玉臺新詠集 巻四 9.謝朓 巻4•9-1-8雜詩十二首其六雜詠五首之一
鐙 訳注解説 漢文委員会 紀頌之Blog11131
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9.謝朓 |
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巻4•9-1-8雜詩十二首其六雜詠五首之一 鐙 |
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玉臺新詠集 謝朓詩 訳注解説 |
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漢文委員会 紀頌之Blog11133 |
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#6
雜詩十二首其四(詠邯鄲故才人嫁為廝養卒婦)
(趙の後宮の妃嬪・才人であった女性の後宮を解放されて、その後のことを述べる)
生平宮閤裏、出入侍丹墀。
常日頃、宮中の奥深い閏閤の中ですごしているし、出るのは閏閤殿から天子の朱ぬりの土縁に面した部屋で、侍っているのである。
開笥方羅縠、窺鏡比蛾眉。
その部屋での、妃嬪たちはすることがなく、箪笥の引き出しを開いてうすぎぬの服地の美をくらべ合わせたり、鏡をのぞいては、朋輩と書き眉の美しさを比較しあったりするのである。
初別意未解、去久日生悲。
幼いとき後宮に入内したわたしが初めて宮中から別れた時、俗世間の生活にただ茫然として、理解することができなかったが、離れて久しくなるにつれ、日に日に悲しさが膨らんでゆくのです。
顦顇不自識、嬌羞餘故姿。
心配事がおおいいのか、病気をしたのが気づかぬうちにやつれたようだが、それでも妃嬪としての矜持と恥じらいの心、気高き妃嬪の姿はまだ残って居る。
夢中忽髣髴、猶言承讌私。
だから、夢の中ではたちまちもとの姿がおぼろに現れる、今でもなお宴席に侍って私恩をいただいているなどと言うこともある。
雜詩十二首其四(詠邯鄲故才人嫁為廝養卒婦)(邯鄲の故の才人が嫁して雑役の卒の婦と為れるを詠ず)
生平 宮閤の裏、出入 丹墀に侍す。
笥を開き 羅縠を方ずれば、鏡を窺って蛾眉を比す。
初め別れしより 意 未だ解けず、去ること久しく 日に悲しみを生ず。
顦顇 自ら識らず、嬌羞 故姿を餘す。
夢中 忽ち 髣髴として、猶お 言う 讌私を承わると。
雜詩十二首其五 秋夜
(秋夜の景を写して空閏を守る思婦の情を叙す。)
秋夜促織鳴、南鄰擣衣急。
きりぎりすが鳴く秋の夜、南隣の井戸端からは女たちの砧打つ響きがせわしく聞こえてくる。
思君隔九重、夜夜空佇立。
あなたは九重の空のかなたに隔たって しまった。それを思うて夜な夜な独り空しくたたずんでいる。
北窗輕幔垂、西戶月光入。
秋も深まれば寒く、澄が入るが、此の窓には軽やかな「まく」が垂れて暖を取る、西の戸口からは月の光がさしこんでくる。
何知白露下、坐視前堦濕。
じっと坐して家の前の階のうるおうたのを見ると、知らぬまに白露がおりていた、もう秋も深い。
誰能長分居、秋盡冬復及。
それに誰がいつまでもかく別れ別れに住んで居られるのであろう。やがて秋が終わればまた冬がやってくる。
(雜詩十二首其五 秋夜)
秋夜 促織鳴き、南鄰 擣衣 急なり。
君を思うて 九重を隔つ、夜夜 空しく佇立す。
北窗に 輕幔垂れ、西戶に 月光入る。
何ぞ知らん 白露の下るを、坐して視る 前堦の濕おうを。
誰か能く 長らく分居せん、秋盡きて 冬 復た及ぶ。
8 其六 雜詠五首 〔謝宣城詩集卷第五〕
(其一) 鐙
(燈の形から始まって、そのともっている時の状態、更に、その前に濁り坐って思いに沈んでいる思婦の思いを詠う。)
發翠斜漢裏、蓄寳宕山峯。
緑色の煙が天にも続く斜めの警告の斜面に沿って、登っていく、宕山の峯のようなところに煙が留まって宝気が蓄えられている。
抽莖類仙掌、銜光似燭龍。
高く抜きんでた燭皿の茎のような山は「仙人掌」に似ている、光を含むと燭龍が照らすのに似たような明るさを放つ。
飛蛾再三繞、輕花四五重。
そこに、蛾が飛び回って二たび、三度、燭龍の周りを巡り、軽い灯の火花が四重、五重にも重なり合う。
孤對相思夕、空照舞衣縫。
あのお方との思い出に浸りながら、今は一人でそれに対していると、その光は、ひたすら私の舞衣装の縫い目を照らしているだけなのである。
其六 雜詠五首 (其一) 鐙
翠を發す 斜漢の裏、寳を蓄う 宕山の峯。
莖を抽いて 仙掌に類し、光を銜んで燭龍の似たり。
飛蛾 再三 繞り、輕花 四五 重なる。
孤對す 相思の夕、空しく照らす 舞衣の縫。
1.
(其二) 燭
杏梁賓未散 桂宫明欲沈
曖色輕幃裏 低光照寳琴
徘徊雲髻影 灼爍綺疏金
恨君秋夜月 遺我洞房陰
2.
(其三) 席
本生朝夕池 落景照參差
汀洲蔽杜若 幽渚奪江蘺
遇君時採擷 玉座奉金巵
但願羅衣拂 無使素塵彌
3.
(其四) 鏡臺
玲瓏類丹檻 苕亭似玄闕
對鳳懸清冰 垂龍掛明月
照粉拂紅妝 插花埋雲髮
玉顏徒自見 常畏君情歇
4. (其五) 落梅
新葉初冉冉 初蘂新霏霏
逢君後園讌 相隨巧笑歸
親勞君玉指 摘以贈南威
用持插雲髻 翡翠比光輝
日暮長零落 君恩不可追
謝 朓(464年 - 499年)は、南北朝時代、南斉の詩人。字は玄暉。本貫は陳郡陽夏県。同族の謝霊運・謝恵連とともに、六朝時代の山水詩人として名高く、あわせて「三謝」と称される。また謝霊運と併称して「二謝」と呼ぶこともあり、その場合は、謝霊運を「大謝」と呼ぶのに対し、謝朓を「小謝」と呼ぶ(ただし「小謝」の呼称は謝恵連を指すこともある)。宣城郡太守に任じられ、この地で多くの山水詩を残したことから、「謝宣城」とも呼ばれる。竟陵王・蕭子良の西邸に集った文人「竟陵八友」の一人であり、同じく八友の仲間である沈約・王融らとともに「永明体」と呼ばれる詩風を生み出した。
現代譯 訳注解説
(本文)
8 其六 雜詠五首 〔謝宣城詩集卷第五〕
(其一) 鐙
發翠斜漢裏、蓄寳宕山峯。
抽莖類仙掌、銜光似燭龍。
飛蛾再三繞、輕花四五重。
孤對相思夕、空照舞衣縫。
(下し文)
8其六 雜詠五首 (其一) 鐙
翠を發す 斜漢の裏、寳を蓄う 宕山の峯。
莖を抽いて 仙掌に類し、光を銜んで燭龍の似たり。
飛蛾 再三 繞り、輕花 四五 重なる。
孤對す 相思の夕、空しく照らす 舞衣の縫。
(現代語訳)
#8(燈の形から始まって、そのともっている時の状態、更に、その前に濁り坐って思いに沈んでいる思婦の思いを詠う。)
緑色の煙が天にも続く斜めの警告の斜面に沿って、登っていく、宕山の峯のようなところに煙が留まって宝気が蓄えられている。
高く抜きんでた燭皿の茎のような山は「仙人掌」に似ている、光を含むと燭龍が照らすのに似たような明るさを放つ。
そこに、蛾が飛び回って二たび、三度、燭龍の周りを巡り、軽い灯の火花が四重、五重にも重なり合う。
あのお方との思い出に浸りながら、今は一人でそれに対していると、その光は、ひたすら私の舞衣装の縫い目を照らしているだけなのである。
(訳注解説・字解)
雜詩十二首
現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。
とりわけ叙景に優れ、謝霊運の山水詩を引き継ぎつつ、美を洞察する感受性は、他の六朝(りくちょう)詩人に類をみない。友人の沈約(しんやく)は謝の五言詩を「二百年来この詩なし」とたたえた。謝も沈約も竟陵王蕭子良(きょうりょうおうしょうしりょう)の文学サロンに出入りした八友の一人であるが、謝の詩は、唐詩の風を先駆けて切り開いており、唐の詩人李白(りはく)や杜甫(とほ)の評価も高い。尚書吏部郎に抜擢(ばってき)されてまもなく、王朝末期にありがちな皇帝廃立の陰謀に巻き込まれ、36歳で獄死した。『謝宣城集』5巻がある。
雜詩十二首8其六 雜詠五首 〔謝宣城詩集卷第五〕
(其一) 鐙
(燈の形から始まって、そのともっている時の状態、更に、その前に濁り坐って思いに沈んでいる思婦の思いを詠う。)
詠物と閏怨を合わせたような作である。『玉台新詠』巻四。謝宣城詩集卷第五 30
鐙 「あぶみ」「ひともし皿」その形、部屋の中での役割、印象など、そこにいる女性の宿命を詠うのである。二人で過ごしていた時の鐙燭は明るく、暖かく、楽しく照らしてくれた、同じ鐙燭を一人で見ればなおさら悲しい光となる。
緑色の煙が天にも続く斜めの警告の斜面に沿って、登っていく、宕山の峯のようなところに煙が留まって宝気が蓄えられている。
(発翠斜漢裏)「翠」は、山から立ち上る翠の気、嵐翠。「翠微」を意識する。1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。
「斜漢」は、斜めに流れる天の河であるが、昼の景色を言うので、「漢」は大空、谷両岸の切り立った斜面が天に上る門のような感じというところ。燭台の上の油皿のことを言う。『初学記』巻二五引は「漢」字を「渓」に作るが、これであれば「斜めに流れる渓川」という意味になる。この句は、燈の、どこかわからないが或る部分を詠んだものである。
(蓄宝宕山峯) この句も、燈の或る部分を詠んだものであるが、これは「蓄宝」であるから、油のことをいうのではなかろうか。「宕山」は仙山で、丹砂を大量に蔵しているという。『列仙伝』に「王桂は道士と共に宕山に上る。言ふ、此に丹砂有り、数万斤を得べしと。宕山の長吏、知りて山に上り之を封ずれば、砂は流出し、飛ぶこと火の如し」とある。
抽莖類仙掌、銜光似燭龍。
高く抜きんでた燭皿の茎のような山は「仙人掌」に似ている、光を含むと燭龍が照らすのに似たような明るさを放つ。
「抽茎類仙掌」 「抽茎」とは、燈の火皿が長い「茎」の先についているのをいう。それはあたかも漢の武帝が造ったという「仙人掌」に似ているという。『漢書』郊祀志に「孝武帝は相梁の銅柱、承露仙人掌を作る」とある。鋼柱の上で仙人が掌で天の甘露を承けている像を作ったのである。
「衝光似燭龍」 「燭龍」は、北の果ての地に燭をくわえた龍がいて、それで辺りを照らしているという。『楚辞』天間に「目安不到、燭龍何照」(日は安くにか到らざる、燭龍 何ぞ照らせる) とあり、その王逸注に「天の西北は幽冥にして日無きの国、龍有りて燭を衝へて照らす」 という。
飛蛾再三繞、輕花四五重。
そこに、蛾が飛び回って二たび、三度、燭龍の周りを巡り、軽い灯の火花が四重、五重にも重なり合う。
「飛蛾再三続」 灯火のまわりを蛾が飛びまわる様子を
いう。晋・張協の「雑詩」 に「蛸例吟階下、飛蛾払明燭」 (購例は階下に吟じ、飛蛾は明燭を払ふ) とある。
「軽花四五重」 「軽花」は、灯火がパチパチと火花をとばすことをいうのであろう。灯火がこのように火花をとばすのは、銭財を得る前ぶれであるという。(『西京雑記』 三)いう。『玉台新詠』巻四。
孤對相思夕、空照舞衣縫。
あのお方との思い出に浸りながら、今は一人でそれに対していると、その光は、ひたすら私の舞衣装の縫い目を照らしているだけなのである。
「孤対相思夕」 「孤対」は、独りで、以上述べたような燈に対していること。此の女性は燈の下で、遠く離れ
ている恋人のことを、今宵ひたすら思い続けている。
「空照舞衣縫」 「空照」とは、せっかく縫った舞衣を着
て舞い、恋人に見せることができないためである。宋・飽照の「代陳思王京洛篇」に「琴家縦横散、舞衣不復
縫」(琴家 縦横に散じ、舞衣 復た縫はず)とある。