2017年01月03日

2017年

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最近、祇園祭の山鉾のミニチュアを集めています。
32基くらいあって、毎年1個ずつくらいなので、死ぬまでに集まらないかもしれません。
これもひとつのフィギュアですよね。
フィギュア的なものを集めるの、幼いころのサファリ動物いろいろ以来ではないか。


今年は酉年なので、鶏鉾を飾ってみます。
鶏っていうから、トップに鶏がいるかと思えばおりません。
丸いものがあるだけ。なんとこれ、卵だとか。太鼓(諫鼓)の中に入っている鶏の卵説。

「意匠は『古事記』の天の岩戸の物語に登場する「常世長鳴鶏(とこよのながなきどり)」に取材したものとも、あるいは中国古代の堯の時代の故事である「諫鼓かんこ」に由来するとも伝えられています」
京都文化博物館のサイトにはこのように描かれています。

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_matsuri_post/niwatorihoko/


「常世長鳴鶏」といえば、山岸凉子さんの漫画があります。こちら、とっても残酷で悲しいお話でした。

常世長鳴鶏は夜明けを告げる一番鶏で、鳴くと、夜に生きるものは消えなくてはならない。
「ハムレット」でもおとうさんの亡霊が、鶏は鳴いたら消えてしまったと思う。
漫画の鶏は、闇を罪にかけています。罪が明るみになるんですね。

いずれにしても、強烈な朝日を呼ぶ鶏なんでしょう。

今年は明るい年だといいなあと思います。

昨年はいろんな人が亡くなり過ぎた。

私には蜷川幸雄さんが大きい。
このブログ、蜷川さんのお葬式以降書いてなかったし。

蜷川さんのあとを追うように平幹二朗さんが亡くなったのも
衝撃的だった。


荒戸源次郎さんが亡くなったのも残念。

亡くなったおばが好きだった中村紘子さんとか、
デヴィッド・ボウイにプリンスにピエール・バルー
枚挙にいとまないとはこのこと。


ちょっとネガティブに考えると、みんな、パラダイムシフトをはじめたこの世に嫌気がさしたのではないかと
思う。

自然災害は多いし、争いはなくならないし、いや増えている気がするし、
流行してるものも、悪くはないのだけれど、好かれるもの幅が狭くなっている気がする。
許容量が狭くなってしまっている感じ。
いわゆる閉塞感なのかなあ。


死について、昨年の暮れにふと考えた。

雨宮まみさんがまだ40歳なのに亡くなったときだ。
自分の女性性について深くみつめ考察する知的なひとで、
40歳を迎えるにあたってもいろいろ考えるところがあったようだ。
直前に、死についての文章も書いていたから、死因をいろいろ勘ぐる人もいたみたい。

私は彼女と知り合いじゃないんだけど、
あるとき、ふいにフォローされて、
有名人にフォローされたけど間違えちゃった(間違えてフォローボタン押しちゃった)んだろうなあ、
ってつぶやいたら、
共通の知り合いの編集者がいるからって返信をくれた。
わたしも大概自意識過剰で、自分を守ろうとするタイプなんだけど、
雨宮さんはそういうことに敏感な人なんだろうなあ、と思った。
その敏感さが文章の緻密さに現れていた。
繊細も繊細なひとは、自分以外のことにも繊細になれる。
凡人の繊細は自分のことでいっぱいいっぱい。そこが作家になれるかなれないかの差かなと
思う。

だから40ということに想像を超える何かを感じていたのかもしれず。
本当のことはわからない。
でも不運だっただけじゃないかなと思う。
でも、死について突き詰めると、呼ばれてしまうことがある。
大きな事故にあって生きながらえたものの作家活動は長期休業されている岡崎京子さんも、
事故にあうころ、作品がすごい深いところにいってた。

「カイジ」の鉄骨渡りに果敢に挑み、向こうに行こうとして、ちょっとした拍子に堕ちてしまう。

ある人に聞いたら、ふつーは渡らないらしい。
渡る人はやっぱり特別なのだ。
それだけ特別だから、渡りきる可能性もあるんだけど・・・志半ばで落ちてしまうこともやっぱりある。

あ、「カイジ」の例より、エベレスト登頂を例にしたほうがふさわしかったかな。


何にせよ、壮絶なところにチャレンジする人たちは死と隣合わせだ。
いつもギリギリのところにいて、2016年の空気が、そういうスゴイひとたちを、
ふっともういいか・・・って気分にしちゃったんじゃないかなあと妄想。


