日記

2016年03月13日

かつて俺は,このブログで,「ロースクールエピソード」という,バカ大面目な創作物を投下していた。
今では一般的に使われている(誇張)「学圧」という言葉も,ここ発信である。

そして,その後の話として,「司法修習物語」も頭の中にはある。
この司法修習物語については,信じられないかもしれないが,「楽しみにしています」という声がある。


では何故書かないのか?
そもそも,何故日記すらあまり書かないのか?


それは,読者様も既に理解っておられる通り,「守秘義務」の壁があるからである。


俺は,「職務上知り得た秘密」のラインをわかっているつもりである。
そこを踏み越えないで自分をコントロールする自信がある。

だからこそ,Twitterも,修習生には比較的珍しい強気の「鍵無し」である。


それでも司法修習物語を書けないのは―――「秘密」以外にも研修所は目を光らせているからである。


修習生がブログで日記を書いたことが守秘義務違反,というのはありがちなネタである。
しかし,ブログの内容を見ると,俺には守秘義務違反には思われないものがそれなりにある。

具体例を見ていただこう。

今日,はじめて取調べをやりました。
相手は80歳のばあちゃん。
最初はいろいろ話を聞いてたけど,途中から説教しまくり。おばあちゃん泣きまくり。
おばあちゃん,涙は出て無かったけど。
けど,なんで20代の若造が80代のばあちゃんに説教してるのか。
それに対してなんで80歳のばあちゃんが泣いて謝ってるのか。
なんとなく,権力というか自分の力じゃない力を自分の背後に感じた。


「このレベル」の書き込みが,産経の記事で「守秘義務違反の疑い」と書かれているのだ。
実際処分が下されたかは記事からでは明らかでは無かったが……しかし,記事にされたということは,研修所が全く動かなかったわけではないのだろう。

そして,処分の有無とかかわりなく,研修所が動くこと自体が,修習生にとっては,大変な脅威だ。

見てわかると思うが,上の書き込みを守秘義務違反として何らかの制裁を科すのは無理だろう。
流石に,実際に何か処分がされたとは俺は思わない。

・・・・・・が,「こういう記事を積み重ねていつかやらかしかねない」と研修所が考え,注意をするぐらいはしたかもしれない。


司法修習生という立場が,もっと強いものであれば,注意は注意として聞いた上で,守秘義務違反しなければOKだろと強気な態度で出ることもできる。が,司法修習生という立場は,まさに現代の特別権力関係。弱い,不安定な立場である。「給料は出ないが『休暇』の概念はありません」というのが通用してしまう立場である。

そんな修習生としては,当然,リスクを取れないから,萎縮せざるを得ない。
注意だけでも,事実上どんな不利益が来るのか予想がし難いから,萎縮せざるを得ない。


俺は,「秘密」を漏らさない自信はある。
その程度の,多くの修習生が持っている思慮深さぐらいは持っている。
その程度の思慮深さはあるからこそ,逆に,書けないのだ。


修習生の皆様は,「秘密」というのを何だと考え,
「どこまで」話してよいとお考えだろうか?


「どういう事件か」程度のことは,実務家はよく授業や講演などで話しているから,話しても守秘義務には反しないのだろう。
が,修習生としてはやはり話すことに恐怖を覚えるのではないか?


公開の法廷に出ていることは,どう考えても「秘密」にはなり得ない。
が,公開の法廷に出ていたとしても,具体的情報を話すことには恐怖を覚えるのではないか?


秘密でなくとも話せない。

俺が自分を納得させている,そして自分の中でラインを引くための理屈はこうだ。

事件の概要や,公開の法廷に出ていることを話すのは,守秘義務違反にはならない。
しかし,そういったことを話していると,「秘密を漏らしてしまっているのではないか」と疑われる。
真実,秘密を漏らしているかどうかは別として,「秘密を漏らしてしまっているのではないか」と疑われること自体が,修習生に対する国民の信頼を損なう。

そのため,守秘義務には反しないが,修習生の「品位保持義務」に反する恐れがある

品位保持義務を持ち出すのであれば,研修所があの程度のブログの記事に反応したのはわからないではない。







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2015年11月23日

人間の言動は、他人の行動に影響を及ぼす。それは、本人が意図している場合もあるし、意図していない場合もある。また、相手側も、影響を受けていることを意識する場合もあるし、意識せず知らず知らずのうちに行動が変えられている場合もある。

俺はと言えば……自分の言動の影響は、相手の自由意思を奪わないものにするというスタンスである。
例えばサブリミナル効果の様に、相手が意識せず行動を変えてしまうような手は使いたくない。

