今日の雑学

2015年08月09日

プ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン

ピタっ

パチンッ!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


プ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン


という、モスキート音で夜眠れなくなっている君へ。




所謂「蚊取りミスト」と呼ばれる商品群。
蚊取りミストとは、部屋の隅に噴射しておくことによって、しばらくの間蚊がその部屋に入ってこなくなるというものである。

これは使える。

この手の商品は、「効果があるのか無いのかわからない」ものが多かったが・・・・・・蚊取りミストは、期待以上の効力を発揮する。寝ているときにモスキート音がしてきたら、これをシュッとして部屋のドアを開けておけば君の安眠妨害を完全撃破!

俺もこの蚊取りミストに何度も助けられているので、皆様にご紹介しておこう。



  • このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2015年06月19日

最近はブログの更新もご無沙汰である。

まあ、これは自然なことだろう。

俺にとって、ブログを書くことは、息抜きであった。
リアルの生活が追い詰められればられるほど、筆がのるのだ。

考えたことをまとめる備忘録的な役割の記事もあるが、あれも「じっくり自分の中に落とし込んでおくことができない」から、アウトプットをして視覚化しておくのだ。時間があると、備忘録をいちいち書くこともしない。

ま・・・忙しくないと言えば嘘かも知れない。やる事は多い。
だが、じっくりとやることができる。



これが司法試験ブログであれば、司法試験終了と同時に目的達成により更新終了してもおかしくないが・・・常々述べている通りここは日常ブログなので、更新が遅くなろうと、終了する予定は無い。


さて。



運動能力と言う言葉がある。

運動能力の内容を更に細かく分類すると、(色んな分類の仕方があるが)

①筋力
②瞬発力
③調整力
④持久力
⑤柔軟性


の5つに分けることが出来る。

①②④⑤については、説明は要らないだろう。③は、体のバランスをとったり、巧みに力加減をしたりする能力を言う。道具を使ったスポーツや球技では特に要求されそうな能力だ。

スポーツの種目によって、①~⑤のうち、どれが重視されるかというのは変わってくる。勿論、全て高い事にこしたことは無いが、例えばウエイトリフティングで王者になった人が瞬発力もあるということはあまり無いかもしれない。ウエイトリフティング世界王者が瞬足だとかそれは相撲部屋に入るべき

ところで、この運動能力の分類は、思考能力の分類でも使えると思っている。さしずめ、

①思考筋力
②思考瞬発力
③思考調整力
④思考持久力
⑤思考柔軟性

としておこう。面白みも何もないネーミングだが・・・・・・・

①思考筋力とは、深く思考する力。
②思考瞬発力は、瞬間的に多くを思考する力。
③思考調整力とは、思考のバランスをとったり、巧みに加減したりする力。
④思考持久力とは、長時間の思考に耐える力。
⑤思考柔軟性とは、思考の「動きやすさ」、一つの事にとらわれない思考をする力。

所謂思考力と呼ばれているものの中身は、これで大体網羅できていると思う。

世の中、思考力がある、と言われる人は少なくないが、そう言われる人でも、例えば、思考筋力はあるが思考瞬発力は無い、という人も普通にいるだろう。なんとなく、学者は思考瞬発力より思考筋力に「振って」いる人が多そうだが・・・

司法試験は、2時間でそれなりの量の処理が要求されるから、思考筋力を主軸とする建前がありつつも、思考瞬発力も要求してきている。また、論文8科目+短答という長丁場にすることで、ガッツリ思考持久力も要求してきている。それ故、思考筋力では勝ってる人が、思考瞬発力が無いばかりに落ちるとか、そういうこともある。

ロースクールで行われるソクラテスメソッドは、思考力を鍛えると言われている。
「すぐに答えを言わず、悩ませる」ことを目的とするソクラテスメソッドは、本来思考筋力を鍛える方法だと思うのだが・・・・・・現実の運用は、どちらかというと思考瞬発力を鍛える方法になって居る気がする。まあ、それでも良いんだが。


それにしても、この5つの思考能力のうち、「思考の柔軟性」だけは独立した市民権を得て、他は「思考力」で括られてしまっているのは何故なのかしらん。



  • このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2014年12月12日

年に何回か見るのだが。

駅の自動改札で、タッチミスでゲートがしまったとき、自動改札機の中から何度もタッチし直してる人。タッチし直してるのに自動改札機が反応せず困っている人。


あれは、自動改札機の中でタッチしなおしてもダメなようである。もしかしたら鉄道会社によっては中からタッチし直すことができるのかもしれないが…少なくとも、JRはそう。一回改札機から出るとエラー表示が消え、そこでちゃんとタッチし直せば通れる。そういう仕組み。

これを知らないでタッチし続けている人を見たら、「あ、一回出ないとダメっすよ。」とアドバイスしてあげる様にしている。これは、知識を持てる者の義務とも言えよう。困っている人がいて、それを簡単に助けることができるのだから。

・・・が、実際には、アドバイスできないことが多い。
それは、俺が声をかけようとしたときには、ゲートを無視して「突破」して行ってしまう人が非常に多いからである。何度かタッチし直してから諦めて突破するまでの時間は3秒無いぐらいだから、俺が声を発しようとしても、その頃にはその人は立ち去ってしまっているのだ。


まあ、気持ちはわからないでも無い。

だがしかし、ゲート無視というのはそれ自体乱暴な行為であるし、ゲートが壊れやすくなる。ゲートが壊れやすくなれば、それは結局電車の運賃に跳ね返ってき得るのだから、普通に迷惑行為である。また、タッチしないで出てしまうと次に入場するときもエラーが出ることになり、本人にとっても煩わしいことが起こる。要するに、誰にとっても不合理なことだ。