そんななかで、何も生み出さずぼんやり生きてる自分が恥ずかしいんだけれど、
あまりに何も成してないので、
あとすこしだけ時間がほしいなあと思う。

わたしの机のうえに、3冊の本のタイトルがあって、それはどうしても書きたいなあ。
それを書くための、助走に、あと数冊必要なのだ。


2016年は大河ドラマ「真田丸」に励まされたのだけれど、
最終回で、真田信繁(堺雅人)が仲間と語らう台詞があって。

内記「早蝉ですなあ」
作兵衛「今年は陽気がいいんで先走ったやつが出てきたんでしょう」
信繁「ではわたしもひとつせわしなく鳴いてくるか」


真田信繁ってひとは、基本、お父さんの昌幸と豊臣秀吉に忠実に仕えてきて、
うえに立つひとではなく、関ヶ原で徳川に敗れてからは、九度山に長年幽閉されていたのが、
最後の最後に、大坂の陣で目覚ましい活躍をしたので、ほんとうに蝉みたいな人生だったのだろう。
50年近くずーっと土の中にいて、最後の一年くらいで一気に燃焼した。

こういうふうにできたらいいなあ。


とまれ、まだ生きてる私は、やっぱりチェーホフの「三人姉妹」の最後の台詞に突き動かされる。

「楽隊は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聴いていると、生きてゆきたいと思うわ! まあ、どうだろう! やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。わたしたちの顔も、声も、何人姉妹だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちのよろこびに変わって、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして、現在こうして生きている人たちを、なつかしく思い出して、祝福してくれることだろう。あぁ、かわいい妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きてゆきましょうよ! 楽隊は、あんなに楽しそうに、あんなにうれしそうに鳴っている。あれを聴いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。・・・・・・それがわかったら、それがわかったらね!」











2016年05月16日

蜷川さん

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5月15日(日)、蜷川幸雄さんのお通夜。
たくさんの喪服の人が、地下鉄の駅から出て来て、信号を渡り、道路を歩いて、葬儀場へ向かう。

お葬式のシーンからはじまるのは「ロミオとジュリエット」(04年)。
棺桶を担いでみんなが落胆しながら歩いているところを蜷川さんは何度も何度も
稽古していた。
「この棺の中のひととの関係の設定をちゃんと考えてないから演技が発展しないんだよ」って。

でもですね、蜷川さん。
蜷川さんの演劇のほうがずっとひとりひとりが鮮やかでしたよ。
大切な人が亡くなると、老若男女、ただただみんなぼーってなるみたいです。
それとも、そんなふうに淡いのが現代だって、またまたお嘆きになるでしょうか。

ありがたいお経も、蜷川さんの演劇の、清水邦夫さんや唐十郎さんの台詞のようには
響きません。
わたしの中では、「タンゴ・冬の終わり」や「三人姉妹」の台詞がぐるぐるしていました。


遺影は、蜷川実花さんが撮ったもので、去年の秋の「NINAGAWA・マクベス」の舞台装置、
格子の向こうに桜と赤い満月があるものの前で、穏やかに佇む蜷川さん。

実花さんの撮った蜷川さんは、ほかの写真家のものとは全然違う。
たいてい、全方向にものすごい力が入った写真が多いのに比べて、実花さんのは柔らかい。
「かっこよく戦っているイメージ」と日刊スポーツには書いてあって、
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1647860.html
もちろんかっこいい。そのほかに、何か器の大きさなのか、しなやかさなのかが感じられる。


桜、満月 は蜷川さんの舞台のアイコンのようなところがあった。
蜷川さんが亡くなった5月12日は、桜も咲いていなければ、満月でもなかった。

柔らかい青い葉っぱが伸びて、爪のような三日月。

報道によると、病院での最後の言葉は「真山は?」と奥さま・真山宏子さんを探す言葉だったそうだ。


柔らかく萌える緑、繊細な三日月、劇団時代からずっとパートナーだった奥さんへの気持ち。
これが蜷川さんなのかも。



長らく桜が嫌いだったというエピソードもあるくらいで、

近年、蟹江敬三さん、朝倉摂さんという戦友のような人たちが次々亡くなった時期が
桜の季節だったこともあって、

これ以上、桜を見て思い出す人を増やしたくないという配慮か。

それとも、最後まで彼の演劇のように予想を覆そうとしたのか。


いや、私は、この緑鮮やかな季節も、蜷川さんに合ってる気がしている。
ちょうど10年前に、シェイクスピアの生地・ストラトフォード・アポン・エイヴォンで
「タイタス・アンドロニカス」を上演した時、取材に行った。
ちょうど、緑豊かな季節で、劇場の裏の川べりには柳が萌えていた。

