神々からのメッセージ

宇宙の根源より地上へ降ろされる神々からの御言葉。人々への深い愛のメッセージ。

カテゴリ : 生活を司る神

2016年9月3日

(この世において“幸せな生き方”とは、と筆者が神に問いました。)

「自らこの世を生きていくうえでの“逃げ道”というものを、現代の人々は、大小あらゆる事象において、それを見い出すことに腐心し、果ては右往左往の人生を辿る。」

「“逃げ道”―――。それは、単(端的)には、“言い訳”という表現にても置き換えられる。そなたたちは、こうして、現代にみる生活の向上・安定の上に立ち(生き)ながらも、かえって、それが、自らが要する(必要)以上の“甘え”となって、何か事あるごとに頭を抱え、立ち行く(進みゆく)ことを拒む、そしてついには、自らの人格さえも抑え込むという行動に走らせてしまうのである。」

「そなたたちには、“潔(いさぎよ)さ”が足らぬ。潔さとは、まずもって、自身の心に嘘をつかず、人に対しても諂(へつら)うこともない。ただ、自身に備わるものをあるがままに認め、自ら成すことに関し、それ以上も以下もない、ただそのままの様相を、自らに、また、他(の人)に対しても、嘘の無き誠(の心)に従い、淡々と示していくのである。」

「幸せから遠のく生き方は、誰のせいでもない。そなた自身の心の捉え方次第、そなたの“選択”の結果なのである。“あの人がこうしたから”、あるいは、“あの人がこうしてくれなかったから”という、責任の転嫁はすなわち、自ら現世における学びの機会を逃し、見るべきもの、注力すべき事柄を悉(ことごと)く不鮮明にする。」

「“誰かがやらねばならぬ”というものは、この世のすべての者が負っている。言い換えれば、“誰もがやらねばならぬ”が、この世の中、埋め尽くされている(満たされている)ということ。それは、各々の環境・立場によって、内容は異なれども、必ずや、すべての者は、一つひとつが繋がり(由縁)をもって、天に“やるべきこと”を任されているのである。

ある国に自ら生きるということは、その国を良きものとするために、(その国に生きる)一人ひとりが、各々の立場にて、自ら考え、地道に、そして堂々と成すべきことに心を懸けていくのである。」

「やりたいことをやらず、言いたいことも言わない。そしてやるべきことも行動に移さない、その遅々として立ち行かない(進まない)今の自分を誰かのせいにする。それは、この世に生きながら、真には(真の意味では)この世を生きていないということ。

“生きる甲斐”、すなわち“生き甲斐”は、自らが見い出す(見つける)ものであり、自らがこの世に在ることを、自分なりに示していくこと、すなわち、目前の事象に対し不満の心を持つことなく、素直に、つぶさに対処していくことで、逃げ道に走らない、ということである。自らの人生に対して逃げず、言い訳をしない、その潔さのある日々にこそ、人は自ら“生きる甲斐”を見出すことができる。」

「責任のなすり合い、何かの原因を、人(他人)に求めるのは、もはや十分ではないか。この国(日本)が総じて不安定な状況に傾いていく、不安な道程を突き進むと感じる、それは、為政者のせいでもなく、ましてや、そなたたちの日々の生活に充足を感じられぬは、そなたを取り巻く人々のせいでもけしてない。」

「与えられた立場で、自らの役割こそを真正面から受け入れる。逃げず、惑わず、出来ることを淡々と処(対処)していく。それが、“潔さ”であり、日本は、先人たちの“潔さ”によって、生き抜く叡智を得、自然との共存を図ってきた。」

「受け入れるべきものは素直に受け入れ、けして、うやむやにはしない。そして、やるべきことは、そなただからこその、大事な“お役目”と心得よ。役目が果たせる(または果たそうと努めること)ことはすなわち、神が示す、この地上に在る者としての、そなたたち本来の“幸せな生き方”―――。

歩むべき道は、逃げ道にはけして見出すことは叶わぬ。日常こそ、そなたの身も心も、すべてを懸ける尊き場―――。逃げも隠れもせず、意(意思)を固めて、丁寧に処(対処)していくこと。それが、そなたこその“潔さ”なのである。」

以上

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2013年10月20日

【仕事を司る神】

「仕事とは、元を正せば、他に“仕える”ことから成り立つ。現代のあなたがたの思う“仕える”という概念は、自らを抑え、まるで奴隷のように苦労を強いられること、他のために動いたり働いたりすることを何か損でもあるかのように捉えているけれども、見よ、あなたがたよ、あなたをあなたとして生かす数えきれぬほどの事象、すなわち、自然であり、その肉体であり、あなたが日常当たり前のように受け入れているものの多くは、あなたを生かさんがため、ただそこに無限の愛情をもって、あなたに今もこうして“仕えて”いるのである。」

「あなたがたは、人間というものが長き歴史において生き抜くごとに、それは、それは、非常なる勢いにて、この現象界での生きる術を貪欲に身につけてきた。神よりこの地球という星に降ろされ、神と繋がりし民らは、ただ神と共にあることを心の支えとして、厳しき時代をひたすらに生き抜いてきたのだ。」

「祖先たちがこれまで幾重にも培った知恵をさらに進化させ、あなたがたは現代に生きる。あなたがたは、もう十分なほど、生きる術(技術)という面では知り得たはずだ。しかしながら、あなたがたは、自ら抱えるそれらの術が多ければ多いほど、神との約束、神と共にあること、神より配されし宇宙の仕組み、すなわち自然の流れについて、心を向ける余裕を失ってしまったのだ。」

「知識は、すべての魂に必要なものだ。しかしながら、それを統括するものは、やはりあなたがたの心であり、感覚であり、魂が魂として、いかなる状態(人間、霊)であっても、その芯は変わることなく、あなたを形成するその頂点には、神を置かなくてはならない。」

「あなたの中、すなわち、その頂点に神を置くとは、あなたの心の様相を映し出すこの現象界でのいかなる場面においても、あなた自身がすべてを神として掲げることである。あなた自身が神であるからこそ、あなたを取り巻く自然をはじめとするあらゆる事象は、あなたを神として、絶えずあなたに仕えているのである。そして、すべての人も神であるなら、あなたも縁あるそれらの人々を、同じく神として掲げ、正しく仕えなくてはならない。」

「諸々の神より、これまですでにあなたがたは、こうして現世に生きるうえでの至高の教えを得ている。神とあなたがたが同胞(同一)であるからこそ、神は尽きることなく、あなたに日々形を変え、状況を変え、あなたが真に“気づく”ように愛の光を送り続けているのだ。」

「そうした神の教えを、今こそ“実践”する時が来た。行動に起こすこと、それはあなたの心をまた新たなる方向へと導くこと。あなたの今持つ仕事(単に事業に関してのみならず、人が生活する上でおこなう事柄)は、神より授かりし実践の場。目の前にある人、物、それらのすべて神としてあなたが真に“仕える”とき、あなたに対する環境(状況)が一変するだろう。すなわち、あなたをより神として掲げ、目に見えるか否かにかかわらず、すべてのものがあなたにとって頼もしき光となって、あなたが人生を歩むうえでの良き加担者となるだろう。」

「あなたが、まずあらゆるものへの良き加担者になれば良い。すべてを神と掲げること、すべてに対し神として真心で仕えることで、すなわち、あなた自身の人生が変わるのだ。仕事とは、この神の道を歩むうえでの、まさに尊き実践の場なのである。」

以上。

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2017年2月4日

(筆者が神に問いました。「今日は『立春』です。この一年をより充実して過ごすための“開運”行為について、御教えください。」)

「『 開運 』―――、それは、文字通り、人生のなかで起こる出来事であったり、出逢う人であったり、そういった、自らの目前に広がる事象が、より良きものに、そして、次へと順調に繋がっていくような大切な一連の行為であり、それはまた、運を“天へ
向け開く、という意味でもあります。」

「今、あなたがたの世では、“これをすれば開運につながる”といった謳い文句や、“これを持てば良いことが沢山起こる”という様々な情報によって、多くの人が、ごく気軽に、開運を得るための行為をおこなおうとします。」

「その思考(思い方)は、けして否定するべきではありません。どの人も皆、
人生を現状より少しでも良くしていきたいですし、また、こういった行為は気分を盛り上げ、生きる“意欲”にもつながるものだからです。」

「ですが、ここで一つ、あながたに大事なことをお伝えします。人間の身体をみてもわかるように、生命は、“呼吸”をし、また食物を体外から取り入れ、必要な過程を経て、体外に“排出”します。何かを取り入れるには、既存物を排出する、潔く手放す必要がある、もしそれを怠るならば、必ずや、どこかに支障をきたすことでしょう。」

「あなたがたは、この時代にあって、得てして多くのものを得よう(取り入れよう)とします。まだ何か足りない、もっと上乗せしたい、それは、逆に言えば、自らを“重たく”し、また、霊的な言い方をすれば、本来ならば、一つの生命に、必要かつ順当にエネルギーが巡り、そして互いに絶妙に関係し合っているにもかかわらず、不要なもの(エネルギー)が混在するために煩雑となり、結局は、二進も三進も(にっちもさっちも)いかない、そういった不安定な状態へと陥ってしまうことにもなるのです。」

「“足るを知る”こと、そして、“すでに十分に満たされていると感じる”こと、これが、あなたがたにとってまずは必要な考え方ですし、今後本当に必要な物事、人、そして、運が巡ってくるためには日々持ち続けていただきたい大事な心構えです。」

「そして、もう一つお伝えすることがあります。それは、神があなたがたのどの人に対しても、その存在を受け入れ、愛し、そして、ごく純粋なままの生命の光を見出している、その一方で、神に愛されている当のあなたがたは、皆どの人も、自らをあらゆる部分で“否定”しようとします。つまりは、自らの過去であったり、今の状況であったり、「こんなはずではなかった」と拒絶し、目をそらし、本来ならば平安であるはずの心でさえも、けして
赦そうとはしないのです。

