★絵描きの日記

加茂谷正俊のブログです。 絵画を中心に美術やっています。 公募展出展、グループ展や個展などもします。 2010年と2014年、富山国際現代美術展に参加。

シド・バレット

シド・バレットのギターは抽象表現主義

Piper at the Gates of Dawn

私はシド・バレットの大ファンです。
ピンク・フロイドはシド・バレットのバンドだと思っています。
なぜなら、初期のピンク・フロイドにおいて、ソングライターで、ボーカリストでギタリストと、ほぼシド・バレット1人で成り立っていたように感じているからです。

以前、ピンク・フロイドのファンに、そう言いましたら、ひどく怒られました。
『シド・バレット在籍時のピンク・フロイドはピンク・フロイドじゃない!アルバムも1枚しかない!』というニュアンスで、お叱りを受けました。
でも、アルバムが1枚しかないのはセックス・ピストルズも同じで、たった1枚で社会に多大な影響を与えたことは確かです。

私は長い間、絵画の制作する一方で、大変なロック・マニアです。
また、シド・バレットは美大に通った絵画にも造詣が深いロック・ミュージシャンです。
様々な制作のヒントを、"Piper at the Gates of Dawn"から受けました。
下の写真の"Piper at the Gates of Dawn"裏ジャケットもシド・バレットの作品です。
どこか不気味ですが、アルバムの空気感を上手く捉えていると思います。

Piper at the Gates of Dawn

最近、シド・バレット在籍時のピンク・フロイドのアルバム、"Piper at the Gates of Dawn" を聴いて気付きました。
シド・バレットのエレクトリック・ギターは、まるでペインティングのようであると…。
それは、以前から評論家から言われていたことですが、最近ようやく分かって来ました。

決して、テクニカルなギターではありませんが、まるでジャクソン・ポロックのような抽象表現主義のようなタッチのギターだと感じて来ました。
シド・バレットの友人で、ピンク・フロイドの後任のギタリストとなったデヴィッド・ギルモアは、サルバドール・ダリのようなシュールで空間表現が技巧的なギタリストとなるでしょうか?
そう思って聴きますと、"Piper at the Gates of Dawn" を非常に興味深く聴くことが出来ます。

ところで、冒頭のピンク・フロイドのファンとのお話の顛末ですが、私が『アルバムが1枚しかないのはセックス・ピストルズも同じ』と反論しましたら、火に油を注ぐ結果となりました。
ピンク・フロイドのファンって気難しいのですかね…。

夜明けの口笛吹き
ピンク・フロイド
EMIミュージック・ジャパン
2000-07-26


GWでもロック! 〜ピンク・フロイドに心酔した日〜

Piper at the Gates of Dawn












28日はGWというのに、あまり外出せず、マンションでひたすらロックのCDを聴いていました。
なぜかこの日は、無性にピンク・フロイド(Pink Floyd)が聴きたくてピンク・フロイドばかり聴いていました。

ピンク・フロイドというバンドを、知らない方に説明すると、'60年代の初期はサイケデリックなバンドとして活動して、'70年代には高度な芸術性を持つ“プログレッシブ・ロック”の代表的なバンドとなり、大ヒットするアルバムを連発し、徐々にモンスター級の大規模なライブを敢行するバンドとなるも、’80年代に入るとメンバー内の不和によって空中分解に至るバンドです。
簡単に説明すると、上記の一文になりますが、そのタイムスパンは、実に20年以上に渡ります。
その間にバンドの顔は、シド・バレットからロジャー・ウォターズ、デイヴィッド・ギルモアと変わって行きます。
サイケデリックなバンドの時代はシド・バレット、プログレッシブ・ロックの時代はロジャー・ウォターズとなり、バンドの不和の末の末期の頃はデイヴィッド・ギルモアがバンドの顔となっていきます。

この、シド・バレット、ロジャー・ウォターズ、デイヴィッド・ギルモアの3人は全員超人的な才能を持っていますが、私は専らシド・バレットの時代が好きです。
なぜなら、私は演奏の技巧よりソング・ライティングのセンスを重視する傾向で、この3人の中でシド・バレットが、個人的にソングライティングのセンスが良いと感じるからです。
ピンク・フロイドのアルバムで、シド・バレットの曲を堪能できるのは、彼らのファーストアルバム、“夜明けの口笛吹き(Piper at the Gates of Dawn)”の1枚のみですが、私はこのアルバムを、こよなく愛しています。
上の写真は、“夜明けの口笛吹き(Piper at the Gates of Dawn)”です。