こういう素敵な環境のなかで
生活するように演劇をしている人たちがいることを、日本の演劇をやってる若者たちに
見せたいと蜷川さんは思っていたようで、
その思いを受け取ったのが、小栗旬さんだった。
(小栗さんの本「FIRST STAGE」(キネマ旬報)のルポ「跳躍」の中に書いてあります)

そういえば、
「お気に召すまま」では、イギリスの森を模したセットが美しかったなあ。

私はライターとして、
小栗旬さんが、はじめて蜷川さんの舞台に出た「ハムレット」から、
彼が蜷川さんに鍛えられて俳優として成長していく姿を見て原稿を書いてきた。

小栗さんが、秋に「ハムレット」をもう一度蜷川さんとやろうとしていたと
蜷川さんの訃報を受けて公表していた。

私もそれに期待していた。具体的には何も聞いてないが、きっとやると思っていたから、
2月に出たアクチュールステージ#7 の号外小栗旬報 で願いを込めて最後の一文を書いた。

3年前、小栗さんの本「NEXT STAGE 」(キネマ旬報)で
蜷川さんとの「ムサシ」以来の対談を構成した時、きっとふたりはまた舞台をやると思っていた。

きっとその予感は当たると信じて疑わなかったのに。

残念でならない。


でも、たくさんの人の手を取り過ぎて、大変過ぎたのかもしれない。


ライターの私にまで、気を遣って、励まして、助言して、導いてくれたくらいだ。
演劇関係者にどれだけ心を配っていたことか。


生来、なまけもので意欲に欠けている私は、
何かにつけ社会生活から脱落しがちだったのだが、
蜷川さんに会って、稽古場取材などをさせて頂いたおかげで、
少しずつ社会性を身につけることができてきたのだ。

ダメになりかかるたび、
蜷川さんに言われた言葉を思い出していたこの数年だった。

蜷川さん、ありがとうございました。


でも、蜷川さんの演劇がもう見られないのは、あまりに悲しいです。


蜷川さんが、2008年、拠点にしていたベニサン・スタジオが老朽化でなくなった時、
「荒れ果てた日本」っておっしゃっていて。

http://www.ninagawastudio.net/Special%20contents/Last%20etude.html


それでも、そこで、戦い続けてきた蜷川さん。


遺影の背景になってる「NINAGAWA ・マクベス」を見て蜷川さんに
「三階席の後ろから見たけど、突き放されることなく、どのシーンも伝わってきました。
蜷川さんの演劇はいつも後ろの端にも届きます」
(たいていの演劇はこういう席からだと伝わってこない)
と言うと、
「稽古場を隅から隅まで走り回って作ってきたのがよかったのかな」と笑っていた。

この1年は車いすで呼吸も辛そうで、
どんなにかもどかしかっただろう。
また思いきり劇場や稽古場を走って演劇つくってください。


繰り返すが、蜷川さんの演劇がもう見られないなんて、
蜷川さんの声が聴けないなんて、
それこそ、荒野だ。







 


