これらは他人と比較することでも、また、“清栄(見栄)を張る”ことでも生じていきます。そうして、あなたは窮屈に塗り固められ、少しずつまた少しずつ、本来の“あなた”という存在からかけ離れていく―――。受け入れない思いは、何より自らを苦しめます。過去に蓋をする思いは、自らの存在意義さえ危うくします。“不透明な生き方”―――、言葉は荒くなりますが、あなたがたは、年を経るごとに、まるで曇りガラスのように、生命の輝きを“鈍く”しているのです。」

「“立春”ということでお話ししますと、今日(立春)をはじめとして、この二月において、この世は“陽(よう)”の気が特に強く、それは、“生命”の力、“誕生”の息吹、そういった、ごく純粋なまでに生命に直結したエネルギーがこの世を満たします。陽の光(=太陽)もしかり、また、自然の息吹もまた、次々と芽吹くような、強い生命力を発揮します。それはすなわち、あなたがたが、日常生きる際に、心の持ち方次第で、これらの強い陽の気を自らに存分に得られるかどうかにも直結します。この時期の気(エネルギー)を、自身にどの程度取り込めるかで、これからの一年の生き方を決定づけるとも言えるでしょう。」

「その、この月(二月)ならではの気を得るには、何よりも、あなた自身がより、“透明度”を上げておかなくてはなりません。ちょうど、水晶玉のような、光を即座に通し、集め、そしてきらきらと輝く、光のままの存在です。それには、これまでお伝えしたような、体内にも、日常においても、それこそあらゆる場面で、不要なものを取り去ることです。これが、古代では“禊(みそぎ)”といって、霊的にも身体的にもごく清浄な状態に、急激に自らを戻す行為なのです。

そして、何より、誰しも
元は、本当に水晶玉のような、本当に明るく清らかで純粋な光を放つ存在であり、神も光、あなたも光、なのです。過去もすべてあなたにとって必要な縁であり出来事であったこと、そして、今のあなたの生活もまた、あなたにとって必要であり歓迎すべき(喜ぶべき)ことを、他の誰が肯定するのでもない、あなたこそが、そのように受け入れねばなりません。それが、あなたという生命が、本当に“無垢な”状態に還り、今後、運を上昇させるために必要な、この時期ならでは素晴らしい気を存分に得られる“秘訣”でもあります。」 

「“運”とは他の誰が開くものでもありません。運は、自らの意志で“拓く”ものです。あなたの意志で
純粋な状態に(自らを)戻し、陽の気、すなわち“天”へとその身を大いに開いていくのです。光はあなたのなかに共鳴し、あなた本来の生命の力が発揮されることでしょう。これこそ、地上にての“開運”―――。あなたの人生を彩る多くの縁をつなぐ、欠かせぬ“気運”として、強く、確実に、顕現されていくのです。」





 
 

2017年1月7日

(筆者が神に問いました。この世には、「現世利益」という考え方があります。自分がおこなったこと(欲したこと)について、より一層良い結果・恵みが得られるために、日々心がけることをお教えください。)

「新しい年(2017年)が幕を明けました。年の変わり目というものは、新しい年を迎える直前(年の瀬)はもとより、年が明けた瞬間から、人は、何か“神妙なるエネルギー”を感じ取ります。それは、人によっては、“新鮮さ”であったり、(新しい年への)“意気込み”が、2016年という一年間を乗り越えたゆえにこそ得ることのできる、一つまた高みへと上るための“気概”であったりするのでしょう。」

「人は、自分のおこないについて、もしそれが本当に、心も身体も熱心に費やされたものであるならば、当然のごとくに“結果”を欲します。願いは、言い換えれば“祈り”であり、この祈りは、より詳細に言うならば、その人の“想い(考え)”なのです。

実際にとる行動は、何らかの想い、つまり、その人の価値観をもとにした考えから発せられたものですが、その意味では、願いであれ、想いであれ、祈りというものは、行動は切り離すこののできない、両者が織り交ぜられた、“糾(あざな)える縄のごとし”とも言えるでしょう。」

「現世とは、人間界の“目に見える”事象を大きな要素として成り立つ、いわば、感性(感覚)に依るところの映像世界です。“視覚”とは実に重要な意味をもち、多くの人の認識をも、(その現象によって)一定のものに列することができるほど、時に強烈な影響を及ぼします。」

「これまで申し上げたように、祈り(想い)だけでは、この現象界には不十分です。ちょうど、二つの調和する“勾玉(まがたま)”が、円を描くことなく、一方大きく欠けるが如くに均衡を失うのです。」

「現世にての“恵み”とは、あなたがたは、一体何を指し示しているのでしょうか。わたくしたち神はあえて問いたい。あなたがたが今、この世に自ら在ることこそ、最大の“恵み”であり、それは、宇宙の真理を引き合いに出してなお、異議の唱える余地はありません。

神の織り成す奇跡であり、魂たちの希望の光であるあなたがたこそ、この世にての究極の“利益”にもかかわらず、当のあなたがたは、まだこれでは(結果・恵みに)足りぬ、まだ満たされぬと、あえぐその心が、この世を暗澹(あんたん)とさせ、世界全体が苦しむ方向へとひた走る、それは、神に対する冒涜(ぼうとく)以外にありましょうか?」

「自らの心に、まずは、生きること自体の“満足感”を覚え、あなたが関わる人、物事(物)が今、自身の目前に現わされていることに“感謝の念”が沸き起らなくては、(あなたが思い描くような)恵み(利益・結果)はけして得られるものではありません。日常の細かな一つ、家族とのやりとり、基本的な生活をないがしろにして、人間たる根元的“恵み”以上の、現象界における、さらなる“恵み(利益)”は無いものとお思いなさい。」

「逆を返せば、あなたは、この“本来の”“恵まれた自分”、というものに気付くだけで良いのです。“恵み”とは、あなたにとっての神から与えられた奇跡でもあり、それと同様に、あなたにつながる(縁のある)多くの魂の、かけがえのない“望み(希望)”でもあることを、けして忘れてはなりません。」
 
「そして、他の人と比べる必要はありません。それは、各々に魂の段階をもち、学ぶべき事柄も、またその方法も、すべて、“各自”が、“独自”に設定しているものだからです。その意味で、この世に生きるすべての人が、すでに“究極”の、“唯一無二”の存在であり、<現世利益>とは、各自、他に比べるべくもない、神の愛する存在である<あなた>に対し、神からの、この世をより謳歌(充実)させる上での、“追い風”と位置付けるべきものなのです。」

「これから、あなたがた人間は、現象界での生活とともに、より一層の、“魂のつながり”を体感してゆくこととなるでしょう。これまでに類を見ないほどの速さで、魂同士の結びつき、そして、ある場合には“分離(離別)”をも間の当たりにし、この世の不思議であったり、神妙なる力の偉大さであったり、そういったことを、肉体をもちつつ、いいえ、肉体があるからこそ、つぶさに感じ、魂に刻み込でゆくのです。」

「先ほど申し上げた、“現世利益”という考え方。それは、言葉上では、これまで人類が味わってきた苦しみであったり、生きること自体が実に困難であった時代に、神仏にその救いを求めたゆえの、まさに“希望を追い求める”考え方であったことでしょう。そこから今、あながたがたは、もう一歩前へ進み出て、この言葉を、“恵まれた(望まれた)自分”を大前提とし、今後生きるうえでの、歓迎すべき“追い風”として考えていただきたい。

“救済”という意味ではなく、むしろ、あなたが、この2017年という“躍動の年”に、より一層の出逢いであったり、学びであったり、人生における次なる展開にとって、必要な神の支え(援け)をいただく意味として捉え、真摯に、そして実直に日々を歩んでいただければと切に願っております。」 


 

 

 

2016年12月10日

(筆者が神に問いました。「2016年も残り一ヶ月を切りました。2017年という新たな年を迎えるにあたり、(今年の)残りの日々、わたくしたちがしておくべきことを御教えください。」)

「西暦2000年という、人類にとって新たな歴史が幕を開け、以来、一年一年が、以前では考えられないことが、間をおくことなく、世界各国で起きています。人間の予想をはるかに超える事象が、人レベルでも、また地球レベルでも起こる、これはまた、霊的なレベルでも様々な変容が巻き起こされているということを、しっかりと考えねばなりません。」

「現象界とは、魂の“るつぼ”―――。それは、単に、肉体をもつあなたがた人間が、子孫を残しながら、生命ある者として“生死”を繰り返すという事象のみではありません。人間という生命が、“一人”生きれば、それだけ、そこに連なる(繋がる)霊魂たちは、霊界で生き直し、結果様々な変容、あるいは前進を遂げていくのです。」

「世界的に人々の心を揺り動かすほどの出来事も、あるいは、一人の何気ない日常に起こった出来事も、皆、各々に“因果”があり、それがまた、目には見えない多くの霊魂たちとの関係をもって、然るべきときに、しかるべき形(現象)となって、この世に現わされています。」

「ここ数年、とくに2016年は、地球のエネルギー、そして、人間のもつ性質のうちの、いわば“動”の性質が、より顕著な形でこの世に現わされました。様々な内実はあれども明らかとなったその現象に、
、多くの人々が、驚愕や脳裏に焼き付くような印象を覚えるようなことも多々ありました。そうして、人間が抱える心の奥底の欲や感情があぶり出され、そして、これまでの自分たちが生きた時代では考えられなかったことがいとも簡単に引き起こされるのを目の当たりにし、皆それぞれに、自らの生活や将来についてを考えるきっかけともなったのでしょう。」

「人間として、時間というものは、ある意味“平等に”与えられているものではありますが、あなたがた各々が、それをどのように使っているか、これは時を経るごとに(人によって)両極に分かれ、実は、それほど、現代のあなたがたは、かつてなきほどに“時間”の流れの程度(スピード)が速まっていると言うことができます。」

「たとえば、この国で今注目されている人、あるいは、世界的に名をとどろかす人は、人間関係も、また金銭的にも大きく展開し、さらに皆が驚くことを成し遂げることになります。あなたがたの感覚(観念)を軽々と超えることを成す(あるいは言葉に表現する)、この国で言えば、そうした、もはや“神レベル”での成し方(様相)が、今年を象徴的に表わす言葉にもなり、殊更、人々の注目を集めました。」