そういうスタンスであったとしても、意思拘束(バインド)力の強い言葉を知っておくというのは損ではない。それが「禁じ手」であり俺が使うことが許されないとしても、他人が使ってくることはある。他人が使ってきたときに、それがバインドワードであることが認識できないと、知らず知らずのうちに行動を操られてしまう恐れもあるのだ。「意思」というのを重視する我々からすれば、これは脅威といえよう。

いくつかあるバインドワードの中で、自分が過去一度だけ使い、その威力に驚いたものが

 「お前らしくない。」

である。

これは、ドラマや漫画では見ることがあっても日常生活ではあまり聞かない言葉かもしれないが… けっこうなバインド力がある上に、相手に強い不快感を覚えさせる危険な言葉である。

「お前らしくない。」という言葉には、「らしいお前」を観念し、「今のお前はそうじゃない」という前提、「らしいお前になれ」という圧力が含まれている。人の行動に影響を与える圧力が含まれている。そして、この圧力は、そこらのバインドワードよりも強いのである。
例えばゴミをポイ捨てした人に対して、「ゴミを拾え」というよりも、「どうした?ゴミを捨てるなんてお前らしくないぞ。」と言った方が、強い影響を与えたりする。
「こんなミスしちゃいけない」よりも、「こんなミスをするなんて君らしくない」の方が、相手は反省することが多かったりする。

人は、「自分らしさ」を守ろうとする。
そして、「自分らしくない」行動は、本能的に排除したがる。
でも、「自分らしさ」というのは、自分でも良くわかっていないことがおおい。
そんな中で、「らしいお前とはこうだ」と他人から言われ、「そうかも」と思ってしまうと、他人に行動を操作されるに至るのである。

 まあ、これが良い方向に操作されるならまだ良い。こと、教育やら指導やらでは、この手のテクニックは当たり前のように用いられているし、用いることが推奨されているまである。

だがしかし、こういったバインド力のある言葉が悪用されることも少なくない。
「奢らないなんてお前らしくない」。流石にこんな露骨なのは無いが、「自分に都合のよいように相手を操るためにバインドワードを使う」輩がいないわけでは無いのだ。

皆様も、フット・イン・ザ・ドアテクニックや、ドア・イン・ザ・フェイステクニック等の有名どころは押さえておられると思う。そういったものは、「知っている」から、防衛できる。心理テクニックだけの中身が不合理な説得や交渉に引っかからなくなる。 だがしかし、俺の知らないテクニックなど、世の中にごまんとあるのだろう。

そんな世の中で、俺はどこまで自分の意思で物事を選択してきてこれているのか?

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2015年11月18日

先日、「告白」という記事を書いた後、リア友から「いきなりどうした。何かあったの?」というコメントを貰った。

いきなりというコメントもどうかと思うが…そも、基本的にはここの記事は大体いきなりであろう。例えば、オナラと言う言葉について考察したこの記事http://blog.livedoor.jp/kamisamadq7/archives/7054652.html#moreなどは、何故そんな話が出てきたのか俺自身よくわからない。


  ◆      ◆      ◆


という前ふりをしたうえで言えば、確かに原因となる出来事はあった
それは、俺が最近6回目二年ぶりぐらいに、人に告白をしたということである。

まあその辺の俺自身の色恋沙汰については、俺は人前に出さないように気を付けているので皆様の耳を汚すことは今後も無いと思うが、とにかく、そういうことがあった。


  ◆     ◆      ◆

パルフェタムールという酒がある。
フランス語では「完全な愛」という意味が与えられている酒だ。

完全な愛とは、崇高すぎて逆にチープな感じもしてしまうが……古来から詩や宗教や戯曲のテーマになっている、所謂古典的なネタである。

完全な愛とは何かについては諸説あるが、一般的には、「見返りを求めない」という性質を持っている愛と説かれることが多かろう。あるいは、純度100%の愛ということもあるかもしれぬ。

その観点から言うと、世の中完全な愛を持てる者はそう多くは無いように思える。

見返りを求めないということは、向こうから愛されることすらも求めないはず。だが、通常、人は、自分が好きな相手には自分の事も好きになってほしいと求めてしまう。結果、完全性は失われるに至るのである。

