2020年05月10日

一時、引っ越し

 
一時、紙と波:別室 として note に仮住まいしています

とくに面白いことは書いていません
取材してないと面白いことは全然ない人間なんですが、
そのつまらなさにご興味ある方がいれば…


https://note.com/kamitonami/m/m0f7ac7125edc




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2020年03月01日

劇場

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コロナウイルスというものが日本中に広がって、
感染を防止するために、先月から各種、イベントや公演が中止になっている。
国の要請に皆従っているのだ。
私が行こうと思ってチケットを買っていた演劇が
4本、中止になってしまった。
ショック。

かろうじてぎりぎり見ることができたのが
「天保十二年のシェイクスピア」と「ヘンリー八世」。
もうちょっと見る日を遅らせていたら見ることができなかったかも。
危ない危ない。
蜷川幸雄さんに関係した2本、なにか符合を感じてしまう。

もちろん見られなかったものもすごく残念。
払い戻しする気力がわかない。

でも主催者や俳優やスタッフの苦しみを思えば
見られなかったことなんてたいしたことない。
初日目前で全公演中止もひどいし、
あと数日で千秋楽だったのに突然終わりっていうのも
残酷だ。
気持ちも身体も動きがとまらないと思うもの。
あれだけ激しいものをやってたらねえ・・・。

大きな公演ほど中止の判断が早かった。
最初は、ライブ。
演劇は最初、国立劇場、新国立劇場と、国立系から中止を発表して、
劇団四季、
KAAT、東宝、芸劇、さい芸、ホリプロ、コクーン、
世田谷パブリックシアターは、初日前だったからぎりぎりまで発表されなかった。
宝塚もちょっと遅かった。

本多劇場のKAKUTAは最後までやっていた。
下北沢はやっているようだ。

大・中の劇場だって損害は大きいだろうが、
小劇場は中止したらきついだろう。


私も芝居見て取材して書く仕事がとんだ!
日月火の3日間、自宅作業にすることにして
食料を買い込んだ。

すっかり意気消沈した今日3月1日、
野田秀樹さんが、劇場は開けるべきだという表明をだし、
平田オリザさんとケラリーノ・サンドロヴィッチさんが続々連帯Tweetをした。

野田さんの表明はサイトのサーバが落ち続けているようで
見れないが、毎日新聞がすかさず載せていたのを読んだ。

私はなんにもできないけど、
そのとーり! と思う。


陰謀論みたいになっちゃうけど、

こうやって、外に出ず、人と会わず、
籠もっていると、
気持ちが萎えて、
どうでもいい気分になってしまう。

籠もっているだけじゃなくて、
景気が悪くて、
やってきたことが報われなかったりとか、
そういうことが続くとヤケになってくる。

なんかもう長いものに巻かれようかという気にもなってしまう。
不正と戦う気力が萎える。

外に出て
同じ志の人と会ったり、
勇気をもらえる作品を見たりしたら、
再び元気になれるかもしれないのに。

言葉を交わしたらヒントがもらえるかもしれない。
助け合えるかもしれないのに。

家に籠もっていたら、
判断力や生きる力が失せていく。

静かな静かな統制ではないか。これは。

なんて思って怖くなってきた。


だめ

負けない

がんばる


自分という劇場を開け続ける。なんつて。


※写真と本文は関連性はありません
 










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2020年01月24日

またひとり

まついなつきさんが亡くなった。
というお知らせをツイッターで読んだのは1月22日。
亡くなったのは前日だったそうだ。

相互フォローしていたまついさんのツイッターが
本人ではなく三人の息子さん名義で書かれるようになったのは
今年のはじめ。

去年、まついさんは体調が悪くなって入院されていたようで
それもツイッターで知った。

何も知らずに
夏、急にまついさんに会いたくなって、
涼しくなったら会いにいきますとメールして、
そのまま涼しさを超えて寒くなってしまって、
そうしたら入院されて退院して自宅療養されている様子が
Tweetされていて、気になりながらも、なかなか連絡できずにいた。

楽しく食事療法をされている様子が綴られていたので、
こんなふうに突然会えなくなってしまうなんて思っていなかったのだ。

昨年暮れ、まついさんがTweetした言葉がすごく心に響いて、
返信した。

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「何も残さず死にたいなあ」
「実物の私のことを覚えている人がいなくなったら、ワタシの書いたものも消えるくらいのレベルで書いていきたいと思います」

なんて潔いんだろうと憧れた。

私も死ぬときは何も残さず迷惑かけないようにしたいと常々思っているけれど、
一冊でもいいから死んでも残るものを書きたいとはいじましく思っている。

自分が死ぬと祖父も祖母も叔母の記憶も誰も残らなくなる。
とりたてて世間の役に立ってなかったとはいえ、あの人たちの人生を誰も覚えていない、誰も知らないなんて哀しいことだなと思ってしまう。
とくに叔母はほんとうに誰ともつながりがない、いまでいう引きこもりのような人生だった。そうだ、
ニート、引きこもり、子供部屋おばさんとかいうのの走りである。

なんのために生まれたのか。
そう思うと、夜、泣いてしまう。
自分が取り返しのつかないことをしてしまった気がして。
もし子供を生んでいたら、記憶をつなぐことができたのにとか。

でもまついさんは違っていた。


まついなつきさんは80年代、サブカルが最も華々しかった時代の寵児のひとりで、
漫画を描いて、コミックエッセイを描いてベストセラーを出して、
その後、占い師になった。