2016年04月08日

さいきんの仕事場

去年からずっと歯が痛くて、
やばい、このままではやばいと、ようやく歯医者に行ったら、
虫歯ではなく、歯を磨きすぎて、歯茎に傷がついてると言われ、
拍子抜け。

でも、虫歯じゃなくて良かったー。

きょう(もう昨日か)4月6日は、2回目の診察で、予約制なのに行ったらすごく待たされた。
先生のお嬢さんの入学式で、来るのが遅れたそうだ。

という言い訳が、微笑ましかった。

「スタジオパークからこんにちは」でも、
「とと姉ちゃん」の子役ちゃんが今日、入学式と言ってた。

そうか、新学期なんだなあ。

ということで、

私も、最近の仕事場(ネット上の)をここでまとめておこうかと思います。
プロフィール欄がもういっぱいで、これ以上書き込むと読みにくいから。


まずは、
【エキレビ!】


毎日朝ドラレビューをやっています。
2013年「あまちゃん」を週刊でやったのち、
2015年「まれ」「あさが来た」を毎日やって、
いま、「とと姉ちゃん」です。

大河ドラマ「真田丸」も毎週書いてます。

http://www.excite.co.jp/News/review/author/kimatafuyu/


そして、

【Yahoo!ニュース個人 Whoyoo! ニュース 木俣冬のエンタメ観察記】


http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimatafuyu/


テレビドラマのプロデューサーのインタビューを中心に書いています。


はじまったばかりなのが、

【現代劇コラム Chiamata ! Chiamata! 】


http://www.eigeki.com/special/column/chiamata_n01


衛星劇場のプログラムを中心に、気になる演劇について書かせていただきます。


あと、

ドラマについてのコラムを 【dmenu映画】の枠で時々書いてます。

http://columii.jp/movie/column/article-759.html




紙よりも、ダイレクトなウェブは、
日常生活と書くことが重なりやすいのが、いいなあと思っています。
紙の仕事は、ハレの日みたいになってきた気がする。

どちらも大切です。








2016年02月11日

湖へーー

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黒木華さんの「書く女」(永井愛、作・演出/二兎社)をようよう観ました。

黒木さんのインタビューを、+actの先月号でしたので
ご招待を頂いていたのですが、1月の東京公演を観に行くことが、
仕事の都合でどうしてもできなくて、
制作の方にお願いして、びわ湖ホールのチケットをとっていただいたのです。
地方公演、どこも売り切れの人気公演で、
兵庫芸術文化センターに行きたかったけれど、そこはもう無理で、
なんとかびわ湖に行けたのでした。

ここ、99年にフィリップ・ドゥクフレのダンスを観にいった以来でした。
実に17年ぶり! 
場所に見覚えが一個もなかった・・・
湖に面していて綺麗なのに、そんなことすら覚えてなかった・・・。
うちにそのとき買ったポスターが貼ってなかったら、行ったことすら覚えてなかっただろう。
なにしろ、17年前だもんなああ。


で、そんななつかしい劇場で、「書く女」。

この作品は、2006年に、寺島しのぶさんで初演があり、
今回、黒木華さんで再演されました。

5000円札の女・樋口一葉のことを書いた作品です。

家族を養うために小説を書き始めた樋口一葉が、
師匠の半井桃水への激しい恋を原動力に、
若くして亡くなる直前、奇跡の14ヶ月間、優れた作品をたくさん生み出します。

これまでずっと、樋口一葉は、
男手のなくなった家の戸主として、
小説を書いてお金を稼いだ人という認識だったのですが、
永井さんの戯曲はその印象を覆すものでした。

最初は生活のために書いていたのだろうけれど、
書いていくうちに、書くことが生活(主)になっていき、
生活に支配されることから、樋口一葉はみごとに解放されたのだと思えたんです。

お金のためじゃなくて、
書きたいことがあるから書くようになっていく。
そのためには、技術も感性も磨かなくてはいけない。
こうしてどんどん自分を高めていく。
そういうふうになっていったことは
お金を得ること以上に、喜びでしょう。

結局作家としてパッとしなかった師匠の半井との違いは、そこじゃないかな。
半井さんは、割り切って俗っぽいものを書いていて、そこから抜け出せなかったのでしょう。

実際の彼女がどうだったかは知る由もないけれど、
同じく書く女である永井さんが、彼女の日記や作品を読み込んでキャッチしたことは、
本当のことに近いんじゃないかという気がするんです。

戯曲の中心は、半井桃水への「厭う恋」で、
彼に対する苦しい恋心から逃れようと、小説のなかにぶち込んで、
自分の中から捨てようと試み続けた一葉の行動に貫かれていきますが、
単に、恋を忘れるとか、恋を原動力にとかいうのではなくて、
恋も貧しさも、あらゆる苦悩を、彼女は冷徹に見つめ、
コントロールしていく強さを身につけたのだと思います。書くことによって。

それこそが創造の力だと思わされました。


樋口一葉と半井桃水は、
実際のところ、男女の関係があったのかなかったのか、謎らしいのですが、
黒木さんの一葉は、プラトニックのままだった感じがしました。
関係があってもいいけれど、
それをモチベーションにすると、
結局、半井の書いた俗っぽい小説のようにになりかねない。
そうでなくて、
ストイックに、想いを極限まで純化した人物の物語に見えたのが、
面白いと思えました。



最後に、墨をとっても愛おし気に擦っている黒木さんの姿が、目に焼き付いて離れません。


17年ぶりのびわ湖ホール、来てよかった。



そういえば、チケット代、5000円だったけど、
樋口一葉の芝居だからだったのかしら???































