神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

カテゴリ : 金神

2016年2月1日


「肉体にての“消滅”―――。すなわち、肉体に()りし魂が、地上役目再び天へと帰る。人は肉体を介して生まれては死に、は、この世を去りてまた何処(いずこ)かに生まれ落つるのだ

「“(いのち)”という(くく)りは、この世において如何(いか)なる広がりを見せたるか。草木にも命宿り、われらが鎮まるこの山々でさえ、命無きは何ひとつ無し。

命の協奏は、“生死”両極を
(はら)み、大いなる力を呼び覚ます。この世に見るを、を、そして水絶やさぬ海をもまた、長き年月創り成す。」

「肉体一つさえ、命の塊。そなたの身に収まる細胞たるや、沸き出でるがごとくに大いなる力をたたえ、巡りゆきてはやがて消滅し、新たなる細胞へと生まれ変わる。命の繋ぎ合いが、そなたの内(身体)にも(つつが)なく施され、そなたは今なおこの世を生きる。」

「“命”の生き死に。命とは、人間のもつ感覚の、“肉体”にかかる範疇なるか? いや、“目に見えぬもの”の生き死にを、そなたは、もはやそなたの心で感じ取り、そなたの人生に生かす時代(とき)がきた。

「想い、言葉、所作―――。そなたら人間が紡ぎ出す力の流れ―波動は、目には見えずとも、それらは“命”と同様、生きることも、また死ぬることもある。」

「生かす思い(言葉、所作)は、生命のもつ力に感応し、さらなる“生”を生み出だすであろう。少しまた少しと、内なる息吹が満たされ、その者の最も叶う瞬間(とき)、場場面にて、ついには煌々たる()の目をみることとなる。

しかるに、死する思いとは天の光仰ぐことを遮る封印。その波動を受けしに、返り咲くことかなわぬ
印籠(いんろう)こととなる。」

「そなたは、“生かす”魂か。それとも、“死せる”魂なるか―――。」

「神は、万物を生かし続けねばならぬ。“神生きる―神在り”、これこそが、そなたら魂の生きる意義。それがたとえ、目には“死せる”ものであろうと、その先には、“生きる”命が繋がりて、巡り巡りの果て、生命たちは息づき、ここに神々(こうごう)しき息吹途切流れ込むのだ。」

「端的なる思考は、端的なる人生を呼び入れるであろう。そなたは日常、表層の現れ(現象)のみに心を奪われ、落ち着かぬままにあれこれと動きまわる。そして、事あるごとに、幸せ不幸せという(端的なる)括りで、(人生を)天秤にかけるその愚かしさよ。

そなたは、その幸・不幸が心を埋め尽くし、殊更に短き(些細な)ことのみを日々思いあぐねるではないか。そなたはなぜ、今なお
暗雲(あんうん)の世を、光の拠り所なく、一人彷徨(さまよ)うのだ?」

「魂は滅さず、永遠なり。永遠に生きる魂ならば、そなたは、この世での命ある限り、何もかも“生かす”行いで生きねばならぬ。

そなたの身の内(=肉体)にとめどなく成される細胞の“生き死に”―再生―はそなたを支える。そして、生命の息吹たたえるその肉体を、いかなるときもそなた自らが己の魂にたずさえるのだ。

そなたの見るも、聞くも、そして五感にて味わうも、それが“命必ずや在るもの”として真に向き合い、そなたの心にて一つひとつ“生かす”ことこそ、そなたの地上に生きる、意義。」


 

2016年1月17日


「物の道理の分からぬ者がおる。いや、今やこの世のおいては、道理の分からぬ者が
蔓延(はびこ)いつの時代(とき)からか道理ともつかぬ歪んだ仕組が我が物顔で横行し、健気(けなげ)に生きん(生きよう)とする人間たちをも誠に幻惑(げんわく)多き(うつつ)()に落とし込。果ては人類総じてこの世を混乱の、安住ならざる世として仕立て上げたのだ。」

「道理とは、神が原始よりあるがままに定めし、順当なる事の流れ。それは、光放つ一本の“矢”のごとし。すべからく真っすぐと、その行く果ては必ずや、魂の求める境地に至るものであろう。

神世とは、まさに、魂の赴くままに光の矢が、天へ向け、あるいは地へ向け突き刺さり、その行き着きし先には、光の真髄が授けられようぞ。」

「しかるに、今やこの世の有り様。もはや目のあてられぬほどに乱れ、崩れ、あるいは(せい)に生きるその力さえ失い、至るところ朽ち果てる。われら神々はとうに、人間たちの行く末を知り尽くし、ただ驚愕し、大いに心狂わすなり

「道理の分からぬ者たちがこの世にのさばり、(この世は)魂たちの真の学び舎に、もはや及ばず、ただ幻ばかりの様相となる。愛のままに御胸(みむね)抱き、丹精込め珠玉の魂たちこの世に降ろしし神々の、その心の痛みとは、もはや計り知れぬものであろう。」

「物の道理、(物事の)善し悪し。この世を生きるには、はたして何が大切なるか。肉体を持った魂として、そなたらは如何に(現象を)見、聞き、そして如何に心を用いる(=思う)か。

よいか、人間として、このごく純粋なる動作、心の在り方を、そなたらは自らの人生を懸け、絶えず追い求め、日々
(ねんご)ろに、心過ごすものぞ。」

「けして大事(おおごと)を成すに及ばず。しかるに、そなたは自らこそ、この世にあって、自らの地(立場)にて、輝くばかりの存在となることを望むなら、その身、覚悟をたずさえて、いかなることがあろうとも、“揺るがぬ意志”を持つことぞ。

この世は、今、地球を満たす大いなる息吹さえ順当に現すこと叶わず、地上に生きる魂たちの不穏なる波動が日を追うごとに大地を覆い尽くす有り様なり。ここに起因し、心もとなき現象、人の心を惑わす現象が、あちらこちらに水の沸き出でるごとし。


「よいか。人間とは、神の申し子。そなたは、神の放つ光の矢となりて、悪を切り裂く一層の光と強さをたずさえ、殊勝に進まねばならぬ。

魂の響き合う縁者(縁のある者)らとこそ、より協和し、
煌々(こうこう)たる光の集いを成すがよい。神の矢は一層の堅、ついには屈強の(つるぎ)となりて、この世を隈なく相照らすことぞ、神の本望なり。」



 

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