たくさんの人と交流があり、活躍してきた方だから、惜しむ声がSNSにたくさんあがっている。
そのなかで、数年前のものがRTされていた。

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この頃からまついさんは信念をもっていたんだなと思う。

子供がどんどん育っていって、違う人になっていく。記憶にある子どもはもういない。
それこそ「生」の瞬間性。

瞬間がすべて。

記憶なんて曖昧なものだ。


まついさんがそう思っていたかはわからないけれど、以下は私の考え。

亡くなった人の思い出を語るとき、それが正しいかわからない。どうしても語る人の主観になってしまう。

死んでも残る物を書きたいと思ってしまう私だが、死んでから手紙とか日記とかメモを晒されるのは絶対にいやだなあと思っている。本当の作家は死んでから読まれることを織り込み済みで、日記を書いているに違いない。手紙もそうなのだとしたら業が深い。
この時点で、日記や手紙が第三者に読まれることを考えてない時点で私は残るものを書ける可能性が限りなく低い気がする。今日これから、誰に読まれても恥ずかしくないものをいつでもどこでも書いていきたいと誓う。

ああ、話がずれた。私の決意なんかどうでもいい。

亡くなった人の思い出話が、語る人のために盛られてしまってないかと思うことが最近ある。
誰とは書かないけれど。
でも語らないと、忘れられてしまうという気持ちもあるかもしれない。

少なくとも、話している人はいいが、知らない人がその話を聞いて、まるで伝言ゲームのように、
亡くなった人の記憶が変容していく。
そんなんだったら、まついさんの思うように、「私のことを覚えている人が死んでしまったら欠片も残らないように」というほうが美しいのかもしれない。


こんなことをつらつらと書いてる私はまだ生きている。

まついなつきさんは私より年上だけど、才能があって、まだまだ生きて、書物を残してほしかった。

どうして何もできない私が生きているんだろう。

でもいまの私はまついなつきさんのおかげで生きているともいえるのだ。

何人かの恩人がいて、まついさんもそのひとりだ。

まついさんは私の大先輩。
80年代、サブカル雑誌で大人気の漫画で、私は読者だった。
いま以上に何者でもなかった私が、いろいろあって、演劇ぶっくのライター募集に応募したとき、
編集長の坂口さんが、私の絵を見て、まついなつきさんみたいなものを描いたらどうかと言った。

まついさんは演劇ぶっくでイラストレポのようなものをやっていたのだ。
私もちょっとやってみたけど、まついさんのような思い切りのよい面白いものはできなかった。
それからずっとまついさんは憧れの人だった。

実際会ったのは、21世紀になって2010年代である。
まついさんが占い師をやっているのを知って、占いをしてもらうことにかこつけて会いにいき、
演劇ぶっくの話をしたら、親しくしてくれた。
ちょうど「あまちゃん」が放送されていたときで、まついさんも私も「あまちゃんファンブック」に寄稿していたという接点もあったので、タイミングが良かった。

私がまついさんと同じくイラストと文章を生業にしていたこと。
まついさんの元旦那さんと同じ職業の人との関わりに悩みを抱えていたこと。
などなど、私がこれまで誰にもちゃんと話せず相談できずにいたことが、
まついさんになら話せ、相談に乗ってもらえた。

その結果、仕事を選び、テレビドラマのことを書く仕事を選んだ。

おそらく、私が仕事に対して満足してなくて、このまま仕事を中途半端にしたら結局爆発することに気づいていたのと、女が仕事を頑張りすぎたときのある種の男性の微妙な感情を実感としてわかっていたのだろう。そのへんの話はすごく共感できた。

でも、「暗示かけちゃったね」と言われたこともあって、
まついさんのアドバイスが絶対的に正解だったということでもないんだと思う。

私がずっとぐじゃぐじゃ言うだけでちっとも何も決めないから、私の置かれた状態がよくわかる先輩としてひとつの道を示してくれたのだろう。

おかげで私は、ドラマに詳しいライターとして、朝ドラの新書も出せて、この不況な時代にまだなんとか生きている。ちなみに新書を書けたのは、編集さんを紹介してくれたライターの近藤正高さんと、
「なにがなんでも一冊書け!」と励ましてくれた書評家の豊崎由美さん、そもそも朝ドラレビューを書きたいと言ったとき快くやらせてくれた編集者のアライユキコさん。私をドラマのライターとして雑誌やイベントに参加させてくれた宇野常寛さんである。サブカル全盛時代、その中心には届かず、底辺でも全盛だったからなんとか生きてきた私が、サブカル時代が終わってしまって中心の人すら困窮し、底辺じゃもうどうしようもなくなってのたれ死ぬか、まちがえて 結婚してもっとひどいことになるかしそうだった2010年代の私を作ってくれたのはこの人たちだと感謝する。


憧れの同業者としての先輩まついさんにせっかく会えたから、私も頑張ろうと思ったが、まついさんとはやっていることが似ている部分もあるとはいえ、まついさんはベストセラーも出しているし、3人の子供も生み育てていて、私なんかの何百倍も才能と生命力があった。漫画における自分のさらけ出し方とかもすごかったし、知性と教養があったうえでの創造の飛躍。占いの講座とかお店とかやって、そこでも人を育てていたし、彼女が亡くなっても彼女のしたことは残るのだ。

でもやっぱり、まついさんが生きて、大きな瞳でこちらを見て、明るいけど思慮深い声で話をしてくれた瞬間はどんなに語っても書いても、そのものではない。その瞬間一緒に過ごした人にしかわからない。だからこそ思い出は泣きそうに大事なんだ。



去年亡くなった年下の同業者と、今年亡くなったまついさん。
このふたりは、私が本音を話せる数少ない人たちだった。
しかも断然、才能のある。

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2020年01月10日

北海道、沖縄、なまはげ

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北海道には何度か行ったが、海を渡るので、遠くてなかなか行けないイメージがあった。
それが朝ドラ「なつぞら」の取材で十勝に行ってからはそんなことないような気がした。
なにごとも慣れなんだろうなあと思う。

昨年(19年)暮れ、札幌に2泊3日で行った。
今日公開したヤフーニュース個人の記事↓ の取材のため。

/>https://news.yahoo.co.jp/byline/kimatafuyu/20200110-00158227/?fbclid=IwAR1fkEPpw0remq3JW2OmWBAS-nxoqFm28yT6IM-XGuXhm5K4uw34m2Rg_4I