2015年09月01日

京都の繊細、パクリのぞんざい

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先日「京都暮らし術」という講座を受けにいきました。
西陣に長い歴史をもつお家の生まれの鳴橋明美さんという女性に京都のいろいろを
習う企画です。

詳細はこちら

http://kyoto-iju.com/report/report-kyoto-kurashi-tour

おうちを訪ねたとき、
「どうぞおあがりください」 と言われたら、
「あ、そうですか」とあがらず、
一回は「いえいえこちらで失礼します」と遠慮しないといけないと教わりました。
あと、いただきものも、差し出されてすぐに受け取らず、
「いえいえ」と遠慮することとか。

これ、わたし、ずーっとそういうものと思ってやっていたんですよ。
やっぱり京都生まれの祖母の影響なのかもしれません。
そのせいで、あまりにも遠慮癖がつき過ぎて、
何かにつけて引いてしまう性格になってしまったんです。
それはもう卑屈なくらいに。

じゃあ、京都のひとは遠慮ばかりする謙虚なひとなのかと言えば、
京都のかたはプライドが高いとも言われます。

どっちなんだ? と思うけれど、
プライドが高いからこそ、他人のお世話にならないみたいな気概をもって、
遠慮するんですかね。

で、
いえいえ、どうぞどうぞ とやる本当の目的は、
そうやりながら、相手の考えを読むことらしいと、このたびはじめて知りました。

遠慮することが大事なのではなく、
遠慮しながら相手を出方を読むという、実は攻めの思考だったのだ、と
ようやく気づきました。
そこを知らなかったため、私はただただ遠慮がちなひとになってしまったではないか!
そこを教えておいてくれよ、おばあちゃん!

いまさらもうしょうがありません。

それにしても、どうして、こんなに他人とのコミュニケーションは難しいのでしょう。
どうして、本音と建前ってあるのでしょう。


本音と建前で思い出すのが、
本日、とうとう使用中止が決まってしまった、東京オリンピックのエンブレム問題です。

その何が本音と建前なのかというと、
元ネタがあるという部分です。
デザインのパクリとか写真の無断使用とかたたかれている部分です。
本音(元ネタ)と建前(ネタを元にしてつくった新たな表現)です。

私も長年、出版の仕事してきて、
デザインに限らず、表現には大なり小なり元ネタがあるものだと認識しています。
それはもうある程度了解済みで、まあまあお互い様ですから的な感じになっているわけです。

ところが、今回の場合は、ここまで次々と、あれに似てるしこれの無断使用だし、と
明かされてしまい、本音と建前が大崩壊してしまいました。
そのわけは、
渦中の方は売れっ子なので、あまりの多忙のせいで、
感覚が麻痺しちゃって、謙虚さをなくしてしまったのではないかと想像します。

実際、オリンピックとは別件の、グッズのデザインがほかのものと似ていた件は、
スタッフに任せて気づけなかったとは言ってますものね。

エンブレムは個人で受けた仕事だとはいえ、
アシスタントはいたでしょう。
プレゼン用のイメージボードなんて、あの多忙な方が自らつくってないでしょう。
アシスタントがいつもの調子でネットで拾った画像と組み合わせてしまったんじゃないのかな。
本来なら公表されないから、マルシー削っても問題なかったのに、今回は運が悪かったとしか。


でも、こうやって、うちうちの仕事なら他人のマルシー削って使ってもいいという感覚は、
やり続けているうちに、だんだんと肥大化し一人歩きしてしまうおそれも感じますから、
本来はちゃんと断るべきなのだ、ということは、
人を殺してはいけません ということくらいの厳密さで認識していたほうがいいと思います。


本音というか、”本当のこと”を大事にすればするほど、建前が必要になってくるものなのに、
エンブレム問題の場合、自分が行った本当のこと(元ネタがある)をないがしろにして、覚悟も責任もなく、なんとなくやってしまっているから、多くの指摘を前に、自分のやったことを守りきれなかったのではないかな。

惜しいのは、
この渦中のデザイナーさんは、こうなるまでは、
本音と建前をじつにうまく使い分け、生き馬の目を抜くような厳しい世界を生き抜いてきたはずなのに。

例えば、クライアントのちょっとしたやりとりから、彼らの本音を嗅ぎ分け、
絶妙な返しで相手の気持ちを捉えてきたことでしょう。
謙虚さとプライドを驚くほどの素早さで出し入れしながら。

そして、先達の優れた元ネタを巧く取り入れながら、大衆に伝わるヒット広告をたくさん
つくり出してきたのでしょう。

成功するにつれて、建前ばかりが分厚くなって、本当のことが見えなくなって、うっかり中に
本当のことがあるのを忘れてしまったことが、悲劇につながってしまったのかなと。


この事件で、問われるべきは、
パクリがいいとか悪いとかじゃなくて、
本来、このデザイナーだけじゃなくて、
たたいている同業者だって大なり小なりやってるはずにもかかわらず、
自分たちは潔白だとばかりに、
ここまでこぞってパクリだとか無断使用だとか一斉にたたくのはおそろしいということでは
ないかと思うんです。

同業者じゃなくても、
みんな、世の中には、本音と建前があるって知っているはずなのに。

そこで、 
京都のひとに学べ! っていうのは極論だけれど、

なんでもかんでも ストレートに出せばいい ってものじゃないわけで。
出すこと 出さないこと  必要なこと 不要なこと を鋭い感性で読み取っていく。
そういう繊細な能力の必要性を、いまこそ感じるんです。

最近、繊細な感性がだんだん退化してきているのではないかなあという気がしています。


エンブレムのデザインがよくないと最初に話題になってから、
一般人や同業者が、自分デザインをつくって、
こっちのがいいってネットで話題になっていたのですけど、
それがいかにも”和”な感じで、
こんなの、平和を訴えるポスターで、鳩にオリーブ描いて、美術の先生にスルーされちゃうような
ものでしょう。
こういう紋切り型から遠ざかりつつ、たくさんのひとに伝わる表現を、
一流のデザイナーたちは、日々、血の出るような作業から発見しているので、
そういう過程を無視して、単純な表現を持ちあげることは残念でなりません。

一斉にたたく感性と、平凡なデザインを褒める感性が同じだと思うと、いやになります。

ここまでものごとを単純化することが増えていくと、
京都のひとのコミュニケーションのような
ちょっと面倒くさいくらいの(すみません)、頭脳プレーを求めたくなります。



※写真は、喫煙者のための檻
こんななかに入ってまで吸いたいのだろうか。
私は煙草を吸わないし、たまにニオイや煙で気持ち悪くなることも
ありますが、
こんななかにひとを追い込む感覚も、なかに入る感覚もわかんない。
カフェの喫煙席もそうですが、喫煙者を集めるとそこに悪い空気が大量に溜まって、
そのそばを通ったときのダメージが大きすぎるし。


このごろの日本、
いろんなことが大雑把過ぎると思う。





























2015年07月04日

シモハンキ!

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夏帽子を買った。

くしゃっとつぶしてもいいやつを。

代々木上原で出会った京都の帽子屋さんA-Naのもの。

朝ドラ「カーネーション」に帽子を提供していたそうだ。
財前直見さんがかぶっていたやつらしい
(私が買った帽子のことではない)。


朝ドラといえば、4月から毎日「まれ」レビュー(まれビュー)を書いている。
2013年に、週1で「あまちゃん」をやったのとはまた違うことをしてみたいと思ったら
毎日に行き着いた・・・。

昨日から今日にかけては「まれ」のほか、短めの原稿を4本書いた。

長いの1本より、短めの数本って頭が疲れる。
このまま、また「まれ」書いて、明日も終日原稿書くかと思ったら、
耐えられなくなって、
今日は、午後、映画の試写に飛び出した。

昔は、終日、ただただ書き続けること、それを数日繰り返すことが平気だったのに
最近、気分転換が必要になった。

年齢的に集中力がなくなったのかもしれないが、
たぶん、昔は遊び心が足りなかったんだと思う。

書くことがただの機械的な作業でなくなってきたのだと思う。
それはとてもいいことな気がする。


そうして今年ももう半分過ぎてしまったが、
振り返ると、意外といままでと違うことをやって、充実した半年だった。

まず、冷凍庫が長年霜で使えなくなっていた冷蔵庫を買い替えたのと、
炊飯器を買ったこと。
それによって、若干(かなり若干)、自炊をするようになった。

去年の初夏頃、ジューサー買って、ナイフ買って、スムージーをつくってたのが
私革命(笑)だったのが、
今年も革命は続いている(笑笑)。

冷凍庫が使えず、ここ数年の猛暑がどれだけ辛かったか、
今年はアイスを食べたり、氷をつくったりできる。
保冷剤を凍らせて、熱さをしのいだりする予定。
冷凍庫にアイスを買いだめることができるのが嬉しくて仕方ない(バカ過ぎ)。


日常はこんな些細な、でも私にしては画期的なことを行い、
2月の節分以降、10数年ぶり以上で、ちょっとトライしていることもあり。

ほか、考えることあって、いろいろひとに会って研究を重ねていることも。

このへんは、ゆくゆく仕事につながるといいなあとも思っている。

現実的な仕事としては、
太秦に数日通って、ドラマ「ふたがしら」の取材をして、
10回連続のルポを書いたことがチャレンジといえばチャレンジ。

毎日レビューと週刊ルポをこの2ヶ月ほどやっていたのは楽しかった。

そして、なんといっても、
2年越しでようやく「Yahoo!ニュース個人」をはじめたことも喜ばしい。
一応、月1で記事をアップしていく予定。
7月分の取材もこの間した。

星占いによると、ついこの間から9月の前半くらいまで、
2012〜2013年あたりにやり残したことを、やり直すチャンスらしい。
まさに!Yahoo!ニュース個人、
2013年に声かけてもらってなかなかやれないでいたことだ。

はじめてやった
FRaUの巻頭インタビューも、
11〜13あたりの経験が役に立っているし、

12〜13年にやってたことにいま一度向き合う仕事もあるんだよなあ。
あのころやってたことが帰ってきた感じ。

そのピークだったのは13年の夏だ。

あの頃、いろんなことが一気に起り、なんかもうグルグルして、
自分がどこにいるのかよくわからず、いろいろコントロールできなくて、
振り回された感じなんだけど、

あれから、メンタル、フィジカル、整えてきたので、
いまならなんとか対処していけそう。

でもそれも、この2年くらい時間置いたおかげだ。
断捨離(まだ続行中)、自炊中(ほんのすこし)、ほかいろいろを
経た、そのまとめが、FRaUのインタビューに結実したと思ってる。


というわけで、この流れを大事に、
下半期も、エネルギー振り絞ることをやりたい。

充実感を味わう一方で、
日々、いらっとすることもあるにはある。

ひとに対していらっとするのは、自分が上目線なんだって思ったのだ。
自分が何者でもないと思っていれば、いらっとしないはず。

ひどい目にあって哀しいな、とかそういう感情は素直に認識したいけれど、
ち! うるせーな! めんどうくせーな!
みたいな憤怒的感情は、自分でコントロールできる気がする。

うるせえなあ、めんどくせーな、っていうのは、
心を大きくもっていれば感じなくて済む。
たいていのことは、ああもう全然平気〜 ってなりたい。

これ下半期のテーマ。


ほんとは、仕事の愚痴をちょっと吐き出そうかと思ったのだけど、
書いてたら、そういうのいいやって気分になった。



最近、小さな願いはわりと叶う。プチラッキーがよくある。
最大の願いはいつ叶うのか。
プチラッキーを積み重ねていけばきっと。























2015年06月15日

ヤメゴク ビジュアルファイル

ヤメゴクH1



http://www.amazon.co.jp/dp/4047319392/ref=cm_sw_r_tw_dp_5azFvb1V4RYGS




6月18日(木)に最終回を迎える「ヤメゴク〜ヤクザやめていただきます〜」(TBS夜9時〜)の
ムック本『ヤメゴク ビジュアルファイル』の原稿をいくつか書きました。

大島優子さんのインタビュー
北村一輝さんのインタビュー
大島さんと北村さんの対談
勝地涼さんのインタビュー
堤監督、櫻井武晴さん、植田P の鼎談
それから、『ヤメゴク』論。

こんな感じかな。足抜けコールの三人座談会はクレジット間違ってます。私じゃないんです。



読んでくださった方のなかで、
大島優子さんの笑顔に関する話が印象に残っていると感想を述べてくださっていた
方がいました。
私も彼女のその発言がすごく面白く感じて、取材中も原稿書いていても楽しかったんです。

「笑い」はある意味、「逃げ」である。

なんて深いのでしょうか。
これまでアイドルとしてずっと笑ってきた大島さんだから、よけいに刺さりました。

この話を自らすっと出す。このタイミングもまた絶妙でね。
大島さん、頼もしいです。姉さん、と呼びたい感じ(笑



あと、勝地涼くん。
このインタビューしたとき、オネエキャラ演出が話題になってましたが、
彼が演じてる佐野がオネエキャラということよりも、やたら丁寧語ってとこが
気になっていた私は、その言動の根拠を訊ねました。
なぜ、佐野はこういう態度をとるのか? サブテキストを勝地くんならつくっていると
思ったから。それは蜷川幸雄さんに叩き込まれてきたはずだから。
そしたら、ばーっと出て来た、出て来た、佐野の隠れた面が。
そして、オネエキャラをさらに加えた堤監督の狙いもなんだか分かった気がしたんです。