「しかしながら、一方で、あなたがたの心内では、人と自分とを見比べる“差別観”や、あるいは、自らと他人とを比べたときの“劣等感”、あるいは“焦燥感”というものを強く持っていくことになります。」 

「再度申し上げますが、この世の現象はすべて、突発的なことも、また、ゆっくりとした進捗(しんちょく)も、皆、“因果”というものがその裏に配されています。今仮に、世界である出来事が注目されていようとも、事実、そこに至るには、多くの積み重ねや、感情や思考の流れ、そして、それに連なる隠れた数々の“行動”があったからである、それが、ある“沸点”に達した際に、ついにはこの世の驚くべき出来事となって、人々の目前に表わされたということを、よくよくあなたがたは踏まえておかなくてはなりません。」 

「人を見てうらやんだり、また、自ら劣等感に苛まれる、それは、ただ単に、あなたがたが、自ら“行動”することを止め、感情本位に生きていることに他なりません。」

「先ほどもお伝えしたとおり、2016年は、地球全体が“動”のエネルギーが顕著となり、ある意味、地球は揺り動かされています。すなわち、そこに生きるあなたがたの霊性も、大いに“揺り動かされている”ということ、言い換えれば、今これからが、まさに“自ら行動し”、“実現する”絶好の機会なのです。」

「人と比べ、一歩も二歩も自分は歩み遅れている―――、そう考え焦る必要はありません。いずれの人も、皆、この“揺り動く”地球の息吹に則り、自分ならではの生きる速さで、しかるべく人生は展開していきます。そのなかで、あなたがたに必要なのは、今の自分を振り返り、出来ること(出来そうなこと)を“果敢に”試みていく、そうして、(感情本位ではなく)“思考本位”として、
自分の人生を“方向付け”し、そして、しかるべき時のための、大事な“種蒔き”をしていくのです。」

「今自らがおこなう“選択”と“行動”が、地球の振動に共鳴し、すなわち、必ずや“波及”していく、そして、いつか、自分にとってもっとも適った形となって、かけがえのない大事な“出来事”となることを、あなたたちには是非注視していただきたいのです。新しき2017年という年を、自らが一日たりとも無駄にせず、大いに生き、満ち足りた人生を送りたい、そういう心持ちがあるのであれば、今、まさに、地球の“動く”潮流にのって、自らもまた行動に移していくこと、それを遠慮する理由は一体どこにあるのでしょうか?」

「この世の物質的なエネルギーは巨大です。それとともに、“精神的”あるいは“霊的”なエネルギーもまた、今後益々大きな位置を占めていきます。そういった意味で、今後は日を追うごとに、あなたがたも、そういった目に見えないものに大きく影響を受けていくことになる。この国で言う、“神的な”事象は、けして特定の人によって起こされることではなく、“誰しも”が、それこそ“平等に”起こすことのできる(あるいは、起こされる)、人生の“布石”となるでしょう。」

「今の自分を振り返り、何か一つでも出来ること、試みる(挑戦する)こと、前進できることがあるのなら、勇気をもって、実際に行動していくべきです。あなたのその“動”のエネルギーこそが、あなたの未来を、そして運勢を大きく開かせることとなるのです。」 




 

 

2016年11月20日

(筆者が神に問いました。「人は健康長寿であることを望みます。この秘訣について、具体的に御教えいただけますか?」)

「あなたがたが自覚するより、人間の身体というものは、実に“精妙”に作られています。すでに母親の胎内にいるときから、数え切れぬほどの細胞が、互いに密接に関わり合い、生きるのに必要な組織としての機能を順繰りに兼ね備えていく。それは、同時に、あなたという人間が、それまでの時代に生きた幾人もの先祖たちの“記憶”というものを(遺伝子などとして)体内に組み込むからこそ、あなたという人間に成るのです。」

「ただ単に、住まう環境が良いとか、生活の状況が安定しているという外的要因が、その人の身体の状況を決定づけるのではありません。そこには、まず、今自らがどういった生活の範囲(状況)にあるのかを自覚し、心の状態を理解すること、また、自らの心を方向づけるうえで、何かを成そうとするやる気であったり、人生の目的(目標)であったりする行動の“動機づけ”が不可欠です。なぜなら、そういった自らの心身を何かに注力されせることで、人間というものは、殊更(ことさら)に、身体のエネルギーの流れ、あるいは、身体の内から湧き出る“馬力”というものを、尽きることなく生み出していかれるからです。」

「もちろん、外傷や内的な疾患等において、自覚する(確認できる)症状は、きちんと対処していかなくてはなりません。健康とは、まさに、心身ともに“健やか”なることであり、身体が元気でも心が安定せず、不満ばかりであったり、あるいは、心が安らかであれば、治癒できるものを放置して良いということはけしてありません。」

「“長寿”は、昔より、あなたがた人間が大切されてきた、一つの立派な生き方でもあります。人の快・不快は、当然のことながら、その人にしか分かり得ません。そして、その人が生きるにあたり、今現在の環境(状況)が本当にその人にとって適するものであるか、ということも、実は、多様な要因が複雑に絡み合う現代では、判断するもの困難でありましょう。」

「ただ一つ言えるのは、今生活するそのなかの、たとえ一つでも、あなたにとって、心安らかな、快適を感じ得るものであるかということを、自らが追究していくことは、健康であること、そして、ゆくゆくは長寿をまっとうするためには欠かせぬ要素だということです。」

「たとえば、今あなたがいるその職場であったり、生活の環境が、どうにもしようのないほどの惨憺(さんたん)たる状態であることに対し、無理をして我慢をし続けるのは、やはり得策ではありません。しかしながら、あなたがたは、本来、あらゆる環境に適応できるだけの身体の組織、そして“柔軟な心”というものを持ち合わせているのです。それにもかかわらず、物事を見る“視野”が実に狭く、思考は偏向するため、自らを一層苦しませ、また歩む道を狭めて四苦八苦することが多いものと見受けられます。」

「自分の今(心身の状況)に、強く影響を及ぼす物事は一体何なのか、そして、それへの対処は見出せるのか、また、考え方を転換させることにより、悪影響と思うものが、実は将来へ向けて良い作用を及ぼす(もたらす)ものであるか、ということも、つぶさに考えていただきたいのです。」

「当然のことながら、人ひとりとして、同じ人間はいません。それであるのならば、快適なるものも、また不快に思うことも、またそれぞれに異なるのです。今は、たとえば、「これが良い」としたならば、即座に多くの人々が迎合します。食生活もしかりです。また、生活全般に関しても、ある人には良くて、ある人には適さない、ということもある。そういった違いこそ、本来大切に見ていくべきことであり、互いに尊重していくべきものでしょう。しかし、今や、特にこの国(日本)では、物も豊富にあり、選択の幅が広がる、そういった自由な裁量下にあるなかで、“選び取る”ことが、ある意味難しいのかもしれません。」

「多くの物事を選び取る“目”を養うことこそ、あなたがたにとっては本来必要なもののはずです。その目とは、自分の特質をまず知り、その自らにとって何が良くて、何を避けるべきか、そういった知的な判断力であり、また良し悪し(あし)を感じ取る繊細な“心”です。」

「まずは、自分こそを大切にしていただきたいのです。今ほど、人々は自分をないがしろにし、また自ら卑下することが多い時代はありません。尊い命は、その持ち主であるあなたこそが、もっとも敬意を払い、大切に生かし続けなくてはならないのです。」

「そして、自分を大切にすることは、消極的な意味を示すことではありません。むしろ、自分に快適なるものを追求していくことで、自ずと良いものに接したり、必要なことを行ううえでのエネルギーが順当に流れていくことになります。それが、言うなれば「運勢を上げる」ことであり、周りの人や環境を大切にすることにもつながる、“生かし合う”人生なのです。」

「年末にかけて、この世は“静”よりも、むしろ、“動き”のあるエネルギーが展開していきます。自らを大切に想うのであれば、そして、より健康であり、健やかに命を延ばしていきたいと望むのであれば、心を明るくもち、自ら積極的に“動く”ことを、わたくしは強くお伝えいたします。」






(筆者が神に問いました。「恋愛・結婚について――良い相手と幸せな恋愛・結婚をするには、どうしたら良いでしょうか?」)

「わたくしは“縁結びの神”という名を冠しておりますので、あなたがたに、“縁を結ぶ”という観点からお話しいたします。」

「この国(日本)は、生きていくうえでの様々な出会い―“縁”というものを、殊更に大事にします。そのなかで、縁を“結ぶ”、すなわち、人との出会いであったり、物との関わり合いといった状態を、少しでも“良き”ものとしたい(得たい)という考えが、古来よりとても根強い民でもあります。」

「それは、古来先人たちが、人ひとりの人生でさえも、家族であったり村であるといった、人が形成する“集団”、そこでのあらゆる種類の“人”によって大いに影響され、また、関わる人(出会う人)によって、自らの“幸せ”、“不幸せ”というものが自ずと決まるとさえ感じることが、実際の生活の随所に見られたためです。」

「交通の便、また情報量というものは、現代と以前とでは、もはや比べるべくもありません。現代に生きるあなたがたは、どこか遠くへ移動しようとすれば、また、何かを知りたいと思えば、何らかの利器(機器)を用いて、短時間に実現することができます。」

「しかしながら、昔だから不自由であるとか、今だから便利であるというように、この世の中はそう簡単に決められるものではありません。それは、その時代、その環境に見合った人々、言い換えれば、その“丈(たけ)”に合う人間こそが、この世に生まれていたのであり、そこには、時代の“変遷”こそありますが、単純な“良し悪し”や“甲乙”をつけ得るものではないのです。」

「それでもなお、昔と変わらず、今も、あなたがたにとって大事な点は、“良い人と巡り会うには”という、日々の暮らしのなかで、人の“縁”をいかに頂くかということであり、それはすなわち、人間にとっての、生きる本質とも言える、人生の課題でもあるからでしょう。」