野田秀樹さんが総監修している「東京キャラバン」in北海道 の公開ワークショップを取材できることになったので大喜びで行った。自腹で。

どうせ自腹なんだから、取材の前後、十勝にまた行ったり、NHKに挨拶に行ったりしたかったのだが、前後は仕事が入ってしまい、ただひたすらにワークショップを取材して終わった。

夜は、雪まつりのイルミネーションを散歩して、道端で熱々の焼きとうもろこしを買って食べたり(じゃがバターは売り切れていた)スープカレーを食べたりしてささやかに楽しむことができた。

なんといっても、野田秀樹さんが演出する、アイヌの舞踊と沖縄の舞踊となまはげと木村カエラさんのコラボが見られることがなによりも意味があるわけで。
しかもプロセス。稽古場好きな私にはたまらない経験である。
それに、アイヌの博物館とか北海道の歴史博物館とかなかなか行かない場所に行けたのも良かった。


記事にも書いたが、野田さんは、東京キャラバンを最初にやったとき、アイヌと琉球の歌と踊りを出会わせてこれを北海道でやりたいと思っていたのだそうだ。今回はアイヌの楽曲を中心にして、そこに沖縄やなまはげや木村カエラさんや人形劇が加わった。

アイヌと琉球の邂逅を歌と踊りでやるっていいなあと思った。
似てるところと似てないところがあったけど、すごくいい感じに混ざっていた。
アイヌの舞踊はプリミティブな感じがあって、琉球の舞踊はちょっと能みたいな感じがあって、
それらがまざると神がかる。
そこにナマハゲも加わって。ナマハゲは神様だそうで、ここにいろんな神様が集まっているような
気がした。

私は「森は生きている」というお話が好きで、子供のとき最初に見た舞台はそれか「ふたりのロッテ」のどちらかで、その2作の影響でお芝居が好きになったのだが、「森は生きている」は1月〜12月までの神様が森に集まる話だ。野田さんの作った世界はそんな雰囲気や、11月に出雲に日本中の神様が集まるとかそういうイメージを私は浮かべた。
京都の吉田神社にも全国の神様が輪になって祀られている。そんな感じ。


今日、その記事を公開したら、昨日、沖縄出身の脚本家・上原正三さんの訃報が出て、
代表作「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」が無料公開されていたので見た。
昔、見たっきりで、久しぶりに見た。
そこに出てくる少年は北海道の江刺出身という設定だった。
江刺。東京キャラバンin北海道でも少年シンガーによって江差追分が歌われる。

上原さんは沖縄出身者としての問題意識を子供番組に持ち込んで、社会性の強いドラマを書いていた作家。沖縄というワードがまず頭に浮かぶけれど、そうか「怪獣使いの少年」の少年を江刺出身として書いてたのか…。これがちょうど野田さんが琉球とアイヌの楽曲を合わせたこととリンクするようで、なんだか今日は不思議な夜だった。


外は満月。


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2019年08月03日

多様性とはなにか(まじめか

今日は東京芸術劇場で「お気に召すまま」を見た。
これまでいくつか「お気に召すまま」を見たけど、これはかなりの艶笑劇になってて面白かった。
ロザリンドの満島ひかりは「江戸川乱歩」の短編で明智小五郎をやっていたときも、男とか女とか関係ないし、中性的というわけでもなく、誰でもない唯一無二の人、という感じで良くて、今回も男装したときのギャニミードがよかった。

性も年齢にもこだわらないキャスティングによって、「お気に召すまま」というタイトルの意味がしっくり来たように感じたりもして。

美術とかちょっとしたはっとさせる間合いとか、演出家・熊林弘高さんの才能を感じ(「かもめ」とか「狂人なおもて往生をとぐ」とかもよかった)て楽しんだのだが、わたしにとって「お気に召すまま」は蜷川幸雄演出作が大きくて、それが基準になってしまっているので、蜷川演出作が見られないことを
また寂しく感じた。よく言われることだが、脚本は残るが、演出家や俳優は亡くなったらもう見ることはできない。

ほんとうにそうだなとしみじみ思う。
蜷川さんの演出ってほんとうに誰が見てもわかるようにできていたんだなあと思う。
今日、休憩時間に初めて見たらしき観客が、ああでこうでと確認していて、わかってないようすだった
のだ。冒頭、説明もしているにもかかわらずだ。
たしかに、あんまり説明しないで、感性に訴える表現の部分も多く、でもそれが個々の表現であり、
みんなにわかってもらおうとしたら、同じようなものになってしまう。
そういう意味でも蜷川作品は稀有で、わかりやすいのに、芸術性もあって、感情も揺さぶられて、
誰もできないものになってた。
わかりあいたいっていう希求のものすごい強いひとだったのかなといまさら思う。


今年は、秋に「カリギュラ」も新たな演出、キャストでやるから、小栗旬さんが蜷川さんとやった2作が、後輩である若手俳優によって更新されてしまうんだなあと思うと、不思議な気分になった。
オーランドーは事務所の後輩・坂口健太郎さん、カリギュラは「銀魂」などで共演している菅田将暉さん。小栗さんは、蜷川実花さんの映画「人間失格」に主演したり、新たな道を歩んでいるし、令和になって、みんな前進していくんだなと思う。

生きてる限りは終わらない と、この間、知人がLINEで書いていた。
生きることは、動くこと、進むことなんだけれど、
過去にとらわれていることは、生きてることにならないのだろうか。

この間、朝ドラ「なつぞら」で「うちは思い出を捨てない店ですから」と言うセリフがあって、
わたしはそれが好きだった。
その前にも、古いものより新しいものを選ぶ、夕見子の駆け落ち相手にたいして、「人それぞれ、大事にしてるものがあるのは当たり前のことじゃないですか。それを人から、古いと言われるのはおかしいです」となつが反論するのも良かった。