また、異性を好きになった場合、性欲をゼロにするのは結構難しい。
性欲それ自体は愛とは異なるものであるから、好きと言う気持ちにHしたいという欲が混じった段階で、純度100%の愛とは言えなくなる。
古代ギリシアは、「人間は他の動物より優れているのか?」「優れているとしたら、その根拠は理性に求められるのではないか?」ということが盛んに議論されていたが…彼らの中には、本能を凌駕する理性こそ価値があると考えた結果、(性欲を根源とする)異性愛よりも同性愛の方が価値があると考える者すらいたのである。


これらは、いずれも、できないわけでは無い。
愛を求めないこと、性欲を向け無いことは、他で発散すればできる。

つまり、誰かに愛されていることを自覚していれば、愛に満腹感を覚えているから、愛を求める必要は無くなる。性欲を他で解消していれば・・・・・・まあ、多少なりとも、相手に性欲を向けることも減る。

ただ相手に幸せになって欲しい、それだけを願えるようになる。
相手が自分を愛してくれないことに絶望するとしたら、それは、「自分を愛せば相手は幸せになれるのに、愛してもらえないから、相手を幸せにできない」という文脈のなかだけである。
なお、言うまでもないが、見返りを求めないとしても、結果として愛されることを否定する趣旨ではない。




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2015年10月19日

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 「だったら壁にでも話してろよ」


         スコール・レオンハート(FINAL FANTASYⅧ)

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人は、悩みを人に打ち明けると楽になるという性質を持つ。

ここで重きが置かれているのは、「打ち明ける」、つまり話すということにあり、悩みを打ち明けられた相手が解決策を提示する必要は無い。それどころか、あれこれ解決策を提示するのはむしろ『有害』とみなされることすらある。教科書的には、「意見を求められない限り、こちらから相談者に対して助言をしてはならない」。こういった話は、皆様も聞かれたことがあると思う。


3か月ぐらい前、俺は女の子から人間関係の悩み相談?をされた。
俺クラスの胡散臭い人間になると、一周回って寧ろ人は相談しやすいのであろう。俺は昔から「ソウダンゴト」を持ちかけられることも多かった。だが、女の子からの相談を受けることは非常に珍しい。

まあその娘と俺の関係はどうでも良いが、とにかく男からでは無く女からの相談については、対処の仕方が良くわからない。わからないときは基本に立ち返ることが大事である。そこで俺は、相槌をうつだけの聞くだけマシーンと化すことにした。

結果、その娘は、満足げな、晴れやかな顔になって帰っていった。


俺は、世の中にある「教科書」の強さを改めて思い知った。
「基本」は普遍的であるからこそ「基本」であることを改めて思い知ったのである。


しかし、話を聞くだけでは事態は何も変化していないはず。
何故、「悩みは話すだけで楽になる」ということがあり得るのか?
そこに興味はうつる。


仮説はこうだ。

まず、

1、問題(悩み)を解けないケースの多くは、問題の所在を発見できていないからである。(そして、良くわからない、問題の所在を発見できていないことそれ自体に対しても、人は不安感、不快感を感じる)

そして

2、「頭の中にあること」というのは、実際に言語化する過程で整理されていく
3、「悩み」とは、「頭の中にあること」である

しかるに、

「悩み」が「どういうものなのか」を相手に伝えるために言語化している過程で、その悩みの問題状況、自分が何を不安がっているかが整理され、自分自身も把握できるようにある。この様な整理がつけば、その解決の糸口、解決の方向性も見えてくることが多い。結果として、すっきりするのだ。

「不安なことは紙に書くとスッキリする」等と言う話が昔からあるが、結局、あれと同じことなんだろう。言語化の手段が、筆記か口述かの違いでしかない。悩み相談を受けた俺は、「紙」であるその意味では、酷い台詞として有名なスコールさんの「悩みを誰かに聞いてもらうだけでいいの」→「だったら壁にでも話してろ」のデスコンボも、楽になるメカニズムの観点からは理にかなったコメントだったかもしれない・・・。


ただ敢えて紙よりも若干上質であるところを挙げるとすれば、俺、つまり悩み相談を受けた「人」は、悩みの整理の手伝いが出来るという点である。例えば、会話の途中で「そのとき彼は何をしていたのか?」とか、「そのときどう思った?」といったように質問を投げかけることで、「悩みの整理に必要な部分」の言語化を促すことが出来る。

もちろん、こっちは当事者では無く、現在進行形で話を聞いている最中だから、どこのポイントが「悩みの整理に必要な部分」なのかわからないことも多いのだが・・・・・・。そこはおそらく、経験が重要になってくるのだろう。類型証拠開示をしてれば、どんな証拠が普通あるのか大体目安が付くようになる、みたいな。



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