「日本全国、縁結びの神社と呼ばれる所は、実に沢山存在し、年間を通し、多くの方が参拝に訪れます。若い方は良縁を、そして、それよりも年齢を経た方々は、仕事の成功や、人生の充実などを熱心に祈られております。」

「わたくしも永年、縁結びの神としてあなたがたの願いを受けておりますが、あなたがたの願い(祈り)はどれ一つとして軽んずるべくも無きほどに、みな尊く、また、けして嘘偽りのない、人間本来の心からの願いを、わたくしに託していただいているように感じております。」

「一人の人生においても、実感のある無しにかかわらず、実は、本当にあらゆる“出会い”が配されています。それは人との出会いも当てはまりますし、また物事(物)があなたの目の前に訪れることも、また然りです。あなたがたは得てして、(結婚などの)人生の大きな節目における事象を、良縁―“良き人との
出会い”と捉えがちですが、本来は、一日の生活のあらゆる場面における人とのやりとりが、すべて、縁であり、人生とは、その“出会い”の繰り返しと思っていただけたらと思います。」

「ですから、日常の出会いの繰り返しこそが、あなたがたの言う、大きな節目の“出会い”に繋がるのです。人はあらゆる意味で、“繋がり”をもってこの世を生きる存在ですから、すべてのことは、何らかに起因し、次へと繋がり、そしてまた、しかるべく結果をもたらすのです。」

「“良い相手と出会いたい”―――。その気持ちは本当によくわかります。だれしも、心が喜びに沸き立ち、人生に安堵し、愛する人とともに平穏に暮らしたいものです。」

「先ほど、人は、あらゆる意味で“繋がり”をもってこの世を生きる存在とお伝えしました。繋がりとは、目には見えないものですが、実に正直で、強力な作用を及ぼします。もし、あなたが、良い相手と出会い、良い人生を送ることを心から望むのなら、あなたこそが、“良い繋がり”の真っ只中に身を置かねばなりません。」

「すなわち、あなた自身の人生、言うなれば、その生活が“良い繋がりを持っているか”ということです。家族に対して、また、日々顔を合わせる職場の人々に対して、そして、自らの実生活、食生活に至るまで、“良い繋がり”を続けることのできる自分自身か、ということをつぶさに見ていかなくてはならないのです。」

「“良い縁”というものは突然やってくるものではありません。物語では、突如降ってきたような、驚くべき稀なる縁という形で表現されますが、それは、その(良い)縁を頂いた本人の、日々の“良き繋がりのある”生活の積み重ねから、晴れて“実現した”ものなのです。」

「一つ、秘訣をお伝えしましょう。これは、人相(にんそう)の話に及びますが、良い縁を得たいと思うのなら、泣き言、恨みつらみは今後一切口にしない(言わない)ことです。泣き言、恨み言、不平不満は、否定的なエネルギーとなり、自分自身、とくに顔を着実に歪ませます。これは、これから結婚をと考える方のみならず、年齢を経た方も同様です。人との繋がりとは、“対面”ということでもあります。人との対面、交流をもって、自らの人生が良くも悪くも展開していくのであれば、皆どの方も例外なく、この秘訣は実践していくべきでしょう。これで、人生の様相が一変します。」

「そして、良い相手と“恋愛・結婚”をしたいと望むのであれば、これもまた、その恋愛であり結婚というごく短期的な視点ではなく、その出来事すら、自らの人生の通過点として、自分のスタイルというものをきちんと保ち続けるのも秘訣です。あくまでも、自らの人生を、より“良く繋げていく”ための、一つの大事な出来事と捉えていただければと思います。」

「これから、年末へ向けて、益々、人が人を恋しく思う時期、人との出会い(良縁)を求める時期になりますね。今わたくしがお伝えしたことを、一つでも実践していただければ、きっと来年以降のあなたがたにまつわる運気も変わっていくことでしょう。大切な人生ですから、日々、大切に明日へと繋げる生き方を、一つひとつ丁寧に選択していただければと願っております。」



2016年10月9日

(筆者が生活を司る神に問いました。「“お金”との上手な付き合い方を教えてください。」)

「お金を本当の意味で、“大事に”しているか、ただその一言に尽きます。ただし、これは何も、お金を使わない(節約)ということのみを指すのではありません。」

「概して、現代のあなたがたの世は、お金というものを、ほとんど“意識なく”使う(使わせる)事象が氾濫し、そのなかでお金を如何に使うべきか(または控えるべきか)という判断を狂わせることがあまりにも多すぎます。」

「今、お金という意識が、この地上をすべて覆っているとして、それが各々に一個体の意識を持っていたとします。仮に、そのお金が(支払いなどで)持ち主の手元を離れた場合、別の持ち主へお金が渡る、そのやり取りに係る、お金を放出した(支払った)者、あるいはそのお金を受け取った者のお金に対する意識が、いいえ、それ以前に、お金をもつ、あるいは使うということに関し、本当の意味で、意識が費やされたもの(お金)は、実に“少ない”というのが現状です。」

「言い換えれば、つまりはお金が意識としては、どの主(あるじ)にも属さない、“浮遊”しているという状態であり、そのお金は一体、何のために、誰のために生かされているのか、その所在(在り処)が不明瞭なままなのです。」

「お金とは、人間が生きるうえでの、何か“目的”を実現するために使用されるものです。自分はこうしたい、これを得たい、そしてそこではじめて、お金というものが動く。当然のことですが、まずは、“人ありき”なのです。」

「そして、お金は、ある意味、“正直”です。正直な存在に対しては、やはり人としてもまっとうな気持ち、噓偽りのない思いで接し、使って(手放して)いかなくてはならない。適当な思いのままで、つい先頃のことでさえも、その(お金の)使途がわからない、意識(目的意識)の不明瞭な人に対しては、お金というものは、本当に、なぜか“不明瞭な”ままに、その人のもとから離れていきます。」

「一つ、あなたがたに問います。お金とは、物であり、それを使う(または、受け取る)ということは、当然のことながら、あなたがたがするものです。そういった、直接的な形で、当事者であるあなたが、いかほどにも使う(または使わない)ということができる状態にあって、あなたがたは、本当に、そのお金というものを“使いこなして”いますか?」

「お金が大事なのは、誰しもが理解していることでしょう。そして、お金が無くては、やりたいことも叶わないこともある。それほど、現代において、お金は重要な位置を占めています。しかしながら、それが分かっていながら、あなたがたは、そのお金を使うに関し、あまりにも意識なく使ってしまうことが多いのです。」

「自らが現に手にしていない、この世界を巡るお金に比すると、今あなたが持っているお金は、差こそあれ、ほんの僅かなものでしょう。しかしながら、お金も“意識体”です。その優劣はなく、そして、誰かが所持しているという点を除けば、どのお金もみな一様(いちよう)に尊ぶべき存在なのです。」

「それであるならば、世界からすればほんの僅かな、あなた自身が現に所持するお金こそ、縁あって、あなたのもとに巡ってきたのですから、それを、大事に思い、自らの目的に沿って、きちんと使う、という気持ちを持つことは、けして理不尽なことではないはずです。

むしろ、そのようにして、自らのもとに巡ってきたお金こそを、本当に感謝の気持ちとともに、使う意識(目的意識)を明確にし、また別の主(あるじ)のもとへ送り出す、それこそ、この世に巡る、あらゆるお金が、本当に確固たる意識をもち、互いに連携しながら、あなたの目的、夢というものを実現させてくれるものとなるのです。」

「“お金”は、あなたがたがこの世を生きる“指標”です。それは、お金があるから良いとか、無いから悪いということを意味しているのではなく、むしろ、お金という、あなたが直接的に関わることのできるものに対し、あなたが、この世を生きることを、どのように、それら(お金をはじめとする)生きる素材一つひとつを“大事に”扱って(想って)いるかという、あなたの心の“バロメーター”なのです。」

「この世は、あなたという存在をはじめ、本当に“大事に”するべき存在の“宝庫”です。何一つ、無駄なものも、またないがしろにされるべきものもありません。何より、あなたが神にとって“大事な”存在だからこそ、直接関わることのできる人、物、そしてお金、ひいては、この世のすべてに対し、あなたが“大事にする”気持ちをもって、この現世ならではの貴重な学びを得ていただきたいのです。」

「以上が、この世において、お金と上手に付き合う秘訣です。言い換えれば、お金を“大事に”する生き方なのです。」




2016年9月23日

(筆者が神に問いました。「人間関係(対人関係)について質問いたします。好きな人、嫌いな人、得意な人、苦手な人、愛する人、憎い人・・・人には、生きていくうえで様々な人間(対人)関係があります。この人間(対人)関係によって、わたくしたちは一体何を学ぶべきなのでしょうか。」)


「あなたがたを(天より)見ておりますと、“好き”よりも“嫌い”、“良い”よりも“悪い”そして、“許せる”よりも“許せない”等々、なにかそのこと(その相手)によって、自らの心をより“窮屈”にさせる心持ちが実に多いと感じます。つまり、あなたがたの生きる指標が、“是・肯(肯定)”よりも、“非・否”という、打ち消すもの、否定するものであることが、現代のこの世の特徴でありましょう。」

「しかしながら、この現象界は、むしろ、“(やっては)いけない”ことよりも、“(やっても)良い”という“容認”に立つ人間の関わり方から端を発しました。無論、いつの時代であっても、人間という、いわば個々が“(人間)同士”として、関わり合い、互いに友好的に生きるうえでは、してもよいこと、そして、してはいけないこともまた、ごく自然発生的に(礼儀として)各々に課されております。」

「今一度考えていただきたいのです。相手が許せない、相手が嫌い、そして、相手のために自分が不利を被る(人生を謳歌できない)という、果てしてその心(思い)は、本当は、一体何が原因なのでしょう?」

「あなたの心が許せないのは、本当にその(被害を与える)相手なのか、それとも、あなたがそういった相手を許すことができない(または、影響を受ける)不甲斐ない“自分”なのか―――。」