ピンク・フロイドのファンは、なぜか妙なこだわりがある方々が多いのですが、そんなピンク・フロイドのファンに、『シド・バレットの曲が、一番好きだ』と言うと、非難の集中砲火に遭います。
その理由は、『一枚しかないから』ということと、シド・バレットが精神障害を病んでバンドを去ったという理由が一般的です。
『一枚しかない』という理由に反論すると、それを言ったらセックス・ピストルズだって一枚しか出してないけど、世界を変えた例だと思うのです。
シド・バレットが精神障害を患い、バンドを去ってしまうことに対しては、そんな事を口に出して言う方が倫理上に問題があると思うのです。

ピンク・フロイドのファースト、“夜明けの口笛吹き”を今聴いても、そのキラキラした曲と音色に目眩を感じてしまう程です。
そして忘れてはいけないのは、後年発表したシド・バレットが精神障害を患って変わり果てた姿でバンドを去ったことを悲しむ歌、“ Shine On You Crazy Diamond”が、ピンク・フロイドの重要な名曲になったことです。
その、ピンク・フロイドのメンバー達の旧友、シド・バレットを思いやる気持ちが分からなければ、ピンク・フロイドのファンとして失格だと思います。

この日は、ピンク・フロイドのアルバムを立て続きに聴きましたが、“ Shine On You Crazy Diamond”で、シド・バレットという若きの日の友を失ったピンク・フロイドの悲しみの歌声に感動しました。

夜明けの口笛吹き
夜明けの口笛吹き [CD]

シド・バレット究明 その3

Syd Barrett

【シドバレットの精神症状】
1.LSD-25への精神依存とその乱用
2.幻聴、幻視
3.空笑
4.思考途絶
5.25歳以降の精神的荒廃状態(無為、感情鈍麻)
6.晩年の肥満と糖尿病
【LSD-25】
 リゼルギン酸ジエチルアミドの略称。ライ麦に寄生する麦角菌アルカロイドから合成される。脳幹の縫線核において、セロトニン5HT2受容体を遮断して、セロトニン5HT2による神経活動を抑制する事により、交換神経系を活性化させる。しかし、幻覚の発現については、この作用機序では説明は困難である。少量で作用し、身体依存は生じないが、精神依存は生じる。服用により、多彩な精神症状が発現するが、中でも幻視が著しく、周囲が明るくはなやかな色彩に変化し、ものが歪んで見えたりする。また、閉眼時に幻想的な情景幻視も出現する。
【考察】
 シド・バレットの精神症状で注目すべき所は、LSD-25の後遺症としては精神的荒廃状態が目立つ所である。そのため、統合失調症の可能性が高いと考えられる。しかし、行動の異常がLSD-25によるものか、統合失調症の症状によるものか鑑別は困難てある。LSD-25によって、幻覚妄想状態を呈する事は既知である。しかし、シド・バレットは度重なるLSD-25の使用によって統合失調症発病に対し、脆弱になり発病した事は考え得ることである。単純に化学物質中毒による精神障害と考察することも可能性は否定は出来ない事も確かである。また、晩年は比較的症状が安定し、外出や買い物している姿を発見されたのは、抗精神病薬による治療が行われたからであろう。肥満し、糖尿病の合併症で他界したのは、クロザピン、オランザピンなどの非定型抗精神病薬による投薬治療が行われたのは想像に難くない。

※上の写真はDVD、"ピンク・フロイド ロンドン 1966-1967" の映像を撮影して掲載致しました。
ピンク・フロイド ロンドン 1966-1967 [DVD]
ピンク・フロイド
トランスフォーマー
2006-11-25

シド・バレット究明 その2

Syd Barrett

ピンク・フロイド脱退後は友人宅に泊まり込むが、同居者が常に何らかのドラッグ服用していると証言している。
また空笑して、ベッドで寝てばかりで無為に過ごしていたという。
しかし、作曲の能力には影響を及ぼさず、1970年には2枚のソロアルバムをリリースした。
1970年、久々のライブ演奏をする事になったが、演奏の途中で動作を突然やめて退場してしまったという。

それ以後、公の場から姿を消し音楽業界から、実質上引退した。故郷ケンブリッジで母親と暮らしていたが、1975年に突然ピンク・フロイドのレコーディング・スタジオに姿を見せた。
しかし、精神的荒廃状態を呈していて、巨大に太っているスキンヘッドの男をバンドのメンバー誰1人として、シド・バレットである事は分からなかった。
無意味に跳び跳ねたりする奇行があり、目を背けたくなる状態であったという。