そういった不合理さをなくすために、俺はアドバイスをしようと心に深く決意し日々を生きているわけである(誇張)。


ところで、「読み取りし直すためには一回自動改札機から出ないとダメ」というのを俺が知っているのは、俺が過去の経験から学んだからである。具体的に言えば、俺がゲートに引っかかって、そのときに「一回出ないとダメですよ」と人からアドバイスされた経験から学んだからである。

これについては、自分のことながら教訓めいたことを感じる。

まず第一に、「失敗したからこそ知ることができた」ということが、世の中にあるということである。
うっかりミスの多い俺は、きっと人よりちょっとだけ多く失敗を知っている。だから、それに対処する知識を得る機会も多い。

第二に、失敗から学べるかどうかは運の要素もあるということである。
俺は、あの時、たまたま「どうすれば良いか教えてくれる人」がその場に居たから、それを知ることができたのだ。どうすればよいか知っている人がその場にいるかどうか、居たとしてもその人が教えてくれるかどうか。これは運に左右される事象である。

第三に、矛盾するようにも思えるが、運を引き寄せるかどうかは自分の行い次第ということである。
確かに俺は今、「どうすれば良いか知ることができるかどうかは運次第だった」と述べた。しかし、教えてくれる人がその場に居たとしても、俺が「ゲート突破」を選択する性格の持ち主であれば、あの時教えてもらうことはできなかったであろう。俺がゲート突破をしなかったからこそ、あの時、教えてもらう機会を得られたのである。そこにある「運」を最終的に使えるかどうかは、その人の選択、性格、感受性といったものに大きく左右されるのである。


  • このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2014年12月09日

最初に断わっておく。

俺は、言葉は伝わればよく、「誤用」「文法の誤り」をいちいち指摘するのは愚かしいという考えの持ち主である。「法学徒にあるまじき姿勢だ」との批判はあろう。言いたいことは分かる。確かに、言葉を正確に使うことは、法学徒の基本姿勢なんだろう。それぐらいは、バカな俺でも理解してる。答案を書くときは、幾ら俺でもこんな乱暴なことは考えない。

だがちょっと考えてほしい。

「言葉を正確に使わなければならない」のは、結局、「正確に使わなければ、正確に伝わらない」のが通常だからである。俺とて、正確に伝わらないような言葉の使い方を認めるわけではない。

「言葉は、伝達のため道具(手段)である」という考えが前提にある。
手段は目的に従属する。「伝達」という目的が達成されるなら、それで良い。伝達機能が果たされているにもかかわらず、いちいち言葉の誤りを指摘するのは、かえって円滑なコミュニケーションを阻害する。それでは、いったい何のために言葉を使っているのかわからなくなる。

「後で後悔するぞ」「着れる」といったあたりの言葉の使い方の誤りをいちいち指摘する意味は無い。「設立」を「せつりつ」、「新しい」を「あたらしい」と読むのはかつては誤用だったのかもしれないが、今やこの読み方を誤用という人は居ない。時代の流れとともに「正しいとされる言葉」は変わってきたが、ここにいう「正しさ」とは「相手に伝わる」ということである。そう、とにかく正確に内容が伝わればそれで良いのだ。

================

さて、いちいち言葉の誤りを指摘することに意味は無いという思想を持つ俺ではあるが・・・それはそれ、これはこれ。書道師範の息子故、「言葉」の本来的意味や、漢字の読みというものには興味を持つよう育てられてきた。

今日取り上げるのは、「素読」である。

素読は日常用語とは言い難いが、司法試験界では割とよく聞く言葉である。

では、「素読」はなんと読むのか?



国語辞典的には、「そどく」である。「すどく」ではない「すよみ」はある
ただ、受験界では、「すどく」と読む人も非常に多い。
因みに某漢字クイズでは「そどく」と読んだ人が56%で「すどく」と読んだ人が42%なので(残りは「もとどく」)、「すどく」が国語辞典に載るのも遠くない気がするが・・・。

「すどく」と読む人が多いなら「すどく」も正解じゃ というのが俺の思想だが、もう少し踏み込んでみよう。

素読とは、国語辞典的には以下の意味を持つ。

「書物、特に漢文で、内容の理解は二の次にして、文字だけを声に出して読むこと。」


これが、素読の本来的意味である。
しかし、受験界でいう素読は、明らかにこういうことじゃない。
受験界でいう素読は、

「何も参照せず、条文だけを読んで意味を考えていくこと。」

として捉えられている気がする。しかも、ここにいう「読む」は、通常黙読である。これは国語辞典の意味から離れすぎている。もはや素読じゃない。


では、ここらでそろそろ「妄想力」を右翼に、「創造力」を左翼とし、空想という広大な世界に羽ばたいていくとするか。

恐らく、素読(すどく)は、司法試験受験界用語なのだ。

「素読」(そどく)は、意味を考えない音読。だって辞書にそう書いてある。
「素読」(すどく)は、意味を考える黙読。だって皆そういう意味で使ってる。
言葉は相手に意味が伝わればよい、道具に過ぎないから、「皆がそういう意味で使ってる」という理由づけは実は強力だ。

「蓋し」や「差支え」のように、業界での意味と国語辞典上の意味が異なることはある。また、わざと本来とは異なる読み方をする例もいくらでもある(とがりょう・あやまちりょう、ぶつ・しゃ、きさだ・きほど)。

つまり、司法試験界用語としての素読は「すどく」と言うべきなのである。
素読を「すどく」と読んだことに対して「それ本当はそどくって読むんだよ」と言ってくる人が居たら、「そどくって本当は意味考えないで音読することなんだよ?受験用語的にはすどくでOK」と言うカウンターが可能である。


up488927s














  • このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote