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 リオデジャネイロ五輪のアジア予選を兼ねた、男子サッカーのAFCU−23選手権は、1/26−27にかけて(JST)カタール・ドーハで準決勝が行われた。

 日本は、イラクに2−1で勝利。また、韓国は地元・カタールと対戦し、3−1で勝利した。この両国と、3位決定戦(1/29)の勝者がアジア代表としてリオ五輪に出場する。


日本 2−1(1−1) イラク
【得点】(日)26久保裕也、90+3原川力(イ)43サード
 手倉森ジャパンがリオ切符をつかみ取った! 勝てば最終予選突破が決まる日本がイラクを2−1で下し、6大会連続10度目の五輪出場を決めた。前半26分にFW久保裕也(22=ヤングボーイズ)が先制したが、同43分に失点。試合終了間際の後半48分、MF原川力(22=川崎F)が強烈なミドルシュートで決勝点を奪った。選手としては大成しなかった手倉森誠監督(48)が「反骨心」を合言葉に谷間の世代を鍛え上げ、日本サッカー因縁の地ドーハで歓喜の花を咲かせた。
 勝った。五輪だ。かつて悲劇があったドーハが歓喜に包まれた。1−1の後半ロスタイム3分、この世代最強だったイラクから決勝ゴールを奪うと、手倉森監督は右拳を振り上げ、ベンチの仲間と抱き合った。MF南野の右クロスがクリアされ、こぼれ球をゴール正面に走り込んだMF原川が左足で蹴り込む。2年前、手倉森ジャパン初ゴールを決めた男が、また決めた。

 手倉森監督 90分で勝ちたかった。その通りなって、しびれましたね。ドラマのような年代の選手。できすぎの内容ですけど、五輪決めました。難しいとか、厳しいとか言われた中で奮い立たせてやってきて、いつかやってやるんだという気持ちが実を結んだ。神様からのプレゼント。ドーハの悲劇から、歴史を逆転させるいい勝ち方だった。

 勝利の瞬間、全員がピッチ上で重なり合った。指揮官は、サポーターの前で歓喜のウオーターシャワーを浴びた。93年に日本代表がW杯出場を目前で阻まれたドーハの地。あれから22年、くしくも今度はロスタイムの得点で笑った。
 「俺がポジティブなのは陰に反骨心があるから」。11、13、15年のU−20W杯を逃した谷間の世代を率いる手倉森監督も同じ境遇だった。ユース代表だった86年5月、勝てば同87年大会への出場が決まる韓国戦。トップ下で先発したが無得点。延長2−4で敗れ、試合後に「てめえのせいで負けた」と泣くまで怒鳴られた。怒らない指導の原点。「反骨心のある者同士。俺が火をつければ、こいつらは変わる」。就任前日の14年1月1日に言った通り、この世代3連敗中だったイラクにリベンジを遂げた。
 常に招集制限があり、2年間でベストメンバーを組めたのは昨年3月の1次予選と今回だけ。仙台時代の08年、財政難で外国人なしで監督業を始めた男に文句はない。計69人を招集して育て、今大会も初戦から先発を6人→10人→8人と変更。この日は4人を入れ替えた。今大会9人で12得点と、誰が出ても戦える一体感で五輪まで到達した。
 谷間の世代を率いてリオに乗り込む。「これから日本は強くなる。その使命感を持って、この世代を鍛え直さないと。大和魂、魂のかたまりです。(五輪は)国民と一緒に戦いたい」。

 鹿島をクビになった92年、競馬に全財産をつぎ込んで負け「死のう」とまで思った男は不屈だった。就任後は「手倉森じゃ無理」と何度も耳にした。だが東日本大震災を乗り越えた男は動じなかった。「震災後の仙台に比べれば、弱い世代だろうが災難なく引き受けられる代表の方が、よっぽど楽」。イラク戦の前日には口の中をかんだ。昔から体重が増えると出る癖だ。負ければ歴史的敗退の極限状態でも「太ったかも…」。

 肝の据わった大将が、どっしり構えてリオ五輪切符をつかんだ。【日刊】

 ◆ドーハの悲劇 日本は93年10月28日、カタール・ドーハで、94年W杯米国大会最終予選の最終戦・イラク戦に臨んだ。勝てば初のW杯出場が決まる一戦は、FWカズと中山が得点し、2−1でリード。相手にCKを与えた直後、ロスタイムに突入した。イラクはコーナーからのクロスにオムラムが頭を合わせた。ボールは、日本のゴールに吸い込まれ、2−2で引き分けた。結果、日本は韓国と2勝2分け1敗で並んだが、得失点差で3位となり、2位以上に与えられるW杯切符を逃した。

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 手倉森監督、競馬で無一文になった過去…全財産の半分を1日で使い切る→取り戻そうと残りの600万円で1点買い外す

 手倉森監督は一度だけサッカー界から身を引こうとしたことがある。選手時代の1992年、プロ化1年目の鹿島をクビになった時だ。
「故郷の青森で居酒屋でもやろうか」。やけになって足を運んだのが競馬場。1200万円あった全財産の半分を1日で使い切り、翌日に負けた分を取り戻そうと残りの600万円で購入した1点買いも外し、無一文になった。
「俺は何をやっているんだ。もう死ぬしかないか」。そんな時、NEC山形(現J2山形)から声がかかった。「サッカーでもう一度頑張ろうと決心した」。酒はやめられなかったが、ギャンブルはきっぱりと断った。 (footballnetサンスポ



 一次ラウンド3試合は、入院してたので(21時消灯だったので)寝てましたw
 準々決勝のイラン戦(日本3延0イラン)は、翌日休みだったこともあり、最後まで起きてました。で、今回は・・・後半始まってすぐ布団に入り、そのうちzzz、と・・・。





・・・まぁ、(五輪本戦の)権利取れてよかったよ。

 この世代、今までずっとアジアで勝ててなかった(ベスト8止まり)世代だし。
 何より、監督がテグだし。

 とはいえ、(特に準々決勝では冷や冷やしたけど)不思議に点を取られる気はしなかった・・・・

(ただ、これによって、少なくとも大邱、もといテグの予定は8月までは埋まっている、ということになるわけだ・・・)



 で、決勝は日韓戦か・・・1/30(土)2345JST試合開始、と。30は休みだが、31は日勤。・・・どうすっぺかなぁ。。。





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