巷ではコオロギ食に反対する議論がバズっているようである。久しぶりのブログ記事となるが今回はこの問題について取り上げたい。
コオロギ食、より一般には昆虫食、について議論する前に、今回の騒ぎが起こった背景について議論しておく。今回の騒ぎで重要なのはSNSによって誰でも自分の意見を簡単に世の中に発信できるようになったことを挙げなければならない。すなわち、社会に対する発信の様態についてはプレSNS時代とポストSNS時代とで大きく異なっている。プレSNS時代の場合、情報を広く社会に発信できるのは新聞記者、政治家、文化人などある種の専門性乃至は特権を持った人たちに限られていた。一般人の意見は噂話として広がるしかなく、拡散範囲や拡散速度が限られていた。プレSNS時代の利点は情報の質がある程度保証されることである。他方、欠点はイデオロギー的偏向や政治的思惑などにより情報に偏りが生ずることである。これに対してポストSNS時代では情報の質が国民全体の平均値まで低下する。その結果、目を当てられないような低質な意見がSNS界で主流となることが珍しくない。陰謀論が罷り通るのはそのせいである。
私は最近話題のコオロギ食に関する議論に深く立ち入ったことはない。様々なポータルに登場する関連する記事の見出しを眺める程度で、記事の中身を真面目に読んだことは殆どない。その範囲で考えても、コオロギ食に関する反発は殆ど感情的な条件反射に近いものと断定することができる。
コオロギ食に関する議論については人類史、文化人類学、経済問題、環境問題など様々な観点からなされるべきであろう。以下では最初の2点を中心として私見を披歴する。まず、人類は雑食性であり、すべての生物は毒性を持たない限り、原則として、食物の対象となった。これは過酷な自然の中で人類が生き延びる上で合理的な選択と言える。毒性を持たないとは言っても多くの植物の葉や茎は補助的な食材の域を出なかった。炭水化物、脂肪、タンパク質を含まないのが通常だからである。植物の場合、穀物、木の実、草の根(ヤマイモなど)が主な食料となる。動物の場合、脊椎動物(哺乳類、爬虫類、両生類、魚類)のすべてが食料となった。また、甲殻類、軟体動物、昆虫類も食料となった。食料の対象となる生物の一部は農業や牧畜により人為的に栽培・飼育されることになった。これに対して昆虫類の中で食用のための飼育の対象となったものは存在しない。ミツバチで言えば、ミツバチの成虫や幼虫を食べるのではなく蜂蜜を採取する目的で飼育された。また、カイコも絹糸採取が目的で飼育された。近年まで昆虫類を食材として飼育の対象としなかったのは恐らく技術的問題(=経済的問題)からであろう。
以上述べたように昆虫が人類の食料としてマイナーな存在となったのは、昆虫全体が食料として不適であることに起因するものではない。歴史的にあるいは文化人類学的に様々な昆虫が食されてきた。カイコの幼虫、蜂の幼虫、イナゴなど様々な昆虫が食されている。詳しくは「昆虫食」としてwikipediaで調べられたい。我々が昆虫食に否定的な感情を持つのは昆虫食の対象となる昆虫が毒性を持つからではなしに、単に、これまで食した経験がないからに過ぎない。脊椎動物以外の動物は外見上抵抗感が強いが、例えコウロギであっても、物心がつく前から食していたならば、全く違和感なしに食べられるであろう。