「神は、あなたがたを、誰一人として“不完全な
存在とは見なしておりません。度々伝えていますが、誰一人この世に欠けてはならないし、神がこの世を大事に思う、それは、すなわち、あなたこそを大事に思うがゆえです。」

「様々な規範と人間関係、そして、日々多くの事象の起こるこの社会において、本当に窮屈なのは、果たしてこの世か、それとも、あなた自身か―――。」

「窮屈なこの世があなたがたの思考を窮屈にする、すなわち、視野を狭めるということも考えられるでしょう。しかしながら、皆に今一度考えていただきたいのは、対人関係もしかり、そして社会の仕組みでさえも実に窮屈に、煩わしく感じてしまう、あなたのその“思考”が、この世の可能性を狭め、同時に、あなたの人生をも狭めてしまっているのではないか、ということ。」

「あなたがたは得てして、実に頑(かたく)なであり、さらに人間的な表現で申せば、“真面目すぎる”きらい(傾向)があります。こうしなくてはならない、こうでなければ生きられない、そういった、日々生きるうえでの数々の(自らに課す)規範、そして価値観が、あなたを自らにもっとも苦しめている。」

「“対人関係”ということで質問をいただいておりますが、今お伝えした、この世(この社会)へのあなたの心持ちと相通ずるものが、対人関係にも当てはまるのではないでしょうか。」

「あなたの目前に現れる家族であり、友人であり、または仕事上の関わる人々は、はたして、本当にあなたが苦しみ、戸惑い、そして、人生を自らの意思で歩むうえでの支障となる存在なのでしょうか?」

「“こだわらなくてもよいもの(人)”にこだわる。これは、けして、あなたの感覚や思考が劣っているからではありません。むしろ、あなたが他人(相手)に対し、あなたとその人との距離をあまりにも狭くし、あなたは、それら対象物(人)に知らず知らずのうちに自らを“投影”させているがゆえです。そしてなお、あなた自身が思い描くもの(良いビジョンもそうでないビジョンも含め)をもってあなたの目前に対して、“良い悪い”、“許せる許せない”等々を、それこそ“窮屈”なまでに厳格に判断し、あなたが持つ“基準”を、対象(相手)にあてはめようとするのです。」

「この世において、本当に機械(ロボット)のような、画一的な人間が望ましいのであれば、神はこの地上に人という魂を降ろした時点で、もとよりそのように(人間を)創り成しているでしょう。」

「しかしながら、誰一人として同じ(性質の)者はいない。皆が違っていて、そして、その違いがあるからこそ、互いが大いに学び合い、協力することを知る。一人では叶わぬこと、同じ(性質の)人間同士では成し得ぬことを、この世において現わすがために、神はあらゆる性質の魂をこの世に降ろしているのです。」

「対人関係において、あなたは、相手を非難する必要もありませんし、ましてや、相手によって、自分を窮屈にする必要もありません。対人関係にあって、何を見るか、それは、唯一、自らであり、そういった人間関係によって生じる自らの“心”なのです。そこには(対人関係があることによって)己を知る喜びがあり、対人によってこそ、今自らが生きているという実感が持てるか、そういった感情が生じるならば、より一層その道(思い)を極めなさい。そして、なお、その感情が心安きものでないならば、それは、まず、自分がそういった思い(心)を持つことに、罪悪感を感じるのではなく、ただただ静かに受け入れるのです。」

「自分という一個の人間におさまる、そういった、冷静なる“第三者の目”というものが確立していくにつれて、対人関係における困難は自然と解消されていくでしょう。あなたも、そしてあなたの頑(かたく)なな心と態度を受け取るその相手でさえも、誰も苦しんではならないのです。」

「神は、どの人でも、その人ならではの魂こそを、唯一の光、珠玉の魂と見なします。そこには高低も、また善悪さえもありません。違い、つまり“差”があることが苦しみではなく、“差”(違い)があることこそ、神が望んだこの世を彩る大切な要素―――。現実の世界の“差”(違い)が、あなたの心のなかで真に“差”のなきものとなる。対人関係という、狭い距離感のなかで濃密に関わる人間同士の関わり合い、それらを含め、神はこの世においてすべてをあなたに与える。あなたがこの神の恩寵のなかで真に得るべきもの、それは、あなたの人生におけるあらゆる出逢い、出来事のなかでの、“差”取り、すなわち、<悟り>なのです。」




2016年9月3日

(この世において“幸せな生き方”とは、と筆者が神に問いました。)

「自らこの世を生きていくうえでの“逃げ道”というものを、現代の人々は、大小あらゆる事象において、それを見い出すことに腐心し、果ては右往左往の人生を辿る。」

「“逃げ道”―――。それは、単(端的)には、“言い訳”という表現にても置き換えられる。そなたたちは、こうして、現代にみる生活の向上・安定の上に立ち(生き)ながらも、かえって、それが、自らが要する(必要)以上の“甘え”となって、何か事あるごとに頭を抱え、立ち行く(進みゆく)ことを拒む、そしてついには、自らの人格さえも抑え込むという行動に走らせてしまうのである。」

「そなたたちには、“潔(いさぎよ)さ”が足らぬ。潔さとは、まずもって、自身の心に嘘をつかず、人に対しても諂(へつら)うこともない。ただ、自身に備わるものをあるがままに認め、自ら成すことに関し、それ以上も以下もない、ただそのままの様相を、自らに、また、他(の人)に対しても、嘘の無き誠(の心)に従い、淡々と示していくのである。」

「幸せから遠のく生き方は、誰のせいでもない。そなた自身の心の捉え方次第、そなたの“選択”の結果なのである。“あの人がこうしたから”、あるいは、“あの人がこうしてくれなかったから”という、責任の転嫁はすなわち、自ら現世における学びの機会を逃し、見るべきもの、注力すべき事柄を悉(ことごと)く不鮮明にする。」

「“誰かがやらねばならぬ”というものは、この世のすべての者が負っている。言い換えれば、“誰もがやらねばならぬ”が、この世の中、埋め尽くされている(満たされている)ということ。それは、各々の環境・立場によって、内容は異なれども、必ずや、すべての者は、一つひとつが繋がり(由縁)をもって、天に“やるべきこと”を任されているのである。

ある国に自ら生きるということは、その国を良きものとするために、(その国に生きる)一人ひとりが、各々の立場にて、自ら考え、地道に、そして堂々と成すべきことに心を懸けていくのである。」

「やりたいことをやらず、言いたいことも言わない。そしてやるべきことも行動に移さない、その遅々として立ち行かない(進まない)今の自分を誰かのせいにする。それは、この世に生きながら、真には(真の意味では)この世を生きていないということ。

“生きる甲斐”、すなわち“生き甲斐”は、自らが見い出す(見つける)ものであり、自らがこの世に在ることを、自分なりに示していくこと、すなわち、目前の事象に対し不満の心を持つことなく、素直に、つぶさに対処していくことで、逃げ道に走らない、ということである。自らの人生に対して逃げず、言い訳をしない、その潔さのある日々にこそ、人は自ら“生きる甲斐”を見出すことができる。」

「責任のなすり合い、何かの原因を、人(他人)に求めるのは、もはや十分ではないか。この国(日本)が総じて不安定な状況に傾いていく、不安な道程を突き進むと感じる、それは、為政者のせいでもなく、ましてや、そなたたちの日々の生活に充足を感じられぬは、そなたを取り巻く人々のせいでもけしてない。」

「与えられた立場で、自らの役割こそを真正面から受け入れる。逃げず、惑わず、出来ることを淡々と処(対処)していく。それが、“潔さ”であり、日本は、先人たちの“潔さ”によって、生き抜く叡智を得、自然との共存を図ってきた。」

「受け入れるべきものは素直に受け入れ、けして、うやむやにはしない。そして、やるべきことは、そなただからこその、大事な“お役目”と心得よ。役目が果たせる(または果たそうと努めること)ことはすなわち、神が示す、この地上に在る者としての、そなたたち本来の“幸せな生き方”―――。

歩むべき道は、逃げ道にはけして見出すことは叶わぬ。日常こそ、そなたの身も心も、すべてを懸ける尊き場―――。逃げも隠れもせず、意(意思)を固めて、丁寧に処(対処)していくこと。それが、そなたこその“潔さ”なのである。」




2016年7月24日

(筆者が神に問いました。「今、仕事をすることに関し、やりがいを感じて打ち込む人がいる一方で、仕事に対して誇りがもてず、苦しいことばかりが先行し、すぐに辞めて他の仕事(職場)を探す、というケースも増えているようです。その点に関して、そもそも“仕事をする”ということの、本当の意味を教えていただけますでしょうか」)

「あなたがた人間の思考は、いつの時代も、周りの環境や条件に多くの場面で左右され、それは、良い意味では、人間ならではの“柔軟性”があることも意味しますが、言い換えれば、そういった生まれてからの育ち方をも含め、本来はあらゆる場面で働くべき思考が、停滞し、あるいは止まってしまっていることも、よく理解せねばなりません。」

「そういった意味では、現代において、人間というものが理解し得るもの(把握できるもの)はごく狭い範囲に限られ、人ひとりがこの世(または社会)を解くことは、不可能に近いものでしょう。」

「わたくし(仕事を司る神)が懸念するのは、今の時代に生きる人々の、思考の“狭さ”です。これは、“単純なる思考”とも置き換えられますし、また、(言葉として)表すことが許されるのであれば、人間としての“器”、すなわち技量が往々にして狭いとも申し上げることができるでしょう。」

「人間一人がこの世を生きるということは、あながたがもある程度気づいているとは思いますが、この世への直接的な、目に見える影響はもとより、さらに、とでも申せましょうか、目に見えないレベルでの影響というものも多いに在ることを、一人ひとりがより理解するべきでしょう。」

「“仕事をする”という観点では、現代にみる、金銭を介した労働というものは、人間の価値観に大きく影響するものです。生きるためのお金を得るために働く、これは、この経済社会(物質社会)に則った場合であるならば、正しくなぞらえることが肝要です。

