2011年10月09日

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 つまりお前は自分から殴られに行ってるってわけだ。
 わかってくれたかな?マゾヒスト君?

               ― 木原数多

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どんな付き合いでも、「誤解が全くない」人間関係などないだろう。

自分の人間性を100%表現する事は出来ないし、表現したとしても、相手が100%理解してくれるわけではない。だから、お互い「こいつは、こういう人間だ」という評価の半分ぐらいは、『誤解』だと思っている。まぁ、自分自身、「あ、これは誤解されてるな」と思う事は多々あるが、「いいかそれで」とスル―している。多分、読者の皆さんもそういうところはあるだろう。

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とは言え、誤解をなくす事は不可能にしろ、減らす努力ぐらいはたまにはしてみようと思う。

俺の場合、例えば司法演習での、「皆からつっこまれまくったらウハウハじゃないですか!」という僕のスタンスを見て「あ、この人はドM野郎なんだな」と誤解してしまっている人が居るようだ。

だが、その理解は正確ではない。

何も僕は「ボロクソ言われること」それ自体に快感を得ているわけではない。
「自分が成長するきっかけになるから」ボロクソに言われる事を喜んでいるのである。

マズローは四段階説において人間の最大の欲求を「自己実現」であるとしたが、受験生にとっては「合格」が自己実現の一つの到達点であろう。そして、「間違いを指摘される」「理解不足を気付かされる」ことは、合格にプラスになる事だ。したがって、「人からつっこまれる」事は、自己実現そのものではないにしろ、それに直結し、欲求を満たすことなのである。

例えば、お金を稼ぐ時なんかもそうかもしれない。
お金は本来、使うのが楽しいはずのものである。だが人は、頭の中で因果関係を考えることで、「お金を貯める」事にも喜びを見出すことができる。果てには、「お金が入ると思えばバイトも楽しい」と思うようになる。

獣はそうじゃない。獣は、そもそも自己実現なんてものを考えないし、「今苦渋を我慢すれば、将来大きな収穫がある」なんて因果律を考えられない。朝三暮四、目の前の快楽を求める事しかできない。

しかし人間は、将来の幸福と結びつけることで、現在の苦渋すら快楽と考える事が出来る。
結果として、目標を達成した時はもちろん、目標に向かっている道程すら喜びを感じる事が出来るのだ。


要するに、俺は叩かれることそれ自体が楽しいわけではない。
叩かれなければ得られないものを想像し、叩かれる事を喜んでいるわけだ。

真のMは、そんな不純な動機は持たず、純粋に、叩かれる事に快感を覚える。
「叩かれる事で何かを得られる」なんて考えは持たない。それはMではない。

以上から、俺が本当の意味でのMとは到底呼べない事は理解していただけただろう。
自分の名誉の為にする善を偽善と呼ぶように、私の事はこう呼ばねばなるまい。



          『偽M』。






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この記事へのコメント

1. Posted by k   2011年10月10日 20:28
オチで笑ってしまったww悔しいww

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