このドラマの登場人物は、過去を大切にしつつ、立ち止まってはなくてしっかりいまを生きてるたくましい人だ。

ただただ過去ばかり見る、古いものが好き、っていうのは単なる老化のようにも思うが、それだっていいじゃないかとわたしは最近思っている。

「欲望という名の電車」のブランチが妄想の世界に生きていてそれが悲しくも美しく愛おしいように、

ダイバーシティ、多様性が謳われるいま、何が好きか何をして生きていくかも人それぞれ、多様性を認めてほしい。

他人の人生を損なうことさえしなければなんだっていいではないか。


ウェブのしごとが増えてだいぶ経って、実感するのは、絶え間なく活動続けないということ。
つねに発信していないと、すぐに取って代わられ、忘れられる。
みんなよく疲れないなあ。それとも、疲れてるのかなあ。

わたしは毎日朝ドラレビューが5年目に突入していて、これだけは止まってない。自分でもびっくり。
これだけは止まってないんだからほかは止まっていてももう許して、という感じなのだが、
もっとあれもこれも平行して走らないといけないのがいま。
ほら、ダブルワークの時代とか言われるじゃないですか。
結婚してこどもができて働いてる人なんて、すでにダブル。


ひとりで、何本もの道を同時に走る体力のある人が生き残る世の中だけど、

一本で後ろ見て、止まっている人がいてもいいじゃないですか

とりあえず、

朝ドラレビューは休まず、
もう一本は後ろ向いてる

という感じです 最近は


あ、2拠点生活もしてるから、止まっちゃいないな。



















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2019年05月10日

デスブログじゃないよ

最近のドラマは、日常疲れてるから、リアルな鬱々したものは見たくないという人が多いらしい。
ドラマに限らず、SNSもそうで、鬱々したつぶやきは好まれないと思う。そもそも、そんなことは当たり前で、日常でだって、浮かない顔と口ぶりの人は好かれない。

だから、以下の文章はちっとも楽しくないので、楽しいものを読みたい人は読まないでくださいね。


なかには、人の暗部が好物な人がいて、心の黒い手帳をどんどん開陳していくといいと勧めてくれていた人もいた。

その人がこの間、亡くなった。

思えばこのブログは誰かが亡くなるときばかり更新されている。デスブログか。いや、別にここに書いたから亡くなるわけではなく、誰かが亡くなったときに落ち着かない気持ちを書いているだけだ。

亡くなった人は私より若く、私よりもずいぶんと才能があると思っていた人だ。
訃報がヤフトピにもなって、惜しむ声がSNSを駆け巡っていたし、亡くなる原因のひとつであろう病気をされたとき、お友達が募ったお見舞い金もずいぶん集まったようで、やっぱりその才能を買っていた人は少なくないのだろう。

ヤツが才能を煌めかせたのはもう25年くらい前だ。95年に出したアーケードゲームに魅入られたゲーマーたちの青春を書いたノンフィクション。
「神の視点をもった男が現れた」と、私が尊敬してたライターの先輩が興奮気味に教えてくれた。
実際、その文章の速度と熱は神がかってたと思う。まだ十代だったか、二十歳になったばかりくらいだったのかな。
当時私もゲーム雑誌の仕事をしていたこともあったからか、いつの間にか、その作者と知り合いになった。書いてるものと同じで、神の視点(要するに上目線)だった。背も高かったし。いわゆる若いのに生意気というのは一部の人に好かれるもので、みるみる業界のえらい作家や編集者に引きあげられて、活躍していた。

この24年間、私はその本を家の本の断捨離を行うたびに、断捨離しないで残して来た。私もこういうの書いてみたいと思っていたからだと思う。

ただ、その熱と速度の文学性は断然魅力であったが、反面、性急で独善的という部分もあった。一度、編集部で、やつの原稿の校了中のときにすれ違い、「キマタフユのことも書いておいたよ」とか言うから、なになに? と見たら、飲み屋のおしゃべりをそのまんま書き起こしてて、この書き方じゃ私の業界での立場が悪くなるじゃないかというものだった。

まったく言ってない話の捏造ではないけれど、書き言葉で残すとニュアンスが変わって感じが悪いだけになることは往々にしてあるもので、しかも文脈無視して一言だけ切り取るというのは、文筆業者としてかなり危険な行為である。それを彼は嬉々としてやっていた。確かに、私のそういう言葉があれば原稿に生々しさが増すのはわかる。でもそれによって私と関係性の悪くなる人が現れるかもしれないということをまったく考えず、文が面白くなること、生き生きすることだけを優先していた。

私の心の黒い手帳を面白がる人だったから、ブラックキャラを確立させてくれようとしたのかもしれない。
注目若手ライターの渾身の原稿に私の名と発言も入っていて、その時代のアニメ業界(ゲーム以外にアニメの仕事もしていた。この頃、アニメとゲームは今よりも近かったんじゃないかと思う)の歴史のなかに存在できるという価値よりも、私は関係性を選んだ。それはいまでも間違ってなかったと思うし、事前に対処できた私も運がよかったと思う。

幸い校了中だったから、絶対外してくれと訴え、当人は直すことに対して不満は述べつつも了承したにもかかわらず、なぜか担当編集者にブチ切れられ、そのあとその編集者に私はあからさまに無視されるようになった。いまならパワハラで訴えられるだろうが当時は理不尽がまかり通っていた。

ここで亡くなった人を悪く言うつもりはない。編集者とは仲が悪くなったが(今思っても編集者に腹が立つ)、ヤツとはそのままふつうに友達だった。いわゆるヤンチャだけどどこか憎めない人であったから。

いまから4年くらい前に、神の如き衝撃のデビュー作が舞台化されたとき、脚本と演出をやった人とパンフレットで対談するにあたり、ライターを頼まれた。おれだって演劇界にも知り合いがいるんだぜという自己保身もあったと思うが(私は演劇ライターでもあったので)、私も呼ばれてまんざらではなく、Win-Winだったと思う。
実際、演劇界で伝説のアーケードゲームの物語の文脈を知っている人間は私くらいだったと思うし、舞台自体も面白かった。それについてはレビューも書いた。

