iPhone AC のブログの更新のため、私は日々色々なゲームアプリを試しています。
その中には大作ゲームもあれば、ちょっとしたミニゲームもある訳ですが・・・
特にミニゲーム・ショートゲームに関する認識で、最近の人と私とでは、違いがあるなぁと感じることがたまにあります。
さらに私はプログラムの経験があるため、それがない人との認識の差を感じることもありますね。
まあプログラムと言っても、私がやっていたのは「ファミリーベーシック」とか「MSX」とかで、BASIC という初期言語で行っていた簡易的なプログラムですから、仕事でやっている人と比べると全然ショボイですし、今のシステムでプログラムを組めるかと言ったら全くムリです。
とは言え、プログラムがどういうものかは何となく解ってるので、例えば簡易的なゲームをやった時、大抵の人は「なんだこのショボいゲームは」と思って終わりだと思いますが、自分は「これはこういうことがやりたかったんだろう」みたいなことを考えたりします。
また、BASIC 時代はデータ容量が 4KB(4000 Byte)とかの時代ですから、それでゲームを作ろうと思ったら、ひたすらデータの削減や節約を繰り返さなければなりませんでした。
例えば、2文字の変数を1文字にして1バイト浮かせるとか、繰り返し出てくる数字や単語を変数に入れて使い回し文字数を削減するとか、そういうのをしながらゲームを作っていました。
それでも足りない時は、せっかく作った部分を泣く泣く削りながらデータを切り詰めていきます。
そういうのを経験しているので、使い回し部分については自分は寛容に見る傾向があります。
ミニゲーム・ショートゲームの類も、ゲーマーの中には「ショボいゲーム」「携帯電話ゲー」などと蔑む人も多いのですが、私はそういうのを作ったり改造したりして遊んでた人なので、むしろそういうのをやるのが楽しかったりします。
自称ゲーマーのゲーム歴の浅い人が、スマホアプリを家庭用ゲームと比べて批判し、「真のゲーマーはそんなもので遊ばない」「スマホゲームなど真のゲームではない」などと語ったりするのをみると、「お前にゲームの何がわかる」と文句の1つも言いたくなります。 なんだか年寄り臭いですが。
とは言え、ユーザー目線でレビューする場合、それらの経験が邪魔になることもあります。
開発者の苦労なんてユーザーには関係ないし、ましてやプログラムの都合なんて大抵の人には理解できません。
目の前にあるゲームが面白いかそうでないか、それだけが重要です。
裏側をアレコレ考えて、それを理由にクソゲーを良ゲーと言っては、もうユーザー目線ではありません。
これを痛感したのは「ケイオスリングス」を見た時。
このゲームはもう4年前のゲームだし、ネタバレをいとわずに言うと、「ループシナリオ」です。
ストーリーがループする、そしてそこからの脱却を目指す物語ですね。
このシナリオだと登場人物、舞台、敵、ダンジョンを何度も使い回す展開でも整合性が付きます。
これを最初に見た時は「なるほど、iPhone で大作 RPG を作るというムチャを、これで可能にしたのか!」と凄く感心しました。
当時は今よりアプリに使えるデータ量も少なかったからです。
が、世間では「使い回し」「手抜き」「短絡的」などの声が多数。
賞賛の声も多かったのですが、同じだけ批判の声も大きかった印象で、ぶっちゃけシナリオを肯定的に評価していたユーザー側のサイトはうちぐらいだったと思います。
ただ、前述したように、データ量とかはユーザーにとっては知ったこっちゃない。
ユーザー視点でレビューをする場合、そこは本来考慮するべきではない。
これについては、自分のレビューが間違っていたとは思わないけど、プログラム的な部分をどこまで加味するべきなのか、今をもって結論が出ていない次第です。
その中には大作ゲームもあれば、ちょっとしたミニゲームもある訳ですが・・・
特にミニゲーム・ショートゲームに関する認識で、最近の人と私とでは、違いがあるなぁと感じることがたまにあります。
さらに私はプログラムの経験があるため、それがない人との認識の差を感じることもありますね。
まあプログラムと言っても、私がやっていたのは「ファミリーベーシック」とか「MSX」とかで、BASIC という初期言語で行っていた簡易的なプログラムですから、仕事でやっている人と比べると全然ショボイですし、今のシステムでプログラムを組めるかと言ったら全くムリです。
とは言え、プログラムがどういうものかは何となく解ってるので、例えば簡易的なゲームをやった時、大抵の人は「なんだこのショボいゲームは」と思って終わりだと思いますが、自分は「これはこういうことがやりたかったんだろう」みたいなことを考えたりします。
また、BASIC 時代はデータ容量が 4KB(4000 Byte)とかの時代ですから、それでゲームを作ろうと思ったら、ひたすらデータの削減や節約を繰り返さなければなりませんでした。
例えば、2文字の変数を1文字にして1バイト浮かせるとか、繰り返し出てくる数字や単語を変数に入れて使い回し文字数を削減するとか、そういうのをしながらゲームを作っていました。
それでも足りない時は、せっかく作った部分を泣く泣く削りながらデータを切り詰めていきます。
そういうのを経験しているので、使い回し部分については自分は寛容に見る傾向があります。
ミニゲーム・ショートゲームの類も、ゲーマーの中には「ショボいゲーム」「携帯電話ゲー」などと蔑む人も多いのですが、私はそういうのを作ったり改造したりして遊んでた人なので、むしろそういうのをやるのが楽しかったりします。
自称ゲーマーのゲーム歴の浅い人が、スマホアプリを家庭用ゲームと比べて批判し、「真のゲーマーはそんなもので遊ばない」「スマホゲームなど真のゲームではない」などと語ったりするのをみると、「お前にゲームの何がわかる」と文句の1つも言いたくなります。 なんだか年寄り臭いですが。
とは言え、ユーザー目線でレビューする場合、それらの経験が邪魔になることもあります。
開発者の苦労なんてユーザーには関係ないし、ましてやプログラムの都合なんて大抵の人には理解できません。
目の前にあるゲームが面白いかそうでないか、それだけが重要です。
裏側をアレコレ考えて、それを理由にクソゲーを良ゲーと言っては、もうユーザー目線ではありません。
これを痛感したのは「ケイオスリングス」を見た時。
このゲームはもう4年前のゲームだし、ネタバレをいとわずに言うと、「ループシナリオ」です。
ストーリーがループする、そしてそこからの脱却を目指す物語ですね。
このシナリオだと登場人物、舞台、敵、ダンジョンを何度も使い回す展開でも整合性が付きます。
これを最初に見た時は「なるほど、iPhone で大作 RPG を作るというムチャを、これで可能にしたのか!」と凄く感心しました。
当時は今よりアプリに使えるデータ量も少なかったからです。
が、世間では「使い回し」「手抜き」「短絡的」などの声が多数。
賞賛の声も多かったのですが、同じだけ批判の声も大きかった印象で、ぶっちゃけシナリオを肯定的に評価していたユーザー側のサイトはうちぐらいだったと思います。
ただ、前述したように、データ量とかはユーザーにとっては知ったこっちゃない。
ユーザー視点でレビューをする場合、そこは本来考慮するべきではない。
これについては、自分のレビューが間違っていたとは思わないけど、プログラム的な部分をどこまで加味するべきなのか、今をもって結論が出ていない次第です。