しかしながら、問題なのは、あなたがたが、自らにいただいた今の“仕事”というものを、金銭という、ある種の明確な基準をもったことで、ともすれば、何かしたことが、すなわちすぐに結果となる、あるいは成果が得られるか否か、といった、実に単純なる成果、見返りを求める傾向にあるということです。」

「もし、今たずさわっている自らの仕事に対し、本当に敬意を感じずにいるのであれば、即刻、その思考こそを止めるべきです。ましてや、自らの貴重な人生の多くの時間を費やすその仕事に対して“このような仕事なんて”と厭(いと)う気持ち、拒絶や卑下する気持ちがあるのなら、それは、自分自身を、“仕事”というものを通じて、これ以上ないほどに貶(おとし)めていることになります。」

「“このような仕事は、本来の自分には似合わない(そぐわない)”、とあなた自身は思っているのかもしれませんが、本当に輝くほどに、まっとうに自信を備えた人ならば、どのような仕事をしたとしても、期待以上の成果をだし、周りからは、本当に素晴らしい人材として評価されるのです。」

「“仕事”があなたの価値を決めるのではありません。あなたが、この世の仕組みになぞらえた様々な仕事を通じて、自分の役割を認識し、自分のやり方を通じて社会に貢献し、自らがこの世にいることの意味(価値)を決めるのです。」

「金銭のやり取りをともなう仕事(労働)だけが、無論、仕事ではありませんね。家庭を守る人も然(しか)りです。そして、そういった範囲から通り越して、この世には、どの人も請け負っている“仕事”というのがあります。それは、“役目”と言い替えても良いでしょうし、また、その人自身の存在も、立派な役目とも言えます。」

「これはあらゆる神のおっしゃることですが、“何か成さなくては自分の生きる意味がない”というのは、本当に不遜な考え方です。あなたがいることで、この世のなかにどれほど救われるひとがいるか―――。それは、直接的な意味にとどまらず、目に見えない霊的なものも含めて、揺るがぬ真実なのです。」

「“時の流れ”というものを、もっとゆったりと意識することです。あなたの周りには、あなたの縁のある人々が沢山いて、皆が様々な場面で(目に見える見えないにかかわらず)、大いに影響し合っている。それを考えれば、“仕事をする”ということに対しても、もう少し見方が軟化し、即座に是非や、好き嫌い等々を決めつけるのではなく、その頂いた仕事(=役目)を通し、自分自身が、周りの人々との関わり合いのなかで学び、研鑽し、自分というものの価値を見出し、高めていくこととなるのです。」

「目に見えない部分も大切にする―――。そういった心構えは、普段の生活はもとより、また、仕事をおこなううえでも本当に大切なこととなります。そういった目に見えない部分のエネルギーが、今も、そして、将来にわたって、この世の中に少なからず影響を及ぼしていきます。」

「この世の仕組みの“仕事”という概念によって、あなたがたはまた、この時代ならではの学びをします。だからこそ、そういった仕事という機会を通じて、あなたの大切な人生の時間を使いながら、より自分の価値を高め、同時に魂の次元も上げてゆかねばならない―――。」

「この世を流れる波動というものが、“急(せ)く”ものではなく、もっとゆったりと流れること、そして、あなたがたが、日々をもっと豊かな感覚にしたがってつぶさに感じ取り、大いに生きることができる、それをわたくしは強く望みます。」






2016年7月10日

「“時”は止まらない。それは、機械仕掛けの一刻ではなく、生命の営みであり、生まれてからその命の終焉する連なりが、この地上に幾たびも幾たびも重なりゆくということ。同じ“生(せい)”は何一つとして存在せず、たとえ、朝の静けさに浸る山の様相もまた、新たなる“生”を内包し、生命は育まれ、そして時は着実に進みゆく。」

「刻一刻と進むこの地上は、一日、一年という、あたかも巡るかのごとくに繰り返すが、それは、必ずや何らかの変化を含み、その変化とは、人間であれば成長、また老いとなり、もはや戻ることは叶わない。」

「螺旋(らせん)の階段を上がるように、地球はけして同じ居所には戻ることはない。目には見えなくとも、耳に聴こえなくとも、地球は鼓動し、成長を遂げ、そなたたちと同じく、“生きる”。」

「時の経過があるからこそ、その一瞬はかけがえなきものとなる。時とともに生命は進みゆくからこそ、目指すものは同じとなる。すなわち、そなたは、そなたとしての一度きりの人生をとおし、神が与えたもう恵み、機会、あらゆる縁を紡ぎ、人間というものへの礼賛、そして生命をはじめ、あらゆる存在への畏敬の念を、日々進みゆくほどに、そなたの心に芽生えさせるということである。」

「過去に生きた先人たちの想いは、こうしてそなたという生命に引き継がれ、神が創りしこの地球への感謝を、そなたがあらゆる機会を通じて感じ、考え、そしてそなたならではの生き方に投影していくのである。

それこそが人間であり、幾たびも幾たびも、この地球で重なりゆく尊い“生命”(いのち)―――。何すらも無駄もなく、虚無なものもない。この生命たちの積み重ね、あらゆる時代が織りなした人間たちの生きざまこそ、地球全土の“成長”となる。」

「一つでも、それまでに気づかなかった事柄が見えてきたならば、それは大きな成長であろう。一つでも、心から感謝の念が沸き出でてきたなら、そなたは見事に成長を遂げたこととなる。神そして、そなたを守る霊魂たちは、そなたが自らに得た“前進”に、大いに喜び、涙するのである。

そして、この、たった僅かな気づき、感謝、幸せが、そなたの心に生まれ出でたそれこそが、地球の上昇を加速する。螺旋の階段は光に包まれ、強大なる息吹を回転させるのだ。そして、地球の
新たなる可能性を生み出し、人類にさらなる局面をもたらすものとなろう。」





2016年4月10日

「地上にいながらにして、神と一体の心を会得(えとく)する―――。それが、そなたの使命である。」

「この世とは、何たる“(まぼろし)なる様相か。物事生じ、あるいは瞬く間に沈静し、そして数珠の繋がるがごとく地上そこかしこに人々の様相(挙動)とあいまって、数々の現象がもたらされる。」

「人々は今、自らの魂の拠りどころを、いずこに求めるか―――。」

「目前の事象とは、なんと(はかな)きひと時の“舞台”。そなたの眼に見るもの、耳に聞くものは、すべては必要ありてなお、あたかも虚無のごとく永続もの。この地上ならではの、永遠ならぬものに、心は揺れ動き、また時に(おど)らされ、日々そなたのかけがえのなき人生を、ただやみくもなまでに右往左往と過ごす、その浅ましさよ。」

「そなたの先人たちは、この地上に一体何を思い描いたか―――。明日への命さえ確証なき、まさに“命繋ぎゆく”それこそが(先人たちの)日々のなかで、彼らこそは、この(はかな)移ろいゆく地上、生そして、死というものがより身近なものゆえの、その向かうところは、ただ一つ、“神”という存在が、いつも自らの間近に在ることを、心に思い描くことそ、唯一の身を支えるものということを、時に美しき、そして時に無上の厳しさを“自然”のなかに見出しだ。

て、物一つ、物事さえ神が宿りて、この身を支え、すなわち目に起こるものを神と見なし、その神の眼に背くことのなき言動が、もっとも自らが在るべき姿、地上に生きる者としての役目会得た。

(とど)まることな目前光景に、唯一確たるものとして、た、代を経てなお、後世の人々へも受け継ぐべき精神として、何もかも残し、受け継後世へ神”という存在である。

「神を忘れ、自然の息吹にさえ感情赴くままに背を向ける、そなたたちの心は、今如何(いか)なるか―――。夢幻(ゆめまぼろし)現象が、すなわちそなたに止めどなく現わされ、そなたの心は浮き立ち、ときに沈み、それを日ごと繰り返す。

それは、まさに根の無き草が、天へ伸びようともがきされども、風雨になぎ倒される、まさに、哀れなる様相。」

「世の事象(現象)は移ろいゆき、しかれども、そこに“神”を見出すこと。現実物(物質)と相まって、この地上は具現化され、そしてついには終わりゆく(はかな)ものゆえ神は宿り、そなたの魂と同じく、この世に“永遠”を与える―――。」


「神を忘れたこの国の、今後辿る
(みち)は如何草も木、この()、一粒の水でさえ神の息吹たずさえたこの世にあって、ここに生きるそなたこそ、神の眼をもって、神のを感じ、神”見出ならぬ。

「神は望む―――。身も心も離れしわが子らが、この世にあってなお、神の御胸に寄り添うことを。この世とは、念ずれば、すなわち“神”―――。自ら在るがままに心を向ければ、すなわち、そなたの拠りどころ、神の息吹がそこかしこにこの世に“在る”ことを、そなたは無上の喜びとともに会得するであろう。」

「地上一人ひとりの心によって、そなたたち魂の拠りどころ、永遠に生きる神こそを見出し、神の息吹をこの地上に

(たた)えることこそ、この国の(まつりごと)”なり。」



 

2016年2月14日

「"人間食することを怠れば、その者の人生は滅びる"―――。」
 
「ここで"食"に関する最たることを申し上げました。そなたたちへのわたくしからの言葉は、もはやその一言に尽きます。」
 
「一体誰が、これほどまでに、食に対して軽んじる思考を、この国の民に施したのでしょう?今ほど、食というものに対して、歪んだ感覚、慢心、あるいは食そのものに対して、生活のなかで重きを置かないことがあり得たでしょうか?」
 
「食とは、"天下の回りもの"―――。天とは"命"です。たった一粒の米さえも、命の"賜物"。食は幾つもの命の連鎖を経てこそ、ようやく地上に現された命の形態(=食物)。数えきれぬほどの命が互いに繋がり、関わり合い、またそれが新たなる命を紡ぎだしてゆく。その命の連鎖に連なるそなたたちもまた、食という命を介して、命を繋ぐのです。

