穏やかに生きられこと。それが、神々の本望、われらに“最高の笑顔”を与える。」




2016年5月4日

「人間とは何と、か弱きもの。この地上(地球上)に現わされる幾多の自然の、いずれの要素も欠けたならば、たった一日でさえ生き延びることは叶わぬ。人間が赤子として生まれ、無垢なるままに母親に抱かれるその姿は、まさに、“生きる”ことが、赤子の今、“すべて”となる―――。

全身で感じ、全身で感情を表現し、それは、“生きる”ということが、人間にとりて、それ以上の使命とはならぬほどに、ただその瞬間、“生(せい)”の真っただ中に在る、愛しき赤子。そして、人生を(すでに幾年も)経ているそなたたちもまた、実に純粋なる“生命(いのち)”というものを、神に愛され、認められるそのままに、しかとたずさえているものぞ。」

「ごく自然と、“家族”という形態が、古来、人間という種(しゅ)の集団に芽生えた。それは、すなわち神の意向でもあり、また、大切な(女性の)身を用いて、ようやく産み出だされた、か弱き赤子が、この世を全身にて力の限り生きるとき、すでにこの地上を経る者たちのごく自然な感情からの援(たす)け(援助)が必要とされた。

赤子が日々呼吸をし、泣き、笑い、少しまた少しと物事を習得する、一つの生命のその見事なまでの“吸収力”は、赤子に関わる者へ、無上の感動と、生きる力を与えるものぞ。」

「そのようにして、互いに守り、守られ、心身を刺激し合い、人生に彩りを添え歩んでいく、そのごく身近で、切れぬ繋がり(集団)こそ、“家族”―――。人間が殊(こと)更(さら)に、か弱きものゆえの、しかしながら、一つの生命を構成し、発する波動は、神にとりてもかけがえのなき“宝”。

ゆえに、神は、“家族”を通し、いつでもそなたを支える。家族というものの大切さを覚え、学びを得ることのできるよう、そなたの人生のあらゆる場(場面)に、“家族”という大きな敷石を配したのである。」

「この地上において、現にあらゆる家族の形態があるなかで、しかしながら、いかなるものであっても(家族を構成する)その者にとって、今世、もっとも欠かせぬ“学び”となる。たとえ無情卑劣な(家庭)環境下にあっても、けして卑屈であってはならぬ。

繰り返し地球に転生し、あらゆる“家族”のあり方を経てきたそなただからこそ、今生(こんじょう)再び幾多の縁によってこそ頂く“家族”の形態に身を置き、さらなる学びを得、そして何より、自ら発することのできる“愛”があるであろう?」

「遠く上空、宇宙の彼方(かなた)から地上を見たとき、“家族”の様相がことごとく垣間見られる。その様子とはいかなるものか。家族が笑顔で、互いをねぎらい、ときには互いに鼓舞し、その家族ならではの“調和”が図られたとき、絵も言われぬ温かな光が、その家族から溢れ出るのだ。ここにこそ、明日への架け橋が繋がり、神の望む、万物・生命の調和の御世が現わされるであろう。」

「神は願う。そなたに与えられた今、その環境、家族、そしてあらゆる力(お蔭)を借り、ようやく生まれ出で、叶ったそなたの今生(こんじょう)が、そなたにとって何よりも大切な“礎(いしずえ)”となることを。人との関わりのなかで得た経験、学びの一つひとつが、そなたの人間としての“熟成”に寄与し、生まれてからのあらゆる出来事が、自らにとって本当に“欠かせぬ”ものと心底思い、丁寧に生きること、そして、明日に希望をもてることを。」

「神は愛(め)でる。そなたの人生こそを。そして、神は感じる。そなたが、神の大切なこの地上を、あらゆる状況のなか、苦難にも屈せず、それでも“生きる”その健気(けなげ)な姿を。

そなたが在るからこその、この地上における神の一層の喜びであり、それはまた、そなたがなおこの地上を“生きる”からこその、家族の学び、そして喜びに繋がっている。」




2016年3月13日



生命(いのち)とは、月日紡ぎ出生きざまを、大いなる地球、母なる大地一つひとつ“記憶”しゆく。喜びも、悲しみも、心を震わせるならば、すなわち、それは大地に響き、過去も、現在も、そして未来に続くまで、途切れることなき、そなたの息づかいが地球鼓動だ。」

「先人たちが残した歴史、大なるもまた、小なることでさえ、この大地は、何一つ忘れ去ることなく、途方もなき年月をかけ積み重ねている。そなたの先人たちは、はたして、かの時代、何を見、いかなる想いで、そなたに連なる生命(いのち)できたか。」

「人は、まさに“今”を生きる。生きる、それはすなわち「今」であり、生きることで叶うは、今という、人類が生命(いのち)瞬間(とき)に、そなたがに、この地上に在るということのみなのだ。」