訃報を受けて、その劇作家は、”誰かが書かなければこの世に残らなかった物語を、たしかに書き記された、”と書いていて、ほんとうにそのとおりだと思う。

三年前、七年に一度の御柱祭りのとき、昔のゲーム雑誌のしごと仲間のいる長野に遊びに行ったりして(写真はそのときもの)、旧交を温め、フェイスブックで時々やりとりしていた。また長野にも行こうと言い合いながら、なかなか時間がとれず、私はそもそも人付き合いがマメではないので(だから長野に行ったのは奇跡的)、そのままにしているうちに、事故にあって、それでも復活して、「君には生きる才能があるから、きっと大丈夫だ」と声をかけた。

生きる才能=書く才能 だったと思う。あの熱、あの速度、すべてをドラマにしてしまう、あのいい意味の思い込み。
本人にもドラマだし、関わった者もドラマの登場人物になる。「神の視点をもった作家が現れたぜ」と、私が超えられない面白い文章を書いてると思っていた人が感心して言ったときも、校了事件も、演劇での再会も、長野旅行も、すべてがドラマに見えてくる。地味な私にもあの頃、きらきらしたドラマがあったと思わせてもらえた。

最後にフェイスブックで私のタイムラインにコメントをくれたのは、4月半ば。
私が、帯広の神田日勝美術館に行ったことを書いたとき、育った街だとコメントしてきた。
神田日勝の絶筆の馬の絵が好きだとヤツはいぜん言っていた。その神田日勝をモデルにした役をドラマで演じている俳優は、あの舞台にも出ていたのだ。そんなコメントのやりとりをした。
それが最後だった。
私としては、君の好きなあの絵がいま再び注目されていて、作家をモデルにした役を、君の作品でいい役やってた俳優がやってるんだから、時代と君はまだつながっているよ、と言いたかったのだが、伝わりにくかっただろうか。

亡くなったあとに、生前行ったレアなインタビューを後輩のライターがまとめてアップしているが、本人の曖昧な記憶のみで書かれており、訂正する人が現れたりして、それはそれでまた盛り上がっている。
例えば、宮本常一の「土佐源氏」は、ある老人から聞き書きしたことがその老人の作り話ではないかというもので、でもベテランの宮本が裏も取らずに証言を鵜呑みにするわけもなく、あえてその老人の作り話を残したのではないかと言われている。その人の願望や妄想も込でその人を書き残すということも
尊いことと思うけれど、それは民間の伝承を遺すというアカデミックな行為であって、そこまで深い意味合いがない場合、やっぱり、確認をとってできるだけ正しいことを残すことが我々の仕事だ。
先日、出た「彼氏彼女の事情」のBlu-ray BOXのブックレットの、二十年前の制作状況を振り返るインタビューにおいて、スタッフ各々の記憶が曖昧で、それをあえてそのまま残している部分もあるが、そこに至るまでに
ずいぶんと確認作業を行っている。そのうえで、ここだけはあえて個人の思い出を優先しようと英断しているのだ。

ヤツは事故で頭を打って脳機能に障害が出てしまったので、リハビリの意味もあって少しでも昔の記憶を残しておこうとインタビューをしていたようで、それ自体は意義深い。読んでいると、思い出も浮かんでくるし、業界裏話も虚実ふくめて面白いし、いろんなことがあった24年間(四半世紀か〜)だなと思う。インタビューに昔の関係者たちが反応している様子を目撃している第三者たち、親しかった人、それほど親しくなかった人、通りすがりの人……みんな個々に想像を膨らませ、虚実入り交じったドラマが生まれていく。


ある劇作家が言った「誰かが書かなければこの世に残らなかった物語」を彼は最後にひとつ残していったのだ。




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2018年10月07日

失われていくもの、残っていくもの

なんと一年放置してたよ!

最後の記事が「ひよっこ」だったよ!

Twitter、Facebook、インスタやってたら、ブログに書くことなんかないよね…と
思ったけど、今こそ、ここ!と帰ってきました。

TwitterもFacebookもインスタもすぐにフォローされるので
うかつなことが書けない。

見知らぬ人で攻撃的な人だったら
ブロックやミュートできるが、
知り合い、仕事関係者にはそれはできず、
常に誰かに監視されてる感じがして落ち着かないのです。

SNSは誰かに読まれることを意識して書くのが当たり前なのですけど、

あちらを立てればこちらが立たずで、いわゆるSNS疲れですよ。もう・・・。

ブログだってオフィシャルなんですけど、
ここまで読みに来る人は少ないので・・・。


Yahoo!ほか、いろんなところで書く記事は
すごい読まれているのに、
Twitterもけっこう読まれているのに(インプレッションの数値とか高い)、
ここはほんとうにひっそりしています(笑


ちょうど一年前「ひよっこ」はすごくじんわり好きなドラマで、
いい気持ちで秋を迎えたのだけれど、

その一年後、こんなにも心身共に疲れるとは想像していなかった。


前にこのブログに、
私がとても冷たい人間で、
たくさんの人の役に立っている人こそ長生きするべきと
書いたことがある。
役に立つ、立たないってなんだ?という話になってしまい、
生産性があるないという話は、この数年で、
うかつに口にできなくなった。

私なんて、誰かをどうこういう前に、
極めて、生産性のない役に立ってない人間だから、
この世の中はありがたいと思わなくちゃいけないんだけど、
でもやっぱり、私よりも長生きしたほうがいいんじゃないかと
思う人が亡くなってしまったりすると、
申し訳なくなる。

といっていざ、自分が死にそうになったら
やっぱりまだ死にたくないと思ってしまうし、
困ったものです。


今日は築地市場の80年以上続いた歴史に幕がおりたそうです。

この間、京都の吉田寮を見学しました。
こちらも老朽化を理由に9月30日をもって寮生に退去命令が出ています。
住んでる人は、納得してなくて、これからも話し合いを続けようとしているようですが、
強い権力とどう闘っていくのでしょうか。
見学したら、古くて散らかっているけれど、時間の堆積が記された建物は
気持ちの良い印象で、確かにここがなくなるのはもったいないと思いました。


