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タグ:訃報

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スポーツなんでも に参加中!
 夏季五輪の開催地に毎回、足を運び、「オリンピックおじさん」として知られる山田直稔(なおとし)さんが9日、心不全のため死去した。92歳だった。葬儀は親族のみで行い、お別れの会を4月16日午後2時から東京都江東区木場1の4の3の東京木場ホテルで開く。喪主は妻倫栄さん。
 富山県出身。都内でワイヤロープ販売会社やホテル、不動産業を手がける傍ら、1964年の東京大会以来、すべての夏季五輪の開催地を訪れ、日の丸の扇子を振り、声援を送ってきた。長嶋茂雄氏やマリナーズのイチローをはじめ各界に広い交流を持ち、大相撲ファンとしても知られていた。(朝日)
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サッカー に参加中!
 昨日藤川のことについて記事で触れたら、今日になって。。。

 かつてヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)でGKとして活躍した藤川孝幸氏が、15日に逝去した。56歳だった。同氏が代表取締役社長を務めていた北海道十勝スカイアースがクラブ公式HPで20日に発表している。
 藤川氏の意志により、葬儀は近親者のみで執り行われたという。後日、「お別れの会」が開かれる予定だ。
 藤川氏は1962年10月10日生まれ。神奈川県川崎市出身で、現役時代は読売クラブ、V川崎でプレーした。引退後はヴィッセル神戸やベガルタ仙台、セレッソ大阪でコーチを務めた。今年4月には末期の胃がんを患っていることを公表。自身のツイッターに「必ず癌を完治させまして、完全復活して参ります!必ず奇跡を起こします!皆さん信じて下さい!」などと綴っていたが、その願いは叶わなかった。(サッカーキング)
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科学ニュース に参加中!
西澤潤一さん死去 東北大元総長 ミスター半導体 92歳

 半導体の世界的権威で、文化勲章、米国電気電子学会(IEEE)エジソンメダルなどを受賞した元東北大総長の西澤潤一(にしざわ・じゅんいち)氏が21日午前5時14分、仙台市内で死去した。92歳。仙台市出身。葬儀は近親者で行った。お別れの会を後日開催する予定。
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「黄金の左」と呼ばれた型破りな元横綱が逝った。第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。日大からプロ入りして学生出身では初の横綱に昇進し、左下手投げを得意に歴代7位の14度優勝。年寄名跡を借金の担保にして廃業後、全日本のプロレスラーでも活躍した。土俵の内外で自由奔放な個性的な横綱だった。葬儀・告別式は未定で、喪主は妻の留美(るみ)さんが務める。
輪島さんは4年前に引っ越した世田谷区の自宅で亡くなった。近所の住民によると、前日深夜に自宅へ救急車、パトカー、消防車が相次いで到着したという。以前は1人でよく散歩し、顔を合わすとしゃべる代わりに肩をたたいたり、手をたたいて、気さくにあいさつされたそうだ。1年前から散歩に出なくなったが、3日前にはつえをついてデイサービスの車に乗る姿を見たという。
13年に咽頭がんの手術を受けた後は声が出ないこともあり、公の場に出ることは減った。遠縁の輝が所属する高田川部屋の稽古を定期的に訪れていたが、今年はなし。そのほかは、日大の後輩である境川親方(元小結両国)の弟子の挙式に出席する程度。角界だけでなくプロレス、日大などの関係者とも疎遠となり、一時代を築いた横綱はひっそりとこの世を去った。
幕下での初土俵には日大応援団まで駆けつけた。「蔵前の星」と期待されるも、たたき上げから「学生さん」と見下された。大成しないと言われた学生相撲から、初めてで唯一の横綱昇進でジンクスを打破した。
得意は左四つからの下手投げ。右の絞りが強かった。これも大成しないと言われたが、角界では異端のランニングも重視し、安定した下半身を作った。大型化が始まった時代で昇進時は120キロ。下半身の瞬発力に天性のタイミングで、このジンクスも打破した。
北の湖とは44度対戦した。74年名古屋場所で逆転優勝したが、北の湖も横綱に昇進した。ここから「輪湖時代」と呼ばれて毎場所賜杯を争った。75年に腰痛などで3場所連続休場し、気分一新に締め込みを金色に替えた。カラー化時代の先駆けで「黄金の左」が代名詞に。レスラー時代も同系色の黄色いパンツがトレードマークだった。
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 日米マットでトップレスラーとして活躍したプロレス界のレジェンド、マサ斎藤さん(本名・斎藤昌典)が14日に死去した。75歳だった。健介オフィスが16日、発表した。
 発表によると2000年に発症したパーキンソン病で闘病中だった斎藤さんはリハビリに励んでいたが、容体が急変。14日午前1時5分に帰らぬ人となった。通夜及び葬儀に関しては、家族・関係者が都内で執り行う予定としている。
 齋藤倫子夫人は「来年、再び、カムバックのチャンスも出てきました。そのためにリハビリに意欲を燃やしていた矢先。容体急変。7月14日01時05分に永眠しました。穏やかながらも、新たなチャレンジへ向かうような、マサ斎藤らしい力強い旅立ちでした。現役時代ならびに闘病生活中にお世話になりました皆さま方に対し、生前に賜りましたご厚意に感謝し謹んでご通知申し上げます」とコメントした。
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