2018年03月
2018年03月31日
矢車
先日、日本宝飾クラフト学院の露木先生とお食事をしたときの雑談で「桃沢さんのジュエリー言語学に山岸さんの名前が出てたよ」と。
で、本日メールでそのページをお知らせ下さいました。
ありがたいことに、うれしいことに、桃沢敏幸先生が弊社のHPをお読みくださり、私が徒然草と題しまさしく徒然を書き留めた中の矢車の項目をそのまま本(P459)に引用して下さっていたのです。
そのHPは弊社の解散に伴い閉鎖してしまいましたので現在WEB上に痕跡すらございません。
そこで、このブログにUPして留め置きたいと思います。
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01/09/16 矢車
1937年のパリ万博に御木本翁が出品した「矢車」と呼ばれるジュエリーが横浜に来たので観に行きました。日本のジュエリー のデザインを語る時必ず出てくるのがこの作品です。PTでできた本体は各部分が分解され、またそれぞれのパーツが合体されてWG の台座に留められてリングやブローチ、カンザシ、帯止めと10数種類のアイテムに変身するのです。
万博の後行方が不明となり1989年ニューヨークのサザビーズオークションに現れ日本に帰って来た伝説のジュエリーです。 ミキモト横浜店の奥でガードマンに守られてそれはありました。中央に8.75mmの真珠が入っています。貝の改良と技術の進歩で 今でこそ9mm珠のアコヤ貝真珠は珍しくありませんが当時この大きさの丸い真珠は本当に珍品であったことでしょう、その珠は肌は 荒れているものの色はクリームのかんでいない白、テリのよい巻きのある珠です。このジュエリーができた時の御木本翁のお気持ちは いかほどのものであったのでしょうか。
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で、本日メールでそのページをお知らせ下さいました。
ありがたいことに、うれしいことに、桃沢敏幸先生が弊社のHPをお読みくださり、私が徒然草と題しまさしく徒然を書き留めた中の矢車の項目をそのまま本(P459)に引用して下さっていたのです。
そのHPは弊社の解散に伴い閉鎖してしまいましたので現在WEB上に痕跡すらございません。
そこで、このブログにUPして留め置きたいと思います。
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01/09/16 矢車
1937年のパリ万博に御木本翁が出品した「矢車」と呼ばれるジュエリーが横浜に来たので観に行きました。日本のジュエリー のデザインを語る時必ず出てくるのがこの作品です。PTでできた本体は各部分が分解され、またそれぞれのパーツが合体されてWG の台座に留められてリングやブローチ、カンザシ、帯止めと10数種類のアイテムに変身するのです。
万博の後行方が不明となり1989年ニューヨークのサザビーズオークションに現れ日本に帰って来た伝説のジュエリーです。 ミキモト横浜店の奥でガードマンに守られてそれはありました。中央に8.75mmの真珠が入っています。貝の改良と技術の進歩で 今でこそ9mm珠のアコヤ貝真珠は珍しくありませんが当時この大きさの丸い真珠は本当に珍品であったことでしょう、その珠は肌は 荒れているものの色はクリームのかんでいない白、テリのよい巻きのある珠です。このジュエリーができた時の御木本翁のお気持ちは いかほどのものであったのでしょうか。
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