面白いなあ。


今回、私は、このドラマの詳細をあまり知らないままムックの取材をしたので、
問いかけによって詳細が見えていくことが刺激的でした。
こうなんじゃないか?って聞くのではなく、
ひたすらみなさんの話に耳を傾けようと集中しました。


「SPEC』も最初のドラマシリーズはそんな感じだったけど、
映画版になっていくと、公式ライターとして現場を見られるようになって、
事前にいろいろわかってしまっていて。

今回は、現場をまったく見なくて、事情もほとんど知らなくて、
そんな状況で、どれだけ作品の本質に接近していけるか、ってことへのトライでした。


さて、意義深い仕事をさせていただいたこのムックは、KADOKAWAから出版されています。
元角川書店です。
「ケイゾク」や「SPEC」のムックや「堤っ」などをつくってきた角川が
長い時間をかけて細胞分裂したうえに(この表現でいいのか???)
いろんな会社が合併して KADOKAWAっていうものになったのです。

私は「角川書店」育ちですから、アルファベットになってしまって、
若干寂しい気持ちですが、
外側は変わっても、なかの人たちは、変わっていたり変わっていなかったりなんですよね。

ただ、これまで「ケイゾク」「SPEC」ムックをつくってきた編集部とは歴然と違うんです。


正確にいえば、「ケイゾク」「SPEC」も時間がずいぶん空いているから
微妙に部署名も違うし、編集者も違うんだけど、
でも、ざっくりとアニメコミック部門だったんですね。

今回「ヤメゴク」は、
「ATARU」のムックや、「リーガルハイ」のムックを作ってきた、
テレビ誌ザテレビジョン系の編集部です。芸能系に強いとこ。

本来、「ケイゾク」も「SPEC」もこっちの部署のほうでもよかったようなところ、
アニメコミック系でつくっていたというのが斬新だったわけで。

今回、本来の方向に戻ったみたいなものなのかな。

面白いのが、やっぱり編集者の育ち方の違いがあって、
今回の誌面には、
長年の、テレビや芸能(伝説の月刊カドカワの流れもくんでいる)取材とそれを記事化する
ノウハウが滲んでいて、
「SPEC」とちょっと違う(こっちはアニメ、漫画系のノウハウなの、
デザインも含め)。

ついでに言うと、「ケイゾク」ムックの最初は、じつはテレビ系とアニメ漫画系の合併でつくっていたんですね。


このへんのことを詳しく解析していくと、長くなるので、いまは書かないですが。


で、私は、テレビジョンや月カドなどの全盛期、本当に憧れていて、
そのころの編集者も尊敬していて、
その歴史の名残を感じさせるような、今回のムックが嬉しかったのです。

撮り下ろしの仕方、使い方、ページ構成、デザイン・・・

ああ、この本が、当時を知るひとの手で作られてほんとうに良かった。
そこに、私が、ライターとして参加できて良かった。


さらに、そこに、お料理の本とか女性系の本をつくってきた方の感性もプラスされているんですね。
面白い。

最近、紙媒体の元気がなくなって、WEBが増えて、
そこのライターの質の低下が騒がれているなかで、
編集者は要らないみたいな動きもあるとかないとかなんて話もあるらしい。

いや、編集者は大事なんです!

編集ってすごい重要な仕事で、コンピューターに任せることなんてできないんですよー。

ライターは編集者あってなんですよー。

俳優と監督みたいなものなんですよー。


「ヤメゴク」ムックの編集のひとり・Kさんは、
「リーガルハイ」ムックもつくっていて、
そのときから、私の原稿をすごく読み込んで、そこに注目する?
っていうようなとこまで反応してくれる、本当にありがたい最初の読者でした。

褒め殺されてばかりいた気もしますが、
腕のいいマッサージ師のように、
ツボを適切に抑えた感想で、気分よくさせてくれるんです。

こういうのも編集者の才能だから、絶対何ものにも替えられないんですよ。


こうして、
また、嬉しい仕事がひとつできました♡




あ。
あと、

Yahoo!ニュース個人枠で
フユー!ニュース エンタメ観察記 はじめました。

第一回目はヤメゴクの植田Pのインタビューです。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimatafuyu/20150611-00046533/

2015年02月13日

2015021218:34

2015021015:31

2014090917:41