そこで思い出したのは、ベニサンスタジオのことです。
ちょうど来年の1月で、ベニサンが老朽化を理由に壊されてしまって10年が経ちます。
そこにあった稽古場や劇場がなくなりました。

蜷川スタジオのベニサンの稽古場での最後のエチュードは08年12月に行われ、
私はその記事を書きました。
http://www.ninagawastudio.net/Special%20contents/Last%20etude.html



築地を惜しむ人たちもたくさんいます。

惜しいものがどんどんなくなっていきます。

公的に重要な建造物もあれば、
ごくごく個人的な思い出の建物まで。

渋谷の古いビルの上のほうにあったお気に入りのカフェとかも
なくなってしまって久しい。

やっぱり古い建物をおしゃれな飲食店にしていたところが
日本橋のほうにあって、私が最初に就職したとき、同期のたまり場にしていて、
ちょっとトレンディドラマふうな感じがして気に入っていたんだが(笑)、
そこもあっという間になくなった。


いろいろなくなっていくと、すぐにチェーホフの「三人姉妹」のラスト・シーンを思い出して
しまう。

なんだっていつかなくなってしまい、忘れられてしまうけれど、
今を生きるしかないって、ざっくり言うとそういうことです。


わかるんだけど、
その消えていくものや、淘汰されていく、弱いものに、優しくありたいと、
日に日に思います。


優しさとは、易しさ でもあって、

自分の考えていることを、易しく伝えられるようになりたい。

井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
というやつです。

結局そこに行き着くのかなと思います。


あるドラマを見ていて、
なんて自分本位で意地悪なドラマなんだろうと感じる人がいて。
一方で、それをとても好きな人がいて、その作品の中から、とても
深いものを感じ取っている人がいて。
決して自分本位でなく意地悪でもなく繊細で深いものがあると思える人は、
とても感性が豊かで、洞察力が深い人なんだと思います。

でも、そう思えない人にこそ、わかってもらえるように
書くのも作家の役割ではないかと私は思いました。

「わかる人だけわかればいい」っていう考え方も好きなんだけど、
それは、ほんとうに微細な趣味レベルの部分であって、

人間の普遍性に関しては、
できるだけたくさんの人と分かち合えるものをと、
心身を使うことが選ばれた作家の仕事じゃないだろうか。

選ばれるというのは
特別にトンガッて高く伸びていく山のようなものではなくて、
選ばれるということは
より平たく広い、大地や海のようになっていくことじゃないかと
今年、私は思ったのです。


死ぬかもしれないことがあって
でも生かされたとき、
自分が特別なんだと思うことを私は恥ずかしく思う。


幸せになってはいけないんだと申し訳なく思って身を小さくして
生きろってことではない。


特別な人なんかいないってことを自覚していきたい。



私は今年話題になったあのドラマの存在意義は、
ああいうものを書くことを、受け入れた制作陣の心意気だったんじゃないかと思っています。

好き嫌いじゃなくて、わからないってことは避けるべきことで、
誰にでもわかるものにすることの弊害というのもあって、
わからなさが作家性だということもないとはいえないのだけれど、
もっとわかるように噛み砕いて描くことができなかったわけでもなく、
それをしないで、そのまま提示したのは、
わからないものを書く人もみんな同じ人間なんだという真の多様性に挑んだ制作スタッフの
偉業だったのではないかと思うのです。
それには頭が下がります。
なかなかできることではないですよ。

ほんとうに「多様性」という言葉は容易に使うものではないということも
しみじみ感じています。



そう、大地や海は平たいものではなく、深く潜っていくものでもあるのです。












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2017年10月01日

「ひよっこ」で私が好きだった回  

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写真は富田菜摘さんの作品。
黄色いだけで、ひよっこ とはかなり違うけれど。


毎日朝ドラレビュー(最近は、連続朝ドラレビュー と言ってます)を
書き始めて、5作目になりました。
「まれ」「あさが来た」「とと姉ちゃん」「べっぴんさん」「ひよっこ」
今年は、朝ドラ本まで出してしまいました。
その本に、登場していただいた、岡田惠和さんが脚本を書かれた「ひよっこ」。
9月30日(土)で、最終回でした。

前半を書いていらっしゃる時で、ドラマがまだはじまる前にインタビューして、
最終回を書き終えてからもインタビューして、と
細かく知りたいライターとしては、理想的な形になりました。
機会をくださった岡田さん、ありがとうございます。

https://otocoto.jp/column/columnist/kimata-fuyu-column/


朝ドラレビューを完走し、
制作統括と脚本家のインタビューをし、
スポニチで、総括記事を書き、

http://m.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/10/01/kiji/20170930s00041000337000c.html

と、今まで書いてきた朝ドラのなかで、
最もしっかり書いたような気がします。

「あさが来た」もムック本3冊に参加したけれど、
あくまで雇われ仕事であって、編集さんの意向があるもので、
今回のインタビューは、私がやりたくてやったものだから、
思い入れが違うのです。
誤解されると困るのですが、すべて全力でやっています。
ただ、自分発と他者発のものは性質が違うということです。



私の好きだった回を、
朝ドラレビューと共に振り返りたいと思います。


◯「ひよっこ」6話。
ただ稲刈り風景を堪能した
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170410/E1491720623332.html

土曜日は視聴率が低いとされる朝ドラでしたが、
『ひよっこ』はなぜか土曜日の視聴率が高いことがちょいちょいありました。
その最初は、第一週の稲刈り。
田園風景が和みました。ロケの広い画ってほんとうにいいな。


◯「ひよっこ」15話。
ちょうちんブルマで感動の聖火リレー
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170420/E1492616197568.html?_p=2