その後は、平穏な日々を過ごしていたが、時としてパパラッチに狙われた。晩年のパパラッチされた写真を見ると、見るも無残な変貌した姿をさらけ出している。
ピンク・フロイドの、他のメンバーも老けてルックスが変わったが、シド・バレットやはり尋常ではない風貌の変化である。
目だけが面影を残しているだけで、太って服もだらしなくなっていて、往年の輝きは消え失せている。

2006年7月7日に糖尿病の合併症で他界する。

※この記事は2016年3月21日に投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
※上の写真はDVD、"ピンク・フロイド アンド シド・バレット ストーリー"のジャケットより。

ピンク・フロイド アンド シド・バレット ストーリー [DVD]
ピンク・フロイド.シド・バレット
ナウオンメディア
2004-07-23

シドバレット究明 その1

Syd Barrett

シド・バレット(2006年-1946年:本名ロジャー・キース・バレット)は元来、陽気で情熱的性格を持ち合わせていた。
幼少から、芸術的才能を持ち合わせ、ロンドン芸術大学で絵画を学んでいた。
ドラッグへの憧れは若年の頃からあり、やがてLSD-25にのめり込むようになった。

ピンク・フロイドとして、バンド活動をしている頃には相当な量のLSD-25を服用していたと思われる。
そのような中で、彼が21歳の時の1967年5月にセカンドシングル“シー・エミリー・プレイ”をリリースしたが、その直前にから目に精気がなくなり、人が変わってしまったようであったとバンドのメンバーは証言している。
知人の顔も解らなくなるような状況になってしまう。
6月にはステージで両腕を下げたまま、演奏しなくなった。
そして、10月アメリカ巡業で、その症状は更に悪化した。
テレビの収録の際に口パクをしなければならないのに直立不動で何もしなかっり、ステージに上がる事を散々拒むなど状態となり、結局アメリカツアー断念してしまった。

11月には強引に第三弾シングル、“アップル・アンド・オレンジズ”は、バンドやシドのひどく混乱した状態を露見させただけだった。
そのような中で、精神科の治療を受けさせようとしたが、病識がなく治療を拒否していった。
そういった状況に誰もなすすべもなく、1968年1月にピンクフロイドを脱退した。

※この記事は、2016年3月21日に投稿当時の原文を損なわない程度に修正致しました。
※上の写真は書籍、"BRICKS IN THE WALL"に掲載されています。

カール ダラス
CBS・ソニー出版
1988-03

Piper at the Gates of Dawn

Piper at the Gates of Dawn

私は、シド・バレット(1946年-2006年)が書いた曲が大好きです。
好きなソング・ライターの5人挙げろと言われたら、シド・バレットの名を挙げるでしょう。

シド・バレットは、サイケデリック・バンドであるピンクフロイドの中心メンバーとして、ソングライターだけでなく、メインボーカル、ギターまで務めています。
言わばバンドのフロントマンです。

しかし、彼がピンク・フロイドのフロントマンとして活躍出来たのは、僅か2年程です。
"Piper at the Gates of Dawn"は、そんなシド・バレットが唯一ピンク・フロイドのメンバーとして残したアルバムです。
今回、"Piper at the Gates of Dawn"の3枚組のデラックスエディションが発売されたので、買いました。

私もシド・バレット音源をコレクションしているので、知っている曲が大半ですが、初めて聴くアウトテイクまで収録されいて、仰天です。
内容的には、最新リマスタリングのモノバージョンと、最新リマスタリングのステレオバージョンが各1枚ずつと、アルバム未収録のシングル集とアウトテイク集の3枚です。
その最新リマスタリング技術の余りにの出来栄えに、マニアの私の涙腺を緩ませてくれました。
そのサウンドは正に工芸品です。

Syd Barrett

シド・バレットはLSDの過度の使用のし過ぎで、行動の異常を示し、ステージでギターをぶら下げたまま、両腕もぶら下げたままの状態で、突っ立っていたと言います。
また、リハーサル途中で、突然ピタリと動作が停止し、やがてギターをケースに入れて、無言で帰って行ったりしたそうです。
メンバーとの意思疎通も困難になり、やむなくバンドから姿を消しました。
その後は2枚のソロアルバムを出しましたが、公衆の面前から姿を消しました。

※この記事は2016年2月7日に、投稿当時の原文を損なわない程度に編集致しました。
上のシド・バレットの写真はデラックスエディションのブックレットに収録されているものです。


気まぐれギャラリー
『★星のプリンセス・
願いがかなったの』
2015年

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