「しかるに、そなたよ。そなたの今は、過去からの積み重ね。それはそなた一人が過ごした時間(とき)のみならず、この大地が絶えず紡人類すべての記憶、膨大歴史が、見事なまでに、今在るた、一人ひとりに受け継がれている。

「なんとこの世は、深淵なる“繋がり合い”、数え切れぬほどの魂渦巻く、絢爛(けんらん)極致か―――。誰一人として欠けてはならぬ。誰一人として必要無きはけしてって、大いなる生命(いのち)協奏――。」

「そなたが一人、自らが今在るまさにその場にて、心の赴くままに静かに先人たちを想うとき、すなわち、先人たちが未来の者たちに向けて発したときのその想い、願い、そして希望は、より強き“絆”となって、両者に光の線が敷かれるであろう。

そなたあってこその、先人たちの命を懸けた、地上の生きざまであり、そなたは、先人たちの想いを、魂を一心に受け止めるのである。」

「そして、そなたが、いざ、未来へ向けて、心を今よりも一歩先へと向けるとき、未来に連なる“扉”が、光満ち、開かれるであろう。その扉へと向かうそなたの心には、希望と、向上への想いが沸き、幾多の“挑戦”を繰り広げるのだ。」

「ここにこそ、われが地上に降ろした珠玉の魂の、そうだ、そなたのこの世に生きる、真の“意義”がある―――。」

「天に召されるその日まで、そなたは生き続けねばならぬ。そなたが生きることで、人類の未来への扉がまた一つ開かれるのだ。」

「過去を想い、そして未来へと心を解き放ち、懸命に“今”を生きる。そなたの姿は、人類の希望の燈火となる。そして、そなたの今を、過去が、未来が大いなる“道標(みちしるべ)となって、支えゆくであろう。」

「そなたの今この世に生きるのは、けして神の気まぐれではない。神が愛してやまぬわが子、そなたが、この地上のあらゆる支えを受け、自然の恩恵を享受し、魂に、生きる喜びを積み重ねる―――それが、神の究極の“希望”なのである。」

* * *
皆様

いつも『神々からのメッセージ』をお読みいただき、誠にありがとうございます。

お蔭様で、神からの御言葉を今なお途切れることなく皆様へお伝えすることができ、これもひとえに宇宙の神々をはじめ、皆様のお支えあってこそと、いつも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

次週よりわたくし自身、遠方にまいりますため、三週間ほど、新規の配信をお休みさせていただきます。
来月再び、このブログで皆様にお会いできますことを心より楽しみにしております。

皆様の春がより光満ちるものとなることをお祈り申し上げます。

Rinokia



皆様、2014年5月11日に公開した記事を再度UPさせていただきます。

* * *
「わたくしには今も絶えることなく、あなたがたの命の鼓動が聞こえる。この地球にて育まれし幾億もの尊き魂は、限りなく無垢で、時にははしゃいでいます。健やかに眠る赤子のように静かに優しくその様相をたたえ、この命ある者たちが、どうか誰一つその御心を穢すことの無きよう、互いに愛のうちに各々がただ一つの人生をじっく
りと心安らかに過ごすことを、諸天の神々・指導霊に祈っております。」

「あなたがたにとって“栄えある”人生とは、一体どのようなものでしょうか?人間誰しもが暮らしとして楽な日々を送りたい。願わくば、経済的にも環境的にも恵まれ、欲しいと思うものは直ちに手に入り、そして明日に何ら不安もない。そういった、日々呼吸をし、食物を摂り、ただ自らの欲求の赴くままに、人は生きようとします。そのなかで、時には人生の困難に直面し、自らのこの世に在る意義を問うてゆく
のです。」

「人はもがき、それでも前を向いて生きるとき、そこに僅かばかりの光明〔希望〕を見出します。これを追い求めて人生は矢の如くに過ぎ、その人にとっての希望は、い
つしか越えなくてはならない壁となることもあるのです。」

「わたくしは言いたい。あなたがたの魂をこうして我が手にすくい抱くとき、どれも温かで美しく、何一つ汚れてはいない。この神々しき魂を、その無垢なままでこの世に一つひとつ丁寧に降ろし、光の網、そう、愛の網をこの地上にわたくしはしっかり
と繋ぎ合わせたいのです。」

「天使ガブリエルは、この地上について悲しげに言います。“なぜ地上の民はこれほ
ど互いを貶め、傷づけ合うのか?”と。」

「この地球は、<神の楽園>となるはずでした。天界の神の世そのままに、あなたがた魂を降ろし、神の政(まつりごと)、そして晴れやかなる神の宴を顕現する。しかしながら、人が人を傷つけ合い、縛り合う、ひいては深き縁で生まれ変わり、再び出会
いしその仲でさえも、双方悲しき結末を迎えてしまうのです。」