実話に基づいたお話で、地元に聖火リレーがこないなら、
自分たちでやってしまおうとみんなで一致団結して、実行する。
オリンピック自体を大きく描くのではなくて、
オリンピックに参加してない人のささやかな祭典を描いたところが良かった
これはずっと、「ひよっこ」の通奏低音になってますね

この前のレビューで、実際に走った方のインタビューもしました。



◯「ひよっこ」34話。
国家権力対共産主義者!
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170512/E1494517119628.html

私が一番好きなエピソード。
右と左は仲悪いものなんですが、
立場の違う彼らが一緒にラーメンを食べることって
理想だと思います。
全員同じ考え方になるんじゃなくて、
いろんな考え方があってよい。
それぞれの考え方、感じ方を、そういうのもあるねって、
認め合うことが素敵なんだと思うのです。



◯「ひよっこ」45話。
乙女たちが観た「ウエスト・サイド物語」と桑田佳祐の主題歌の関係
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170525/E1495645234189.html


おやすみの日に、乙女寮のみんなと、正義と雄大が海に行く予定だったが
雨で中止に。
でも、夕方、雨がやんで、海に行って夕日を観る。
素敵な青春の思い出ができる話。



◯「ひよっこ」53話
「ばかでいいじゃん」 涙で顔がぐしゃぐしゃで、外出できません
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170603/E1496419993069.html

楽しかった向島電機が倒産。
豊子(藤野涼子)が立てこもってしまう。
彼女の気持ちが痛いほど伝わってきて、泣いたなあ〜
ここが「ひよっこ」の第一のピークでしょうか


◯「ひよっこ」82話
「最高だよ、愛があふれてっぺ」
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170707/E1499358585575.html

「ひよっこ」第2のピーク
宗男おじさんが、ビートルズを観たくて東京にやってきて、
戦争の記憶から脱しようとする一連のエピソード。
最後は、妻手製のTシャツで、武道館の外で応援する。
チケット一枚手に入ったにもかかわらず、人にあげてしまうという
なんとももどかしい感じがまた良かったです


◯「ひよっこ」102話。
お父さんはやっぱり記憶喪失だった
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170731/E1501427868197.html

◯「ひよっこ」106話。
視聴率着実に上昇、高度成長期を描くドラマの決定版になる
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170804/E1501773073153.html


主人公の行動原理は、お父さんが行方不明になったこと。
そのお父さんがついに見つかるが、記憶喪失になっていたうえ、
ほかの女性と暮らしていた。
ドラマチックに盛り上がった第三のピーク



◯神回「ひよっこ」116話。
終戦の日、クイズに託された思い
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170816/E1502818230592.html


豊子がクイズ大会に出て、
東大生に勝つ、痛快なエピソード。
とにかく、鮮やかでした。


◯「ひよっこ」151話。
米屋の娘の恋が成就、おめでとう
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20170926/E1506351985938.html

伊藤沙莉さんと泉澤祐希さんの名演技で
とても楽しくなった米屋のエピソード。


米屋の娘は、いいとこもあるが、強引なので、
ともすると、いやな人になってしまうとこを、
伊藤沙莉さんが抜群の勢いで、そう思わせずに突っ切っていく。
実際いたらいやだけど、ドラマの世界には、こういう人が大事。
巧い人じゃないとできない。
伊藤さんには、泉ピン子みたいな俳優になってほしい。

現実世界にも、困ったことばかりするのに、
なんかにくめない人っていますよね
結局、行為の是非よりも人間力が勝るってことなのかなと思います。





エキレビ!「ひよっこ」レビューは、
10月2日月曜日、最終回です。


http://www.excite.co.jp/News/review/tag/%E3%81%B2%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%93/








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2017年08月30日

鳴りませんように

最近、残暑厳しいため、
夜寝られず、朝方ようやく寝るので、
8時の「ひよっこ」だけ見て、また寝る、みたいな
へんな感じになっていて困る。

昨日の朝は、まだ寝て3時間くらいしか経ってないのに
7時過ぎに目がさめてしまった。
ぼ〜っと、横になりながら、BSで「ひよっこ」を観た(聞いたって感じ)のだが、
傍らで、何か、ネットが騒がしい。
朝、J アラートが一部の地域では鳴ったそうで、
ミサイルがー ってことで、
8時の「ひよっこ」はニュースに代わってしまった。
毎日のレビューは、昼の放送を観て、オンデマンドで観て、書いた。

私がぼーっとしている間に、日本は大変なことに
なっていた。
これでは、私は、ぼーっとしたまま、
ミサイル落下に巻き込まれてしまうかもしれない。

大丈夫だろうか。
にわかに不安になってきた。

でも、ぼーっとしようか、しゃきっとしようが、
どうにもならない気がしないでない。


世間では、
こんな世の中だから、
大事な人と、
愛する人と、みたいな雰囲気が高まっている気がするのだけれど、

愛する人を失うかもしれないと思ったら、
うかつに愛する人など作らないほうがいい。

愛する人と共に地獄まで逃げるといえば、素敵だが、
離れ離れになったときの悲劇ったらないではないか。

先立たれるの悲しみを想像するより、
今を大事に、っていうのが、物語のパターンだけれど、

ああ、いやだ。
自分が先に死ぬならいいけど、
とにかく、好きな人と離れるのはいやだ。

だったら、特別な人は要らない。

「おれより先に死んではいけない」って歌う、さだまさしの「関白宣言」の
気持ちが、今こそよくわかる。




 

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2017年08月27日

ビジネスと趣味の間

https://www.cinra.net/news/20170825-makiyoko


ドラマ「セシルのもくろみ」(フジテレビ)に主演している真木よう子さんが、
コミケに参加する話が話題になっています。
こういう時、たいてい、賛否両論だと思うのですが、
ほぼ、否定意見ばっかりなところがすごいです。