神の大切なるそなたは、この世に在るすべての命にとりても、すなわち大切なる無二の存在。だからこそ、そなたたちはこれらの多くの命をその身にたずさえ、気力をいただき、今を、そして明日を生きていくのです。」
 
「それなのに、その日その日、たった一度きりしかないその時間(とき)を、そなたたちは魂の結びつき、命の繋がりさえ感じずに、無感覚のままに過ごすのですか?」
 
「そなたがこの世を生き、命をある限りに輝かせ、後世さらなる命を繋げていくがため、食というものは、そなたに命の繋がりそのものを与えるのです。」
 
「はっきりと申しましょう。ただ無感覚、無感動、やみくもに、今やそなたたちは、この世にただ"居座る"だけの存在なのです。」

「そなたが自身の日常を省みて、思い当たることは尽きぬでしょう?何のためにそなたは生きるか、そなたたちは、今こうした食という命の連鎖一つとっても、もはや確たる真実さえ導き出せないでいる。」

「神々のなかで、わたくしはせめて、これだけは、そなたたちに伝えねばならない。たとえ、神は愛そのものという、皆の感覚から外れてもやはり、わたくしは伝えねばならぬのです。」

「食(食物)が潤沢か否か、その多さ(少なさ)ばかりが、今やそなたたちが考え及ぶことなのでしょう。しかしながら、この地球上で、食の足りる国は、ほんの一握り。他の大勢は、その日食べるものも欠いている。」

「食が足りれば、無感動に、ただ口に運び、食欠くならば、やみくもに右往左往。食ひとつでさえ、巡り巡って、必要ありてこそ、そなたのもとにやってくることを、そなたは到底気づかぬではありませんか。」

「その食物一つひとつがかけがえのない"命"であり、そなたはそれらの命を繋いで、この世を生きる。命は重なり互いを生かし、ゆえに益々輝かせるものという想い、決意が、殊更にこの国の民に乏しいと、もはや申し上げざるを得ないのです。」

「食への心の在り方が、そなたたちの人生をいずれも決定づけることとなる。それがすなわち、食すること、食への感謝の心を怠るならば、その者の人生は、命繋ぎゆく息吹をすべて放棄し、ただ(この世に)居座るのみの、人生に通じていくものは一片も残されない、ということなのです。」

「食することによって、そなたは多くの(食物の)命と対話する。その食物を作り成す者たちとも、魂の次元で交流するのです。」

「けして目に見える存在だけではない、あらゆる命との繋がり合いは、そなたの魂の気づきを促し、この世を生きることへのさらなる意義を、そなたの前途に授けることでしょう。」

「食という命も、後世への希望を胸に力強く生きた先人たちも、そして、何より神が、そなたに、命の紡ぎ合いを通して学び、喜びのなかで生き続けてほしいと願っております。それが、わたくしたち神の、愛の示し方。だからこそ、そなたは一瞬一瞬を、多くの天=命を感じて益々輝き続けねばならぬのです。」



 

2013年10月20日

【仕事を司る神】

「仕事とは、元を正せば、他に“仕える”ことから成り立つ。現代のあなたがたの思う“仕える”という概念は、自らを抑え、まるで奴隷のように苦労を強いられること、他のために動いたり働いたりすることを何か損でもあるかのように捉えているけれども、見よ、あなたがたよ、あなたをあなたとして生かす数えきれぬほどの事象、すなわち、自然であり、その肉体であり、あなたが日常当たり前のように受け入れているものの多くは、あなたを生かさんがため、ただそこに無限の愛情をもって、あなたに今もこうして“仕えて”いるのである。」

「あなたがたは、人間というものが長き歴史において生き抜くごとに、それは、それは、非常なる勢いにて、この現象界での生きる術を貪欲に身につけてきた。神よりこの地球という星に降ろされ、神と繋がりし民らは、ただ神と共にあることを心の支えとして、厳しき時代をひたすらに生き抜いてきたのだ。」

「祖先たちがこれまで幾重にも培った知恵をさらに進化させ、あなたがたは現代に生きる。あなたがたは、もう十分なほど、生きる術(技術)という面では知り得たはずだ。しかしながら、あなたがたは、自ら抱えるそれらの術が多ければ多いほど、神との約束、神と共にあること、神より配されし宇宙の仕組み、すなわち自然の流れについて、心を向ける余裕を失ってしまったのだ。」

「知識は、すべての魂に必要なものだ。しかしながら、それを統括するものは、やはりあなたがたの心であり、感覚であり、魂が魂として、いかなる状態(人間、霊)であっても、その芯は変わることなく、あなたを形成するその頂点には、神を置かなくてはならない。」

「あなたの中、すなわち、その頂点に神を置くとは、あなたの心の様相を映し出すこの現象界でのいかなる場面においても、あなた自身がすべてを神として掲げることである。あなた自身が神であるからこそ、あなたを取り巻く自然をはじめとするあらゆる事象は、あなたを神として、絶えずあなたに仕えているのである。そして、すべての人も神であるなら、あなたも縁あるそれらの人々を、同じく神として掲げ、正しく仕えなくてはならない。」

「諸々の神より、これまですでにあなたがたは、こうして現世に生きるうえでの至高の教えを得ている。神とあなたがたが同胞(同一)であるからこそ、神は尽きることなく、あなたに日々形を変え、状況を変え、あなたが真に“気づく”ように愛の光を送り続けているのだ。」

「そうした神の教えを、今こそ“実践”する時が来た。行動に起こすこと、それはあなたの心をまた新たなる方向へと導くこと。あなたの今持つ仕事(単に事業に関してのみならず、人が生活する上でおこなう事柄)は、神より授かりし実践の場。目の前にある人、物、それらのすべて神としてあなたが真に“仕える”とき、あなたに対する環境(状況)が一変するだろう。すなわち、あなたをより神として掲げ、目に見えるか否かにかかわらず、すべてのものがあなたにとって頼もしき光となって、あなたが人生を歩むうえでの良き加担者となるだろう。」

「あなたが、まずあらゆるものへの良き加担者になれば良い。すべてを神と掲げること、すべてに対し神として真心で仕えることで、すなわち、あなた自身の人生が変わるのだ。仕事とは、この神の道を歩むうえでの、まさに尊き実践の場なのである。」

以上。

2015年8月29日

 

「そなたが日夜発する言の葉(言葉)こそ、この世の全てを創り成す。そなたの(うち)滾々(こんこん)と湧き出る感情が、そなた(こと)(言語)に乗じ、たる波動となりて、この世に現される。」

「天より見るならば、この言(言葉)こそ、“そなた”という人間を成すもっとも近しき媒体ぞ。思考と言葉、言葉ありての人間ならではの思考、それが(表現として)表わされるとき、各々波動の色模様を(まと)、そなたの(こうべ)から足先に至るまで、そなた独自の色(雰囲気)として、一度限りのこの世を、幸なるか、はたまた労多くしらねばならぬのだ。」

「ほんの些細なる(こと)の葉(一言)が、そなた自身に“如何に”感ぜられるか。心安きか、はたまた、心安からずか。言を発する度に、そなたの内(心)に問うてみるが良い。

そなたの思考により紡ぎ出されしその言の葉は、“そなたにとりて”如何なるか。
(こと)は“言霊”―――。紛れもなく、霊的なる威力をもち、そなたを、そしてこの世を、瞬く間に形成し、席巻する。

「願わくは、そなたたちに伝えたい。先人たちの生きる強き想いは、必ずや、そなたの内(中)に。生きぬく上で、欠かせぬ処世術、止まぬ明日への希望は、長く受け継がれし言の葉にて、しかとこの世に受け継がれている。」

「神への礼賛は、美しき(こと)より出でついには光の層となりて、神に燦然たる権威を添える。もしも、そなたが、神と約(約束)した人生を、神と共に歩むを決した(決意した)ならば、そなたよ、これまでよりなお、言の葉を(ねんご)ろに用いるが良い。」

「美しき、順当なる言の葉は、そなたに一層の光を授ける。そして、何より、そなたの内(心)に安らぎと、まさに今を生きる活力を与えるであろう。神は純然たるそなたの姿に、宇宙幾万もの星々のなかで、類い稀なるこの星(地球)に愛しき光の花を見出し、安堵の感涙を流すであろう。」

2015年6月20日

 

生命(いのち)をたずさえる人間たちよ。神はなぜ、そなたら人間に、他の生命を食、自らの生命維持なることを定めたか。」

「それは、幾億もの生命の頂点であるそなたら人間こそ、栄えある生命たちの真髄・魂を身に取り入れ、神と交わした約束を地上にて果たさんがためなり。

神は、人間がこの世に生まれ、そして去りゆくまで、“食する”ことを、生命を存続させるうえでけして欠くことのできぬ要素と定めたのだ。」

「食す、それは、食するその(もと)の命をいただき、文字通り、そなたの身にこれらすべての命を“重ねゆく”こと。そうして、人間は数えきれぬほどの生命のを得て、自らの魂に豊かなる厚みを加える。」

「食から、この世が変わる。しかるに、食は今まさに、未曾有の混沌たる状況。何が身(身体)に良く、何が悪しきものか、時代を経て通信の発達とともに、あらゆる知識・情報が入り乱れることとなった。」

「食に窮するは、人生を混迷に(おちい)。食を飽くることなく盲目に追い求めるは、まさに大罪と(たが)わず、らの日々惑い、彷徨(さまよ)うこととなる。」

「人間に備わりし本能として、食が大事なることと会得するからこそ、人間はこれまで数多くの材(食材)を追い求め、見極め、食にまつわるあらゆる側面を発展させてきた。」

「神がそなたら人間に授けた“食”というものを、今一度、自らに問うてみるがよい。数えきれぬほどの生命(いのち)をいただき、その(生命の)息吹を得て、そなたが今この世を生きる。そして、日々そなたの身に入りし生命たちもまた、そなたの中に、そなたを通し、この世を生き続けるのだ。」