「神の創りし、この命あるものが生死を繰り返すという絶対的な仕組みは、これから先も変わることはないでしょう。互いに関係し、支え合って、一つの地球生命体を存続させてゆく。それであるなら、その仕組みを踏まえたこの世の現実は、あなたがたの心次第、気づき次第で如何ようにも本来の姿、そう、魂の次元からみた光の世に塗
り替えることが叶うはずなのです。」

「この世界を率いる強き魂、指導者はこれから必ずや必要となるでしょう。しかしながら、それは万人を統制すべく力で封じ込めるという意味ではけしてありません。誰しもが心に願う平和な理想郷へと、皆の価値観・思考が徐々に変化し、一定の方向を向く、その進むべき先にかくある大いなる指導者は先陣をきって天界の神々を迎え、
この世の終世と再生を高らかに宣言するのです。」

「それが地球の民全体としての、まさに“栄えある”人生なのです。この意味が分かるときが必ずや来ます。今後わたくしがメッセージとしてこの世に降臨する時、一つの啓示があなたがたに降ろされることとなるでしょう。」

以上。



2016年1月24日



「この世に配されし、そなたに欠かせぬ“気づき”に、そなたが日々のなかで果たして気づき得るか。その分かれ目とは、心の指針がそなたの内に確然と現わされているか否か。

つまり、現在の己の状況、過去の境遇より自らが遅々として這い上がらず、人生を(さげす)、この世での生きる(こと)を虚無的なるものとして捉えていないか。

て、ほんの些細出来事とえ己の予想に反するものであろうと、素直なる心で受け入れ消化し、“次”へ繋げるべく、心の向け方、
矛先(ほこさき)をしかと定めるか。そのそなたの心の在り方、(起こる)現象への心構え一つである。


「ある事象が生じるたびに、そなたたちは、心ゆらりゆらりと動かすのか?根のなき草なるがごとくに、そなたの心は絶えず揺らぎ、無用なまでに案じ、果ては他の者との境なく、“同調”という波にさらわれてゆく。」

「人類の時代(とき)(はやぶさ)のごとく、猛烈なる勢いで飛び進み、人間の思考から生み出されし数々の概念習慣、そし電波あらゆる事象網羅る“情報”は、そなたたち人間生きるに対し、良き飛び越もあろうか、悪しき“混乱の世”へと(いざな)うこととなった。」


「この地上に生まれしその
瞬間(とき)より、人々の様々な思いが錯綜する。多くの規範、規律、価値観のなかで、もとよりあらゆる形の“愛”のもと、人ひとりの人生が展開していく。知識がまた新たなる知識を呼び、時代観念を形成する。

そなたの心の
大本(おおもと)まわりには、あらゆる想念が覆いかぶさり、そなたの本来の様相が、こともあろうか現わし難き、この奇怪事実なり。」

「(2016年という)新しき年、殊更に必要なるは、身も心も、より“簡素に”削ぎ落とす、その心構えなり。」

「地上の様相を見るに、この簡素なる心を体得している者が、今、如何に少なきことか。ある者は、肉体に過重をきたし、十分なる身動きかなわず、ついには思考の巡回(巡り)をも途絶えつつ、命半ばのごとくに日々を怠惰に過ごす。」

「またある者は、思考の巡りゆく様は難解を極め、時経てもなお、悲しき堂々巡り。現状の打開を望むも、その思考はあらゆる機会を逃し、依然、元の境遇に自らが自らを追いやるなり。

そして人類の果て、追い打ちなるは、実に多くの人々の、この世に網のように千本、万本通りゆく、あらゆる手の“情報”に、心
(うわ)つき、惑い(さま)あちこちに進みらしっては戻りつ、人間あたかも“幽霊”ごとくに、心定まらぬ、憐れなる様相なり。」

「そなたがそなたとして、確固たる心根をもち、気概を奮い、果敢に生きるは怖ろしきことか?憐れ、歳には勝てぬと、早々に諦めるか?

そして、そなたよ。天より与えられし、そなたこそのまたとなき人生、あらゆることに挑み、仮に失する(失敗する)は心傷つく不名誉なるか?」


「いや、それどころか、人生とは、時間、熱(エネルギー)、あらゆる素材、要所(ポイント)を、わが(人生の)道程に引き入れること。絶やさぬ洞察で物事を見定め、不断の努力をも、そこにたずさえるのだ。

すべてを信じ、何より己を信じ、生ききることこそ、人は真に“生きる”―――。それが、そなたこその“人生”なり。」

「身も心も、より簡素に、軽やかに整える。その心構えが、そなたの人生にとりて今後大いに追い風となるであろう。いかなることがあろうとむやみに動じず、軽やかに処する(対処する)。

そして、機を見定めつつ、あらゆる要素を用いて、自身の人生を“生き果たす”ことこそが、そなたを愛してやまぬ天上の神々、そして縁あるすべての魂への、無上の“御恩返し”と思うがよい。」





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