コミケで写真集を売りたいので、写真集制作資金800万円を
クラウドファウンディングするというところに、
コミケを愛する人たちが、首をかしげまくったようです。

みんな、自腹で本を作って、参加しているのにっていう。

さらに、発表された、写真集制作スタッフがプロ中のプロばっかりで、
商業誌となんら変わらないものを、コミケで売るとは、
コミケの意義を理解してないんじゃないかという意見ですね。

わたしも、編集、北尾修一さんというお名前を見て、
太田出版の名物編集さんだから、
太田出版の企業ブース参加でやることじゃないのかな?と思ったら、
そういう疑問をもった人も他にいるみたいで、
その問に、Twitterで、インタビュアーとして参加する吉田豪さんが、
太田出版を退社されていると説明されていました。

よくわかんないけど、フリー編集さんになったのかな。

ざっとネットを見ただけなので、
具体的に言及しているものに出会えなかったのですけども、

出版社から本を出すと、取次会社を通さないといけなくて、
そこにお金がかかってしまうので、
コミケだったら、取次を通さなくて済む分、利益は大きくなります。


出版社だと、予算的に、企画が通らないものも、
取次を通さないことによって、可能にするという、志ある写真集であれば、
コミケで出すことに意味はあるように思います。


出版不況なので、なかなか本の企画が通らないのが現状です。
ある程度売れるものにしないと、企画が通らないため、
ほんとうにやりたいことがやれないなんてことは、出版にはざらにあることですから。


そういうふうにして、
日頃、予算がかつかつのため、安いギャラになってしまう、
作り手(フリー編集、ライター、カメラマン、その他スタッフ)の人にも、ある程度の支払いができる、ってことになるのであれば、
それはそれでいいことなのかなあとも思います。


でも、そのへんのことは全くわからないまま、
いまはただ、本来、それなりに収益を望めるであろう、メジャーな女優さんが組んだ
チームが、さらに儲けようとしているのではないかという疑心暗鬼が沸いてしまったのでしょうね。


すでに、叶姉妹や小林幸子などが、コミケに参加して、盛り上がっているので、
何匹目のどじょうを狙う芸能人視されてしまった。


コミケも巨大なマーケットになって、
オタクがビジネスになる時代なので(日本の政策にもなるくらいで)、
いろいろ関わろうとしてくる人は多いでしょうけれど、
そもそも、コミケの核たるとこにいる人は、
警戒心が強いというか、そんなに器用に、誰にでも心を開くタイプじゃない。
大事なものを共有できる人となら強く結びつくけど、だからこそ、
人を見抜く力も強いと思うんです。

私は80年代から90年代にかけてコミケに参加していて、
古い事しか知らないからえらそうなことは言えませんが、
根本的なところは少しだけはわかるような気がします。

と同時に、いまのコミケにおいそれと入っていけないものも感じます。

絵を描かなくなってずいぶん経って、
昔、いっしょにやってた人たちが、いまだにやっているのを見たり、
たま〜に、描きませんかって声もかけてもらったりすると、
(Twitterで旧友に再会したりするんですよね)
また絵も描きたいな、コミケにもまた参加したいな、という気持ちにもなるけれど、
ブランクがあるから、そんな簡単に、復帰できないだろうなって躊躇してしまうんですよ。
絵も下手になっているのと、やっぱりルールを1から知っていくことは、
並たいていなことじゃないなあと。とくに、こんなに巨大になっちゃうとね。

出てきたときは小さな村だったのが、いつの間にか大都市に発達していた感じなので。


話しずれましたけど、
真木よう子さんは、けして、にわか、ではなくて、
以前、ワニブックスのプラスアクトで、漫画家さんとの対談連載なども
やっていて、漫画が好きなことは確かなんだと思います。
作るものは、漫画本じゃなく、写真集なわけだけれど、
きっと、コミケを愛する人と、共有できることもあるのだと思います(思いたい)。


で、結局、何を言いたかったかというと、
今回の、炎上事件で、
比較して語られる、叶姉妹ってすごいなああってつくづく思いましたってこと。


明らかに、生きる世界の違いそうな、叶姉妹を悪くいう人がまったくいないって
なんなんだろう。

詳細はわからないけど、
世界をまたにかけて、自分たちの”美”で、人を楽しませている叶姉妹。
究極の、サービス業なんですが、
それには、肉体だけでなく、精神の美も研ぎ澄ませているんでしょうね。
そうすると他者を尊重することもできる。

で、サービスしながら、自分たちも楽しんでいる。

叶姉妹は、コミケ参加を、世界一周(してるかしらないが)とか、
ものすごいゴージャスな船旅(してるかしらないが)とか、
すこぶる美味しい食事とか、素敵なお買い物とか、凄い芸術鑑賞とか、
そういうことと等価な、体験にして、楽しみたかったのではないかと
思うんですね。

すごいものに、参加してみたい!という純粋な好奇心と、そのために
できるだけのことをするという、知性をせいいっぱい発揮する。

それによって、自分たちも相手も、楽しい。

これこそ、おもてなし の心なのかなという気がしています。


よく、住む世界の違いを語る例として、
「ベルサイユのばら」で、アントワネットが「パンがなければお菓子を
食べればいいじゃないの?」って言う場面が俎上にあがりますが、
真木よう子さんの場合「コミケに出す本の資金がなければクラウドファウンディングしたら
いいんじゃないの?」みたいに受け止められるような感じなのかな。

叶姉妹の場合、一緒にパンを作りましょう みたいな感じなのかな。


結局、他者の気持ちをどれだけ、わかろうとできるか、なんだなあと。
そのためには、たくさんの知識も必要だし、たくさん、相手の話を聞くことなんでしょうね。


銀座のママ的なとこに行き着いてしまうんだけど(笑)


ママ修行したい。



昔、こういう本をつくったことがあります。
内容の企画とか取材とかしました。
この本の表紙と巻頭カラーページの撮影した後に、妊娠されていることがわかったのですけども、
お腹を写しているのが意味深だなあって思ったのでした。
自己プロデュース能力のある、楽しい発想をもった方だと思うんですよね。





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