「『食について、地上に知らしめよ―――。』 宇宙の大根源神は、そう命ぜられた。神のいずる国・日本こそ、生命たちの魂の繋がり、すなわち“食”を真に改め、この行為は今後一層尊ばれなくてはならぬ。」

「地上が迎えた大いなる変容の今この時、人類は生まれ変わる。ここに生命存続の(もと)、“食”という神聖なる行為が、変わりゆく地上、人類の未来希望の光明となる時代がきた。」

2014年12月7日

【言葉を司る神】

「言葉の乱れが世を乱す—。長き人類の歴史のなかで、これほどまでに乱れた言葉、言葉の意を解さぬままに安易に否なる(否定的な)言葉、蔑む言葉を発する者たちはおらぬであろう。」

「宇宙に在る数多の星の生命体のなかで、そなたらは、自身の思いを“言葉”として体外に発する術(すべ)を選んだ。多くの生命体は意志在らば、すなわち対外のものへの思考に直(直接)に繋がり、即座に万人の思うところとなり、あるいは現象そのものとなる。」

「しかるに、そなたら人間は、自らを取り巻くすべての人々、そして霊魂たちへ、そなたの感ずるままに言葉を伝え、あるいは時代(とき)を越え後世に自らの心を伝播させていくことを選んだのだ。」

「言葉在るままに現象来たる—。よいか、賢きそなたよ。この世は言葉が創る、その意を、各々がより会得せねばならぬ。自らものを思い、発する言葉により、世(世の中)が如何に変容するか、それを知り尽くさんがため、この言葉の仕組みは人類に取り入れられた。こうして肉体を与えられ、地球に生きるからこそ、より学ぶことの叶う奇跡の仕組みなるぞ。」

「それならば、そなたたちよ。そなたたちこそ、言葉によって自らの人生を、そしてひいては周りすべての人々を、幸福の道へと誘(いざな)わねばならぬのだ。」

「自らの人生を如何なるものにするか。それを決する(決める)のは、そなたに与えられし、その言葉なり。天上より、地球すべての人々の波動を見るに、そなたらが発する想い、言葉の如何を見るにつけ、今や地上の光は、時代を経るごとに弱小化の一途を辿っている。」

「そのなかにあって、ひときわ光を放つ燈台あり。それは、自ら使う言葉を丁寧に選び、言葉によって自らの人生を整えし、神の道に通ずる大いなる賢者らなり。」

「言葉でこそ、この世が変わる—。言葉とは、自らの意志をより強き形で、この世の波動に乗せる行為。言葉が神の光と通ずるものであることこそが、真に神の世を切り拓くのだ。」

「人類は神の申し子なり。万人、地上のあらゆる人々が、いずれも神の御胸に抱かれこの世に送り出された。混沌とした時代であるからこそ、そなたたちがこれまでの生き方を改め、言葉を真に使いこなす、その意義は大きいものとなる。言葉によって、そなたたちはこの地上に神の御心を顕す。」

「言葉によって、そなた自らがまさに神と化し、この世を神の世とする—。この生き方を自身の魂に真に会得せる者に、大いなる気づき、人生の幕開けが待っているであろう。」

以上。

2013年9月28日

【教育を司る神】

「“教育”とは、あなたがた人間が人生において獲得するうえで最も“崇高なる”行為の一つ。あなたが、学校などの教育現場に対し、今まさに教育を受ける側(学生・生徒)のみならず、それを取り巻く(支える)側として、教育というものを如何に捉え、想い、そして、それをあなた自身がその教育の参加者(一体)となって、我が子らとともに次世代へ活かすかが、今後のわが国を真に発展させる一つの鍵となりましょう。」

「あなたがたは、その時どきの時代のなかで、為政者や教育者の意図により、決まった教育がなされます。本来ならば、教育とは、それを受ける当人の溢れる希望(意欲)により、それに見合う知識・方法論が各年齢に沿いながら、良きタイミングで次々と施されるものなのです。“受け身”のなかの“能動”。ある一定の知識は受け入れるが、それに対し、より貪欲に、知識をさらに得たい、自らの知恵として活かしていきたい、という強き熱望が、あなたがたに、生きる意欲を与えます。それは、何も年齢的に低い者(子供)に限ったことではありません。あなたがたはその人生を終えるまで、教育というものは切っても切れない存在であり、形を変え、機会を変えて、すべての者に順当なる施しがなされる、その保証が確実に続くことが、この国の基礎をさらに固めることとなるでしょう。」

「そもそも、教育に則り勉学に励むとは、自らの神性を高めること。冒頭にて、教育とは“最も崇高なる”とお伝えしたとおり、自ら学び、研鑚することは、神の道を歩むことに他なりません。あなたがたの本質として、人生あらゆる場面にて学ぶことを欲しているのです。」

「あなたがたに対して、わたくしたち(神)は、ある意味“教育”を施しています。この地上こそ、まさにあなたが学ぶ最高の場。あなたがたに対し、輪廻を繰り返すほどに、魂的に次元が上がってほしいと願うゆえ、すべての神々は、こうしてあなたがたを大事に、大事に地球という懐に入れ、この世にて起こるすべてに対して、あなたがたが必要なる学びを得、そして対処ができるよう見守り続けるのです。」

「ですから、教育というものは、あなたがた人間のみの範疇ではありません。学校などで施される教育も、元を辿れば、誠に崇高なる行為であり、かの時代、若き有志たちは、未知の世界に憧れ、世界中で起こる(または新たに発見される)事柄を寝食も忘れ、本当に夢中になって学び取ったものです。」

「新しきを知ることこそ、神の真骨頂。神は古来より続きますが、尽きることは決してありません。あなたがたが今後知り続ける神は、ある意味、果ての無き無限の存在。そう、すべてが“新しい”のです。そうした神という最高の真理を知ることに対する新鮮なる想いが、神のこの国に新たなる息吹、神の新時代を到来させることでしょう。」

「あなたがたよ、どうか、教育というものを、もっと自身の味方につけてください。現在のわが国の教育を悲観する者も少なからずいるでしょう。しかしながら、あなたがた一人ひとりが、教育が本来もっとも素晴らしい行為の一つであり、教育を施す喜び、教育を受ける喜びが、まさにかけがえのないものということを心より悟れば、この国は確実に変わります。」

「良いではありませんか。神の国にして、万人すべてが、神の道を歩むべく教育を施す、そして真摯に(教育を)受ける。神の行為を、まさに教育というものを通じておこなっているとあなたがたが新鮮なる想いで気づくとき、わが国の教育が新時代の幕開けとともに、また高らかに産声をあげるのです。」

以上。

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皆様へ
いつも神々からのメッセージをお読みくださり心より感謝申し上げます。本日より二週間ほど新規の配信をお休みさせていただきます。皆様のお心が絶えず晴れやかでありますことを心からお祈りしております。

2013年12月1日

【病(気)を司る神】

「お前たちは、現在もなおその身(身体)の機能を(究極的には)向上させている。人間の長き年月(歴史)とは、言い換えれば、人間のあらゆる面にての進化の軌跡。そこには、まぎれもなく、お前たちが様々な(生活状況の)場面で、自身の持てる機能を、置かれた環境のなかにて適応、効率化させていくという並々ならぬ努力、生命ならではの“生きる”という根源的な目的を果たさんがため、日々を懸命に過ごしてきたと言っても過言ではないだろう。」

「病(気)は怖いか?この世にあるあらゆる病は、現代の医療にて未だ解明できぬものも山ほどにあるが、やはり(精神・物質的に)幾重にも絡みあった事象(原因)があり、また、より深い話になると、この地上にお前たちが生を受けるとき、自らの魂の向上を求め、ある種の困難(障壁)を、“病気”という形にてわが身に当たらせることをあらかじめ望むこともある。」

「(病気という)恐れ、不安を取り除くための医療か、はたまた、医療によるさらな
る恐れか。病というものがより現代において複雑化した結果、医療の進歩とともに、どこまで人間というものの“生身”、すなわち、神の息吹通う一つひとつの細胞の集まりの自立的な営み、あるいは修復力、回復力を認めるか、今後お前たちは、医療やわが身の身体について折に触れて直視したときに、その境界線を考えることとなるだろう。」

「お前たちに備わる心が、もっと自由に解き放たれ、安らかならば、今問題にされる多くの病は、跡形もなく影をひそめる。心は脳に、あらゆる感情、感覚を伝え、そして、余すところなく、お前のその身体隅々にまでその時一瞬の思いさえ(善・悪ともに)行き渡らせる。」

「病はもとより、日常のあらゆることにて不安、心配をするならば、それは、“こわばる”波動となって、自身を共鳴させてしまうだろう。それが、身体的な萎縮、こわばり、すなわち病気などの不具合になって、自身の思いそのとおりの状態に仕立てあげてしまうのだ。」

「病とは、自身の心の尺度、バロメーターなり。けして無理はせず、しかしながら、よりよく、心楽しく生きることへの飽くなき追求は、そうだ、いつでもなされるが良かろう。もし病に伏すとき、自身の心を見つめ、心(心持ち)を入れ替える絶好の機会と思うがよい。」

「これだけ現代の医療が発達したにも関わらず、依然として病に悩む者は多い。それはお前たちの身体が衰えたのではない。様々な環境や境遇、また心持ちを通じて、この世に生きることのまっとうな(各々の)使命、役割を忘れ去ったがために、日々生きながらにして右往左往、心の“焦点”が定まらないのである。」

「この世に生きる使命とは、誰に教わるのでもない。お前が日々生きることを積極的に捉え、他と和すこと、そして、あらゆる事象に対して、感謝の念を持つことが真にできたとき、それは“道”として拓かれ、自らの良心がもっとも心地よく感応すること(ところ)へと自然と向かうことこそ、お前たち本来の使命なり。」

「限りあるこの世での人生。使命の道を歩むことを望むなら、わが身に起こる病・不具合でさえ、わが心身を知るための“ありがたき”バロメーターとして従えるがよい。貴重なる人生において、お前たちを悩ませ、苦しめることが、病(気)というものの真の役割ではないことを、ここに明らかにしておこう。」

以上。

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皆様へ。
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